第9話

「イザナギ様の方で何やら事が起こっておりますぞ」

 不動明王が外の廊下から言うと仏達がこぞって顔を出した。見えるのは僅かにあがる炎の頭と灰色の煙だ。

「火事か? 誰か向かった方が良いのでは」

 戦闘の音はここまで届いてこない。神宮がやけに広く独特な作りをしているせいだ。火の手があがっているという理由でヤミーが出向く事になった。

 スーツのチャックを引き上げつつ廊下を走る。徐々に薄い煙の匂いが漂ってくる。眉根を寄せて足を速めた。

 すると誰か倒れているのが見え駆け寄ろうとした。

「え」

 それはツクヨミの死体。不安が全身を巡り始めた頃、破壊音を奏でて火に包まれた何かが飛び出してきた。眼前を横切る物体に驚く。

 外れた障子の先から顔を出したのは頭から血を流す閻魔だった。

 時は少し戻り、馬頭の治癒が殆ど終わりを迎えた頃、牛頭が一瞬強く感じ取った。それは煙と炎が勢いよく向きを変えた臭い。すぐ傍からの臭い。

 叫ぶよりも先に身体を動かし、スサノオの背中をどんっと押し出した。だが残念な事に彼は体幹が強く、咄嗟に出た力の弱さと突然の事に身体が反応してしまったせいで回避を失敗した。

 炎の残影を残したカグツチが牛頭とスサノオをあいだ、ようは彼の背後に現れたと思ったら腕を首と頭に巻きつけ、容赦なく回した。ぼきりと無残な音が鳴り響き、閻魔でさえ呆気にとられた。

 牛頭が慌てて足を踏み出し現れたカグツチを掴もうとした。然し煙の如く身のこなしで避けるとまた消えた。残ったのは殺された事にも気付いていない、首が残虐にも捻じれ曲がったスサノオの身体だけだった。

 事態を見たアマテラスが叫び声をあげ、それに反応したカグツチが彼女の頭上に出現。アマテラスもやられると思った牛頭馬頭が動き出すが、それよりも一歩速く彼が飛び出していた。

 走り込んだ勢いのまま身体を押さえ込み、腕が多い事を活かして頭や手も押さえ込んだ。然し相手はもはや妖怪、化け物だ。一瞬の緩みを狙われ右の腕が手から抜けた。

 そして殺意の塊でこめかみを殴られ、駄目だと判断するとすぐに横に転げた。皮膚がきれ血が流れてくる。体勢を立て直した。

 泣き叫ぶアマテラスを二人が慰め、安全な場所に避難させた。火炎はまだ燻っており、煙が充満し続けている。

 けほっと一つ煙を吐き出して手で覆い隠した。必要最低限の呼吸が出来るように隙間を作り、あとは力を入れて固定させる。多少の息苦しさはあるが煙を吸い込むよりはマシだ。

 カグツチの匂いはなく全て火か煙で塗られていた。空気が動く事によって匂いの位置も変わる、然しこう充満していると意味がない。飛び出してきた拳を防いで掌を突き出した。

 カウンター攻撃とほぼ同等の速度で放ったお蔭か、相手は衝撃で後ろによろけた。一気に叩きこむのが一番だろう、近づくと同時に二つの拳を頬と腹に放った。

 顔は逸らされたが腹に当たる。更に踏みこんで逆の手を握り締めた。然し逸らしたのが伏線だった、強い刺激が額を揺らす。脳全体が悲鳴をあげた。

 皮膚が切れているせいで更に裂け、血が広がった。左眼を覆いはじめる。

 だがぐっと右足に力を入れて拳を叩きこみ、間髪入れずに首を掴んで畳に投げた。そしてふわりと跳んで踏みつける、が相手は横に転げた。

 読んでいたのか体勢を立て直される前に蹴りをこめかみに入れた。ごろごろと床を転がりすぐさま立ち上がろうとする。

 それを瞬時に判断すると走りだし、短い助走で畳を蹴り上げドロップキックを胸元にぶつけた。もろに受けたカグツチは障子を突き破り外に飛び出した。ヤミーの視界とシンクロする。

「兄さん!」

 閻魔は彼女に一瞥もやらず言葉を残してカグツチを追った。

「なかの火と煙をどうにかしろ」

 ヤミーは兄の背中に敬礼をし部屋に向かった。

「ちっ」

 かなりの攻撃を加えたのに、カグツチは塀の上を走っていた。ひらりと着物の裾を広げながら上にあがり、跳ぶように追いかける。カグツチは仏達や戦闘能力が低い神、例えば稲荷大明神やウカノミタマのような神々の方に向かっていた。

 仏も全員が戦える訳ではない。治癒や防御を専門とする者の方が遥かに多い。唯一対処出来るのは不動明王か千手観音ぐらいだ。

 辿り着く前になんとかして塀から落としたかった。口元から手を離しこれでもかと息を吸いこんだ。速度をあげる。

 刹那、狼に似た咆哮が上の方から聞こえてきたと思ったら、どんっと巨大な獣の身体がカグツチにぶつかった。

 紫がかった白い毛並みと長い数本の尻尾。そして何より首がなく般若がぶら下がっている異様な姿。イザナミの登場に彼は自然と震えた。気配があの女神と全く同じになっていたからだ。

 自身に呪いをかけた張本人。ぐっと敵意が湧いたが押さえ込み、落ちたカグツチに視線をやると飛び降りた。

 神宮の背に広がるのは砂浜だ。ふわふわとした砂が足に纏わりつく。

 続いてイザナミも降り立った。こちらに背を向け姿勢を低くする。全くの別人だというのは理解しているが、それでも本能が疼いて仕方がない。

 呼吸を整え共通の敵に意識を向けた。

『お前に力を貸してやる』

 ふいに聞こえてきたのは女の声だった。獣に視線を向けると振り向いていた。なぜか人の姿が見える。

 自分の思う女神とは違い、凛とした静かな横顔をしていた。鋭い眼光を見つめ返し肯く。すると顔を正面に戻した。幻を見ていたように禍々しい獣へと姿を変えた。

 その時、身体のうちからどくんどくんと何かが湧き上がってきた。燃え滾るような闘志、全身に巡る力。ぐっと拳を握ると実感出来た。

 閻魔は腕を消し、四肢に力を分散させた。血管が波打つのが分かる。

 同時に飛び出した。イザナミは常に閻魔に力を与えており、瞬間的に力の強さを変える事も可能だ。一歩二歩とさがって集中した。

 火を纏った拳と力任せな拳が宙を舞う。火傷を承知で左手で防ぎ頬を狙った。相手も同じように受け止める。瞬間、イザナミが力を最大限まで、閻魔の身体が耐えられる限度まで引き上げた。

 彼女が何かしたのを身体で感じ取り、ふっと口角をあげた。受け止めた相手の手は脆い木のように、木端微塵に砕かれた。

 驚きがカグツチの顔を埋める。すぐさま左のストレートを決めた。顎にぶつかりあまりの力に身体が回転し、そのあとに落ちた。

 ふっと一呼吸置く。まるでトレーニング後の一息のように軽く、楽しさに満ちていた。

 カグツチは眼を見開いたままぎこちない動きで腕を突っぱねた。だが身体が言う事を聞かず、持ち上がる事はない。一切瞬きをしないでひたすら同じ動作をした。

 その様子を見下した。まるで羽を千切られたのにも関わらず、本能のままに何度も飛ぼうと藻掻く蜂を見るように。見下した。

『お前がやらないなら私がやる』

 遠くからでもイザナミの声が聞こえた。返事はやらず一歩カグツチに近づいた。と思えば腹を蹴り上げる。

 ぼすんっと砂を巻き上げて落ちると蹴られた腹を抱えていた。悶え苦しむ様子にゆっくりと近づき、腰を曲げた。

「完全に身体をバラバラにしてやる方がいいだろう」

 首を思い切り蹴っても死ななかった奴だ、そう提案するとイザナミの腰があがった。のそのそと巨体を揺らしてやってくる。

『身体を押さえてやるから、頭を千切れ』

 言葉通りカグツチの頭上に立った。イザナミが屈強な前脚で押さえ込む。流石のカグツチも口を開けて唸りだした。

 両手を伸ばし顔を持つ。赤い瞳と合った。ぱくぱくと助けを求めるような表情に笑いかけ、ねじ切った。

 どこで命が絶つか分からない為、頭を踏みつぶして脳を破壊しておいた。次は四肢を引きちぎり、その次は臓物を引きずりだして心臓を掴んだ。

「思った通り、これだけやっても動いている」

 血を浴びたままイザナミに言う。

『握りつぶしてやれ』

 淡々とした声に力を入れた。ぱあんっと大量の血をまき散らして破裂する。すると同時に火炎が消えた。ヤミーの力でも消えなかったものが同時に消えたのだ。

 閻魔とイザナミが部屋に戻るとアマテラスが泣き崩れていた。ツクヨミが切られた事も知っており、イザナギが既に死んでいた事も本当は気付いていた。そこにスサノオの悲劇を目の当たりにし決壊したのだ。

 牛頭が人間の姿で背中を擦っており、馬頭が閻魔に対して頭をさげた。

「ご無事で何よりでございます」

 静かな声に「お前らも無事で良かった」と返した。

「それで、カグツチは完全に討ち取る事が出来たのですか」

 アマテラスとヤミーが三人の墓を作っているあいだ、胡坐をかいて話していた。イザナミは流石に疲れたのか部屋の隅で丸まっている。

「ああ、頭も潰し心の臓も潰した」

 両手の汚れを見ればよく分かる。二人は拳をついて頭をさげた。

「カグツチの首、お見事でございました」

 重なる声に短く礼を言い、外に眼を向けた。アマテラスの背は小さく見えた。

「それにしても大丈夫なのか。あれだけの騒ぎよう、精神への負荷がかなりかかっているはずだ。あの後の様子はどうだった」

 視線を彼女らに向けたまま問いた。指から一つ血が滴り、畳に染み込む。

「かなり取り乱してはおりましたが、流石は太陽神でございます。すぐに落ち着き我々の指示に従ってくださいました。その結果無傷で、煙もあまり吸っておりません」

 馬頭が答えると思いだしたように視線をやった。

「そうだ煙だ。お前らは平気なのか」

「お蔭様で煙の類には慣れておりまして。咳き込みはしましたが窒息などはございませんでした。どれもこれも地獄にいるせいでございます」

 ふっと笑う様子に腰をあげた。

「頼もしい限りだな」

 汗と血を流してくると言い置いたが、先程の事もあり馬頭がついていく事になった。残された牛頭は彼女らを手伝う為立ち上がった。

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