第6話
地蔵菩薩がヤミーを見つけてくるあいだ、閻魔は神宮内にいる他の者達と一通り出会い、屋根のうえでまどろんでいた。大きく欠伸を漏らす、その時だ。
「ヤミー様が窮地に立たされておるようです!」
下から響いてきたのは菩薩の声だった。ざわざわと騒がしくなる下界を見下す。イザナギが出てきたと同時に立ち上がった。
「状況は」
「かなりの劣勢。ヤミー様お一人で、相手はざっと五人おります」
「援軍を出そう」
イザナギの言葉に閻魔が口を挟んだ。その場にはアマテラスと須佐之男命がおり、遠巻きに他の者が見ていた。彼に視線が注がれる。
「お前一人で行くのか」
険しい顔に余裕のある表情で肯く。既に着物は脱いでいた。
「病み上がりと同じだ。お前一人に任せられん。アマテラス」
イザナギが娘に顔を向けた時、風が乱れた。既に閻魔の姿はなく、ヤミーのもとに走り去っていた。その勝手な様子に一つ舌打ちをし、早く後を追うように言った。
まるでSF映画に出てくるような、全身をすらりとしたスーツに身を包んだ女性が化け物に囲まれていた。口元はスーツと同じデザインのマスクで覆われており、見えるのは鋭い眼つきだけだった。
互いに睨み合い隙を窺っている。然し化け物の側は少し余裕な面を見せ、彼女を値踏みするように視線を巡らせた。
刹那、女の背後から襲いかかってきた。はっと驚いて身を翻そうとするが、どう見ても避けきれない攻撃だ。下手をしたら上をとられ、一斉に食われるだろう。
正直終わったと心のなかで思った。然しきゃいんと声をあげて地面に転がる。女の眼前には彼がいた。
「ヤミーか」
懐かしく頼りになる匂い、ヤミーは顔を崩して抱きついた。
「兄さん!」
思わぬ反応に少し驚いた。然しそうはしていられない、すぐに引き剝がすと他の獣に向かって蹴りを放った。そこでやっと混乱して抱きついてしまったとヤミーは気付く。
「閻魔大王! 退いてください!」
アマテラスの大声が響き、ふっと一瞥をやるとヤミーの方に走り込み、そのままの勢いで腕を取った。二人が離れた瞬間、その場に小さな太陽が形成された。一瞬にして焼けこげる。イザナギが彼女を選ぶ訳だ。
一先ず窮地を脱したヤミーは溜息を吐いた。囲んでいた化け物達はヒンドゥー教のものではなく、慣れない相手に手こずっていたらしい。
小さなチャックをさげてマスクを外した。美しいインド系の顔で自分の知っている妹とは似ても似つかない表情をしていた。一見して神のようには見えないが、胸元には曼荼羅が描かれていた。刺青でない事は一つ見れば判る。
「それで、お前はどういう力を持つんだ」
イザナギが問いかけヤミーが答えた。
「水を操る力と、死を操る力」
右手に水の球体を作り、左手に黒々としたブラックホールのようなものを作ってみせた。イザナギはそれを一瞥し更に問いかける。
「死の力は兄の方ではないのか?」
粗方ヤマについて知っている彼は疑問に思った。生前も死後も黄泉を統べていたのは兄の方だ、妹はあまり情報がなく、精々川の女神だと言うのは耳にした事がある。然しヤミーは表情を変えずに言い放った。
「兄は死んだわ。正確には肉体が消えた。神話と同じよ。けれど私の世界では兄は閻魔にならず、私のなかに入り込んだ。そのせいで力が二つになったの」
すっと口角を引いて笑ってみせた。どこか性的な快楽を感じる表情にイザナギは鼻で笑い、ヤミーの後ろで控えている閻魔に視線をやった。
「という事だそうだ。随分と癖のある妹が来たが、まあ仲良くやってくれ」
言われた本人は右手を軽くあげるだけで、大したリアクションは見せなかった。
「兄さんって呼んでもいいかしら?」
和服姿の男と現代チックなスーツに身を包んだ女。世界観は違えど双子の兄弟であり夫婦であると誰が見抜けるだろうか。
「好きに呼べ」
閻魔は内心距離を置いていた。火車が殺された事による精神の負荷、それを考えるに誰かと親しくするのは得策ではないと至った。敢えて素っ気ない態度を取って、身内だと認識しないよう努める事にした。
「ねえ、兄さんの世界では私はどういう立ち位置なの? 夫婦なのかしら?」
身体を密着させて訊いてくる。表情はいつもと変わらないが身体は岩のように頑固な態度を見せていた。
「あまり話したくはない」
ヤミーはつまらないと言いたげな表情を浮かべ、なんの断りもなく膝のうえに寝転んだ。あまりにも自由奔放で距離感のない行動に軽く溜息を吐く。
「神話のなかでは身内とは言え、ここでは別人なのだぞ。躊躇いはないのか」
雰囲気は似ていても、彼はイザナギに対して甘えるような素振りは見せない。完全に他人、別人だと割り切っている。それ故、余計に彼女の態度が理解出来なかった。
「ないわよ。どんな世界観の兄さんでも私の兄さんに変わりはないもの」
頬を赤らめて眼を細める妹に返事をせず、懐から貰った煙草を取り出した。煙管の扱いにも慣れてきた。
暫くのあいだ何が目覚めているのか、他にどういう派閥が出来上がっているかなど、交代制で情報収集に当たった。勿論閻魔とヤミーの二人も送りだされ、やけに距離が近い妹を置いてさっさと先に行く事もしばしばあった。
そうするうちに情報がまとまった。イザナギやアマテラス、地蔵菩薩や不動明王など主要な者を集めて大きな紙を広げた。それは翼を持つツクヨミに書かせた簡易的な地図だった。
「各々建築物によって宗教が大まかに分けられている」
閻魔だけでなく、その場にいる全員が思った。確かに自分は神社の類か寺院に倒れていたと。
「そして既に三つの派閥が出来上がっている。一つは我々、日ノ本の派閥だ」
とんっと神宮がある箇所を指した。そこには赤い丸印が小さく書かれてある。次に大きな教会を指す。そこは青い丸印だ。
「もう一つはキリスト教の派閥だ。主な神や天使は殆ど集まっている。我々と同じように情報収集を行っているようで、稲荷大明神とウカノミタマが大天使ミカエルと出会い、互いに話したという」
この派閥とは味方関係と思っても良いと言い、最後の一つを指した。神殿の絵が簡単に書かれてあった。
「北欧神話の派閥だ。だが大将以外は化け物ばかり。妖怪もいるという話だ。少なくとも酒吞童子や九尾の狐といった者共が」
イザナギの低くおどろおどろしい声にざわついた。アマテラスが問う。
「それはもしや、ロキという神ではございませんか」
父は娘に対して肯いた。
「よく知っているな」
すっと全員に視線を巡らせ強く言った。
「アマテラスの言った通り、ロキという神が仕切っている。ヨルムンガンドやフェンリルといった、北欧神話の怪物の父親でもある」
姿勢を正し声を張った。
「キリスト側もこれを認知しており、メフィストフェレスなどの悪魔や怪物らが向こうについている事も確認している。恐らくだが儒教、ヒンドゥー教、ローマ神話、エジプト神話、アステカ神話など各国の主要な神々もこれを認知している事だろう」
一度は耳にした事のあるそれらに不動明王が呟いた。
「神は神で結託し、俗物は俗物で結託し合っていると言う事か……なれば起こるのは、」
顔をあげた不動明王を一瞥しイザナギが答えた。
「聖戦だ」
強くハッキリとした言葉が閻魔の耳にこびりついた。
「神同士、特に宗教が違うとなれば殺し合わないのは当たり前だ。クトゥルフの連中は何を考えてるのか」
空を見上げる。相変わらず腹の立つ晴れ模様だ。
「クトゥルフ?」
ヤミーはまだ分かっていないのか首を傾げた。閻魔は視線をそのままで答えてやった。
「なるほど、嫌な奴らね」
不快感を露わにした。表情も声も汚物に対するものだ。
「例え勝ったとしてもきっと一筋縄ではいかないだろう。お前も精神の負荷には気を付けろよ」
振り向いて青い瞳を見下げた。その時ふと思った。親密になった者であればある程、負荷が高まる気がする。現に閻魔は錯乱しかけていた。
なのにイザナギはわざわざ、親和性の高い者と組ませている。というより、一人の方が安定するはずだ。言われるがまま従ってしまったが、洗脳から醒める信者のように、なんとも言えない疑問が張り付いた。
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