第14話
土埃が風に吹かれる。誰かのブーツが地面を擦り、誰かの矛が木々をなぎ倒し、誰かの身体が瓦礫にぶつかる。乱雑とした戦争のなか、閻魔は両手を出した。
止まれと短く言う。馬頭は従ったが牛頭はすぐには従わず、怒鳴りつけるように言った。刹那、三人の眼前を巨大な何かが横切った。
風圧と共に巻き上げられた砂塵が顔を覆う。軽く腕や手で防ぎ視線をやった。
一人は全身が青い皮膚で覆われたシヴァでもう一人は北欧神話にいる巨人だった。シヴァの横顔は怒りで吊り上がっており、馬乗りになると地響きを漂わせる程に殴りつけた。
閻魔は彼らの乱闘に巻き込まれない為、ぐるっと迂回するように告げた。右に曲がってゆく。二人も続いた。
然し今度はゼウスの雷が眼前に落ちた。牛頭が驚いて跳びはねる。数メートル先に槍を掲げた男の姿があり、近づく者全てを焼き殺していた。
こちらも駄目だとなれば左側から迂回するしかない。自然と足どりは速くなり身体も前のめりになった。
だがどこもかしこも強大な力を持つ神々が支配していた。特別力を持たない、純粋な拳一つである彼は肩を落とした。
牛頭馬頭が周囲を見渡してあれこれ提案する。然し全て却下するとシヴァと巨人の争いに向かった。慌てて追いかける。
すぐ傍に巨人の背中が迫る。馬頭さえも怯え、耳は平たく倒れていた。だが彼は一切気にせず、見る事さえなく突き進んだ。
シヴァと巨人の乱闘をぎりぎりのところですり抜けた。何秒か前まで歩いていた地点にシヴァの巨大な拳がぶつかる。地面はひび割れそこにあった岩は粉々に砕け散っていた。
ぶるぶると恐怖を外に放出し、馬頭は強く鼻息を吹き出し牛頭は両手で頬を叩いた。ロキがいるであろう神殿は既に見えており、手前には崩れた教会があった。
足どりを速める。徐々に気持ちが乗ってゆき、三人共走りだした。
地面を蹴り上げる度に土が舞い、着地する度に筋肉が揺れ動き、風を受ける度に装飾品が靡いた。
息があがり、心臓が鼓動する。熱を冷ます為に汗が滲み、同時に蒸発してゆく。
馬は大王に合わせ、牛は馬に合わせ、大王は二頭に合わせた。両足が宙に浮き、次の力を求めた。
然しぴたりと止まった。全員がその場に止まった。髪の靡き方も、着物の舞い上がり方も、全てが停止していた。
それでも停止していないのは命。汗が流れ眉根が寄った。何が起こったのか周囲を見る。牛頭馬頭は視野が広い分よく見えた。
「日本の方々?」
後ろから聞こえたのは柔らかい男の声だった。丁度死角になる位置にいるようで、全員姿を確認する事が出来なかった。
「とても強そうな姿だね」
くすくすと笑う。気配があやふやで分からない。だが妖怪でないのは確かだ。
するとふっと時間が進み足裏が地面についた。すぐに振り向いて視線を巡らせる。鼻をきかせ、耳をきかせ、相手を探ろうとした。
その時、閻魔の耳に息が吹きかけられ、ほぼ反射的に肘を放った。然し時が止まる。視界には男の柔和な笑みと、肘にそっと触れる白い手が見えた。
強く歯を食いしばる。時が進むと姿は消え肘は虚空を掠っただけだった。
乱れた前髪を撫でつける。これまでに感じた事のない感情だ。全身の熱があがる。
今度も後ろからちょっかいを出され攻撃をした。だが同じように手前で止められ、動き出す時には消えた。
何度も何度も同じ事を繰り返す。牛頭馬頭には一切やらず、然も相手は笑っている。誰が見ても弄ばれているのだと判断出来た。
何度繰り返したか分からなくなった時、不意に動きを止めた。一切合切、呼吸さえも確認できないレベルまで停止した。勿論牛頭馬頭の呼びかけにも反応しない。
男、メフィストフェレスは不思議に思った。力を発動していないはずなのに、相手はびくともしない。試しにつんっと頭を小突いても揺れなかった。
うーんと油断しているメフィストフェレスに牛頭が掴みかかろうとする。然しぴたりと止まった。悪魔は牛の大きな背中に座った状態で現れ、顎を触りながら首を傾げた。牛にはしっかり発動しているのになあ。
また消えると力を解除した。牛は大王にぶつかる前に止まろうとしたが頭の方が重たく、ごんっとぶつかってしまった。その時、彼の耳飾りが大きく揺れ、閻魔が自分自身で止まっていたのだと感づいた。
然し同時に、牛頭の頭に右手を置いて蹴りを放った。虚空からメフィストフェレスの姿が現れる。腹に蹴りが入った状態で。
内臓は破裂し地面に叩きつけられる。死ぬのは確実だろうと彼は思ったが、悪魔の運は最悪だった。シヴァの投げた巨人が影を作り出したのだ、ぷちんっと蚊が潰れるように絶命した。
閻魔は無駄に繰り返していた訳ではなかった。相手がどれ程自分の力を過信しているか、そして反応速度はどの程度なのか、コンマ何秒という数字で細かく分析し必勝法を編み出した。
思った通りメフィストフェレスは自分の力を前提に思考し、力が何かしているのか、誤作動を起こしているのか、その事ばかり考えた。そして反応速度はそこまで速くない、優に超える事が出来る範囲だった。
ぱっぱっと軽く手を叩き背中を向けた。何も言わず走りだした。牛頭馬頭は地面に広がる血しぶきを一瞥し、後に続いた。
後半戦に突入し、ゼウスやシヴァなど、閻魔の他にロキを狙っている神々が進みだした。彼らの猛攻によってロキ側の兵は殆ど消滅、既にこの世界から退場させられていた。
先頭を彼が行く。黒く艶やかな着物の裾が風を受け、翻った。
その時ぱんぱんっと大きな手拍子が鳴った。ふっと足を止める。
こちらに向かって来るのは屈強な狼、巨人をも超える大蛇、半身が溶けだした女、熱気を纏った馬、そして少年の姿をした男。後ろからシヴァの唸り声が聞こえてくる。
ロキはある程度の場所まで行くと立ち止まり、スピーカーを取り付けたドローンを飛ばした。また気の抜けた声を出しつつ、どこか機嫌の悪いトーンで言った。
「なに本気になっちゃってんの。本当に死ぬ訳でもねえのにさ」
啖呵を切ったのはシヴァだ。指をさして怒鳴り声をあげる。
「黙れ! だとしても身体は冷たくなるんだぞ! 息も消えて、心臓も動かなくなる!」
鼓膜を突き破る程の声、軽い風圧があがった。ロキはシヴァを見上げて鼻で嗤った。
「息子殺したぐらいで裏切りやがって。邪神が」
低く突き刺すような声音にざわめきがあがる。シヴァの声が狼狽えた。ロキは大きな声で名前をあげた。全員、彼の側について“いた”神だ。
ざわめきが大きくなり、溜息も漏れた。そんななか、閻魔は鋭い眼つきでロキを見た。視線を感じ取った悪役はにいっと笑った。
「唯一成功したのは日本だけだ。イザナギとカグツチ、二人もいたお蔭かな」
神々の注目が先頭にいる彼らに注がれた。どこからか呟く声が聞こえる。
「それで、閻魔大王なのか」
「おかしいと思った、なぜ伊弉諾尊ではないのか」
眼前の反応にロキは腹を抱えて笑った。閻魔を指して声を絞り出す。
「世界から注目されてるよお、大王様あ」
大声をあげて笑い転げる様子に彼は一息吐いた。顔はいつも通り、余裕のあるものだ。
「たったそれだけか。ならもういいな」
ざっと足を出す。行くぞと牛頭馬頭に言った。続いてイザナミが歩きだし伝染してゆく。
近づいてくる日本神話と仏教にロキは焦燥感に塗れた顔を見せた。
「待て! まだ話終わってねえぞ! つーか何も思わねえのかよ!」
裏返る少年の声に声を張って答えた。
「戦力は衰えていないし錯乱したのも一人で済んだ」
それにあれらは似ているだけで別人だ。恋人でも子供でもないただの他人。閻魔の心に傷どころか曇りさえなかった。
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