聖戦

白銀隼斗

第1話

 神殿、寺院、神社、教会、聖堂……様々な神仏が居座り人々を見下すそれらが、朽ちた状態で混ざっていた。錆びついた教会の前に斜めになった鳥居があり、半壊した寺院のなかに汚れた十字架があった。

 そして地面には様々な姿形をした神仏と、様々な悪意を振りまく魑魅魍魎が伏していた。人の形をしたもの、人と別の何かが合体したもの、人ならざるもの……そのなかで一人、目覚めようとするものがいた。

 黒い着流しに身を包み、長い前髪を垂らした男は普通の人間に見えた。然し覗く腕や胸元には不気味な模様が巡っており、それを覆い隠すかのように稲妻に似た傷痕が走っていた。

「っ」

 僅かに声を漏らし、ゆっくりと瞼を押し上げた。見えている右眼だけが世界に映る、軽く周囲を見てから上半身をあげた。

 無表情にざっと視線を巡らせた。至る所に人影が転がっており、自分だけが目覚めたのだと思い知った。

「ちっ、頭痛がする」

 溜息混じりに言うと一先ず立ち上がった。全身を巡る傷と模様だけでも異様だが、男の脚はとても人間のものとは思えない程黒々としており、関節のところが赤く彩られていた。然し男は何も気にせず、懐から煙草を取り出すと悠々自適に火をつけた。

 紫煙をくゆらせながら少し歩く。嫌な頭痛に頭を軽く撫でながら煙草を咥えた。

「ほお、最初の目覚めは貴様か」

 頭上からの声に足が止まった。一切表情を変えず空を見上げる。腹立たしい程の青天だが、妙な気配が漂っていた。

 深い深い海に独りで沈んだような孤独感と恐怖感を混ぜ合わせたような、嫌な気配だ。だが男にはどちらの感情も抱かなかった。

「初めて一人で死んだ時と同じ気持ちだろう。怖いか」

 愉悦の混じった低く、どんよりとした声。男は変わらず煙草を嗜みながら答えた。

「いいや。生憎そんなものは感じないのでな」

 ふっとまやかしのような煙が昇ってゆく。その時、青空が割れて異形が顔を出した。タコのような頭をした巨大な異形だ。臓腑を逆なでするような恐怖を感じるはずだが、男は相変わらずだった。というより顔を出した途端に興味をなくしたようだった。

「既に狂気に憑りつかれているのか、我々はとんでもない閻魔大王を呼んでしまったようだ」

 異形は後ろを振り向くと大層面白そうに声を張り上げた。幾つもの不気味な笑い声が聞こえてくる。どうやら他にも、似たような化け物が空の上にいるらしい。閻魔大王と呼ばれた男は首が疲れたのか見上げるのをやめていた。

「まあいい。貴様は戦闘が大の好物なのだろう。であれば助言をせずとも分かるはずだ」

 異形の声に煙を吐き、問いかけた。

「貴様らはなんだ。旧支配者とかいう奴か」

 見上げるのさえやめた男に鼻で笑い肯いた。

「そうだ。クトゥルフ神話と人々に呼ばれている。簡単に言えば恐怖を与える宇宙的存在なのだが……」

 煙草を咥え、頭上を一瞥した。その様子にクトゥルフは眼元を歪める。

「戦闘狂にそんな感情があれば、今頃消えておるか」

 閻魔は一言も返さずに歩きだした。一先ず神殿のなかへと入る、この辺りはあまり混在していないらしく、綺麗な空間が広がっていた。勿論半分程は崩れているが。

「とにかく戦え、という事か」

 そしてクトゥルフの言い草から察するに、自分はたった一人でここに呼び出された。ざっと見た限りでも見知った姿は一つもない。だが神や化け物だと判る、恐らくだが様々な世界から各々呼び出されたのだろう。

 見世物か、闘技場か、はたまた蟲毒か。なんにせよ旧支配者共がよからぬ事をしたのは明白だ。面倒な事に巻き込まれたと肩を落とした。刹那。

 唐突に回し蹴りを放った。ぴんと伸びた足先は自身の背後に向いている。ややあってゆっくりとおろした。

「サタン、ではないのか」

 少し上の方を見た。そこには黒い人型の異形が対空しており、角と大きな翼が悪魔を思わせた。

 閻魔は気配を感じ取って先手を打ったつもりだった。馴染みのある忌々しい気配だ。然し眼前にいるのは全くの別人だ。雰囲気は似ているものの、彼の思う人物はもっと人の姿に似ており、ふざけた態度を取る男だ。

 異形は鋭い牙を見せて答えた。

「いいや、サタンに間違いはないぞ小僧」

 低く、クトゥルフを連想させる声をしていた。閻魔は少し眉根を寄せてサタンと名乗った者に訊いた。

「どこから来た」

 それに対しサタンは嘲笑混じりに答えた。

「俺の知っている閻魔はそんな弱っちい姿をしていない」

 白煙が口元を離れた。描いた予想図と同じだ、間違いではないのだろう。煙草を咥えると両手を前髪の下に潜り込ませた。

 すっと後ろへと撫でつける。そうして見えた左眼は黒ずんでおり、数個の小さい眼が頬にかけて並んでいた。閻魔をなめた態度で見下しているサタンは、少し眉根を寄せて警戒しだした。

 両腕を袖から抜くとばっと着物を押しのけた。見えた身体は細く引き締まったものだが、無数に走る模様と傷痕が周囲を威圧した。

 赤い耳飾りが揺れる。閻魔は足を肩幅まで開き、背筋を伸ばした。空気が変わってサタンの表情も固くなる。

 煙草を咥えたまま歯を食いしばったせいか、フィルター部分が折れ曲がり火種が上を向いた。彼の赤眼に被るように白煙が昇る。口元は余裕のある笑みを浮かべていた。

「お前、どういう閻魔なんだ」

 サタンが一歩退いた。彼は表情を変えずに右腕をあげる。

「さあな」

 くいっと指を動かし、挑発してみせた。瞬間、サタンが大きく胸を張って咆哮をあげた。ダイナマイトの爆風と変わらない音の風が巻き起こる。閻魔は左脚にぐっと力を入れて身体を固定させた。

 大した風圧ではないのか、然し崩れている部分が圧を感じ、瓦礫の一つが転げ落ちると連鎖的に支えを失って土埃をあげた。閻魔の強さがその時判った。見た目で判断した自分が愚かしいと後悔した。

 サタンの眼は吊り上がり、怒り狂った狼のように歯を剥き出し、そのあいだから水蒸気を吐き出していた。彼のなかには高温のマグマが波打っている、流石の閻魔でも浴びれば溶け出すだろう。

 その時、一瞬にして跳び上がった。先程まで立っていた場所にマグマがぶつかる。じゅうっと恐ろしい音を起て、瞬きをする頃には石が溶けていた。

 このまま同じ場所に着地すればダメージを受けるだろう。表情を一切変えずにぐっと前に体重を移動させた。溶けた石の前で受け身を取る、すぐに立ち上がった。煙草は咥えたままだ。

 サタンの頬が一度膨れる。あれがマグマを吐き出すサインなのだろう。一足先に避けた。また石が溶ける。

 今度も避けた。その次も避ける。華麗に舞う姿に悪魔の身体は赤みを帯びた。まるで内側から胎動するエネルギーのように、どくんどくんと強く波打つ。憤怒に染まっているのがよく分かった。

 いい加減遊ぶのに飽きたのか、煙草をつまむとはあっと息を吐き出した。マグマが迫ってくる。ぐつぐつと空気を溶かしながら迫って来る。

 閉じた口元には不敵な笑みがあった。ぱっと指を離す。吸いかけの煙草が地面に落ちてゆく。

 閻魔の姿がそこから消えた。サタンが眼を見張った時、眼前に男はいた。

 普通の右眼と、異形の左眼とが正面にあった。だが同時に引かれた拳を見る事が出来た。握りしめたそれは確実にこちらを向いていた。

 眼を丸くして翼を動かした。然し音速にも劣らない拳が頬にぶつかった。振り回された鉄球が顔面にヒットしたような破壊力、一瞬にして身体から力が抜け吹き飛ばされた。

 閻魔と煙草が着地したのは同時だった。残った火種がゆっくりと消えてゆく、大きな崖にめり込んだサタンの魂も同じように消えてゆく。然し彼は興味がないようだった。

 軽く右手を開いたり閉じたりして感触を確かめると、何事もなかったかのようにその場を後にした。彼は内心で思っていた、ふざけた野郎の方が張り合いがあると。

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