特装機警ANCLE

小林猫太

第1話 Episode1-1 ANCLE出動せよ《序》

 1 襲撃


 東京湾に浮かぶ新有明島しんありあけじまは一辺二キロメートルのほぼ正方形をなす人工島である。全周を頑強な防護フェンスで囲まれた内側は、窓ひとつない巨大なサイコロを思わせる建造物が建ち並び、遠目に見る者を不安にさせずにはおかない物々ものものしいオーラに包まれている。島に続くただ一本の単車線道路は、海上の手前から一般車両通行止めになっており、行く手をはばむゲートが開かれるのは、事前申請が通りなおかつ通行許可証が受理された車両だけである。

 そのゲートも夜8時ともなれば手前を鉄扉てっぴで封じられ、街路灯もまばらな一帯で、かたわらに建つ管理棟一階の室内照明だけが唯一、人の存在する気配を感じさせているのだった。

 その日の当直にあたっていたのは警備会社に入社してまだ二年目の若い社員ただ一人で、彼はカメラやセンサーが張り巡らされている島の入口に、なぜわざわざ警備員の常駐が必要なのか理解していなかったし、そんな疑問は考えたこともなかった。もっとも慢性的な人手不足とはいえ、原則二名とされていたはずの当直員が一名しか配置されていなかったところをみると、当の警備会社もその重要性を認識していたとは言い難い。とはいえ島の設備が何であるかを知らされていなかったのだから、仕方がないと言えば仕方のない話ではあった。

 彼はここの警備に就いて半年になるが、夜間に管理棟を訪ねる者などいまだ一人もなく、せいぜい人目を忍ぶカップルの乗った車が迷い込んでくる程度で、最初のうちは追い払ったりもしていたが、すぐにそれすらも面倒になった。ソファーに寝転んで観てもいないテレビを点けっ放しにしながら、ヘッドフォンでハードロックを聴いていた。だからヘッドライトを消して近づいてくる二台のトレーラーなどに気付くはずもなかった。

 やたらに低音の響く曲だと思っていると、それは次第に不自然なほど大きくなり、ついには椅子がガタガタと揺れ始めるのを見て、あわててヘッドフォンを頭から外した次の瞬間、窓ガラスが粉々に割れて、大きな黒い物体が飛び込んできた。

 手だった。巨大な鋼鉄の手。


         ☆


「ケンネルよりハウンドドッグへ。繰り返す。ケンネルよりハウンドドッグへ」


 本部司令室からの最優先緊急エマージェンシー通信は、予告もなしに突然聞こえてくるので心臓に悪い。しかも必要以上の音量だ。ヘルメットを被っていなくてよかった。

 歩道に停めたアプリリア=ホンダの250ccオフローダーに寄りかかってホットドッグをかじっていた零音一人れおんかずとは、二週間ぶりの休日が取り消しになったことを知った。「ハウンドドッグ」は通常の単語なら「エヴリバディ」、つまり隊員全員ひとりひとりを指す符牒なのだ。

 突然わけのわからない異動命令が出て、練馬駐屯地ねりまちゅうとんちからわけのわからない組織へ送られたかと思うと、わけのわからない訓練を昼夜やらされた挙句にこの展開だ。


有明埠頭ありあけふとうにて重機バスターによる襲撃事件が発生。第一種即応体制に移行。繰り返す。第一種即応体制に移行。首都高には直ちに通行規制を要請せよ」


 そう言われましてもね、と一人かずとあせりもせずにホットドッグをもう一口かじった。その第一種即応体制ってやつを具体的に教わっていないのですけれども。

 立て続けの交信があった後、数秒の静寂があって自分のコードが聞こえた。


「ケンネルよりビーグルスカウト、ビーグルスカウト応答せよ」


 一人かずとはハンドルに引っかけたヘルメットを取り上げ、指先でクルクルと回しながら応えた。


「こちらビーグルスカウト、どうぞ」

環状線かんじょうせん経由でケージ1、ケージ2が急行する。送信された位置情報を確認の上、速やかに合流せよ」


 一人かずとはスマートフォンを取り出して暗号回線マップデータを呼び出した。ちょっと遅れます、と言える位置関係ではなかった。そうとは聞いていないものの、こちらの位置だって常時把握されているに違いないのだ。いやそれよりケージって何だ。まあいい、行けばわかるだろう。そもそもここに送られてきた時にも「行けばわかる」と言われただけだったのだから。もうどうにでもなれだ。


「ビーグルスカウト、了解」


 食べかけのホットドッグを袋に戻してライダージャケットのポケットにじ込むと、一人かずとはヘルメットを一回転させて頭に乗せた。急発進させたバイクのシート後方から、内蔵パトランプが点滅しながら現れ、通常より一オクターブ高いサイレンが鳴り響いた。知っている者なら誰もが急いで道を開ける「最優先緊急車両」の音であった。


         ☆


「特別装備機動警備隊作戦課第二小隊への異動を命ず」


 大隊長は黙って辞令を差し出したが、受け取った一人かずともまた黙っていたので、仕方なさそうに口を開いた。


「ということなのだ零音士長れおんしちょう


 言われて、一人かずとはようやく意味のわからない文字列から眼を外して顔を上げた。


「えっと、どういうことでしょうか」


 大隊長の森山もりやまは元々表情の読めない男だったが、今はさらに感情の欠片かせらさえも消え失せて、干からびた能面のような顔になっていた。


「だからそういうことなのだよ」

「機動隊……警察、ですか?」


 森山もりやま厄介やっかいそうに一人をジロリとにらんだ。


「最近の犯罪傾向に警察が手を焼いているのは知っているだろう」


 そうなのですか、という一人かずとの返答は無視された。いちいち相手はしないという意思表示なのだろう。


「いまや我が国における犯罪は国際化、凶悪化の一途を辿っている。目的のためにはテロや脅迫、破壊活動も躊躇ちゅうちょしない連中があちこちに潜んでいるのだ。もはや従来の警察では互角に対応出来ない、かといって大規模防衛戦を想定している我々自衛隊では小回りが利かない。そこでだ、警察庁と防衛省が手を組んで、共同管轄の別組織を立ち上げることになったわけだ」


「初耳です」


 即座に一人かずとが言うと、森山もりやま大隊長は平然とした顔で「私もだ」と答えた。


「はい?」

「私も先刻聞いたばかりだよ」


 表情こそ変わらなかったが、吐き捨てるような口調には、自身がその秘匿ひとく計画の外側に置かれていたことへの苛立いらだちが見て取れた。確かに少し前から妙な動きはあった。見知らぬ一団が敷地をうろついていたり、今さらながらの体力テストや心理負荷テストが頻繁ひんぱんに行われたりもしていた。


「異動、とありますが」

「身分は自衛官のまま、陸士長のままだ。出向みたいなものだ」

「出向とは」

「出稼ぎだよ。他に質問は」


 ありません、と一人かずとは答えたが、正直何一つ解決していなかった。予算はどこから出ているのかとたずねようと思ったが「そんなこと俺が知るか」と言われるのは目に見えていた。


         ☆


 延々と続く規制渋滞を左に見ながら首都高を南下して、ハイウェイ・パトロールが封鎖しているインターチェンジをブレーキひとつかけずに降り、片手を上げて料金所を通過する。既に視界を走っているのは同じように回転灯を点滅させた緊急車両だけだ。夜空に浮かび上がる東京ビッグサイトの輪郭りんかく大仰おうぎょうな地獄の門みたいに見える。幹線を外れた薄闇の中、水飲み場にホタルの群れが集まるように赤いランプが続々と集結している一角があり、その奥で機動隊の投光車両が照らし出す先に、洋上監獄を思わせる新有明島しんありあけじま威容いようがあった。


 遠くからでもそれはひときわ目立っていた。たった今到着したと思われる二台の20屯セミトレーラー、その積載物を覆っていた幌が大急ぎで外されようとしているところだった。運転席のドアには飾り気のない『ANCLE』のロゴ。特別装備機動警備隊。零音一人れおんかずとが送り込まれた組織の名称である。


「遅い」


 傍に立つ、同じロゴを背負った背の低い男が振り向く。低いといっても一人かずとも他人のことは言えない158センチだが、それよりも低い。彼が第二小隊の隊長、上官の入谷邦明いりやくにあき警部補だった。いつものライトブラウンのワークウェアではなく、手の指先までをも覆った、体型が浮き出るタイトな赤のボディスーツを身にまとっている。


「どんな状況なんですか」

「わからん」


 投げやりな口調で入谷いりやが言った。


「監視カメラの映像から重機バスター二台が侵入したことはわかってる。それだけだ。警視庁にヘリを要請したが、敵の装備がわからないからとかぬかして渋ってやがる」


 入谷いりやが淡々と言う。

 見ると島に続く道路を塞いでいた鉄扉はぺしゃんこに踏み潰されて鉄屑てつくずと化しており、その先からは時折何かが破壊されるような、解体工事現場を思わせる重い音が聞こえている。所々で煙が立ち昇っているようにも見える。


「とはいえ『ブラック・クリスマス』の時には一機とされてるからなあ」


 入谷いりやが島を見ながら言った。


「……ところで隊長、どうしたんですかその格好」


 まるで格闘系ヒーローのコスプレみたいな姿に思わずくらいのと、入谷いりやはニヤリと笑って答えた。


「おまえも着るんだよ零音れおん

「は?」

「急げ!」


 言うなり、丸くたたんだ布のかたまりを投げてよこす。あわててつかんだ目の前にぬっと現れたのは、対照的な細身で長身の女性、第二小隊の輝ける頭脳、路地屋理佐ろじやりさだった。工学博士にして帝都工業大学准教授ていとこうぎょうだいがくじゅんきょうじゅその分野では知らぬ者とてないサイバネティック工学の旗手の一人である。最新技術を導入した装備の円滑な運用を目的とした特例措置として、今は「警部補同等扱い」で警察庁に仮在籍する形でANCLEアンクルに送られているのだ。


「全部脱いで着替えて。パンツはまあ勘弁してあげる」


 伸ばしすぎた髪が潮風に煽られるのを、手首に巻いた普通の輪ゴムで雑にまとめて縛りながら路地屋ろじやが言った。インカムのマイクアームには小さなコアラのマスコットが抱きついている。


「何なんですかこれ」

「説明しよう。手を動かしながら聞きなさい。これは特殊重合素材とくしゅじゅうごうそざいのポリマースーツ、耐衝撃性はもとより、装着者が動く時に筋肉から発生するわずかな電流を感知増幅してスーツ表面から放出する機能があるのよ。理解する必要はないわ」


 そう言われたら何もけず、股間が厚手の素材で防護されているのを確認して、伸縮性があるのかないのかよくわからないスーツに苦労しながらなんとか身体を押し込めていると、急に頭の後ろで作業員が叫んだ。


「ガードナー002、0011、起動態勢に移行します!」

「ケージ1、昇降機リフター作動!」

「ケージ2、昇降機リフター作動!」


(……ガードナー?)


 ほぼ同時に動き始めた二台のトレーラーが発するモーター音が重なった。伸縮アームによって荷台が後方に向けてゆっくりと立ち上がっていく。と同時に積荷にかけられていた幌が一気にがされた。そこに現れたものは、白い重機バスターだった。しかも人型だ。高さにしてゆうに8メートルはあるだろうか。太く頑丈な脚先の接地面は玄関ドアより大きい。左肩にシールドを取り付けた腕、VRゴーグルを装着したような頭部。全体として既存の何かに似ることを極力避けた結果、既存の何かの寄せ集めになってしまったようにも見える。鳩胸のようにり出した胴体の前方は今、赤いラインの入った装甲が左右に開かれて内部の空間が見えている。右胸の上部には「0011」の番号。

 嫌な予感がした。0011は一人かずと識別コードナンバーなのだ。

 荷台は起き上がりながら後方にスライドすると、底部を接地させてやがて完全に直立した。


「002、固定解除ロックオフ!」

「0011、固定解除ロックオフ!」


 一人はしばらく呆然ぼうぜんと固まったままその光景を見ていた。


「……ロボット?」


 思わずつぶやくと、路地屋ろじやがひときわ張りのある声で言った。


「紹介しよう。これがあなたの相棒、汎用人型連動重機はんようひとがたアウターバディOBVタイプⅠガードナー、0011チューンド!」

「長い! 意味がわからない! いやそれより聞いてません!」


 そう叫ぶ一人に、路地屋ろじや入谷いりやを見た。


「そうなんですか?」

「あれ、上原うえはら課長から聞いてないの」


 いつの間にか場違いに煙草を吸っている入谷いりやが、驚いたように言った。


「あー、ひょっとして俺が伝えろってことだったのかなあ」

「だいいちこんなもの訓練もなしに動かせるはずがないじゃないですか!」


 一人かずとの抗議を鼻先で笑うと、入谷いりやは唇の端をゆがませながら言った。


「それが動くんだよねえ……たぶん」

「たぶん?」

「大丈夫っしょ」


 路地屋ろじやがあまりにも簡単に請け負うので、一人かずとは一瞬話の内容を根本的に勘違いしているのではないかと疑った。


「ま、聞いていたとしても、納品されたてでさっきまで調整してたくらいだから、いずれにせよ訓練のひまなんてなかったのよ」


 勘違いじゃなかった。他人事のような路地屋ろじやの口調に、きっと自分はここで死ぬだろうと一人かずとは思った。ここの人たちは最新技術にばかり心を奪われて、人の命なんて機械の部品程度にしか思っていないに違いない。

 目の前の人型重機バスターが趣味の悪い棺桶かんおけのように一人かずとには見えてきた。

 海の方向から爆発音が響いた。



 2 起動


「何だっ!」


 耳をつんざく爆発音に、入谷いりやが思わず叫んだ。島に投じられた光の輪の中でもくもくと黒煙が上がっている。


「爆発物が?」

「そんな情報はないわ」即座に路地屋ろじやが否定した。「ないという情報もないけど」

「だいたいあそこに何があんの」


 入谷いりやくと、路地屋ろじや眉根まゆねを寄せて島を見た。


「それが、何の記録も見つからないのよ。穴橋あなはし港湾倉庫の管理だということしか」


 今度は入谷いりやが顔をしかめた。


穴橋あなはしグループか……何があってもおかしくはないな。実質治外法権だ」

「え?」

穴橋あなはし絡みの事件でさんざん煮湯を飲まされてるものでね」


 入谷いりやの顔に憤怒ふんぬあきらめが入り混じった複雑な表情が浮かぶ。


「防犯カメラの映像では、侵入重機バスター小松原建機こまつばらけんき製汎用歩行クレーンCW4が二機」

「なんだただの建機か」


 タブレットを見ながらの路地屋ろじやの説明に、拍子抜けしたように入谷いりやが言った。


「映像では目立った武器を持ち込んでるようには見えないけど……とはいえパワーだけはあるから注意して」

「レスリングをするつもりはないよ」

「なぜそんなに余裕あるんですか!」


 キレ気味に一人かずとわめくと、入谷いりやは「ん?」と振り向く。


「俺は訓練済みだから」

「え?」

「自衛隊からの人員選抜が遅れたせいだ。不満は防衛省に言ってくれ」


 口を半開きにしたまま言葉を失った一人かずとに、機動隊の通信班が追い打ちをかけた。


「第二小隊! スタンバイ指令!」

「っしゃ! やるぞPEGUSペガス!」


 入谷いりやは吸っていた煙草を投げ捨てて、002ナンバーのガードナーに走り寄ると、左脚から開口部に一定間隔で取り付けられた搭乗用バーを昇り始めた。


「隊長!」


 路地屋ろじやいらつき気味に大声を上げて、入谷いりやの投げ捨てたまだ火のついている吸殻を足で踏み潰した。それを拾い上げると、周囲を見回して仕方なくポケットに突っ込み、一人かずとに向き直った。


「先に昇って。解説するわ」

「むちゃくちゃだ……」


 一人のつぶやきをスルーして、装甲面を昇りながら急かすように路地屋ろじやは続ける。


連動重機アウターバディはただのロボットではない。学習型自立AIを搭載した文字通りの相棒なのよ。人間工学に基づいたシステムは直感的な操作が可能。さらに操縦者の指示や動きのクセさえフィードバックすることで、次第に迅速じんそくかつ的確な反応をしてくれるようになるはず。もちろん指示は音声入力で事足りるわ……聞いてる?」


「いえ、あ、はい……」と、適当な返事をしたのは、搭乗バーを昇り切った一人かずとがまさに内部を覗き込んだからで、そこには彼がイメージしていたような操縦席コクピットはどこにもなかったのだ。

 左右のLED灯に照らされた高さ広さ奥行きとも2メートルほどの箱形の空間には、細い床以外は全面剥き出しの電装や機器に囲まれており、そのほぼ中央に上下左右から無数のコードが繋がっている人間の形をした銀色の金属版が立っている。手の指に当たる部分が五つに分かれているところを見ると、これは間違いなく人間の形であるのだろう。

 いやよく見るとそれは一枚の板ではなく、大きくても3cm四方程度の無数の金属片の集合であり、関節にあたる部分などは特に複雑な形状になっている。さらに注意して観察すると、人型の金属板は平面状に並んでいるのではなく、手足指の各部分が中心軸に向けて凹んだ弧を描いている、つまり人間がすっぽりと「はまる」ようになっているのだったが、一人かずとはそうと考えないようにした。


「……これは?」

PEGUSペガス


 足の下から路地屋ろじやの声がした。


「ペガス?」

「いいから早く中に入りなさい!」


 一人かずとがおそるおそる中に入ると、外の路地屋ろじやが顔だけのぞかせて言う。


「Personal Enter Gearing Unit System. 略してPEUGS。操縦者の動きをトラッキングして、アウターバディにトレースさせるシステム。筋電量を感知、反映することで初動を早め、なおかつ再現性を格段に向上させることに成功しているの」

「どこかで見たような聞いたような……」

「たいていのアイデアはとっくに誰かが考えてるもんよ。その窪みに身体を入れて。あなたの体躯たいくに合わせてある……ああ、それからそこにぶら下がってるヘッドセットを付けなさい」


 矢継ぎ早の指示にあたふたしながら一人かずとが従っていると、路地屋ろじやが急に声を大きくして言う。


SIMURGHシムルグ!」


 箱の一角に赤いランプが灯り、電気合成された無機質な声が響いた。


〈ご用でしょうか〉


「何ですかこれ!」

「後で本人から聞きなさい」

「本人?」


 路地屋ろじやはそれには答えず、事務的な口調で続ける。


「今システムは私の声に反応するようになっています。これをあなたの声で上書きします……SIMURGHシムルグ、音声認識解除。解除コード、009POINTERゼロゼロナインポインター


〈音声認識、初期化します〉


「新規入力モード、オン」


〈新規入力、準備完了レディー、起動フレーズを入力してください〉


「零音士長、身体を窪みにピッタリと付けなさい。手のひらは前に向けて。特に指先、しっかり伸ばさないとケガするわよ。起動フレーズは『テックセッター』」

「は?」

「あなたが言うのよ、『テックセッター』って。そういう仕様で来てるんだから仕方ないでしょう」

「……テ、テックセッター?」

「声が小さい!」

「テックセッター!」


 一人かずとなかばヤケクソで叫んだ次の瞬間、スペース全体がブーンと振動して、脚の先から胴体、胸、腕、手の指一本一本までが、次々と人型の空隙くうげきから現れた無数の金属環で固定されていった。


「うわああああああ!」


 突然のことに悲鳴を上げる一人かずとを尻目に、路地屋ろじやは親指を立てて視界から消えた。


「グッドラック!」


 開口部が音を立てて閉じた。

 と、突然、内部構造が消え失せた。見えているのは外の風景だった。ヘッドセット前面の透明シールド、超高解像度開放型有機VRスクリーンが頭部カメラの映像を投影しているのだ。首を倒すと地面に降りた路地屋ろじやが手を振っていた。こっちはわけのわからない装置に全身を拘束されているというのに。これでは法を守るのではなく、法を犯して獄門台に縛り付けられた極悪人だ。


〈登録済生体データとの一致率100%。現搭乗者を本機の規定操縦者と認めます〉


 また無機質な声が響いた。


〈私はSIMURGHシムルグ、Systematic Intelligence of Move Under Routine for Gearing Host。本機の全システムを制御する人工知能です。現在の状況を全体的に考慮し、簡易実動試験を選択します〉


「はい?」


 一人かずとの曖昧な質問は、しかし無視された。


「試験なんか必要か?」


 入谷いりやの声だ。視界の右上に、既に搭乗している入谷の映像がSNSのアイコンみたいに丸く表示された。その右に彼のコード「0002 Bull Terrier」。各機のSIMURGHシムルグは統括ネットワークシステムによって連携しているのである。顔がはっきりわかるところを見ると、VRスクリーンはマジックミラーのような構造になっているのだろう。いや、それより何を言っているんだあの人は。


〈右腕を肩の高さまで上げてください〉


 一人かずとは仕方なく右腕を上げた。重い。拘束されているとはいえ、金属版の集合体は背中の中央が背面の壁から伸びた油圧式のフレキシブルアームで一点だけ固定されているのみで、手足や関節は自由に動かせるのだ。だが、それらの後面には何本もの太いコードや細かな機器が接続されている。まるで先日までやらされていたタイヤチューブを使った訓練そのままだ。


(そうか、このための訓練か)


 だったらそう言ってくれよ、と一人は愚痴ぐちる。知っていたらもう少し身を入れて取り組んだものを。

 画面の右にロボットの白い腕が現れて肩の高さで止まる。


〈右手を握ってください〉


 一人が右手の指を折りたたむと、ロボットの右手も拳を作った。同じように左腕も動かしてみる。指ごとの挙動の差も確実に再現される。


〈右足を前に出してください。続いて左足を前に出してください。架台かだいから降ります〉


 身体が固定されているから踏み込めるわけではない。その代わりに床が動いた。自力で動かすランニングマシンのようなものだ。

 視界が上下に揺れ、路地屋ろじやの姿が画面の下に移動するのを見て、一歩前に踏み出したことがわかる。


〈簡易稼働試験、終了〉


「これだけ?」


 一人かずとが思わず声に出すと、路地屋ろじやの声がした。


「そんな暇あるわけないでしょ、この状況で」


 入谷のアイコンの下に「SoundOnly」と記された表示が追加された。コードは0009 Pointer。

 腰に手を当てて見上げる路地屋理佐ろじやりさの後ろで、入谷いりやのガードナーが同じポーズを取っていた。こんな状況なら投入されてなんかいないのだ普通は、と言おうとするより先に、SIMURGHシムルグがこともなげに告げた。


〈制圧作戦が発動されました。第一レベル戦闘モードに移行します。推定活動限界、残り90分〉


 マジか。一人かずとはスーツの下の全身がどっと汗を吹くのを感じた。まだ何一つまともに理解していないというのに実戦?


 まるでアニメの初回じゃないか。


 



 

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