第9話 Episode2-4 東京頂上決戦《承》
17 平穏
「……だねえ」
「何ですって?」
その隣で並んだPCの監視カメラ映像を見ていた
「平穏だねえ、って」
「それに越したことはないだろうが、不良警部補」
いつの間にか近くに来ていた整備主任の
「こんなところにあった……まったく、油断も隙もありゃしねえ」
「落ちていたんだ」
「作業台の上に置いてあるのを、落ちているとは言わねえよ」
これ以上ないほどの縦組織にいるというのに、この人たちには階級差の意識がないのだろうかと、
それにしても、確かに平穏だった。
主要日程二日目の正午を過ぎたが、何一つ不穏な動きはない。
朝の内こそSPに囲まれたフランス大統領やらイギリス首相やらドイツ国防相やらが現れて、アウター・バディを興味深そうに見学していったが(おそらく本当にそのためにここに配置されているのだろう)、応対したのは技術主任の
もっともそれは
「平和のための話し合いってのは、平和の中でやらなきゃ説得力がねえんだ」
工具箱を取りに来たらしい
「戦場で平和が大事なんて言ったところで、建前にしか聞こえねえ。実際、会議の声明なんて建前だからよ。本当に建前に聞こえちゃいかんだろ」
とはいえ、いくら平穏だからといっても、そもそもこの時間、
それを問われた
「ここは何も起こりゃしねえって」
「ここは?」
「ここはな」
「どうしてわかるんですか」
「十年に一度あるかないかの超厳重警備が敷かれてるんだぞ。わざわざそのど真ん中で事を起こす馬鹿がいるかよ」
「でも隊長だって嫌な感じがするって言ってたじゃないですか」
「だから、ここは、って話だよ……もし何か起こったら、そん時はたぶん決戦だ」
「隊長、第一小隊より通信です!」
連絡業務にあたる隊員が
「いないと言ってくれ」
「いるって言っちゃいましたよ」
「昼寝の後の爽やかな気分が台無しだ」
「こちらペットショップ2。何の用だ」
「こちらペットショップ1。定期連絡だ」
第一小隊隊長
「ご苦労……なことだ」
わざとらしく付け足した皮肉を、
「昼食後の記念撮影を終えて、予定通り午後のセッションに入った。周辺に異常はない。一時間前にグリーンフォースのデモ隊が
「知ってるよ」
「それより背中は
「それができれば我々は不要だ」
「……冗談の通じねえ奴だな」
「そちらの状況はどうだ、ペットショップ2」
「状況も何も」と
アウトリーチというのは、個別の議題に対して議長国が招待した国のことである。今回はアジア太平洋地域の経済・安全保障の関連で、いくつかの東南アジア諸国との協議がメイン・セッションの後に予定されていた。
「それだって一国の首脳陣だぞ。ちゃんと対応してるんだろうな」
「あたりまえだ。まったく、どれだけ信用がないんだ」
「忙しいんだ。切るぞ。オーバー」
返事も待たずにマイクを返す。
「何が忙しいんですか」
「暇を持て余すのにだ」
「前線の人たちが聞いたら怒りますよ」
「全員が忙しかったら物事はちゃんと回らんよ」
戦場にいる女は女だと思うな、と隊の上官に言われたことがある。生命の危険がある状況では本能にブーストがかかるからだというのである。しかしながらここは戦場ではない。少なくとも今のところは、戦士の休息ですらない。
「君がやる必要はないんじゃないかな、
「いえ、周辺の地形も頭に入れておきたいですから」
モニターに視線を向けたまま、
「で?」
「いえ、特に異常はありません」
そう言いながら一秒だけ顔を向けて
その瞬間、確かに一度会ったことがあると一人は思った。ただそれは確信と呼ぶには曖昧すぎた。いつかもどこかもわからない。ただ、この顔立ちが記憶のどこかにある、という根拠のない感覚だけだった。
それとも単なる思い込みなのだろうか。存在しない接点のために、記憶を
「……どうかしたんですか」
「そこのポリマー男子、どっちでもいいけど、ちょっと来てくれない?」
「ポリマー男子?」
「ポリマースーツを着た男子、の略」
「何ですか」
「インドネシアの防衛大臣がガードナーが動くのを見たいらしいのよ。警備中だって断ったんだけど、聞いてくれなくて」
「スヌーピー、頼んだぞ!」
離れた場所で頭の後ろで両手を組んで座っている
「隊長命令だ!」
一人は大きく息を吐くと、
「……
歩きながら話しかけてきた
「わかりやすすぎる!」
「はい?」と
18 霹靂
「この時間に到着や移動の予定があったか」
監視モニターから顔を上げて、
「確認します」
通信担当の隊員が言った。が、その間にももう一台が
「どういうことだ……」
「どういうことだ! 予定の変更とは!」
それをまた
「予定の変更?」
「ケンネルよりハウンドドッグへ」
「緊急事態発生。ペットショップ1、ペットショップ2、応答せよ」
「こちらペットショップ1」
「こちらペットショップ2、どうぞ」
ややあって、第二小隊が反応した。
「こちらブリーダーだ」
作戦課長
「想定外の事態だ。たった今連絡があった。この後の第5セッションと総理主催のパーティーは、場所を移動して東京国際クルーズターミナルに停泊中の新造豪華客船『
「何ですって!」
「そんな話は聞いていません!」
「私もだよグレートデン」
「私どころか、警視庁も警察庁も寝耳に水なのだ。どうやら
「
「いや、突然そんなことを言い出したって、準備というものが……」
「我々が
「そんなことは知らん……まあ実際こうして知らんわけだよ。何もな」
投げやりな口調で
「とにかく、警視庁機動隊は移動に合わせて臨機応変に警備陣を動かすそうだ。既に追加の緊急交通規制が発動済みだ。我々はとりあえず
「……わかりました」
マイクのスイッチを切った次の瞬間、
☆
「そういうことだ諸君」
指揮所の中の全員が
「機動隊の諸君は上の指示に従ってくれ。
「それでいいんでしょうか」
「下手に動くよりはマシだ。もし俺が何か事を起こそうとしているなら、この混乱を狙う。動かない敵ほど脅威になる」
そして一転して笑いながら、今のうちにコーヒーでも飲んでおこうじゃないかと言って、煙草を一本箱から振り出して咥えた。
「……すいません、念のため報告します。
「第一の連中に教えてやれ」
「ペットショップ1よりハウンドドッグ」
途端に第一小隊から通信が入った。
「警備対象車両群、順次移動を開始する。ケンネル、指示を請う。繰り返す……」
「……予想通りなら、最悪だな」
そう言うと、指に挟んだ煙草を渋い顔で箱に戻した。
「ケンネルよりペットショップ2」
「フライング・スピッツ緊急発進せよ。目的地は
どういうことだ?
☆
(なるほど、そういうことか)
複数の傍受通信や暗号回線を超人的集中力で聴き分けながら、
すべては最初から仕組まれていたんじゃないか。おそらくは『ブラック・クリスマス』から。
「誰だ」
相手は警戒心丸出しで通話に出た。
「お世話になっております」
「名前は明かせませんが、ご存知
「何、
相手は怒りを含んだ声で言った。ちょうど茶でも
「なぜこの番号を知っている」
「申し訳ありません。わからないものを調べるのが私の仕事ですので」
相手は少し黙った。小さく
「何の用だ」
「単刀直入にお願いしたい」と
「何だと!」
相手はもし目の前にいたなら、手近な物を投げつけてきそうな勢いで
「まあ落ち着いてください。我々は取引をしようというのですよ、
「違法に盗み出した情報で取引とは、
電話口の
「だいいちRR44《ダブルアールヨンヨン》はまだ完成しておらん。あと数年はかかる」
「目標初速の65%は達成しているのでしょう? それで十分です。我々はUFOを撃ち落としたいわけではありません」
「それでも断ると言ったら」
「
「何の話だ」
「もちろん『ブラック・クリスマス』の話ですよ」
しばらくの沈黙があった。
「何か言いましたか?」
「こっちの話だ」
吐き捨てるように答えると、ゆっくりと続ける。
「ところで、その資料とやらは我が社にとって本当にクリティカルなのかね。我々はその辺の中小企業とは根本的に違うのだよ。時には法に触れることもある。だが問題が表面化したことは一度もない」
「言葉というのは
何を言っているんだ、と割り込む
「ですがね、
「おまえこそ
「では、記憶に新しいところで、
「それは知らん」
「……それは、ですか」
「……わかった」
長い沈黙の後、
「会長が賢明な方で助かります」
「……どうすればいい」
「すぐに私のチームが開発センターに伺います。現場の社員を指示に従わせてください。それから仕様データのセキュリティを解除しておいてくれますか。いちいち突破するのは手間なので」
☆
「ボルゾイからブリーダーへ」
「……
「お見知り置きいただいて光栄です。いや、まだお目にかかってはいませんが」
「
若干の
「ああ、すいません。もちろん、その件でです。残念ながら、詳しく説明している余裕はありません。結論から言いますと、これから作戦終了まで、実質的な指揮権をこちらに移管していただきたい」
「何? そんなことは……」
「
「総司令が?」
(結局、我々は誰かの駒か……)
王の頭に金将を打つために、守りの銀将を動かすべく打たれる捨て駒、それは歩に限ったことではない。次の王手で詰むならば、プレーヤーは平気で飛車とて捨てるだろう。いや、いつから自分たちは大駒だと思っていた?
「まず、ヴァルキュリスを一機、早急に発進させてください」
返事を待つことなく、
「ヴァルキュリスを?」
「ええ、至急運んで欲しいものがあります」
☆
案ずるより生むがなんとやらだな、と彼は思った。ことによると『ブラック・クリスマス』みたいに、銃器で武装した一団に襲われるかもしれないと思っていたのだ。どう考えてもそんなことは起こりそうになかった。ひょっとしたらテレビで見た暴動の映像も、少しばかり派手に見えるよう演出されていたんじゃないだろうか。
だから、目の前の赤信号で停まっている大型トレーラーのフロントグリルに、不自然に鉄板が取り付けられていることにも、さほど警戒感を抱かなかった。
信号が青に変わり、右か左に曲がるはずのトレーラーがスピードを上げながら真っ直ぐ自分に向かってくるまでは。
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