第15話 Episode3-3 城之内死す

 29 懐疑


「ネタバレじゃない!」


 ANCLEアンクル第二小隊技術主任路地屋理佐ろじやりさが突然叫んだので、本部の食堂兼休憩室兼会議室にいたメンバーは一斉に彼女を見た。


 路地屋ろじやが手に持って開いているのは、近年スクープ記事を売りにしている週刊誌『週刊事変』だった。雑誌の売り上げが目に見えて年々減少し、廃刊も相次ぐ中、他のメディアに先駆けたセンセーショナルな記事で生き残りを図っているのだ。だが、スクープ記事の大半は、対価を期待する関係者からの売り込みであるらしい。


「どうしたんですか」


 居合わせた零音一人れおんかずとが歩み寄ると、路地屋ろじやは開いたままの『週刊事変』を無言で差し出した。まず目に飛び込んできたのは、ハンドガンを構えるガードナーの写真だった。左肩に002のナンバー。背景を見る限り、おそらく小隊長入谷邦明いりやくにあきが、虎ノ門とらのもんの装甲車デモに立ち塞がった時のものだろう。政府の外国人対応に不満を募らせた右翼団体が、バスやトラックに鉄板を張り巡らせた「特攻車」を連ねて、首相官邸を取り囲もうとした事件である。


「乗ってる人がわからないと主役メカに見えますよね」


 冗談めかして一人かずとが笑うと、路地屋ろじやは「そうじゃなくて」と苛ついたように言った。もちろんそうじゃないことくらいはわかっている。


 問題は本文なのだ。


「テロ組織殲滅の切り札/特別装備機動警備隊の知られざる戦力」と題されたその記事には、ここまでの公表されている戦果に加えて、ガードナーの詳細なスペックが記されているのだった。サイズや出力くらいならまだしも、装甲素材や装甲厚、内部機構、稼働可能時間、各武装の性能数値までも。一応「推定」となってはいるものの、それらは穴橋エレクトロニクスから伝えられているデータとまったく同じなのである。


「これって機密情報ですよね」


 一人かずとくと、路地屋ろじやは「あたりまえじゃない」と吐き捨てた。


「これじゃまるで攻略法を考える参考にしてくれと言ってるようなもんよ。はした金のために治安にかかわる機密を売るなんて、あそこのコンプライアンスはどうなってるのかしら!」

「売ったと決めつけるのも……」

「だってヴァルキュリスのデータは載っていないじゃないの」


 言われてみればそうである。ヴァルキュリスは画像とかなり適当な変形プロセスの図解はあるものの、詳細データまでは載っていないのだ。関係者が漏洩したとすれば、穴橋あなはしの人間だと考えるのが自然に思える。


「……意図的にリークしたのかもしれませんよ」


 隣に座ってファッション誌をめくっている第一小隊技術主任船縁甲ふなべりきのえが、びっくりするほどさらりと言った。『週刊事変』も船縁ふなべりが持ち込んだものである。


「よく平気な顔でそんなもの読んでいられるわね」

「あなたにはそんなものでしょうけど、私には大事な情報源です」


 誌面から目を離さずに船縁ふなべりが言った。確かに、路地屋ろじやは「面倒くさい」を理由に滅多に美容院へ行かないような女性である。伸びすぎた髪はもう腰の辺りまである。


穴橋あなはしがガードナーを海外に売りたがっていることは明らかです。つまり宣伝というわけです」


「週刊誌で、ですか?」


 一人かずとくと、船縁ふなべりはようやく目を上げて遠くを見た。


「日本はスパイ天国ですから。当然チェックするでしょう」

「でも今の日本はおおっぴらに武器輸出なんてできないでしょう?」

「もちろん、作業用重機としてですよ。だからSIMRUGHシムルグは、基本単独自立AIとして設計されているんです。それを現地で戦闘用としてチューンするわけです。そうでなければ、最初から戦闘重機として開発していますよ。標準武装は既存兵器の大型化にすぎませんから、現地で生産できるでしょう。もちろん、莫大な顧問料だかライセンス料だかは取るでしょうけれど」


 船縁ふなべりはそう言って、またファッション雑誌に視線を落とした。


「普通に売り込めばいいだけの話じゃないんですか」


 一人かずとが誰にともなく言うと、路地屋ろじやが多少落ち着いた口調で答える。


「まあ、今の穴橋あなはしに当面危ない橋は渡れないわよねえ」


 果たして穴橋あなはしだけだろうか、と路地屋ろじやは考える。統括ネットワークシステム『ユグドラシル』の有り余る残容量を思えば、そこに菱井ひしいは運用サービスを売り込もうと待っているのではないのか。独走と利益集中を防ぐために開発を分担したことが、逆にそれぞれの野心を助長する結果になってしまっているのだとしたら。いや、あるいは穴橋あなはし菱井ひしいがシステムの互換性だけに留まらず、密かに利益誘導戦略の擦り合わせまでしているとも考えられなくはない。あの二つが手を組めば、実質的に国を動かすことも難しくはないだろう。


「あの……」


 入口からおずおずとした声がして、通信係の金田紅子かねだべにこが顔を出した。話の隙間が開くを待っていたのだろう。


穴橋あなはしエレクトロニクスの開発部の方がお見えになっています」

穴橋あなはしが?」


 路地屋ろじやが不審そうな顔を向けると、船縁ふなべりは雑誌を閉じてすっと立ち上がった。


「ああ、もうそんな時間か」

きのえに用事なの?」

「あなたにもよ」


 船縁ふなべりは当然のように言う。


「聞いてないんだけど?」

「どうせここにいるだろうと思って、言わなかった」

「あのねえ……」


 路地屋ろじやが何か言おうとするのを、船縁ふなべりは涼しい顔で振り返って言い被せた。


「実際、いるじゃない」


 路地屋ろじや一人かずとの手から無言で『週刊事変』を取り戻すと、大きく息を吐いてから船縁ふなべりの背中を追った。


          ☆


尾行つけられていますね」


 後部座席に陣取る、黒いアーマースーツの五人の男。その中の一人が、車の後方を凝視しながら言った。運転席周り以外のガラスはすべて防弾仕様のミラーシェードである。外から車内は見えない。どれだけ振り返っても警戒されることはない。


 夕刻の首都高を走る艶消つやけしグレーのシボレー・トランスポーター、その正体は対テロ用偽装戦闘指揮車『ヘッジホッグ』、ハンドルを握るのはもちろん板野真亜玖いたのまあくであり、後部座席の五人はANCLEアンクル作戦課長上原頼豪うえはららいごうですらその実態を知らない、秘密工作隊GACCAガッチャである。彼らは通常、ANCLEアンクルの外勤職員という体で、外部機関との連絡係等さまざまな偽装で潜伏しているのだが、その実態は元自衛隊レンジャー隊員を始め、海外の特殊部隊経験者やゲリラ戦のエキスパートを集めた少数精鋭の諜報部隊なのであった。


「ええ、わかってますよ」


 板野いたのがバックミラーを一瞥して言った。車列の後方、常に他の車を二、三台挟みながら、白いセダンがずっと後を追ってきているのだった。もっとも気づかれている時点で、板野いたのから見ればあまり上手い尾行とは言えない。


 あるいは動きを封じるためにわざと露骨に追尾する「圧迫尾行」かもしれない。いずれにしろ、これから穴橋あなはしの使途不明施設に潜入調査しようとしている以上、ずっと監視されては困る。


「何者でしょう」

「おそらく、公安でしょうね」


 板野いたのは平然と言った。都内に二台はないであろう艶消つやけしグレーのシボレー、ANCLEアンクルと承知で尾行しているのだとすれば、その車がANCLEアンクルの未確認車両だと知っているのは警視庁だろうからだ。なぜなら板野いたのは何度もANCLEアンクルを名乗って検問を通過しているからである。そして刑事部はといえば、課を問わずに不法滞在者の検挙に駆り出されているのが現状なのだった。国家公安委員会の指示に対して、独立して動けるのは公安部くらいのものだろう。


「なぜ公安が?」別の隊員が板野いたのに問うた。「我々は同じ側ではないですか」

 

「たぶん、疑心暗鬼になっているのですよ」


 板野いたのはアクセルを踏み込み、前のトラックを追い抜きながら言った。


「サミット襲撃で蚊帳の外に置かれたにもかかわらず、ANCLEアンクルだけは的確に対応して見せましたからね。そうでなくても、常時自衛隊の動きを監視する専門部署があるくらいです。そして、我々はどう考えても怪しい」


 ふふっ、と軽い笑いが起きた。


 板野いたのは前後に二台並んだトラックの間にトランスポーターを割り込ませた。少し中央車線に寄ってバックミラーで後方を見ると、白いセダンが頻繁に追越車線を確認しているのがわかった。追い越すわけにはいかないが、トラックに隠れてこちらの姿も見えない。しばらくそのまま走っていると、インターチェンジの出口が見えてきて、後方のトラックが左のウインカーを点滅させた。板野いたのは自分もすかさずウインカーを動かして、トラックの動きに合わせ、先導するように出口車線に向かう。後方からは、シボレーが手品のように消え失せて見えるだろう。たとえ気づいたとしても、分岐を過ぎれば手遅れだ。


「なめられたものですね。こんな映画みたいな手口に引っかかるなんて」


 後方のセダンが消えているのを確認して、板野いたのは言った。


 とはいうものの、やりにくくなったことは確かだった。公安とはいえ公僕には違いない。上の指示によっては、穴橋あなはし側に付かないとも限らない。我々は相手を追い詰めているつもりで、知らない部分では追い詰められていたりするのではないか。

 

 そもそも、国家公安委員会直々で指令を出したにもかかわらず、首都圏の不法入国者がさほど摘発されたと聞かないのも気がかりだ。おそらく、敵は何かを企んでいる。公安も焦っているのだろう。


(さて、どうしたものか)


 板野いたのの整った表情が、珍しくゆがんだ。



 30 暗謀


PEGUSUSペガサス?」


 ええ、と穴橋あなはしエレクトロニクスの社員が話し始めようとするのを、路地屋理佐ろじやりさは『週刊事変』をテーブルに叩きつけて遮った。


「ちょーっと待った! まずこれの説明をしてもらいましょうか」


 鶴岡つるおか亀井かめいという冗談みたいな名前の二人は、一瞬顔を見合わせて、困惑の表情を隠さなかった。


「説明と言われましても……実のところ、私たちも混乱しているのですよ」


 鶴岡つるおかが言えば、亀井かめいも続く。


「社内で調査は始まっていますが、流出元の特定に至るとも思えません。こう言ってはなんですが、データを持っているのは弊社だけではありませんし……」


「え? 何? まさか私たちを疑ってるってこと? 隊員は命張ってんのに?」


 路地屋ろじやが身を乗り出してあおるように言うと、亀井かめいは「いや、決してそういうことではなく……」と語尾を濁した。


 船縁甲ふなべりきのえが落ち着いた口調で言葉を挟む。


「……一介の技術部員が、社内調査の結果を悲観的に予測する。しかもそれを社外の人間に語る。どういう意味かは、考えるまでもありませんね」


 ただでさえ広いとは言えない応接室が、息苦しくなるような緊張感に包まれた。


 その時、唐突にドアが開いて、仕立ての良さそうなダークブルーのスーツに身を包んだ小柄な男が入って来た。七三にきっちりと分けて固めた髪は、朝のうちに床屋に行ってきたかのよう。しっかりとディンプルをこしらえた赤いネクタイの上に、とりたてて特徴のない、衣料量販店の広告モデルみたいな敵意も他意もなさそうな笑顔が乗っている。


「ああ、話し中だったかな」


 男の姿を認めたや鶴岡つるおか亀井かめいが、弾かれたように立ち上がって腰を折った。脚を組んで斜に構えていた路地屋ろじやも、反射的に座り直してしまう。どこかで見た顔だったが、思い出せない。


 鶴岡つるおかが緊張した声で言った。


「こちらはANCLEアンクルの技術主任、路地屋理佐ろじやりささんと船縁甲ふなべりきのえさん……」


 路地屋ろじや船縁ふなべりがよくわからないまま頭を下げると、鶴岡つるおかが続けた。


「こちら、菱井ひしいホールディングス最高経営責任者CEO織田衛おだまもる社長です」


「えっ!」


 路地屋ろじやは首を絞められたような声を上げて、慌てて立ち上がった。そうだ、菱井ひしい重工の開発センターで、事務所の壁に掛かっていた写真の顔だ。船縁ふなべりはといえば、やはり表情ひとつ変えずにゆっくりと腰を上げる。


「ああいや、そのままで。私は付き添いというか、勝手に付いてきただけなので。一度お伺いしたいと思っていましたし。今、淀川よどがわ司令官にお会いしてきたところです」


 調子だけは良いセールスマンの口調で織田おだが言った。


「話せましたか」


 路地屋ろじやくと、織田おだは「ええ」と言いながら苦笑を浮かべた。たぶん、織田おだが一方的にしゃべっていただけなのだろう。


「それにしても、なぜ穴橋あなはしの社員と菱井ひしいの社長が?」


 船縁ふなべりが問うと、織田おだは少し困ったように穴橋あなはしの二人を見た。社長にしては、あらゆる行動に腰の低さが感じられる。


「それはこの二人が……あれ、まだ話してないのかな」

「はい、これからです」


 亀井かめいがやたら大声で答えた。路地屋ろじやは座りながら『週刊事変』を丸めて、背中と椅子の隙間に押し込んだ。


PEGUSUSペガサス、でしたか」


 船縁ふなべりが話を戻した。


「ええ、PEGUSペガスの改良型です」

 

 鶴岡つるおかが言った。


「付け加えたUSは何なんです?」

「with Ultra Senser です」


「withどこ行ったんだ」という路地屋ろじやつぶやきは無視された。


「脳波センサーを搭載して、SIMRUGHシムルグの蓄積データとリンクさせることで、感覚的な操作を可能にするシステムです。機体の反応速度を飛躍的に向上させる狙いです」


「サイコミュ?」


 路地屋ろじやが思わず言った。


「何ですって?」

「いえ、続けて」

「目新しい技術ではないのです。基本となるシステムは、VRゲームのギアなどにかなり前から実装されています。ただ、扱いにくいので普及が進まないだけで」


 亀井かめいが言うと、船縁ふなべりが眉をひそめた。


「その扱いにくいものを実戦機に?」


「ちょっと言い方を間違えました」と、鶴岡つるおかが口を挟んだ。「人を選ぶ、ということです。クリアな脳波を拾うためには、相応の集中力の維持が必要だからです。幸い、ANCLEアンクルには適任者がいる」


 路地屋ろじやは目だけを動かして織田おだを見た。そうか、だから菱井ひしいなのか。


「……卯月舞うづきまい


「その通りです」と鶴岡つるおかが言う。「実を言うと、既にセンサー自体は搭載されて、脳波データの収集は行われているのです。0022の操縦者は非常に高い適性を示しました」


 今度は路地屋ろじやの表情が曇る。こちらの知らないところで、そんなデータ収集が行われていたとは。まるで実験台じゃないか。


 僅かな沈黙をついて、織田おだがおもむろに口を開いた。


「ヴァルキュリスの機動性能にはまだ余裕があるんですよ。現状はSIMRUGHシムルグを経由する分だけ、ほんの少し遅れが出てしまう。だが高速機動ではそのミリ秒が命取りだ。SIMRUGHシムルグが充分な機動予測データを蓄えたとしても、機体性能の70%しか発揮できません。ですがPEGUSUSペガサスなら、計算上それを85%強にまで上げられる……まあ、開発部の受け売りですがね。そうだったよね……あ、君たちは穴橋あなはしさんか」


「いや、まあ、機械というのはたいていそういう作り方をするものですから」


 苦笑いしながら鶴岡つるおかが言った。


(そんなに上手くいくんだろうか……)


 路地屋ろじやは疑念を振り払うことができない。今のところ、そして結局のところ、サイバネティクス技術は機械の厳密さと人間の曖昧さのせめぎ合いを解決できずにいるのだ。PEGUSペガスシステムは、単に操縦系の特別な動きを、即物的な連動に置き換えただけにすぎない。実戦は何が起こるか予測できないというのに。


「それをいつから」

「許可をいただければすぐにでも可能です」と亀井かめいが言った。「連動プラグラムをダウンロードさせるだけですから」


「お断りします」


 船縁ふなべり不躾ぶしつけに言うと、応接室に緊張が走った。


「……と言ったらどうしますか」


 一瞬、表情が固まった鶴岡つるおか亀井かめいは、狼狽うろたえたようにぎこちなく笑い出した。


「どうやらANCLEアンクルは、一筋縄ではいかない人たちばかりのようだ」


 そう言って、織田おだも笑った。


「回収したRR44ダブルアールヨンヨンがもう使い物にならないようで、彼らも断られてすごすご帰るわけにはいかないんですよ。ですよねえ?」


 鶴岡つるおか亀井かめいの笑顔が、ゆがんだまま凍りついて笑顔に見えなくなった。


         ☆


「どう思う」


 織田おだ穴橋あなはしの社員が帰った後で、路地屋ろじや船縁ふなべりに尋ねた。


「何がです?」

「もちろん」

「ああ……らしくありませんね」

「叩き上げだとしても、隙がありすぎる。何というか……あの人が本当に菱井ひしいのトップなのか……迂闊うかつな営業マンみたいな……」


 聞くところによると、織田おだ菱井ひしいのCEOに就任したのは予想外の出来事だったらしい。退陣に伴い影響力を残したい前社長が指名した副社長に対し、改革派はメガバンク出身の外部顧問を招聘して経営陣の不正を次々と暴露、ところが株主総会を前にして外部顧問が急死してしまい、改革派の中でも比較的穏健だった織田おだをトップに据えることで、グループの分裂と混乱を収めたというのである。もっとも陰で何が行われていたのかは知る由もない。


「……と、見せているだけかもしれません」

「え?」

「カリスマがなければ、取り繕う威厳など弱点でしかない、ということです。織田衛おだまもる……案外油断ならないかもしれません」


 それはそうだ、なにしろ穴橋あなはしに次ぐ、日本経済を二分するようなコングロマリットのトップなのだ。戦略のない人間に務まる道理など微塵もない。


         ☆


 城之内克也じょうのうちかつやはチャイムの音で我に返った。どうやら少し眠ってしまっていたらしい。


 時計を見た。いくらなんでも遅すぎた。


 嫌な予感がした。


 インターホンのモニター画面には、ピザ屋の制服を着た男が立っていたが、初めて見る顔だった。そして、城之内じょうのうちが密かに取り替えた超広角カメラは、壁際に並んで姿を隠す数人の黒い服をはっきりと捉えていた。


(そういうことか)


 ヘマをしたとは思えない。可能性は一つしかないように思えた。深層ディープウェブ銀行が保身に走ったのだ。そもそも連中のデータとて深層にあったのだから、関係があったとしても決しておかしくないし、ともすれば資金源の一部として取り込まれている可能性だってゼロではない。そこまで考慮しなかったのがヘマだと言うなら、確かにヘマだ。だが、それを認めたら深層になど潜れやしない。


 逃げ道はなさそうだった。


「ここまでか……」


 声にしてつぶやいて、自分はまだ生きているんだと思った。絶望はあったが、不思議と恐怖はなかった。きっと元々地縛霊みたいな生活を続けていたからだ。


ZEXALゼアル


 城之内じょうのうちは相棒の音声認識コントローラーに呼びかけた。


〈ナニカゴヨウデショウカ〉


「最後の頼みだ。『処理ディスポーズ』を実行しろ」


〈ショウチシマシタ。『ディスポーズ』プロトコル、ヲ、ジッコウシマス〉


 別の場所、城之内じょうのうちが借りている某所のガレージで、バックアップ用のデータサーバーが動き出す。そして膨大なデータを次々に圧縮送信し始めた。


 宛先は「Katsuya Johnouchi」


城之内克也じょうのうちかつや」は国内のスマノニアメンバーが用いているパブリック・ドメインなのである。外から見れば城之内克也は一人しかいない。だが実際には、何人もの城之内克也じょうのうちかつやが存在しているのだ。


 城之内じょうのうちは死ぬだろう。この部屋のデータは持ち去られて破壊されるに違いない。バックアップデータも転送が終われば『自殺』プログラムが走り出す。


 だが「城之内克也じょうのうちかつや」は死なない。


(ピザ、食べたかったな) 


 城之内じょうのうちは最後に思った。


         ☆


 水原鞠みずはらまりは死の床にあった。


 時間切れだった。


 薄れゆく意識の中で回る走馬灯が不意に止まって、まりは高校生の時の、生涯たった一度だけのデートを思い出した。


 あの時の男の子、名前も思い出せない、顔もはっきりとは覚えていない。少なくともそんなにイカした子ではなかったはずだ。


 でも、楽しかった。


 黙って家を抜け出して、ふらふらで帰ってきた時にはひどく怒られたけれど、でも、最高に楽しかった。


(彼、元気にしてるかな……)


 それが、まりの、最後の思考になった。


         ☆


城之内克也じょうのうちかつや」の一人は、開いていたオンラインのラップトップで、自室のPC群に膨大なデータが転送されていることを知った。


(『処理ディスポーズ』か……)


 処理が行われる条件は限られている。メンバーに確実な死の危険が迫っており、彼がそのままにできない重要なデータを抱えている場合である。


 今夜はゆっくり眠れそうにないな、と板野真亜玖いたのまあくは思った。


(Continue to Episode4)


 

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特装機警ANCLE 小林猫太 @suama

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