第2話 Episode1-2 OPERATION V

 3 密儀


【二年前】


 都内某所、某ビルの地下会議室に集まった顔ぶれを見た者は、彼らを知らなければ単なる中高年の、しかし眼光がんこうだけは異様に鋭い、どこかの会社役員の組合か何かだと思うだろう。だが彼らを知っている者なら、驚愕きょうがくを通り越して恐怖さえ覚えるかもしれない。


 警察庁長官上杉悠一うえすぎゆういち

 警視庁長官武田省吾たけだしょうご

 内閣総理大臣秘書官北条正憲ほうじょうまさのり

 陸上自衛隊幕僚長朝倉寛治あさくらかんじ

 航空自衛隊幕僚長山内智久やまうちともひさ

 菱井ひしいグループ最高経営責任者織田衛おだまもる

 穴橋あなはしホールディングス会長穴橋士郎あなはししろう

 防衛大臣加藤保かとうたもつ

 在日米軍副司令官トーマス・ストーンフィールド


 通常、こうしたトップ会議にはそれぞれが「御付おつきの者」たちを引き連れてくるものだが、彼らの背後には誰もいない。そのことだけでもこの会議が尋常じんじょうな経緯で開かれたものではないことを物語っていた。部屋に入る際には警備員から執拗しつようなボディチェックまで受けている。彼等クラスの要人としてはあり得ない扱いだった。ある者はビル裏手の資材搬入口からダンボール箱に隠れて、ある者はさらに深くの地下鉄駅立ち入り禁止区域の開かずのドアから、ある者は変装した清掃員の一群に紛れて作業服でやって来た。この場所に国家・首都の治安を担う責任者が一堂に介しているなどということは、万が一にも外部に知られてはならなかったのである。


「……さて」


 防衛大臣加藤保かとうたもつが出席者を見渡しておもむろに口を開くと、それを待っていたかのように警察庁長官上杉悠一うえすぎゆういちが中腰になって声を上げた。


「大臣! 国内問題の会議になぜ米軍関係者がいるのです!」


 加藤かとうは視線だけを上杉うえすぎに向けて、ゆっくりと言う。


「もはやドメスティックな問題ではないでしょう。現に……」


 と、いささか言いよどんで出席者中最高齢八十五歳の穴橋士郎あなはししろうを見ると、穴橋あなはしは歳を感じさせないつやのある声で後を継いだ。


「我々の重工業部門、電子機器部門はとうに海外の軍事産業と技術提携しているのですよ……ああ、言うまでもなくこのことは口外法度こうがいはっとですのでね」


 シミひとつない白い歯を見せて笑いながら付け加えた。既に身体の半分は機械や人工物と置き換わっているのではないかなどという馬鹿げた噂も、本人を間近に見ると納得してしまいそうである。なにしろ国内最大級のコングロマリット穴橋あなはしHDを、いまだ実質声だけで動かす怪物なのだ。


「そういう意味じゃあ、自衛隊御用達ごようたし菱井ひしいさんの方が繋がりは深いでしょう。ウチでは主力車両などとてもとても」


「いや! そんなことは……」


 穴橋とはダブルスコアに近い年齢の、まだ就任したばかりの菱井ひしいグループ最高経営責任者織田衛おだまもるは、皮肉混じりの穴橋あなはしの振りに気の毒なくらい狼狽うろたえて言葉を失った。


「それは兵器開発という意味でですか」


 上杉うえすぎは一語一語区切るようにはっきりと問うた。刀のつかに手をかけているかのような口調だった。


「それを確かめてどうするおつもりか」


 落ち着いた返答には、だが殺気があった。いかにも好々爺こうこうや然とした穴橋あなはしの穏やかな顔立ちから、何かがふっと消えるのが誰の目にもわかった。


「いきなり主題を外さないでもらえますかね」


 加藤かとうは柔らかな声で見事に緊迫を破った。表情はあまり変わらないが、そのぶん語気ごきを操るタイプである。


「ここにいる我々はあらゆる意味で共犯者なのです。知っていることいないことにかかわらず、あらゆる意味で、です」


 上杉うえすぎは何かを言いかけたが、内心の葛藤をあらわにしながら、黙ったままようやく腰を下ろした。

 さて、と改めて加藤かとうが言う。


「賢明なみなさんはこの顔ぶれに察するものがあるでしょう。これは我が国、とりわけ首都東京の治安回復にかかわる極秘決定です」


「決定?」


 航空自衛隊幕僚長山内やまうちが、自身は戦闘機のコックピットには収まらないであろう巨躯きょくを揺らしながら向き直った。


「決定事項なのですか」

「その通りです。これは総理大臣徳山慎之介とくやましんのすけの責任において、非公開閣議で承認された伝達事項になります。つまり……」


 と言葉を切った加藤かとうは警察庁長官と警視庁長官の顔を順に見た。


「警察組織の管轄たる国家公安委員会、

およびその属する内閣府の了承を得ているということです……北条ほうじょう君」


 はい、と低いトーンで答えて立ち上がったのは、内閣総理大臣秘書官の北条正憲ほうじょうまさのりである。弱冠じゃっかん三十代半ばにして政務秘書官の大役に抜擢されたのは、徳山とくやま総理直々じきじきの指示だと言われている。もとより「今、霞ヶ関かすみがせきでもっともキレる男」と名をせていた北条ほうじょうだけに、異例の人事にも誰一人疑問を挟むことはなかったのだ。

 北条ほうじょうは彫りの深い印象的な容姿を見せつけるように同席者をゆっくり見回すと、おもむろに話を切り出した。


「それでは私から説明させていただきます。本来なら関連資料をお配りすべきところですが、情報漏洩を極力防ぐため口頭で要点のみを」


 北条ほうじょうはそう言って、くせなのだろうか、左手で曲がってもいない縁なし眼鏡の位置を直した。


「ご存知のように我が国、特に都市圏での犯罪は国際化かつ凶悪化の一途を辿っています。昨年末の違法入国者武装集団による同時多発襲撃事件、通称『ブラック・クリスマス』をはじめとする重大犯罪発生率の上昇に比例して、当該事件の検挙率は減少傾向にあります。これは即ち、現行の警察機構が新たなる犯罪傾向に対応できていないことを意味します」


重機バスターと自動小銃で武装した集団を、拳銃や放水車でどう止めろというんだ」


 警視庁長官武田省吾たけだしょうごが苦虫を噛み潰した顔で吐き捨てるように言った。『重機バスター』とは、いわゆるロボットの内、大型で機動性を付加されたものが破壊、犯罪もしくは戦闘行為に使用された場合の総称である。


「あそこまで行ったら自衛隊の仕事だ」


「簡単に言いますがね」

 と口を挟んだのは、その陸上自衛隊幕僚長朝倉寛治あさくらかんじである。


「我々は市街戦など想定していない。東京のど真ん中に装甲部隊を展開など正気の沙汰じゃない」


「諸外国と違って、陸自はテロ対策訓練なんぞ考えてもいませんからな」


 あざけるように上杉うえすぎが口を出し、武田たけだが続く。


「おかげでこちらはてんてこまいだ。暴動の芽を摘むだけでも大変なのに、外国人排斥はいせき運動の抑え込みまでやらされている。圧倒的に人が足りん」


「誰も彼も平和ボケしてたんですよ」


 上杉うえすぎが投げやりに言うと、北条ほうじょうが「その通りです」と見事なタイミングで割って入った。開きかけていた朝倉あさくらの口が一文字に結ばれる。


「近隣諸国の動向が不穏さを増す状況で、自衛隊には内憂ないゆうなどにリソースを割いて欲しくはないのです」


「しかし、自衛隊法で治安出動は認められているのではないのですか」


 織田おだが遠慮がちに言うと、北条ほうじょうは即座に「ええ」とあっさり肯定した。上杉うえすぎが声を張り上げた。


「伝家の宝刀を抜けと言うのか!」


「あ、いや……」と織田おだはまた口籠くちごもる。「制約があるわけでは、と……」


「あるも同然なのですよ」


 北条ほうじょうは落ち着き払った声で言う。


「確かに治安出動については各自治体との覚書も交わしています。警察と自衛隊との共同訓練も実施されている。ですが治安出動はいまだかつてただの一度も発令されたことがないのです。それは海外から見て、日本が軍を投入しなければならないほどの混乱状態にあることを認めているに等しいと判断されるからです。経済や金融への影響は計り知れません。さらに言えば、不法入国者ならまだしも、暴動を起こしたのが国民の一部であったなら、自国民を武力鎮圧することへの激しい批判も懸念けねんされます。現状は実質、抑止力以上のものではありません」


 北条ほうじょうがそう言って一旦黙ると、会議室は刺々しい沈黙に包まれた。


「で、どうするというんだ秘書官殿」


 ややあって、上杉うえすぎが我慢できなくなったように言う。無論、北条ほうじょうは話の間も計算に入れているのである。


「結論を申しましょう」勿体もったいぶった口調で北条は言った。「自衛隊と警察が共同管轄する新しい組織を立ち上げます。そして市街戦に特化した最新鋭の装備を投入します」


 その言葉に北条ほうじょう加藤かとう、ストーンフィールド以外の六人が一斉に大声を上げたので、会議室は一転誰の発言も聞き取れない喧騒けんそうに満たされた。北条はその様子を冷ややかに見守り、次の一手を待つ。


「それこそ、国会も世論も紛糾ふんきゅうするに決まっているではないか!」


 そう叫んだのは、やはり思わず立ち上がっていた上杉うえすぎだ。だが北条ほうじょうは涼しげな顔で少し小首を傾げたのみだった。


「そうでしょうね」

「何だと?」

「だからこうして秘密裏ひみつりに話を進めているのではありませんか。正式な手順など踏んでいては、いつまで経っても何もできません」

「なっ……!」


 言い返しかけた上杉うえすぎの、開いた口が凍りついた。会議冒頭の「我々は共犯者」の真の意味をようやく悟ったのだ。


「仮名称は『特別装備機動警備隊』、通称ANCLEアンクルです、対外的には警察機動隊の別動部隊という形式を取ります。先の事件で、警察の装備を強化すべきという論調は強い。実は今急な話ではないのです。治安維持行動に備えた自衛隊と警察の共同訓練の際に、独立して動ける組織の有用性は認識されていました。好機と言って良いでしょう。実績がともなえば世論はなびきます」


 アンクルという単語が呟きとなってしばらく室内を飛び交った。


「本気ですか」

 山内やまうちが問うと、北条ほうじょうは今度は無言で頷いた。


「既に装備の検討は進んでいます。主力重機と操縦システムの設計は穴橋あなはしホールディングスに、支援重機と統括ネットワークシステムは菱井ひしいグループに依頼済みです」


 集まった視線を穴橋あなはしは微笑で受け流し、織田おだは首を倒して避けた。上杉うえすぎが「とうの昔に話はついてるんじゃねえか」と吐き捨てるように小声で言うのが聞こえたが、北条ほうじょうはそちらを見もしなかった。


「設計案にすぐ承認が出るとして、どのくらいの期間で納品可能ですか」


 北条ほうじょうの確認に、穴橋あなはしは「三年だな」と答えた。


「二年でお願いします」


「そんな無茶な!」


 織田おだの悲鳴に、北条ほうじょうは言った。

「いいですか、たとえば納期が一日延びる、その一日で事件が起きて死人が出るかもしれません。事は一刻を争うのです」


 詭弁きべんだ、と上杉うえすぎは思った。


「自衛隊と警察には人員の選定をお願いすることになります」


「気に入らんな」


 上杉うえすぎが腕を組みながら独り言のように言った。


「いつからの話かは知らんが、改革が急すぎやしないか。どこかにひずみが出るぞ」


ひずみの出ないような改革は、大した改革ではありませんよ」

 北条ほうじょうが他人事のように言うと、


「こんなことを言うのはなんだがね」


 突然、穴橋あなはしがゆったりとした調子で切り出した。


「現代の戦争はどうあがいても袋小路ふくろこじなのだよ。戦車には対戦車兵器、航空機には対空兵器、艦船には対艦兵器、より安価なカウンター兵器が次々と現れては、それまでの優位性を無効化していく。今、既にあるものは、既に意味を失いつつあるものなのだよ。我々は常に更新していかなくてはならぬ。新しいものも明日には価値を失う。それを誰よりもわかっていないのは、数人の例外を除けば、おそらくここにお集まりのような方々なのだ。私に言わせればね」


 本当にそうだろうか、と上杉悠一うえすぎゆういちいぶかしんだ。

 穴橋あなはしの言うことはたぶん間違ってはいないのだろう。しかし、上杉うえすぎの疑惑はそこではない。この計画全体に感じてしまう胡散臭うさんくささは何だろうか。そして彼は最初の疑問に立ち返った。いちばん隅の席で一言もしゃべらないまま、無表情で座っている在日米軍副司令官トーマス・ストーンフィールドを見る。


 いったいあいつは何のためにここにいるんだ。


 4 諦観


【二ヶ月前】


「V作戦?」


 警視庁警備部警備二課長上原頼豪うえはららいごう警視正は、思わずき返した。薄い唇の端が困惑でゆがむ。


「あれですか、白兵戦用と後方支援用のロボットを共通システムで開発する計画か何かですか」


「君の冗談はいつもわからん。冗談なのかどうかもわからん」


 警備部長の秋沢忠信あきさわただのぶが、顔色ひとつ変えずに真顔で言った。


「だが、当たらずといえども遠からずだ。いや、ほぼ正解だ」


 それを聞いて上原うえはらの表情が曇った。


「どうした」

「冗談が冗談になっていない時は、たいていロクなことにならないんです」


 秋沢あきさわはそれには答えず、椅子に沈んだまま分厚い冊子を机の上に置いた。


「それが『V作戦』とやらの梗概こうがいだ。言っておくが取扱厳重注意資料だからな」


 上原うえはらは冊子を取り上げて、その外観をしげしげと見た。


「どこにも『V作戦』とは書いてないようですが」

「コードネーム好きの連中が上にいるんだろうよ」

「いえ、私から見ればもっと別の人種ですね、間違いなく」


 表紙には『特別装備機動警備隊要覧』とあり、「部外秘」の赤い印の「部」の字に赤ペンでバツが付けられて、枠外に「室」と書き足されていた。


「……室、外秘?」

「私が書いたわけではない」

「ここで読め、ということですか」


 上原うえはらは力なく苦笑するしかない。


「部長室は読書をするのに適した場所だとは思えませんがね」


「席を外したいところだが、コピーや撮影をしていないという監督者の確認が必要なのだ」


 ため息混じりに秋沢あきさわが言うと、上原うえはらは冊子を手に、応接用のソファーに勢いよく腰を沈めた。


「ご心配なく。部長はそれほど存在感がありません」


 秋沢あきさわはゆるゆると立ち上がると「君の冗談は本当にわからん」と告げて、内鍵をかけるよう念を押してから部屋を出ていった。本気で席を外したかったようだった。厳格さと健全さはどんな場所、どんな場合においてもまったく別のものなのだ。


         ☆


 上原頼豪うえはららいごうはオタクである。今年四十五歳になるから、相当年季の入ったオタクである。卒業しようなどとは考えたこともない。好きなものを好きでいてはいけない理由がわからない。古きを愛し、新しきをも愛す。家の書斎には合金製のフィギュアやロボット系のプラモデルが、ビデオラックにアニメや特撮のDVDが並んでいる。


 資料をひと通り読み終えた上原うえはらは、この計画を動かしている連中が同類であることを確信してにやりと笑った。。今、世界を動かしているのはオタクなのだ。たとえば「ガンダムを作りたい」などという側から見れば馬鹿げた理由でロボット工学の道に進んだ者が、今や実際それに近いものを作れるような境遇になっているのだ。操縦者の挙動をトレースして動く「アウターバディ」のおそらくは元ネタを、上原は即座に三つほど思い浮かべた。

 その一方で、ANCLEアンクルの予定構成員メンバーを見た上原うえはらは、思わず眉根まゆねしわを寄せてしまう。自分も含めて、日頃から素行や協調性に問題ありと思われていそうな名前がずらりと並んでいたからだ。これは体のいい厄介やっかい払いではないのだろうか。子どもじみた純粋さを持ち続けるオタクが立ち上げた計画を、旧態依然きゅうたいいぜんとした価値観の全体主義者が都合よく利用する、まるで理不尽な社会の縮図ではないか。

 おそらく上層部は本気ではないのだろう。上手く行けばその上前を、そうでなければ考え得る最大限のメリットを得ようとしているに違いない。防衛「省」と警察「庁」のバランスを取るという名目で、各部署の責任ポストには警察の人間が当てられていることからも、裏ではメンツをかけたせめぎ合いと、それとは裏腹に責任回避の策略が繰り広げられていることが読み取れる。


 まあいい。この歳になれば、個人の信じる「正しさ」など、どこまで行っても社会に裏切られ続けることを上原うえはらは知っている。年相応、身分相応という言葉を無視し続けてきた彼ならなおさらのことだ。上原はオタクだが、賢明なオタクであった。でなければ、年功序列の世界とはいえ、警視庁の課長クラスなどそうは務まるものではない。


         ☆


「わかりました」


 しばらくして戻ってきた秋沢あきさわに、上原うえはらは直立して言った。


「この話、お受けしましょう」


 それを聞いた秋沢あきさわは、あわれむような目で上原うえはらを見た。


「受けるもなにも、最初から君に選択の権利などないよ」


「言ってみたかっただけです」上原うあはらは笑いもせずに言った。「一課の連中も喜んでくれると思います」

 秋沢あきさわが片眉を吊り上げて彼を見た。


「……それは皮肉のつもりか?」

「本当なら部長が言うべき台詞ですよ」


 上原うえはらは平然と言った。


「どう思う」

「何がですか」

「決まっているだろう、その計画だ」

「まるでマンガですね」


 秋沢あきさわは少し意外そうに上原を見た。


「君と意見が合うとは思わなかったよ」

「たぶん、言葉は同じでも意味は違うと思いますよ」


         ☆


〈作戦部第二機動小隊〉

 警視庁刑事部捜査第一課 入谷邦明いりやくにあき警部補

 陸上自衛隊第一師団第一偵察戦闘大隊 零音一人れおんかずと陸士長

 陸上自衛隊北部方面航空隊 卯月舞うづきまい一等陸士

 八島大学工学部准教授警部補扱い 路地屋理佐ろじやりさ

 警視庁警備部特科車両隊 五位久作ごいきゅうさく巡査部長

 陸上自衛隊第一師団第一後方支援連隊 古屋野康平こやのこうへい二等陸尉

 ……


 上原うえはらは覚えているだけのメンバーを頭の中で反芻はんすうして、よく知らないとはいえ、どう考えても彼らを御すなんて不可能だろうと予感した。

 上原うえはらはオタクだが、極めて現実的な人間でもあったのだ。


 警備課の自身の席に戻った上原うえはらは、捜査一課に電話した。


「警備課の上原うえはらだ」と彼は告げた。「入谷いりや警部補は」


入谷いりやは不在です」と相手は面倒くさそうに答えた。「ほとんどいません。姿を見かける方が珍しいです」

「銀のエンゼルとどちらが珍しい?」

「何ですって?」


 上原うえはらは受話器を置いた。上原うえはらはオタクだが、面倒なタイプのオタクでもあった。


 結局、第二小隊長入谷邦明いりやくにあき赴任日ふにんびまでに電話でつかまえることはできなかった。


         ☆


『V作戦』の進行は当初の予定より三ヶ月遅れていた。


「主な原因は陸上自衛隊からの人員選抜の難航と穴橋あなはしエレクトロニクスでの主力重機生産の中断です」


 内閣総理大臣秘書官北条正憲ほうじょうまさのらからの報告を、防衛大臣加藤保かとうたもつはいつになく渋い顔で聞いた。


「要するに何の問題もないような顔をしていたところに限って問題を起こしているということか」


 穴橋あなはしの生産遅れはともかく、自衛隊の人員選抜遅れは意図的なものではないかと加藤かとうは疑った。機動隊の別動部隊という形式上、現場の指揮権は実質的にも警察側に置くしかなく、そのことが自衛隊上層部のかんさわっているのだというある筋からの情報を耳にしていたのだった。


(くだらないプライドと社会の危機を秤にかけやがって……)


 さすがに口には出さずとも、加藤かとうは内心で毒づいた。


「で、装備充足の目処めどは」

「第一、第二小隊とも、現在ガードナー一機が既に配備され、乗組員の実機訓練を実施中です。残り一機は完成次第納品、ANCLEアンクルにて調整を行う方向で指示しました。具体的な目処めどは未定です。菱井の支援重機については、菱井ひしい重工にて乗組員の訓練および調整が進んでいたのですが……」


「……ですが?」


 言いよど北条ほうじょうを、加藤かとうがすかさずうなかす。

「つい今しがたの連絡で、第一小隊の操縦者が不適格と判断され解任されました。訓練中に複数回パニックを発症したとのことです。現在、至急後任を選定中です」


 加藤かとう片眉かたまゆが吊り上がった。


「そのためのサポート……何と言ったかな、あのAI……」

SIMURGHシムルグです」

「そう、それだ……ではなかったのか」


 失念を誤魔化すように強引に話を継ぐ加藤かとうを、北条ほうじょうはさらりと受ける。


「無機質な機械を相棒と思えるような人間はまだ限られているということでしょう」

「適正テストが信頼できないと?」

「結果をどう適用したかまではわかりません。人事そのものは各所属の権限です」

「まず一個小隊の完充かんじゅうを図るべきだったのでは?」

「その時点では両小隊とも自衛隊員が送られていませんでしたので」


 加藤かとうが静かにため息をついた。思い通りにいかない事業を民営化したくなる気持ちがわかろうというものだった。


「……中断の理由は何だ」

「わかりません」

「わからない?」

「報告を求めましたが、想定外のトラブル、としか」


 穴橋士郎あなはししろう不遜ふそんな顔を思い浮かべ、その言い訳に胡散臭うさんくさいものを感じながら、態勢が整わないうちに何か起きなければいいが、と加藤かとうは思った。


 もちろん、それは起きるのである。


 

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