第2話

 煙草は切れ、目ぼしいものも見つからなかった。元の世界に戻るにしても今は無理だろう。旧支配者共が満足しない限りは。

「もっと強い奴はおらんのか」

 瓦礫の上に立ち、ざっと見渡した。誰も彼も眠っている。一斉に目覚めれば面白いというのに、あのタコが意地悪を働いているのだろうか……閻魔は一瞬空を睨んだ。

 その時だ、ぼこっと背中を押された。あまりにも弱い力に少し固まる。あがりがちの眉を僅か程あげて振り向いた。

「お、お前、悪い奴だろ」

 いたのは瓦礫を両手に持った青年だった。人の姿をしている。背はおおよそ百六十五か、細身で肌が白い。百八十を超える彼は青年を見下したあと、すっと身体の向きを変えた。びくりと青年の肩が震える。

「俺には、見えるんだ」

 震えた声で言うと閻魔を睨みつけた。然し怯える小動物をぼうっと見つめているように無関心で、視線を向けたのは天井だった。大声でクトゥルフを呼んだ。

 空が割れてタコが顔を出す。青年が一つ遅れて顔をあげた。わっと悲鳴をあげて飛び退いた。はずだったが足元の一部にひびが入り、身体が宙に浮いた。

 眼を丸くして口を開ける。景色がスローモーションに見えた。

 閻魔の横顔が映る。だが一つ瞬きをした時、赤い瞳がこちらを見据えた。

 がっと身体が止まる。鼓動がどんどんと早くなって汗が滲んだ。

「平気か」

 自分の腕を掴んでいたのは黒い手だった。青年は眼を見張る。閻魔の背からは腕が三本、計六本生えていた。元の腕と合わせれば八本だ。

「ほお、戦闘狂でも“人”は助けるのか」

 癪に障る声に閻魔は視線をやらず、傷だらけの手を伸ばして胴を抱えあげた。腕一本だけで軽々と持ち上げる。青年の足は宙に浮いていた。

 子供を抱えるように腕を回したままクトゥルフを見上げた。

「妖怪ではないからな」

 青年は怯えた様子ではあるが助けてくれた彼に心を少し開いていた。両腕を首に回す、しっかりと捕まった。

「……怒っているのか?」

 クトゥルフの眼が細くなる。閻魔の表情は変わらない。

「貴様の思う方を取ればいい。ただ」

 一つ溜息を吐いて再度見上げた。

「人間まで巻き込むのは許されないな」

 閻魔大王とは言いかえれば厳しいだけの優しい裁判官だ。史実には裁判を罪として自ら呵責を受けたり、眼病を患った老婆に自身の右眼をやったりと優しい一面が書かれてある。

 ここにいる閻魔がその通りかと言われれば難しいところだが、少なくとも人間と対峙し平等に裁いている点は何も変わらない。クトゥルフは大きく笑い声をあげた。

「最後は我々を殺すつもりか?」

 すぐには答えなかった。だがふっと笑ってみせる。

「そうなったら全力で楽しんでやろう」

 強気な姿勢にまた笑い、空の奥へと引き返した。ふっと笑みを消す。それから青年をおろした。

 一歩さがり、赤い瞳を見上げた。怯えたまま頭をさげる。

「悪い奴とか言って、すみませんでした」

 震えた声に六本の腕を消し答えた。

「それはいい。突然こんなところに呼び出されて、混乱するのも訳はないだろう」

 落ち着いた声音に青年も冷静さを取り戻し、小さくお礼を言った。一つ間をあけたあと問いかけた。

「お前はどういう人間なのだ」

 青年はえっとと前置きをして答えた。

「本名は草薙新太郎。コードネームは“火車”、です」

 火車という名前にぴくりと眉が動いた。地獄の王なら知っている名だ。彼は少女に近い姿をした猫を一匹思い浮かべた。

「えっと、特殊能力って言うやつを使って犯罪者なんかを懲らしめる青年団に入ってて、俺はそこのサブリーダーだったんです」

 少しずつ閻魔に慣れてきたのか、声が大きくなってきた。自分の知っている現世とは違う、ここもまた別世界からか。

「その特殊能力とやらがあるから、自分には見えると言ったのか?」

 一瞥をやって肯いた。

「はい。俺は人の中身が見えるっていうか、魂が黒なのか白なのかが見えるんです」

 それで火車という名前を使っているのか、胸中で納得すると更に問いかけた。

「我はどちらだった」

 口ごもった。答え辛い様子を見て察する。

「黒、です。黒は、悪い魂なんです」

 恐る恐る紡がれた言葉に視線を外した。表情が大して変わらないせいか、青年、火車は慌ててフォローをいれようとした。然し「良い」と言われ声が止まった。

「お前には話そう」

 すっと視線を戻し、自身の脚や模様に関して語った。

「そうだったんですか……」

 全て聞き終えた火車は同情するような眼を見せた。それを否定も肯定もせず、ただ言葉を続けた。

「恐らくだが、その呪いが邪魔をしてお前の眼には黒く見えているのかもな」

 息を吐き、瓦礫のうえに胡坐をかいた。火車には後頭部と、背中にある龍が見えた。

「俺が相手にするのは人間ばっかなんで、この能力はこっちじゃ役に立たないかもっすね」

 自虐的に言うと傍にしゃがみこんだ。

「犯罪者を裁くと言ったな」

 風が吹く。火車は寒くないのかと背中の龍を一瞥した。

「はい。まあ裁くって言っても、大した事はしてないっすよ」

 謙遜を込めてへらりと笑ったが全く反応を示さず、ただ同じ調子で訊いてくるだけだった。慣れたと思えばまた距離が開く、どうにも掴みづらいと首を傾げた。

「魂の色を見分けるにしても、どう使うのだ」

「えーっと、例えば外面がめちゃくちゃいい人がいたとするでしょ。大抵は見破る事が出来ずに信用したり、仲良くなったりする。けど俺の力を使えば外面なんて関係ない、確信を持って奴は対象だ! って言えるんす。そういう感じで使います」

 若者らしい話し方に肯き煙草を取る仕草をした。然し全てなくなっている事に気付き、肩をおとす。本人は至って普通にしているが、その実精神には負荷がかかっていた。これはどんな者にも平等にだ。

 そのせいでいつもより煙草を欲しがった。全て無意識下での行動だ。

「煙草っすか?」

 すっと差し出されたのは新品の箱。受け取りつつも振り向いた。

「お前未成年者だろう。地獄に落とされたいのか」

 然し火車はぽかんとした顔をしていた。ややあって「ああ!」と声をあげる。にこにこと快活な笑みを浮かべて自分自身を指した。

「俺こう見えて二十六っす!」

 思わぬ年齢に一拍おき、表情を変えずに言った。

「地獄に落とされたいのか」

 まるでそこだけを繰り返し再生させたかのように変わらない。火車は大袈裟にリアクションをとって、閻魔の肩に手を置いた。傷痕のざらりとした質感が伝わって来る。

「マジですって! ほら閻魔様なら経験で分かるんじゃないすか? 見た目はすっげー若々しいけど実年齢は上ってやつ」

 とは言えここで追及しても意味はない。箱を開けながら答えた。

「一人で回しているせいでいちいち人の姿と年齢を確認しておらん。見つけても覚えている訳がないだろう」

 煙草を一本咥え、火をつけた。火車はまたオーバーなリアクションを取ると、彼が一人で地獄を切り盛りしている事にしつこく食らい付いてきた。十王は十王はと似たような質問をこれでもかとぶつけてくる。閻魔は適当にいなしてなんとなく遠くを見つめた。

 だが背後に妙な気配を感じ取った。全く相手にされず、火車が両肩を掴んで軽く揺らしてくる。それでもその妙な気配に集中していた。

 刹那、がっと右腕を後ろに回して火車の首を掴むと、そのまま頭を押さえつけた。勿論自分も頭をさげる。何かが掠っていくのを感じた。

 えっと人間の小さな困惑が聞こえる。瓦礫に足裏をつけながら言葉を投げた。

「気配を消して伏せていろ。但し他にも黒い魂が来たら我を呼べ」

 この状況下でも落ち着いている声音はハッキリと火車に届いた。小さく肯き背中を見上げる、幾ら見ても黒い魂が浮かんでいるが、目を凝らせば白い魂が見える気がした。

「サタンと似た雰囲気だが、少し違うな」

 眼前には天使の翼を持つ異形がいた。人型だが皮膚が硬く、まるで甲冑と一体化しているかのよう。細く鋭利なデザインで綺麗だと思わせてくる。だが顔は眼がなく、歯が剥き出しだ。

「そりゃあそうでしょう。私はサタンの兄です」

 指の先まで尖った大きな手を胸に当てた。所作は丁寧で上品だが確かな殺意を感じる。閻魔は肯いた。

「敵討ちというところか」

「ええ、察しが良くて助かります」

 ぐっと右足を後ろにさがらせる。サタンの兄、ルシファーは両手にショットガンのようなものを持った。先程通り過ぎていったのはこれの攻撃だろう、兄弟揃って遠距離なら一気に詰めてしまえば終わりだ。

 光を纏った一撃が放たれる。勿論余裕で避けた。サタンの時は少し遊んだが今回はしない、強靭な脚力で距離を縮める。

ルシファーは後ろにさがって銃口を向けるが閻魔の方が速かった。一瞬にして真下まで詰められる。

 天使の翼を羽ばたかせ逆さまになると彼を狙った。余裕のあるにやけ面がスコープに映る。トリガーを押し込んだ。

 然し人影は消えていた。ぐるると獣のような唸りが喉を鳴らす。どこに行ったのかと元の体勢に戻ろうとした。

 だが動くのは千切れた翼。ない両目を見開いて僅かに口を開ける。

「どこを見ている」

 下からの声にもう一度視線をやった。先程と変わらぬ位置に閻魔はいた。但し違うところは片手に白いベールを持っているところだ。ぽたぽたと赤い鮮血が垂れている。

 瞬間、がばりと顔の半分以上を占める程口が開き、弟と変わらぬ咆哮が地面を揺らした。風圧を散らしながら落ちてくる。サタンと違い、ルシファーは悔しい気持ちで絶叫していた。

 閻魔は毅然とした態度で立っているが、人間の火車には途轍もない圧だった。なんとか瓦礫にしがみついて眼を瞑る。びりびりと全身が軋んでいるのが分かった。

 眼前に落ちたルシファーを見下す。ゴミを手放すかのように翼を捨てた。ゆっくりと近づく、ぴたりと止まると同時に軽く上半身を逸らした。銃口が向けられる。

「なぜ、貴様のような奴に」

 震えた声は悔しさと怒りで彩られていた。銃口を一瞥し、指ですっと押し出した。横に逸れる。

「旧支配者共がふさけた結果だろうな」

 閻魔は相手が知っている前提で話した。然し驚いた様子を見せると銃身を引いた。身体を起こしながら問いかける。

「旧支配者?」

 しらを切っている様子ではない、空を指して教えてやった。

「我々をここに呼び出して集めた奴らだ。クトゥルフ神話と人間に呼ばれているらしい」

 ルシファーは視線を逸らして名前を復唱した。口は閉じ切っており、殺意は徐々に薄れていった。

「ならば、そいつらの思う壺という事ですか」

 肯く。思う壺でも殺し合うのが彼の性格だが、ルシファーはそうではないらしい。仮にも大天使だからだろう。

 持っていた銃は塵になって消えた。その場に正座をすると両手を組む。

「罪人を裁くのが貴方様だ。サタンがやられた以上、私が生きる理由はない。一思いに殺してくれませんか」

 静かな声に白と金で彩られた大天使を見つめる。その様子を火車が眺めていた。黒い魂に白が入り込む。ぐるぐると陰陽のように回りだした。

「ここで死したからと言って、元の世界でも同じように死ぬとは限らんぞ」

 クトゥルフは殺した後の事、死亡した後の事は語らなかった。だがルシファーはどちらでも構わないらしく、さあと頭を差し出した。

「……まあいい。望み通りにしてやろう」

 右足をさげる。強力な蹴りを首に叩きこめば一発で終わるだろう。一瞬息を押し殺して力を入れた。

 刹那、空から黒い霧のようなものが降ってきた。びりっと皮膚に電気が走り、慌てて飛び退いた。靄はルシファーを包み込み、地面に広がると先端から消えていった。

 笑みを消して空を見上げる。数センチ程度だが亀裂が入っている。そこから旧支配者の嫌な眼つきが見えた気がした。

 一体何をしてきたのか、姿勢を正した。刹那、眼前に白い拳が迫っていた。飄々とした眼元が見開き、力の伝達が一つ遅れた。

 ごっと鈍い音を起ててルシファーの拳が顔面にぶつかった。サタンと同じように吹き飛ぶ。頭上を過ぎた閻魔に火車は驚き、声帯が潰れる勢いで名前を叫んだ。

 どんっと地面に打ち付けられ、少し転がった。うつ伏せに倒れる様子に立ち上がりながら駆け寄る。冷や汗がじっとりと滲みながらも地面を蹴り上げ、軽い砂ぼこりをあげて手を伸ばした。

「閻魔様!」

 身体に触れる。先程よりも体温がさがっているように感じた。その時、能力で彼の魂が見えた。

 黒色が弱々しく揺らいで、綺麗な白が表に出ていた。やはりこちらが本物の色らしく、火車は泣き出しそうな表情で名前を呼び、必死に揺さぶった。

 然しばきんっと岩が勢いよく割れる音がして、ふっと心臓を掴まれた。どくんどくんと身体全体を揺らす程に鼓動が強くなる。息があがって犬のようになった。

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