第12話
閻魔とイザナミは神仏らに対して戦争の事を告げ、同時にまだ彷徨っている獄卒や龍神などの妖怪を集めてくるよう、強く言い伝えた。トール曰くまだそれら神獣の類が残っているらしく、特に日本のものは自然と同化して隠れているという。
『日本神話は自然に宿るものだ。恐らく似たような神話でも似たような事が起こっているのだろう。下手に現れるより、自然と同じになった方が賢明だからな』
神仏の殆どが出払った神宮でイザナミは言った。閻魔は煙管を片手に空を見上げる、いつの間にか夜は消え昼になっていた。
神仏によって集まった妖怪は様々だった。然し全て神として崇められているか、地獄で亡者を痛めつけているかの二種類しかいない。
空狐、なまはげ、龍神、鬼神、座敷わらし、シーサー、狛犬、大天狗……特に地獄の獄卒は数が多く、大小様々な鬼や獣の形をした妖怪達が閻魔のもとに帰ってきた。
神仏、妖怪、全て入り混じった状態で王は言った。
「ラグナロクに向け鍛錬を怠るな。そして他の神や神獣がいる場合、絶対に手助けしろ」
低くハッキリとした声に団結力が高まった。然し、その場にアマテラスはいなかった。
布団のうえで細く息を吐く。顔色はいいとも悪いとも言えない、ただ体温はどことなく低く感じた。ヤミーは彼女の手をそっと置いた。
一つ瞬きをすると溜まった涙がつうっと流れ、落ちていった。
「もう私は、戦う気がないわ」
吐息の多い声に膝のうえで手を組んだ。
「世界観が違うとは言え、身内に変わりはないわ。そう思って当然よ」
同調するように囁き声になる。アマテラスは少し安堵した表情を見せた。
「彼に、閻魔大王に伝えてくれるかしら。私はもう、」
ゆっくりと瞼を閉じた。ヤミーは薄く笑って肯いた。刹那。
がっとアマテラスの手がヤミーの口元を覆う。青い瞳が見開かれ、体勢が崩れた。どんっと後ろに倒れ、相手が馬乗りになる。
アマテラスの眼に光はなく、あるのは闇。彼女は強く手首を掴んでその双眸を睨みつけた。ふっと青い瞳に白い霊魂が映る。
かなりの力がかかっており、引きはがそうとしてもびくともしなかった。呼吸が困難になり、躍起になったヤミーは右の拳を何度もぶつけた。容赦なく綺麗な顔に振るう、それでも緩む気配がない。
然し同時に、黄色い瞳に白い渦が出来始めた。力を同時に使えず、尚且つ死の力は一度始めると簡単には中断出来ない。選択を間違えたと深く眉根を寄せた。
息が苦しくなる、冷や汗が全身をさらい、スーツが肌に密着した。自分の皮膚が擦り剝けても構わず拳を振るった。すると腕から力が抜ける、死という名の魂を操ったお蔭だろう、アマテラスの光なき眼球が上を向いていた。
すぐに手を引きはがし離れる。立ち上がって長い髪をかき上げた。何度も何度も短く呼吸する。空っぽになった肺を満たすように。
アマテラスはふらりと揺れながら立ち上がった。操り人形にされているような挙動で、負荷による錯乱ではないとヤミーでも判った。短く息を吐き出しボクシングの構えをとった。
ハイキックが来るが左腕で防御、おろしている一瞬の隙に顎を狙い、続けて頭の横を両手で押さえながら膝をあげた。ごんっと顔面に命中する。
アマテラスは鼻を押さえ、ぶんっと手を振った。その拍子に血が舞う。次の動きはハイキックと似ており、防ぐのではなく下に避けようとした。
然しそれはフェイク。一気に身体を動かすと閻魔が彼女にやったように蹴り上げた。とてもアマテラスの力ではないそれに顔が宙に浮く。首にもダメージが入り、一歩退いたがびきびきと痛みが走った。
構えながらも鼻血を拭い取る。相手はとんとんっと畳のうえを跳ねた。軽快な動きだ、どの瞬間で来るのか集中し、同時に水の力を使った。
この力を使えば確実に相手は死ぬ。だがヤミーは本気だった。じわじわと部屋が浸水しはじめる。一気に放出すると自分が干からびてしまう為、水浸しにする際にはこの方法しかない。
相手は足技だけを繰り出してきた。防いでも痛みが走る、舌打ちをかまし首や関節、顎、横腹など要所要所を攻撃しダメージを蓄積させる。
水は膝下まで登ってきた。冷たい、川の水だ。
然しアマテラスはヤミーの肩に手を置くと、ぐるんっと回転し両脚を首に巻き付けた。肩車とほぼ同じ体勢だ、思わぬ動きに反応が鈍ったが全身を動かし、水のなかに叩き落とそうとした。
それでも相手はバランスを取る。寧ろ下にいる自分が誘導され、倒れないように踏ん張るしか出来なかった。ヤミーが動くたびに水が跳ね上がる。
脚が口元を覆った。むぐっと籠った声を出して脚を叩く、刹那、ぐいんっと相手が回転し水のなかに叩きこまれた。背負い投げと似ている、だがヤミーは水のなかでも呼吸ができ、ある程度幅があったお蔭でダメージは少なく済んだ。
全身を濡らしながら起き上がりつつ駆け込む。タックルをかまして無理矢理床に伏せた。もう膝上にまで登って来ており、十分顔が埋まる程だった。
力を込めて身体を押さえつける。相手は勿論暴れ、歯を食いしばった。
その時膝が腹に直撃する。内臓を全て吐き出す程の力に声が漏れた。隙が出来てしまい、アマテラスはするりとヤミーから離れる。
かかと落としを後頭部に向けて放った。然し水のなかは彼女の独壇場だ。水を操り自分の脚を掴んで引っ張った。一瞬にして移動し、かかと落としはばしゃんっと音を起てるに終わった。
長い髪を巻き上げて起き上がる。ぽたぽたと鼻や顎から滴り落ちる。濡れた髪を押さえつけながら睨みつけた。
水を押しのけてアマテラスが蹴りを放ってくる。力も速度もあがっているが、同時に水の抵抗力のせいで初動が遅くなっていた。反対にヤミーは抵抗を受けない、乾いた地面にいるのと同じ速度で避け続けた。
腰の下までせり上がってくる。ここまで来るともう勝敗は彼女にあった。攻撃を避け続け、放出に集中する。着物が水を吸ってアマテラスの動きは更に遅くなった。
腰、腹、胸、どんどんと侵食が進み、ヤミーは先に水のなかに潜った。アマテラスも続き、掴みかかってきた。
相手は脚をばたつかせていたが彼女は一切動かずにいた。光のない双眸を見下し、肘を頭に叩き込んだ。抵抗も何もない、純粋な力と速度が叩き込まれる。
胸ぐらから手が離れた。すると回し蹴りを首に入れる。吹き飛ぶ事はないが水のなかに抵抗なく浮いた。
ぶくぶくと酸素の泡が抜けてゆく。すうっと近づいて髪を掴んだ。
するとアマテラスの口が半開きになり、なかからどす黒い靄のようなものが漏れだしてきた。眉根を寄せる、刹那、水全体に電気が走り、絶叫した。
一気に水を引かせるか、そう思ったがヤミーは絶叫を雄叫びに変え、がっと首を掴んだ。そして水を操作し開いた口に流れ込ませる。
黒い靄を押し返す程の勢いで入ってゆく。同時に部屋を充満していたものはなくなり、最後はただ異様に濡れた畳や壁があるだけだった。
手を離すとべちゃりと音を起てて倒れた。アマテラスの腹はぱんぱんに膨れあがり、既に息はなくなっている。疲労は溜まるが死の力で魂を見た、すっかり消えており髪をかき上げながら視線を逸らした。
暫くして閻魔が帰ってくる。彼の部屋はここを横切った先にあり、障子がそこだけ濡れているのに感づいた。
無言で開け放つと全身が濡れ細ったヤミーと、天井まで湿った部屋が見えた。ヤミーは閻魔を一瞥すると大きく息を吐いた。
「アマテラスを、殺した」
濡れたスーツから着物に着替えたヤミーは火の傍で詳細を告げた。腹に入った水分は抜き、今は埋葬の為に牛頭馬頭が準備している。
「クトゥルフ共のせいだな」
空を見上げる。戦意を失った者は軒並みやられる、それは避けられない事なのだろう。
「どのみち、次に錯乱した時は殺せと言っていた。お前が気に病む必要はない」
これでヤミーも戦意を失えば、全体の士気も落ちてしまう。それになによりクトゥルフに操られた神を一人で倒したのだ、かなりの実力者を失うわけにはいかなかった。
アマテラスの供養が終わって太陽が一周した時、全ての神話のもとにドローンが飛んでいった。それはロキの力で生み出されたもの、思う通りに移動し神々の頭上に停止した。
「なんだあれは」
戦国時代など、近代的な世界観でない神仏や妖怪達はドローンを見て狼狽えた。然し閻魔は冷静に判断し、ヤミーになるべく大きな声で問いかけた。彼女は察して同じような音量で答える。
「機械だわ。言い換えるならからくり。無機物だから結界も通り抜けられたのよ」
彼女の言葉に納得しつつも、不思議な音を奏でてホバリングする様子に眉根を寄せた。そしてスピーカーから、若い少年のような声が聞こえてきた。
「あーあー、聞こえてますかー、あー」
ふざけた調子の声に鬼の一人が怒鳴った。然しマイクはついていない、ヤミーが引き止めて宥めた。
「ええっと、もう殆どの奴が知っていると思うけど、太陽が二週して真上に昇った時、我々怪魔軍はお前達神に対して一斉に攻撃を仕掛けます」
相手がロキであるとそこで感づいた。特に北欧神話の神々は怒りを露わにする。閻魔は眉毛さえも動かさずじっと声に集中した。
「その戦争中に俺を見つけ出して殺した神は、えーっと、多分クトゥルフから褒められます。以上」
終始気のない声で言うとドローンは動き出した。後ろがざわつくなか、去って行く機械を眼で追った。
これ以上戦意を喪失させない為、閻魔は主に妖怪達に向かって罰を与える事を堂々と告げた。殆どは獄卒だから、大王の言葉には逆らえないはずだ。そして神々はイザナミが煽り、士気をあげた。仏に関しては戦うのではなく守る事を強く言い、一歩退いたところに常にいるように言葉を続けた。
もう戦意を喪失する可能性なんてない、それ程までに全体の士気をあげ、確証はないものの必ず生きて帰る事を何度も言いあった。
太陽が二週し、真上に来る前、閻魔は最後の煙草を咥えていた。傍には牛頭馬頭が控えている。
「真っ先にロキを探しに行こうと思う」
その為にも全体のやる気をあげたのだ、馬頭が「それでよろしいかと」と返事をした。話は続いた。
「それでお前らには援護を頼みたい。恐らく最初は我を狙って押し寄せてくるはず、だから一掃したのち合流する」
二人は顔を見合わせ頭をさげた。
「ありがたき幸せ。是非最後までお供させて頂きます」
その言葉に笑みを浮かべ腰をあげた。もうそろそろ太陽が真上に来る。煙管はもう使わない、煙が燻るなか置いていった。
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