第10話
教会と礼拝堂、そして寺院を根城としているロキのもとに一人駆け寄ってきた。手にはタブレットのようなものがあり、画面を見せた。少年のような姿をしているロキは覗き込み、じわじわと険しい顔になってゆく。
「なんだこれ。なんなんだこれ!」
叫び声が反響する。その場いる妖怪も悪魔も怪物も、みな怯えたように首を縮めた。
「イザナギどころかカグツチまで死んでる! 生きて戻ってくるなんて大口叩いてたくせに!」
だんだんっと厚底のブーツを床に叩きつけ、唸り声をあげた。子であるフェンリル、ヨルムンガンド、ヘル、スレイプニルは一切顔色を変えていないが、他の者共は怒鳴られた当事者のように青ざめていた。
「これじゃあ日本の連中が堕ちたって分からないじゃんか! あの役立たず!」
緊張した空気にタブレットを持って来た鬼が、恐る恐る言葉を発した。
「ですが近くにいた小鬼によりますと、イザナギ以外にも殺していると」
ロキの不機嫌な面から一転、興味津々といった風に眼を輝かせ身を乗り出した。大きく見開かれた眼は黒のようで、その実紫や青にも見えた。様々な色が混じった宝石のような瞳をしていた。
「えっと、仁王の二人と」
「仁王? 誰それ」
早速疑問をぶつけてきたボスに内心面倒に感じながら、カグツチに殺された神仏達を挙げた。ロキはふうんと呟きながら身を退いた。
「それと天照大御神がかなり精神をやられているようで。ただ日本の太陽神ですし世界観によっては耐え抜いてしまうかと」
静寂が流れる。教会に元々あった石像やステンドグラス、絵画などは全て破壊されており、まさしく神聖な場を汚されたように歪んだ空気が漂っていた。
「カグツチを殺したのは誰?」
すっと視線をやる。答えなければ何をされるか分からない、そんな威圧感を覚える双眸に固唾を飲み込み答えた。
「援護していたのは牛頭馬頭という地獄の妖怪と、獣の姿をしたイザナミ。殺した張本人は身体に変な刺青を入れた閻魔大王、です」
ロキだけでなく、彼の子らもその名前を覚えた。
「なるほど。それで他のところはどう?」
彼の問いに鬼はタブレットを見ながら答えた。キリストはユダが、エジプトはセトが、ローマはアレスが、ヒンドゥーではシヴァが、それぞれロキの側についている。
これは史実に関係なく、似たような世界、もしくは同じ世界から呼び出されたせいで、神の名と体を成しているものの一番冒涜的な性格をしているという。なぜそんな事が起きているのか、それはクトゥルフがそう仕向けたからに過ぎない。
ロキは一度訊いた事があり、嘘を言わないという一度きりの約束を信じて答えられたものだ。理由は単に面白いからだ。日本から二人も出ている事に関しては偶然だと言っていたが、約束が終わったあとの話だから本当かは分からない。
「どこも下手に手だし出来ない状況らしく、特に戦の神であるアレスとシヴァは士気を高める為、神々の注目を集めているようです」
日本は二人がいた事で違和感のない流れを作る事が出来た。然し他は一人しかおらず、なかなか計画通りには進まない。ロキはううんと眉根を寄せて考え込んだ。半身が焼けたように変色しているヘルが手を振った。
「お前はもういい。父さんの邪魔だ」
しっしっと無愛想に追い立てる。続けてフェンリルが怒鳴った。狼の姿だが人の言葉は喋れる。
「他もさっさと散れ。用なしだ」
子と父を残し、怪物達は理不尽な思いを抱えながら出て行った。ヨルムンガンドとスレイプニルは大きすぎる為教会の外にいるが、家族の声だけはどこにいようともよく聞こえた。
「それにしてもあのカグツチを殺すなんてなあ。閻魔大王かあ、めんどくさそう」
両手を頭の後ろにやり欠伸を漏らした。
イザナギが消えた今、日本の神仏を纏める者を新たに決める必要が出てきた。然しツクヨミ、スサノオは同じく殺され、唯一生き残ったアマテラスも塞ぎこんでしまっている。
「イザナミ様はどうでしょう」
仏を代表して地蔵菩薩が正座していた。神の代表は勿論イザナミだ。
『私は人の上に立てる器ではない』
元々喋る事が出来たのだが、どういう訳かイザナギに禁止されていた。恐らく彼女が人の思考に干渉した状態で話すせいだろう。干渉すれば、彼がロキの側についている所謂スパイだと感づかれてしまう。
それを危惧して禁止させたのだろうが、イザナミはなんとなく違和感を覚えていた。その為夫婦という関係性だと言うのに、一切心を乱す様子もイザナギの事を思い出す事もしていない。
「ですが他にとなると……」
地蔵菩薩が眼を伏せる。イザナミは伏せた体勢から座り直した。
『閻魔大王はどうか』
この場にいない彼の名を挙げた。菩薩ははっと顔をあげる。
『かの者は話によると地獄を一人で仕切っているという。という事は獄卒らを纏めているという事だ。危機察知能力も申し分ないし、戦においても頼りになる。私はかの者の為なら幾らでも力を貸そう』
きっとどこかでくしゃみをしている事だろう、地蔵菩薩は確かにと肯き「では他の者らに訊いてみます」と言って立ち去った。イザナミも神々と彼本人に伝える為腰をあげた。
「ここの将軍をやれと」
まだ夜が続くなか、ほんのりと灯る蝋燭の光に二人は向き合った。
『ああ。お前が適任だ』
「イザナミの方がいいだろう。日本神話が主なのだから、日本の母がするべきだ」
煙管から煙があがる。
『いいや、私は将軍なんかになる気はないし、元の世界でも経験した事がない。それよりかは一人で地獄を統べるお前の方が適任だ』
「黄泉の国を纏めたり、そういう事もないのか」
『私の世界では死してすぐにお前が来た。いやお前と同じ閻魔大王になる前のヤマが来た。黄泉の国に興味もないし他の事にも興味がなかったから、二つ返事で奴に渡した』
淡々とした声音は彼とよく似ていた。感情をあまり出さない二人が会話していると、起伏の激しい者は恐ろしく感じるのだろう。隣の部屋から覗いている牛頭がぷるぷると震えており、それを馬頭が冷ややかな眼で見ていた。
「なるほど」
ふっと煙を吐く。火の光を反射したかと思えばあっという間に闇に紛れた。
『とは言え皆々の意見はまだ集まっていない。月が一周して満月になった頃に集まり誰がやるかを決める。それでもし私になった時は、諦めよう』
月が一周した時、ようは翌日に決めるという事だ。お互いに肯きイザナミは去ろうとした、だがふと思いだして立ったまま振り向く。
『そうだ、実はイザナギは全てをお前に話した訳ではない。というより、私以外には話さなかった事だ』
不気味に影のつく般若の面を一瞥し、「なんだ」と言って促した。
『精神の負荷に関する事だ。私はかの者に喋るなと言われていたし、多分こうしてべらべらと喋る事も予測していなかったのだろう。何せイザナギの前で喋った時は敢えて片言にしてやったからな』
「信用していなかったのか、世界が違うとは言え夫婦だろう」
『会った時から違和感があった。それで精神の負荷がかかりすぎると、お前がなったように錯乱状態へとなる。一見して原因を作った、お前で言う火車を殺したイザナギに対してのみ暴走するものだと思うだろう。だが本当は違うのだ』
すっと座ると続けた。
『敵味方関係はない。全て何かの仇と言わんばかりに猛威を振るうのだ。恐らく雲の上にいる連中は我々がこうして群れる事を見越し、そのような演出にしてみせたのだろう』
かんかんっと煙管を打ち付け灰を落とした。
「アマテラスに気を付けろ、という事か」
『今はそうだ。だが私もお前も例外ではない。特にお前の傍には狂信的な者が三人もいる。もしお前が生きている状態で彼らが錯乱状態に陥れば、勿論その手でやられるだろう』
より一層低くなった声に「覚えておく」と返した。イザナミは満足して部屋から出てゆく。軋んだ足音が徐々に遠ざかっていった。
「聞いていたな、牛頭」
ふいに名前を呼ばれ、隙間から覗いていた本人は驚いた。がたんっと襖が揺れる。馬頭はやはりと言いたげに呆れた溜息を吐いた。
「まあ良い。イザナミも気付いていただろう。言われた通りだ、お前らも気を付けろよ」
牛頭は無言で頭を下げ、それを一瞥すると煙管を咥えた。翌日、予定通り大きな満月が世を照らした。本殿前に神仏達が集められ、閻魔大王とイザナミノミコトが前に出た。
「どちらが次の将軍に相応しいか、まずイザナミノミコト様から投票致しましょう」
進行は地蔵菩薩が務める。みなが手を挙げる前に、彼女は声を大にして言った。
『忖度も遠慮も無用。思う通りに挙手をしなさい』
諭すような母親らしい声音に神仏らは従った。やはり神の方が多く手が挙がった。地蔵菩薩は次に閻魔大王の名を出して再度挙手を仰いだ。
「ええっと、ひいふうみい……閻魔大王様の方が三人程多いようでございます」
この場にいる神と仏の数は同じだ。あぶれた三人は誰が見ても牛頭馬頭とヤミーだと判った。然し同時に、彼にはそこまでの重臣が既についているという事、神々も納得し晴れて閻魔が次の座へとついた。
とは言え場を纏めるだけの存在だ。勲章も名誉も金品も何も手に入らない。関係性もこれと言って変化はなかった。
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