第14話 Episode3-2 Nobody Does It Better

 27 応対


 病室のドアが突然バーンと開いて、現れたのは第二小隊隊長入谷邦明いりやくにあきだった。ANCLEアンクルの制服であるライトブラウンのワークウェアに身を包み、もちろん手ぶらだった。ベットに身を起こしていた第一小隊隊長田村幹夫たむらみきおの、少なくとも入谷いりやよりは整った顔が一気にゆがんだ。


「よう、元気か、口だけ男! 有言実行男が様子を見に来てやったぞ!」


 言ったそばから、駆けつけた看護師に「扉の開閉は静かにしてください!」とこっぴどく怒られる始末。無論、そんなことを気にする入谷いりやではない。


「なんだ、元気そうじゃないか。心配して損したな、と言うほど心配してないけどな。正直言えば、心配なんぞしたこともない。だから見舞品なんか持ってない!」


 そう言って両手を広げてみせる。


「ガムならあるけど、食うか」

「……誰かに言われて来たのか」


 田村たむら入谷いりやの顔も見ずに低いトーンで言った。入谷いりやはふっと真顔に戻って、部屋の隅に置かれたパイプ椅子に腰を下ろした、


「勘のいい大人は嫌いだよ」

たきか」


 田村たむらは精気の抜けたような顔をゆっくりと向けた。


「あいつは余計な気を回しすぎる。戦場なら真っ先に死ぬ」

「それこそ余計なお世話じゃねえか。警官が自衛官の命の心配なんてよ」


 そう言う入谷いりやを、田村たむらはすに睨んだ。


「あんまり部下に気を遣わせるな」

「人のことを言えるのか」


 入谷いりやは顔の半分だけで笑った。


「遣われてるように見えるんなら、どうかしてるぞおまえ」


 田村たむらはふんと鼻を鳴らした。


「とにかく、心配無用だ。せっかくだから、久しぶりに身体を休めているだけだ。別に変なわだかまりがあるわけじゃない」

「そんなことはひとことも言ってねえよ」

「ならおまえが来る必要はないだろう」


 病室に気まずい沈黙が降りた。面倒くせえな、と入谷いりやは思う。


「……おまえ、今、面倒な奴だと思っているだろう」


 おもむろに田村たむらが言った。


「そんなこたあない」と入谷いりやは気のない口調で言う。「……というのは嘘だ」

「俺はおまえが面倒くさいよ」

「だからお互いわけわからん組織に送られたんだろうが」


 半分笑いながら入谷いりやが言うと、田村たむらは視線を外して黙った。


「……ま、俺は嫌いじゃないけどな。いや、おまえのことじゃないぞ」


 田村たむらが何も言わないので、入谷いりやは独り言のように続けた。


「昇進試験だの検挙率だの、競争するのがあたりまえみたいな世界だったじゃねえか。離れてみるとさ、異常だったと思うんだよな。異常というか、俺には決して向いてねえなとな」


「……何言ってる。おまえはずっと自由じゃないか」


 田村たむらがなぜか泣き出しそうな表情で言った。


「SATなんかにいるからだ」

「もういない」

「なら自由だ。俺と同じだ」


「一緒にするな」と田村たむらは言った。「迷惑だ」


「だろうな」


 入谷いりやが笑うと、田村たむらも少しだけ笑った。


         ☆


(……旋回して急上昇……降下しながらロール……水平から加速してシャンデル……)


 と、スクリーンが突然赤く点滅する。〈8時の方角から対空ミサイル〉の表示。


「アウターバディ・モード」


(モード・チェンジしながら急速右旋回……反転……ロックオン……掃射!)


〈全目標消滅〉


(急角度急上昇……)


 スクリーンが黄色に点滅を始める。「速度低下。危険。危険」


 そして赤。


〈失速。失速。高度急速に低下〉


(……体重移動……姿勢制御……修正左……上昇……)


 スクリーンの点滅が消えた。 


〈機体制御回復〉


「自動着陸……テックアウト……電源オフ」


 卯月舞うづきまいは四肢が自由になると、ふーっと大きく息を吐いてからヘッドセットを外した。


PEGUSペガスシミュレーター・V』の扉が自動でゆっくりと開いて、内部に部屋の照明が差してくる。


 サミットの任務以来、まいはほぼ毎日、千葉にある菱井ひしい重工開発センターに通っていた。もちろん、ヴァルキュリスのシミュレーターで擬似飛行訓練をするためである。シミュレーターはかなりの大型設備であることもそうだが、実機に搭載されているSIMRUGHシムルグと連携してデータ収集とフィードバックを行なっているため、本部に移設することが困難なのである。


 光に眼が慣れてくると、視界にぼんやりとした影が浮き上がり、やがて人の形に収斂した。


「やあ、久しぶりですね」


 人影が言った。シミュレーターに長時間こもっていたせいで、眼の焦点を合わせるのに時間がかかった。


「……あれ、忘れたかな」


 見覚えのある青年が、赤みがかった金髪の頭を掻きながら言った。片目の虹彩こうさいだけが群青のオッドアイ。忘れられるほど凡庸な容姿ではない。


「……どうも」


 まいはどうしていいかわからず、とりあえず頭を軽く下げた。下げてしまった後で、下げる理由はそもそもないような気がした。


 ANCLEアンクルのワークウェアを着ているが、現場でも本部でも見かけたことがない。確か前に会った時は「装備を受け取りに来た」と言っていたから、菱井ひしいに詰めている隊員でも内勤の職員でもなさそうだ。もっとも信用できるかといえば、できない。なんとなく、できない。


「改めまして、板野いたのです」


 青年は端正な顔を柔らかく崩しながら言った。


「……どうも」とまいはもう一度言いながら、いったいこの青年のどこが胡散臭うさんくさいのだろうかと考えた。そして、おそらくは不自然なまでの「隙のなさ」なのだろうと思う。普通の人間には、多かれ少なかれ、どこかしら隙を感じるものだ。それがない、まったくない。まるでなにがしかのキャラクターを演じている上手い役者のようだ。


「何か」


 歩き出しながら言うと、板野いたのまいの横にぴったりと付いて来た。


「ずいぶん訓練熱心ですね」

「そうですか」

「ええ、他の隊員にも見習ってほしいくらいです」


 板野いたのはそう言って笑った。


「いえ、私はまだ未熟ですので」

「それにしても、根を詰めすぎているのではないかと心配ですよ」


 余計なお世話だと思ったが、まさかそのまま言葉にするわけにもいかない。


「訓練は裏切りませんから」


 まいが言うと、板野いたのは不意に立ち止まった。


「そうでしょうか」


 意外な返答に、まいも思わず立ち止まって振り向いてしまう。


「どういう意味です?」

「ああ、いえ、あまり気にしないでください」


 板野いたのは急にくだけた調子で、目の前で両手を振ってみせた。


「僕はちょっと考えすぎてしまう癖がありましてね。この間の事件も、なんというか、いいようにもてあそばれていたような気がするのですよ。僕たちは誰かに利用されているのではないかとね」


 まいの表情が若干険しくなった。


「だとしても、私には関係ありません。任務を確実に遂行するだけです。そのための訓練ですから」


 板野いたのがさほど本気でもなさそうにうなずいた。


「まったくです。頭が下がります」

「そんな話をわざわざ?」


 まいが無意識にとがめるように言うと、板野いたのは肩をすくめて笑顔を見せた。


「女の子が困っているところを見るのが嫌いなんです」


「え?」


 まいは思わずき返した。


「なので、もし困ったことが起きたら、秘匿回線のコード0414で連絡してください」


 この人は何を言っているのだろうと思いながら、まいは問う。


「あなたはANCLEアンクルで何をしているんですか」

「それは秘密です……おっと、彼氏が来たようだ。では私はこれで」


 言うなりきびすを返して、足早に姿を消す。まいが振り返ると、ちょうど零音一人れおんかずとがこちらに向かって歩いてくるところだった。朝方、京葉けいよう線が事故で止まり、路地屋理佐ろじやりさが車を回す代わりに一人かずとを連れて来たのだった。まさかバイクだとは思わなかったが、道中黙っていていい分だけ気楽だったかもしれない。


「あれ、誰?」


 一人かずと板野いたのの背中が消えた方向を見ながら言った。


「知らない」

卯月うづきのファンかな」

「まさか」


 考えてみれば、連れてきてもらったのにこれが一人かずととの今日初めての会話だった。バイクを降りてからもずっと、訓練のプログラムのことばかり考えていたのだ。


「ありがとう」


 まいが言うと、一人かずとは不思議そうな顔で春海を見た。


「何の話?」

「迷惑かけたから」

「今頃?」


 一人かずとが吐息のように笑った。


「迷惑だなんて思ってないし、仲間ってのは迷惑をかけ合うもんだろ」

「仲間?」


 まいき返してきたので、一人かずとは少しばかり狼狽うろたえてしまう。もちろん「これからも迷惑かけていいかな」なんていう、まいとしてはあり得ない台詞を期待していたわけではないのだが。


「俺たちは仲間だろう」


 一人かずとがかろうじて言うと、まいは「そうか、仲間か」と独り言のように呟いた。まいは「仲間とは何か」などと、今まで考えたことがなかったのだった。


         ☆


 一人かずとまいがタンデムで本部宿舎に戻って来た時、路地屋理佐ろじやりさ船縁甲ふなべりきのえはガードナーの修理にかかわる技術的な問題に丸一日忙殺されて、ようやく整備棟から解放されたところだった。


「あたしたちにあんな頃あったっけか」


 二人の姿を見ながら路地屋ろじやが言うと、


「ありません」


 船縁ふなべりが即座に否定した。聞きようによっては苛立いらだっているような声だった。


「定量化できないものは虫唾むしずが走ります」



 28 処理


 城之内克也じょうのうちかつや深層ディープウェブに置かれた私書箱に連絡が入っているのを確認した。


 入金報告 ¥200,000,000


 城之内じょうのうちは至極冷静にその数字を見る。要求通り。接触もなし。城之内はそのことよりも、本当に反応があったことに驚いていた。つまり、頭のおかしな人間の妄想ではなかったということだ。


 件のデータに何者かがアクセスした瞬間、『HISASHIWOKARITEOMOYAWOTORU』は活性化して、アクセスしたローカルネットワークシステムを乗っ取る。そして脅迫文と、深層口座ディープアカウントと私書箱へのリンクのみを表示し続けるのだ。極秘データに罠を仕掛けることで、管理者には二重の脅迫になるのである。


 もっとも件のデータは彼らにとってはさほどの脅威ではないのかもしれない、と城之内じょうのうちは落ち着いて考えた。獲るものを獲ったらマスコミにでも流そうかとも思っていたのだが、時間が経つにつれて、こんな話をいったい誰が信じるのかという疑念の方が大きくなっていた。まあ、彼らにとってははした金ということなのだろう、城之内じょうのうちは受け取りの証として、『HISASHIWOKARITEOMOYAWOTORU』の解除コードを私書箱に送った。アクセスを確認したら、この私書箱は消去しなくてはならない。


 深層ディープウェブ銀行の送金手数料25%を差し引いて1億5千万。そう、ちょうど必要な額だ。


 口座を確認する。確かに入っていた。


 JPY 200,000,000


 その全額を「架空の」実在する口座をいくつも経由させて、とある口座に送金した。追跡は困難を極める。いや、実質不可能である。そうでなくては深層ディープウェブ銀行の存在価値はない。送り先の口座名義人は「ミズハラマリ」。


         ☆


 水原鞠みずはらまり城之内じょうのうちの同級生である。


 高校二年生の時に同じクラスになった。生まれつき身体が弱いらしく、血の気のない白い顔で休み時間も滅多に机から動かなかった。体育の授業も休みがちで、出席してしたらしたで頻繁に倒れていた。陰鬱な表情を隠さず、友達らしい友達とて見あたらず、授業中以外は声を聞くことも稀だった。


 だが城之内じょうのうちは、その憂いをたたえた顔立ちが気になって仕方なかった。不遇への同情を、別のロマンティックな感情と取り違えてしまうような年頃ではあったかもしれない。


 ある日、城之内じょうのうちは思い切ってまりに声をかけた。声をかけた後で、彼女と話すのは初めてだと気づいた。そもそも城之内じょうのうちは、自分から女子に話しかけるようなタイプではなかった。


「なあ、今度の日曜、ヒマ? どっか行かない?」


 当然のことながら、まりはひどく驚いた顔をして、明らかに困惑しながら答えた。


「別にいいけど……」

「え? あ、じゃあ、どうしよう、ええと、九時に駅で」


 城之内じょうのうちはいささか動揺した。てっきり断られるか無視されると思っていたのだ。


 映画を観て、食事をした。途中、疲れたのか道端に座り込んでしまうことがあったが、まりは終始、見たことのないような笑顔だった。


 しばらくして、まりは学校を休みがちになり、やがて来なくなった。心臓病が悪化したのだと聞いた。城之内じょうのうちは自分にも責任があるのではないかと思った。そんなことがあるはずはないのだが、関係ないと割り切ることもできなかった。


 大学を出てIT企業に就職した城之内じょあのうちは、すぐに「できる」男と認識されたが、一年も経たずに辞めた。誰もが「できる」新人に面倒な仕事を押し付け始めたからだった。自身の才能を確信した城之内じょうのうちは、とりあえずハッカーになろうと思った。だが「とりあえず」で済ますには才能がありすぎた。


 ある日、城之内じょうのうちは不意に水原鞠みずはらまりのことを思い出し、なんとはなしに彼女の情報を探して、SNSのアカウントを見つけ出した。そこで見たのは闘病中の彼女の写真だった。以前にも増して顔色が悪く、痩せ細った彼女を、城之内じょうのうちはそれでも美しいとと思った。また手術が必要だが費用が心配だと書かれていた。


 SNSでの城之内じょうのうちは「かつて娘を心臓病で亡くした会社社長」を装った。架空の経歴、架空の日常、架空の会社のHP、架空の思い出の写真。そして十分すぎるやり取りの後で援助を申し出て、鞠《まりの銀行口座を聞き出し、ハッキングで稼いだ500万円を振り込んだ。自分は何をやっているのだろうかと思ったが、だからといって本質的な疑問や後悔が浮かんでくるわけではなかった。


 手術は成功したが、病状はなかなか改善しないようだった。あとはもう心臓移植しかないと医師に言われたが、とても無理だと弱音を吐いていた。なにしろ移植手術は海外へ渡るしかなく、費用が1億5千万もかかるというのだ。

 さすがの城之内じょうのうちも、それだけの大金は用意できない。電子通貨の強奪も考えたが、どう考えてもリスクの方が大きかった。間違っても水原鞠みずはらまりに迷惑をかけるわけにはいかない。なんとか独自の嗅覚で、金になりそうな情報を探すしかなかった。


 そして、SRASHスラッシュ辿たどり着いた。


 城之内じょうのうちは無神論者だったが、脳細胞のネットワークに酷似したウェブが、総体として一つの意志を持って、情報をコントロールし始めることはひょっとしたらあるのではないかと考えていた。既に存在しているかもしれない大いなる意志、あるいは『電脳神サイバーロード』に、城之内じょうのうちは感謝した。そして、そんな自分には、あるいはまだあの頃の馬鹿げた純粋さのようなものが、多少は残っているのかもしれないと思った。

 

 腹が減った。


 腹が減るのはずいぶん久しぶりのような気がした。脳を活性化させるための食事はしても、食欲を満たすための食事はそもそも最近記憶がなかった。


ZEXALゼアル!」


 城之内じょうのうちは視線をモニターに置いたまま、壁の棚に置かれている音声認識コントローラーに呼びかけた。


〈ナニカゴヨウデショウカ〉


 一世代前ののっぺりとした声で『ZEXALゼアル』が答えた。家電の制御だけでなく、秘書代わりに動いてくれるようなタイプは、決してまだ簡単に買い替えられる価格ではないのだ。思えば長い付き合いである。友達を一人挙げろと言われたら、まずコイツが思い浮かぶかもしれなかった。いや、そもそも他には思い浮かばない。


「宅配でピザを頼んでくれ。いつもの店で、いつものやつだ」


〈ショウチシマシタ。『ピザ・ファット』シモメグロテン、マルゲリータ、Mサイズ、ネットチュウモン、ジッコウシマス〉


「頼む」


 城之内じょうのうちは必要もないのにそう言って、椅子の高い背を倒して仰向けになった。ひょっとしたらソロモンの指輪の如きアイテムを握っているかもしれないのに、気分は全然よくなかった。


         ☆


 国家公安委員会委員長加藤保かとうたもつは不機嫌だった。


 テロ対策こそ喫緊にして最大の課題と力説し、内閣改造時に防衛大臣を派閥の懐刀森本和直もりもとかずなおにバトンタッチして、自身を警察組織の管轄たる国家公安委員長に推させた。後は警察と自衛隊をコントロールしながら、ANCLEアンクルの存在を定着・拡大させれば、自身の描いた国内の治安維持体制は確立されるはずだったのだ。無論、穴橋あなはし菱井ひしい、そして自衛隊と防衛省の思惑も承知の上である。利益がなければ組織は動かない。組織が大きければ大きいほどだ。清濁併せいだくあわせ呑む覚悟と度量ゆえに、加藤かとうは「剛腕」と呼ばれるほどの並ならぬ実績を上げてきたのである。


 それがどうだ。まるで加藤かとうの交代とANCLEアンクルの立ち上げを待っていたかのように、自衛隊と穴橋あなはしの癒着と暴走が発覚するわ、サミットがテロ組織に狙われるわ、挙げ句の果てに警察は蚊帳の外に置かれて、すべての黒幕は官邸の政務官だという。加藤かとうは警察組織というより、自分が馬鹿にされているような気がしていたのである。


 幸い、情報だけはコントロールできている。すべてが明るみになれば、加藤かとう個人はおろか、自由進歩党じゆうしんぽとう政権が未来永劫に渡って吹き飛ぶような大事件として扱われるだろう。

そういう意味では、GUARACTERギャラクターとかいう「名前のある」テロ組織が前面に出てきたのは、決して悪いことではなかった。悪の組織の存在がはっきりしていれば、ヒーローが多少卑怯なことをしても誰も気にしないだろうからだ。


 もっともその悪の組織が、ヒーロー側の人間の自作自演だとしたなら話は別だ。状況証拠からはその可能性を否定できない。いや、むしろそれ以外の可能性を思いつかない。グループ会長穴橋士郎あなはししろうであれ、社員バッチを付けただけの一係長クラスであれ、穴橋あなはしは「穴橋あなはし」なのだ。民間企業とはいえ、世界有数規模のコングロマリットに肥大してしまった以上、ほころびは可能な限り取りつくろう責任が国にはある。「怪物」穴橋士郎あなはししろうを持ってしたところで、グループの完全なコントロールなどできようはずがない。おそらく、穴橋あなはしの名に隠れて、人知れず、しかし恐ろしく堂々と陰謀を進めている一派がいるのだ。


 なんにせよ、これ以上なめられるわけにはいかない。俺を誰だと思っている。


 加藤かとうは机の上の電話機をにらみつけて、おもむろに受話器を取った。


「……私だ。国家公安委員会を招集する。議題は、首都圏の不法入国者に対する総力摘発作戦だ。批判? 知ったことか」


          ☆


(……加藤かとうめ)


 男は椅子に沈み込んで下唇を噛んだ。外国人排斥への風当たりが強い中、そこまで強力な手を打ってくるとは思っていなかったのだ。やはり、手を回すなり醜聞を捏造するなりして、奴を実力行使が可能なポストになど残すべきではなかったのだ。


 だが、想定外というわけではない。


 男は秘匿回線電話を手に取った。


 相手はワンコールで出た。


「コック・ロビンです」


「状況は理解しているな」


 男は言った。


「プロトコルSを発動しろ」


 相手が唾を飲み込む音が聞こえた。


「本気ですか」


「冗談でこんなことが言えるかね」


「失礼しました。直ちに」


 相手は慌てたように自分から通話を切った。


(どいつもこいつも腹のわっていない奴ばかりだ)


 他に手がなかったとはいえ、男は北条正憲ほうじょうまさのりを始末したことを残念に思い始めていた。

 とはいえ、腹のわった切れる人間に限って、ただの駒では我慢できなくなってくる。


 人間など、欲の塊ではないか。


 そう考えて、男はわずかに残っていた後悔を綺麗さっぱりと捨てた。


          ☆


「コック・ロビン」駒形英介こまがたえいすけは、自分は騙されているのではないかと思い始めていた。


 表面上会社を退職したのも、外国人を集めて暴動を主導しているのも、すべては「まともな国を作る」という理想のためではあったが、正直なところ半分は建前だった。駒形こまがたは断れない立場だったし、一応納得づくで任務に就いてはいた。だが、首相秘書官北条ほうじょうほどの人間が処分されたとなれば、心穏やかでなどいられるはずもない。


 そして「プロトコルS」だ。


 十分考えられる状況であったとはいえ、今のこの国には荒療治が必要だということも理解しているとはいえ、正気の沙汰ではないと駒形こまがたは思った。これではただのテロリストではないか。自分は維新の義士として指名されたのではなかったか。


 ここまでのことは仕方がない。幸い、どれほどの犠牲を出してもいない。

 いざとなったら、会社は助けてくれるのだろうか。


 いや、どう考えても、あり得ない。


(……逃げ道を考えておく必要がある)


 SRASHスラッシュメンバーにしてGUARACTERギャラクターに送り込まれた幹部駒形こまがたは、真剣に保身の術を考え始めた。

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