第5話
大きな神宮内には様々な神、仏がいた。どれも日本にいる者ばかりだ。うち一人が気が付き立ち上がった。
見目麗しい姿の女神で誰が見ても天照大御神だと判った。ただその顔は嘴のようなもので覆われており、唯一見えるとしたら影の灯った口元だけだった。
「おかえりなさいませ。お父上様」
一礼してイザナギを迎え入れる。他の神々も頭をさげた。
「閻魔大王を連れてきた。とは言っても何やら怒り狂って殴りかかってきたから、あれに体当たりするよう命令した」
無表情に後ろを指した。そこにはちょこんと座るイザナミの姿があった。二人は同じ世界から来たのではなく別世界であり、完全に獣となっている元妻を配下につかせる事は困難だった。然しここにいるイザナギは、只者ではないらしい。
「随分と物騒な大王でございますね」
口を挟んだのは雲のうえに乗った地蔵菩薩だ。投げ捨てられた閻魔を見下した。
「だが然し人間を一人連れていた」
身体を巡る呪いがよく見えるのか、顔を顰めて後ずさる者もいた。
「この世界に人間がいるのですか」
アマテラスが問う。イザナギは肯き彼を一瞥したあと続けた。
「一人かはたまた数人いるのかは分からんが、奴らは我々を試しているようだ」
ふっと顔を上に向けた。その場にいる殆どの神仏が続いた。青空の向こうに元凶である邪神がいると、誰もが感づいている。
「ではこの閻魔はそれを守る為に」
「ああ。恐らく死した先がどこに向かうかまでは知らないのだろう。それに何やら混同しているようだった。かなり精神をやられている」
イザナギの言葉に地蔵菩薩が降り立った。閻魔の傍で膝をつく。
「粗暴なお方に見えますが、心は我々が思う大王と同じなのですね」
軽く微笑み手を伸ばした。然し呪いのせいかばちんと音を起てて弾かれる。驚いて周囲の神仏も眼を丸くした。
「どうやらかなり強い呪いのようですね」
アマテラスが神妙な声音で呟いた。呪いもそうだが世界観の違いもあるのだろう、地蔵菩薩は手を擦り、下手に触れない事を誓った。
イザナギが柏手を打って再度注目を集める。
「精神への負荷は我々も例外ではない。なるべく単独行動を控え、おかしいと感じたら身を退くように。連戦は特に消耗が激しく、どんなに戦が好きな者でも屈服せざるを得ない」
声を張り上げて言うと境内に響き渡った。良いなという言葉に続いたのは、大小さまざまな返事だった。
閻魔は神宮内に運び込まれた。深い眠りについており、滅多な事では起きない。地蔵菩薩が挙手をし、眠る彼の隣には禅を組む姿があった。
夢のなかで嫌なものを見ているのか、眉根を寄せて少し唸った。菩薩が軽く眼を開けて様子を見る。
「大王」
一瞬触れようとしたが先程の事を思いだし手を膝のうえに戻した。ただ名前を呼び表情を見つめた。
するとはっと飛び起きた。閻魔は周囲を見て、地蔵菩薩の姿を見つけた。
「お前は……?」
「別世界の地蔵菩薩でございます」
丁寧に頭をさげる。眼は伏せたままでそれ以上あがる事はない。まるで仮面を被っているような仏に息を吐いた。
「ここはなんだ」
きっと疑問に尽きないだろう。地蔵菩薩は粗方事情を話した。
「精神への負荷」
「ええ。気付いておられなかったようですね」
耳触りの良い声に視線を外し、「そういう事だったのか」と溜息混じりに呟いた。納得する速度が速く、取り乱す事もない。かなりの手練れだと感じた。
「それで、イザナギはどこにいる」
来るだろうと踏んでいた質問に対し腰をあげた。
「一緒に行きましょう」
穏やかな笑みを見上げ、仏に続いた。閻魔は襟元を正し廊下を歩いていた。髪はあげたままだが少し乱れている。
「おや、復活なされたのですね」
前から来たのは奇妙な面を被った女だった。アマテラスだ。少し覚えのある気配だが、こちらはどこか不思議な匂いが漂っている。言い換えるのなら卑弥呼のような匂いだ。
「わたくしは天照大御神。そちらの世界ではどういうご関係かは存じ上げませんが、まあ仲良くして頂ければ幸いでございますわ」
妖艶な口元を引いて笑うと通り過ぎていった。太陽神だと言うのに、ハッキリしない雰囲気を纏う女だった。
続いて出会ったのは白い狐。上品で高貴な立ち振る舞いで頭を垂れた。
「稲荷大明神と申しまする。以後お見知りおきを」
美しい女の声で名を名乗ると頭をあげた。少し話したところ、イザナギは閻魔が来るのを待っているらしい。色々と話があるそうで寄り道せずに向かった方がいいと助言してくれた。
「他の方々とのご挨拶は落ち着いてからに致しましょう」
雲のうえに乗りながら軽く振り向き笑いかけた。閻魔は知っているようで知らない者達に若干疲れ始めていた。
神宮の中心部まで来ると地蔵菩薩が声を張り上げ、到着した事を伝えた。返ってきたのは低い中年男性の声だ。
ぎぎっと扉が軋み、促されるがまま踏み入れた。そこにはイザナギとイザナミがおり、杯を片手に一瞥をくれた。火車を撃った事を思いだしながらも眼前に胡坐をかいた。やや後ろに地蔵菩薩が控える。
「調子はどうだ」
閻魔は軽く笑って答えた。
「随分と偉そうだな」
それに平然とした顔で言った。
「日ノ本のなかでは一番偉いだろう。少なくともお前よりは上だ」
ぐっと残りの酒をあおると杯を置いた。座り直し身を乗り出す。正面から赤い双眸を見据えた。
「例の人間について気になるだろう」
自分に呪いをかけた張本人と似た気配、それがイザナギの後ろで伏せている獣から発せられていた。なんとも言えない居心地の悪さを感じながらも肯いた。
「あれは正確には死んでいない。ただこの世界から弾かれただけだ」
それを聞いて少しほっとした。
「という事は、元の世界に戻る訳か」
「そうだ。だが奴らはそこまで甘くはない」
奴らという言い方にタコの頭を思いだした。
「元の世界に戻ったとしても昏睡状態となる。生きているし死ぬ事はないが、その世界では生死不明と判断される。ようはそいつ以外からすれば、生きるか死ぬかも判らない危篤状態と同じという事だ」
冷たく淡々とした空気が流れ出る。
「そんな事をして奴らは楽しいのか」
イザナギは嘲笑うように声を張って言いのけた。
「こんな馬鹿げた事をしだすんだから、そりゃあ楽しいのだろう。迷惑千万だ」
然し苛立ちが勝ってぐんと不機嫌な声色を出した。一つ間を開けて閻魔が訊いた。
「あの青年を殺した、いや弾いたのはなぜだ。一緒にここに連れてこれば良かっただろう。ここなら安全だ」
「連れてきたところで、人間にとっての危険度は同じだ。かなりの神と仏を集めたが……それでも目覚めていない者や行方の分からない者がいる。それに様々な宗教から来ているんだ、この神宮ごと踏みつぶせる化け物がいてもおかしくはない」
先程感情の片鱗を見せたが基本は無感情な男のようだ。淡々とした声音にそれもそうかと肯いた。
「それに早い方がいいだろう。記憶はそのままのようだしな」
ふっと視線を逸らして静かに言った。イザナミの長い体毛に身を預ける。日本の神にしては冷酷な印象を持ったが、心根はどの世界観でも変わらないようだ。
「そうだ、一つこちらから出せる情報がある。お前らが知らない事だろう」
イザナギは僅かに眉をあげて身を離した。「それはなんだ」と促す。
閻魔が話したのはルシファーの事だった。所謂自死を望んだ時にしか手を出してこないのか、それは判らないが少なくとも奴らは簡単に操ってくると締めくくった。
黙って聞いていたイザナギは顎髭を触り、ややあって呟いた。
「このなかで出るとまずいな。既に不動明王や仁王もこちらにいる、その者らが戦意消失したら幾らお前でも勝てないぞ」
より一層眉間の皺を深くする。だが閻魔は薄い笑みを浮かべて答えた。
「その辺りの連中が戦意喪失する時は我も同じだ」
やけに説得力のある言葉に地蔵菩薩は眼を伏せて微笑み、イザナギは鼻で笑った。それから単独行動は慎むように言いつけた。素直に聞くようには見えず、敢えて命令口調は避けた。
「だがお前と親和性の高い者が分からないな。誰がいる」
その問いに素直に答えた。
「サタン、イザナギ、ヤミー、牛頭馬頭、カグツチ」
他の子供らは神話に載っていない、その世界独自の者達だ。唯一こちらに呼び出されているとなればその辺りしか思いつかない。火車は恐らく、あの人間で終わりだ。
「俺は残念ながらこいつと組んでいるし、サタンはお前が最初に殺しただろう」
頭のない獣を一瞥して言った。
「知っているのか」
「ああ、少し遠くから見ていた。偶然だがな」
本当にそうなのか、少々疑わしい言い草に言葉を返さず口を噤んだ。イザナギはまた顎髭を触って考えた。
「カグツチは世界観が合わなかったのか、俺を見つけるなり襲いかかってきてイザナミに食われたし、牛頭馬頭もどこにいるのか分からないのよなあ」
さらりと物騒な事を呟く。神話のなかでカグツチはイザナギに殺される、恐らくその面で歯車が狂ったのだろう。
「残るはヤミーだな。これは目覚めてるって話を聞いた」
視線を閻魔に戻した。
「お前、元はヤマっていうヒンドゥーの神で、ヤミーとは双子なんだろう。なら一番親和性が高い」
そう言うと有無を言わさず地蔵菩薩に言った。探してくれと言う頼み事で、菩薩は軽く頭をさげて承知すると去って行った。
静寂が一つ流れ、閻魔が軽く手を挙げた。
「煙草の類はないか」
彼の持っていた現代的な煙草はなく、あるのは昔ながらのものだった。煙管を片手に問いかける。
「元の世界に戻れると、どうして分かった。何かやったのか」
「ああやった。奴らが抜けていたのか、それとも敢えてそうしたのかは分からないが、千手観音が様々な世界を見通せる力を持っていてな、協力してもらった」
イザナギがある程度の人数を集めた頃、千手観音がこちらの世界でも力を使えると申し出た。その為死んだ先がどこに向かうかを実験した。
使ったのは妖怪だ、筋が通っているしそのまま死んだところで影響はない。
「それでさっき言った結果になった」
杯にまた酒を注ぎだした。嗜好品がちらほらとあるところを見ると、クトゥルフの連中が我々を弄んでいるのだとよく分かった。
「俺からも一つ訊いていいか」
「ああ」
「その呪い、誰に受けた」
襟元から覗く模様を一瞥する。閻魔は煙を吐いて視線を動かした。彼がイザナミを見たのを答えと受け取り、杯をさげた。
「あまり合わせない方がいいか」
視線を戻して小さくかぶりを振った。
「我が知っているイザナミは人間の姿をしている。流石にここまで違うと、なんの感情も湧いてこない」
ただ気配が似ている分、なんとも言えない不快感は漂っている。然しそんな程度でわがままを言う気はなかった。
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