End

 彼はとにかく戦闘に依存している。期待していた分、ぶつけようのない苛立ちが全身を支配した。

 父であるロキが絶命した、それに気付いたのはヘルだった。近くに立っている閻魔を見ると怒りが湧いてくる。フェンリルの呼び止める声も無視して飛び出した。

 後ろから殺意と共に叫び声が聞こえてくる。振り向かず黒い腕を数本手刀にして鋭く向けた。慌てて足をとめる。そのまま突っ込んでいたら貫かれていただろう。

 ヘルが消えた事により牛頭馬頭を先頭とした獄卒達がなだれ込む。フェンリルが回り込もうとするが神々の猛攻と、それをサポートする仏らのせいで動く事が出来ない。

 二人が動いていないあいだに牛頭馬頭は互いに指示を出し合い、ヘルの両側に別れた。そして一気に走り込むと左右からタックルをかました。

 これで潰れないものは一人としていない。そう思ったが彼女の半身は腐って溶けている、ぎりぎり回避する事ができ、驚く二人を崩れた半身で捕まえると地面に叩きつけた。

 思った以上の力に呻き声をあげる。地面を伝って戻ってくると人間の形を取り戻し、ぴったりと元の姿になった。

 ヘルは煩わしいと吐き捨て振り向きざまに手を伸ばした。閻魔のうなじに向けて陶器のように白い手を伸ばす。触れればそこから腐敗し広がってゆくはずだ。

 然しぱしんっと腕を掴まれる。気付いた時にはこちらを向いており、あっと声を漏らした。

 掴んだ腕を引っ張りながら腹に拳を一発。勿論半身はダメージを受けない。ただもう半分はダメージを受ける。

 項垂れても腕から手を離さない。力が抜けて崩れ落ちたのを好機とみて膝を顔面に叩き込んだ。今度はダメージが入る方の顔に上手く当てた。

 他の鬼に抱えられて牛頭馬頭が立ち上がる。一人で淡々と、一方的に攻撃し続ける大王を見つめる。ゆっくりと地を這うように、彼が内心から憤慨しているのを感じ取った。

 ここは下手に手だししない方がいい、そう誰もが思うと踵を返し、イザナミらの元に戻った。

 ヘルは弄ぶように一方的に殴られ、蹴られ続けた。腕を掴む手は怒りで力が入り、白い肌が赤く腫れあがった。比較的綺麗だった顔もボロボロになり、まさしく腐敗した死人のように醜く変形していた。

「どうして、そんなに、」

 震えた声で呟く。閻魔の手が少しとまった。

「戦いが好きなの」

 その質問に答える気はなく、顔を掴むと力を入れた。軋む音と呻く声に見下す。そのうちヘルの半身が耐え切れなくなり、ぱちゅんっと林檎のように弾けた。

 足元に崩れた女の死体は半分は綺麗で、もう半分はどろどろに溶けだして原型がなくなっていた。雨が降り注ぎ地面と馴染んでゆく。

 一つ息を吐いた。軽く手を払うと鮮血が宙に飛び散り、幾つかは雨とぶつかって落下した。

 たった一人でロキだけでなくヘルまで殺した閻魔大王に、フェンリルら残された子供以外にも戦慄が走った。そして殆どの神仏と獣は思う、これを敵に回したら最後だと。

 本気で怒りに染まっている彼は死体を石ころのように蹴とばし、歩み出した。狙いは残っている三匹だ。殺意が充満し、曇天のなかで雷が蠢く。

『クソ、俺が抑える』

 フェンリルが前に出て強く唸った。赤い双眸は見上げてこない。さっさと終わらせようと牙を剝き出し上から食いついた。

 静寂が流れる。シヴァもゼウスもラーもヨルムンガンドもスレイプニルも驚き、時が一瞬止まった。

 フェンリルは眉根を寄せたまま頭をあげる。地面には大王の姿がなく、数滴の血痕があるだけだった。

『やった?』

 現実味がない結末に疑問符をつける。然し答えたのはイザナミだ。

 般若の面を脱ぎ捨てた彼女は眼のない狼の頭を持ち、その乱雑に並ぶ歯のあいだから答えた。

『油断するな』

 まるで味方のような言葉にフェンリルは嗤う。

『俺が食ったんだ。どんなに強くとも食われればおしまいだ』

 然しイザナミだけでなく他の神も、ましてや兄弟達も動きを見せなかった。絶対に終わっていない、そう言いたげな雰囲気に彼は唸った。

『そこまで信じたくないなら試してみよう』

 イザナミは腰をあげ集中した。一度力を付与させたから簡単に辿る事が出来る。相手は、彼は狼の腹のなかに立っている。

 大きな胃のなかで息を吐いた。すると覚えのある感覚が流れ込んでくる。イザナミの力だと手を握り締めた。

 刹那、狼の腹の下が崩落した。血と内臓が溢れだしてくる。地面にべちゃべちゃと落ちた。

 フェンリルは痛みか驚きか、絶叫するとその場で暴れだした。一瞬にして狂いだした狼を余所に血のなかから一人出てくる。

 乱れた髪を撫でつけた。イザナミはやはりと呟くと力を解いた。

 思わぬ出来事と限界を超えた痛みによってフェンリルは狂い、内臓に頭を突っ込んだまま動かなくなった。そしてよく見ると歯茎の一部から血が流れており、地面についていたのはそれなのだとスレイプニルは思った。

 雨によってある程度血が流れてゆく。これで二匹しか残らなくなり、攻撃をやめだす神も増えた。もう勝機が見えているからだ。

 スレイプニルは追い詰められたのか高らかに咆哮すると、閻魔に向かって走り出した。頭をさげて土をあげる。

 衝突する、その寸前でふわりと跳び上がり、弧を描くと馬の背中に乗った。ロデオのように暴れだす怪馬に一切振り落とされる気配を見せず、飽きるとたてがみを掴み手刀をつくって引いた。

 シヴァに押さえつけられたヨルムンガンドが眼を見開き、もう嫌だと言わんばかりに抵抗した。然し彼は無慈悲だ、首の付け根の辺りに勢いよく腕を突っ込み、なかで骨を掴むと力任せに引っ張り出した。

 馬はバランスを崩し、前脚がロキの死体につまずいた。ひっくり返る前に飛び退いて離れる。ずざざっと音を起てて地面に伏した。

 あっという間に父も兄弟も殺された。閻魔は殆ど怒りがおさまり、軽い足どりでヨルムンガンドに近づいた。

 巨大な蛇の眼が潤む。閻魔はシヴァに対して押さえつけておくように言い、細い舌を掴んだ。そして引っこ抜く。

 声のない絶叫が鳴り、次々と生きたまま剝ぎ取られてゆく様子に仏や他の神は眼を逸らした。最後はどう足掻いてもとどめをさせず、仕方がないのでシヴァに譲った。

 破壊神である彼はなんとも言えない表情を浮かべ、暴れる蛇の頭を自前の槍で貫いた。ぱたんっと尻尾が落ち、雨があがる。

 静寂が流れた。雲が退いてゆき、太陽が射しこむ。眩しい光に手を翳した。

 徐々に終わったという気持ちが伝染してゆき、いつしか神々は盛り上がった。国も宗教観も超えてお互いに褒め合う。

 然し閻魔だけはじっと空を見上げていた。牛頭馬頭が輪から外れ傍に寄る。

「何か気掛かりな事でも」

 先程までの彼の気配と形相に怯えているのか、どこか一歩退いた声音に静かに答えた。

「まだ終わらない気がする」

 馬頭は「はあ?」と首を傾げた。彼は睨みつけるように空の一点を見つめた。するとそこからゆっくりと亀裂が入る。見えるのは宇宙に広がる黒色だ。

 牛頭馬頭も感づき身構える。

「我らをここに呼び出し、戦争をしかけた張本人共が、まだ残っている」

 亀裂は広がり、後方にいる神々も気付いた。あっという間に青空は消え、広大で畏怖を感じる宇宙が支配した。

 そして代表と言わんばかりにクトゥルフが顔を出す。不気味で厳かで、それでいて精神を歪めてくるような姿。ざわめきが一瞬にしておこった。

「とても面白かったぞ」

 地面を揺らす程の低音。恐らく人間には聞こえない音だ。

「お前が例のクトゥルフか!」

 シヴァが指をさして怒鳴る。旧支配者は手を叩いて答えた。

「ああ、例のクトゥルフだ。それにしても面白かった。特に閻魔大王、貴様はあまりにも狂暴だ」

 心底面白いのか声が微妙に震えている。名指しされた本人は感情を見せず、ただ見上げるだけだ。

「貴様に興味が湧いた。だからもっと面白い事をしようと思う」

 クトゥルフがそう言うと様々な姿形をした神々が顔を出した。

 アザトース、ソトース、ハスター、ニャルラトホテプ……頭上を巨大な異形達で埋め尽くされ、下界は暗くなった。危機感を覚えた神々は互いに身を固め、盾やら矛やらを構える。

 閻魔はクトゥルフを見上げたまま動かずにいた。そんな彼を見下し、すっと手をあげた。刹那。

 黒い矢のようなものが降り注いだかと思えば、後方にいる全員の胸を貫いた。思わぬ出来事に驚き振り向く。勿論イザナミや地蔵菩薩らも喰らっており、胸を押さえながら倒れた。

 静寂がまた一つ流れる。神々が山積みに折り重なって絶命している。

「ははは、神も死ねばただの人形だな」

 邪神達の笑い声が響く。牛頭馬頭は恐怖に縛られ身動きが出来なかった。

「おや、まだ残っていた」

 クトゥルフはとぼけた声を出すと視線を牛頭馬頭にやった。気配を感じた二人が振り向いた瞬間、矢が突き刺さる。

 彼の傍で苦しみながら膝を折り、そのうち地面に伏し、短く息を繰り返しながら静かになった。それを見下し、ややあって見上げる。

「これでもう貴様しか残っていない」

 空から何本か階段が伸び、その先から異様な姿をした化け物達が降りてきた。

「貴様がどこまでもつのか、楽しみで仕方がないな」

 ぞろぞろと自分を取り囲む化け物から視線を外し、にやけづいたクトゥルフを見上げる。どういう表情を浮かべているのか、それは暗いせいでよく見えなかった。

 だが閻魔大王から滲み出る闘争心と殺意が空気の流れを変え、風が吹き荒れた。舞い上がる着物の裾に耳飾りが揺れる。

 全ての腕に神経を張り巡らせながら姿勢を低くする。すると今までよく見えなかった顔が怪物達の眼にも映った。

 戦闘狂の閻魔大王は心底楽しそうに笑っていた。

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聖戦 白銀隼斗 @nekomaru16

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