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  • への応援コメント

     やはり自分にはない着眼点は、それだけで純粋に面白いですね。前回の背負うも今回の猫についての考察も、これまで考えたこともありませんでした。
     それだけに新鮮で、新たな可能性を感じます。
     ありがとうございます✨

    作者からの返信

    シノミヤマナさま

    おはようございます

    今回もコメント、また満天星、ありがとうございます

    この「エッセイ」に出しているものはどこへ出しても恥ずかしくはないもののつもりです(このあと、それこそ個人的な随筆出していますが、それはもう別作品でやるようにしています、今は)
    あいまいなものは出さないようにしているのでそれほど量は増えないのですが、また「研究成果」を出せるようになればと「完結」にはしていません
    「猫」のことなど、さらにまた新たな発見もありますのでいずれはさらに出したいです

    そもそもこの「エッセイ」は私がカクヨム様へ登録した最初期に、物語も出す前、「私の研究成果」的に、私の頭の中を披露したようなものです(笑)
    最初の1ページ目にコメントいただいた時返信しましたように、研究成果の末にたどり着いたものをまとめ、読み物ともなるようにして発表しております
    ですので、新鮮とか、新たな可能性とか言ってもらうと本当にうれしく、ああ間違っていなかったんだなと感慨も深いです

    あらためて感謝です❤

  • 昔話1 -作法への応援コメント

     なるほど。言われてみれば確かに、と納得しました。
     Σ(゚Д゚)
     新たな気づきをありがとうございます✨

    作者からの返信

    シノミヤマナさま

    こちらこそ、コメントありがとうございます

    昔話の作法については、その学会(民俗学、民話、昔話、伝承等)で提唱されているものなので私独自のものではありませんが
    それでも最後の一文「楽しみましょう」に関しては私の切なる(大げさ💦)願いです
    昔話や民話も最近はすたれていると感じること多いので、心にとどめるためにはまず楽しむことが必要かなとそういうことなのです❤

  • 人間誰しも「自分の記録が後世で歴史的古文書になる!」と思いながら記録つけてるわけじゃないですもんね…。伊達政宗の手紙で「間違えちゃった、ごめーん」の文が入っているのも、本人は、後世で「貴重」ともてはやされるとは思ってなかったでしょうし。

    でも歩様、いい着眼点だなあ(失礼)と思いながら拝読しました。

    作者からの返信

    三奈木真沙緒さま

    政宗の手紙は知りませんでした
    教えていただきありがとうございます
    戦国大名の手紙で私が驚いた発見といえば、信長は秀吉を「はげネズミ」と呼んでいたこと、秀吉は「信長のようにはいかないぞ」と故信長に対して敬意を払っていなかったと思えるような手紙を各地に送っていたこと、でしょうか
    それもまた、そうなんですよね、当時としてはただの手紙で、後世の資料や、それそのものが歴史になるなんて考えられていません
    私はでも、自分のメモ帳がもしかしたら100年後には……、なんて、ちらりと思ったりもしていますが(笑)

    着眼点、ほめてもらえるとは思いませんでした
    失礼でも何でもなく、真沙緒さんこそ人をほめるのがうまい! 良いところを見てもらえました
    今回の話は本文中にもあるように磯田道史先生(の活動)に感銘を受けて、それのすばらしさと、古文書をどう伝えるかを考えつつのものでした
    土岐三郎頼芸さん、倉沢トモエさんのように、共感もいただき、かつ「すでにありますよ」とも教えていただいたことは貴重なことです
    そしてまた真沙緒さんのように心にとどめていただければ、それもまた冥利に尽きます!

    感謝です!!

  • 古文書とAI、面白い組み合わせ。
    確かに捨てられてしまうのは勿体ない!スーパーコンピューターで管理したら、いつかパズルのピースがハマるような大発見がありそう✨
    (σ≧▽≦)σいいねー!


    先ほどはありがとうございました(*´∀人)
    コメント嬉しかったです!


    作者からの返信

    海空さま

    もしかして、お祝いいただいた皆さんのところへ回っていらっしゃる?
    もしもそうなら、お疲れの出ませんように
    「令和の河童」は本当にじんわりとくる良い物語でした
    私のレビューにいいねついたのも、皆さんそう思っていらっしゃったからでしょう
    素朴な、でも心温まる物語が評価されるのはうれしいです

    そして、古文書の話💦
    もったいないと思っていただけるだけで、これを上げた甲斐があります
    例えば今の時代の、我々のこんなものも遠い未来になれば「古文書」になるんでしょうけど、でもそれはこうして電子の世界に漂うことでしょう(運営様がBANしない限り、退会しない限り、サイトがなくならない限り)
    むかしの古文書も集められて管理されてほしいです
    偉い人や賢い人も考えてくれているようで、土岐三郎頼芸さん、倉沢トモエさんからも教えてもらえた「みを」なんて出来ているんですよね❤
    古文書って、例えば旅館の大福帳なんてものもあって有名人が泊まっていたことがそこから分かる、なんてものもあるんですよ
    そういうのも確かにパズルのピースで、誰がいつ泊まっていたかが分かれば次は誰と誰が会っていたかも分かるわけで、何か密談あったかなとか、夢が広がりますね!

    コメントありがとうございました
    何より受賞、おめでとうございました!


  • 編集済

    すでにコメントにありましたが、私は時々『みを』を使いつつ明治の手紙の本を読んで、限定近況ノートにあげています。半年後に通常公開してますので、そのときお気が向きましたらみてください。

    『みを』ちゃん、すらすらは読んでくれなくて、自分で調べた方が早いときも多いです。特に文脈から考えてないだろうそれは、ていう誤読があります。でも。

    「あー、なんだこの字、『みを』ちゃんどう思う?」 というときに、

    ①「ない(笑)それはない(笑)」
    ②「あ、その方向か! なるほどー。でもこっちは多分ちがう(笑)」


    どちらかのパターンなんですけど、

    ②のパターンは結構助かります。自分の引き出しがなくなって、別な視点で文字を見て欲しい時ですね。

    結構その点では頼りにしてます。

    ご参考までに。m(_ _)m

    追記:11月15日に、5月15日(事情があり14日公開)に読んだ手紙文を公開しますので、お暇でしたらご覧ください。

    作者からの返信

    倉沢トモエさま

    コメント、賛同もらえるだけでもうれしいですが、いろいろ教えていただけるとなおうれしいです
    古文書ってかなりマニアックな話ですけど、おもしろさが分かるとおもしろいですよね!
    AIも本当、使いようとよく分かります、トモエさんのお話からは
    違う視点をもらえるのは助かりますよね

    お作は必ず拝見しますとはいえませんが、見付けた時には拝見いたします
    コメントありがとうございます

    追記:

    作品ではないのですね💦
    近況ノート、ですね
    理解しました、すいません

    編集済
  • ある程度ですが手書き崩し字をAIで判読出来る、スマホアプリ『みを』というものがありますね。

    さらに一歩進んで手書き古文書から一気に現代語訳がすらすら出てくるようになったら、色んなことがわかって面白そうです。

    作者からの返信

    土岐三郎頼芸さま

    コメント、ありがとうございます

    やはり実用アプリ、ありましたか!
    浅学でしたので知りませんでしたけど、絶対、いいと思います!!
    古文書というか、そう崩し字なんで、そもそも書いた人の間違いがあったり、昔は文字の統一なんてないのでAIでは解読しきれなかったりもあるとは思います
    そこは人の手を借りればいいので、大まかな解読と記録だけは任せたいですよね
    そこからだけでも絶対、おもしろいものは見付けられますって

    思えば頼芸さんとの出会いもこの「エッセイ」でした
    古文書の話は頼芸さん好みともちらりと思っていました(笑)
    無学なところあるので足りないことも多いですけど、「思う」に寄せていただいたように、皆さんと共にこのエッセイも練り上がっていくと嬉しいです

    これからもよろしくお願いします

  • 歩 先生 こんにちは。

    「〜と思う」についてのコメントです。

     単純な事実確認での質問に答えて「〜と思う」と表現されると、「断言ではないからあくまでも意見にすぎないな」「これはただの根拠が曖昧な予測だな」と情報の重みが伝わります。コレがありがたいのです。

     なぜなら今住んでいる国で同様な質問をすると、全くそれについて知らない人が「〜だ」と根拠もなく思いつきの意見で断言するので不便です。信じるとエラい目に合わされます。「〜と思う」という表現もあるのですがまず使ってくれません。

     他の国でも同じようです。道を尋ねたら知らない道でも断言して教えてくれるようです。他民族による侵略を経験した民族は「知らない」というと非協力的だと殺されるので、知らなくても「アッチ!」と適当に教えるようになっていると。敵が「アッチ」へ向かっている間に逃げられるから、とりあえずの意見で断言すると。

     ひるがえって比較的平和な日本人の「〜と思う」の使い方、事実確認とそのまま情報の精度が予想できるのでいう点ではありがたいです。

    作者からの返信

    土岐三郎頼芸さま

    個人的な「思う」に付き合っていただきありがとうございます

    そうですね、あいまいさを残す、それは日本人の美徳でもあります
    土岐さんの「思う」の捉え方も正しいです

    普段の会話から、あるいは土岐さんがおっしゃるような場面でも、何でもかんでもカチカチになって「思う」を使わない、断言ばかりもしんどいですね
    TPOですよね、なんでも

    貴重なご意見もありがとうございました

  • 最新話追い付きましたー!
    (*>∇<)ノやった!
    自主企画をやられた歩さん凄いです!
    初自主企画おめでとうございます。
    次回(自主企画)楽しみにしてまーす♪

    作者からの返信

    海空さま

    こちらこそ、ずっと追っていただいてありがとうございました
    そして、お疲れさまでした

    ほめあげてもらえて本当にうれしいです
    自主企画、次も同じような、海空さまが好みそうな、ほっとする、ほっこりする
    そんなものを考えていますが……
    時間が……

    自主企画、やるなら「どうでも」くらいでお知らせしますので
    始めた時にはよろしくお願いします

  • 私はまだ、自主企画を立ち上げる勇気はないです。立ち上げた経験のある方には、ただただ恐れ入るばかりです。現在のところ、立ち上げても自分が目を通す自信がないです。時間も気分もあまり余裕ないので…。状況が変わったら、一度やってみたい気持ちはあるのですが。まだ時期じゃなさそうで。

    作者からの返信

    三奈木真沙緒さま

    おはようございます
    これにもコメント、ありがとうございます

    私も最初はそうでした
    この文にもあるように、フォロワーさんの後押しなかったら……
    「参加します!」と手を上げてくれた方がいたからこそ始められましたが
    しかし、始めてみるとなかなかどうして、もう一度やろう! と、思えるものでした
    それほど肩ひじ張らなくてもいいかと気付かせてもらえました
    私がフォローしている方だと「向こうから勝手に好みの作品が集まってくる」と自主企画が面白いという方も

    とはいえ、やはり時間は必要ですよね
    立ち上げを強制するものではないですし、企画をしない方のほうが圧倒出来に多いのもそれでしょう
    私もまた企画立ち上げは考えていますが、時間がないのが……
    気分もわかります
    「本棚」企画なら、「置いていってください。私は見ませんが」的でもいいのですけど

    私の場合、企画立ち上げの理由は「好みの作品に出合いたい」「フォロワーさんを増やしたい」と、これからは目的がはっきりすると思います
    忙しさが一段落すれば、またとは考えています
    私が企画を立ち上げた際には「どんな作品あるのかな?」と、覗いてみるだけでも参加ください
    それも一つの参加ですから、何も問題ありません
    「ヨム」も強制するものではないですしね
    真沙緒さまもよろしくお願いします

  • 御作はまだほんの少ししか拝読しておりません。
    ですが、みんなやっぱり苦労して悩んで書いておられるんだよな…と、改めて思いました。
    小説書いている人たち、ライバルでもあるけれど、同士でもあるんですよね。苦労をわかり合える仲間でもありますよね。

    作者からの返信

    三奈木真沙緒さま

    おはようございます
    今日も朝早くに失礼します

    私もここ「カクヨム」様で、この文はじめ、いろいろと苦悩を吐き出しますと、真沙緒さまのように同意していただいたり、励ましていただいたりしております
    いつも添える「ありがとう」は支え合いへの感謝に他なりません

    そうです!
    ライバルであり、同士でもあります!!
    仲間としてお互いに高め合えればと
    ここ「カクヨム」様の一つの使い方でもありますよね

    私は今、様々な作品を書いておりますので、どうぞお気になさらず
    自分に合うものだけをご覧ください

    今日もこうしてお話しできてうれしかったです
    ありがとうございました

  • 最初の1カ月くらいはシンドイですよね。
    歩様は、ほかの投稿サイトの経験はおありですか?
    私は「カクヨム」様以外まったくやっていないので、ここを始めたのが投稿サイト初経験でもありました。当初はまったく勝手がわからなかったのでシンドかったです。一喜一憂、右往左往、やらかしてしまったことも…。
    現在も、知り尽くしているとは到底言えず、今は読む時間も激減、書く余裕もなくなってしまっているのですが、開き直ってまったり行くことにしました。
    歩様の小説を拝読するのも、スローになると思います。すみません。生ぬるい目で待ってやってください。
    よろしくお願いします。

    作者からの返信

    三奈木真沙緒さま

    今日もコメント、ありがとうございます
    まず、スローになっても全然、それはもうご自身のペースで
    一人ひとり、そこはやはりペースは違いますものね
    読んでいただければ、またこうしてコメントもいただければ、ただ感謝だけです

    さて、ご質問に対して
    私は投稿サイトどころか、Twitterさえ「カクヨム」様からだけでした
    「カクヨム」様を始めるにあたって、宣伝用にと「アメブロ」様も始めましたが、それはもう全く、ですね

    今でも、やらかしというか、何にもわかっていないというか
    コメントにしても、返信にしても、おっかなびっくりのところは多々あります
    それでも何とかついていこうと頑張っております

    三か月目にそろそろ突入ですが、慣れてきたとはとても言えず、かえってしんどくなってきているところありますね
    具体的には「ヨム」
    フォロワーさんも増え、また真沙緒さま始め、みなさん魅力的な作品をアップされていますのでそれを追うのが大変で……
    「カク」がおろそかになってはいけないと、メリハリつけないといけないなと思い始めたのも数日前くらいです

    「カク」こともパワーいりますものね
    私は本文中にもありますように、ずっと孤独に一人でやり続けていて、ここ「カクヨム」様に来て皆さんと共に頑張る喜びを得ているところですが
    それはそれで何か「期待に応えたい」もっといいものを出したいって、欲というか、なんというか……
    私もどこかで自分を取り戻してマイペースでいきたいです

    長々と申し訳ありませんでした
    こちらこそ、これからもよろしくお願いします
    まったりマイペース、何でもそれがいいです

  • ああ、耳が(目が?)痛いお話です。一言もありません…。自分が書きたいように書いているだけですから…。ハイ。

    作者からの返信

    三奈木真沙緒さま
    おはようございます

    「こどすき」は自分ではかなり楽しめました
    自分を変えるということで
    でも、これはもう本当に個人的な話、それを耳が痛いと読んでいただけたのは、ありがたいような、申し訳ないような

    「こどすき」も考えてみれば「書きたいように書いた」ともいえますから

    大丈夫です!
    真沙緒さんの物語、私は好きです
    自分の世界を如何に作るか、それを見せられるかに私はまだ試行錯誤していますが

    今日もお付き合いいただき、ありがとうございました

  • ことば、言語って、生きものだと思います。時代に合わせていろいろ変化してきたものだと思います。口語体で小説が書かれるようになった頃、文語体で書き続けている人は苦々しく思ったろうな。かな文字を使う人が増えてきた時代、漢文で書類を書いていた人たちは「この国の言葉が滅びる」と思ったんじゃないでしょうか。
    でも確かに、同時代の人間からすると、はらはらしてしまうのは当然だと思います。「思う」「やばい」が、後世から見た日本語のターニングポイントとなるかどうかは、まだわかりません(ちょっと大げさか…)。
    ただ、日本語は「察しろ!」という意味合いの表現が多いな、とは確かにうなずける話です。
    …私も「思う」↑いっぱい使ってるなあ…これは反省だ。

    作者からの返信

    三奈木真沙緒さま

    おはようございます

    私は最近「思うはダメ」に縛られ過ぎて変になってしまっています
    「存じます」なんて、硬いものを使ってもう訳分かりません
    意識しすぎるのもダメだなあと苦笑いしております

    これを書いた当時、一番にあったのは冒頭のことで、政治家の「思う」は逃げ口上にしか聞こえなかったんです
    さらに街頭インタビューなんかでも「思う」の連発で、日本は良くも悪くも上からの影響受けやすいなと思うところありまして

    結局、程度の問題かと
    「思うがダメ」とがんじがらめも自由度が低くなるのでしょう

    話し言葉でも「思う」「やばい」は言葉の墓場となるのかもしれませんが
    書き手として考えた時には、読み手にとって優しくが第一ですよね
    「……」の多用はいけないのと同じく、「思う」も「やばい」も使いすぎると何が言いたいのか分からなくなります
    それこそ「察せ!」と読者に強要しているようになりますから

    手紙のやり取りのようなものにまでそれを考えすぎるとまたがんじがらめですから、そこは気楽にやりましょう

    それでいいですよね

    簡単な話にまた付け足し長々と申し訳ありません
    昨日は阪神ファンの嘆きにも付き合っていただいてありがとうございました

  • 地名とか、固有名詞は難しいですよね。
    あるいは、使われている漢字は難しくないのに、読み方がインチキか(失礼)と言いたくなる難読だったりして。

    昔話 昔ばなし むかし話 むかしばなし
    …確かに、並べてみると印象が違うかも

    定番の冒頭は、私のイメージでは
    「むかしむかし、…」…ですね。

    作者からの返信

    三奈木真沙緒さま、おはようございます
    今回もありがとうございます

    地名、人名(キラキラではなく「名字」)読めないのは多いですよね
    当て字であったり、あるいは大昔の何かが関係していたり
    北海道の地名にははっきりそれが出ていますよね
    本土からの移民の地だと「北広島市」とか、アイヌの言葉に漢字を当てた「札幌」「知床」とか

    京都や奈良など古くからの地だとさらにややこしかったりもしますが
    渡来人が由来であったり、天皇家のなにがしであったり

    日本の苗字は地名から取っていることもあるので
    そこを頼りに自分のルーツが知れることもありますよね

    民俗学的なことでは他に
    「みさき(岬)」
    漢字では「御崎」とも書きますが、もっと簡単に「御先」とも
    つまり、先端、突端、先っぽ、突き出た「果て」の地に信仰があったことがうかがえるのです
    空に向かう一番上、山の頂に神社や祠があるのは一番わかりやすいですよね

    それがなぜかを探ると案外、知的好奇心くすぐられるのですが
    今となっては「難しい」「読めない」苦笑い

    最後に
    我々創作者にとってはやっぱり、漢字、ひらがな、カタカナ、さらにはアルファベット
    そのどれを使うかって難しくもあり、面白くもありますよね
    「むかしむかし」も本当に印象変わります
    そこも共有できてうれしかったです

    お疲れさまでした
    「返信も楽しみ」といってもらえてうれしかったです
    今回も調子に乗っていろいろと付け足してしまいました

  • 幽霊考への応援コメント

    お説と合致するのか対立するのかわかりませんが。
    私は以前、無念の中に死んだ人の幽霊は、それこそ不慮の死をとげた人の数、無数に存在すると思っていました(現在はちょっと忙しくて、そうしたことをあまり考えていないのですが)。
    ただ、人に感知される(見えるも含めて)には条件があって、その条件がそろった幽霊のみ、人から「幽霊だ」と感知されるのだと思っていました。歩様は、その条件こそが「ブラックマター」だと言われるかもしれませんね。私も今、お説拝読して、その可能性はあるなと思いました。
    ただ、特に昔の人は、何かしら論理的に説明できないモノを感知した=「幽霊だ~!」で逃げ出して、それ以上追及しようとしなかったんじゃないかな。カン違いや見間違いもかなり混ざっていると思います。でも、一度「あれは幽霊だ」と思い込んだら、もう検証しようとしなかっただろうと思われます。
    なんだか小説のネタになりそう。…そんなことを考えたことのある者として、興味深く読ませていただきました。幽霊が電磁波を出して人間を苦しめている…まさに「祟り」ですね。そういえば、疫病を祟りだと解釈して大掛かりな加持祈祷が行われたことがあったんじゃなかったかな…と、ぼんやり思い出したりします。

    作者からの返信

    三奈木真沙緒さま

    今日もありがとうございます
    「幽霊考」に関しては、同意できない人は同意できないだろうなと
    でも、真沙緒さまは同意もありつつ、独自の解釈もされている
    そのお返しがうれしいです

    そうなんですよね、訳分からないものは幽霊として逃げていたと考えられなくもないです
    ただ、どちらかといえば、昔の人はそれらを「たぬき、キツネ」のせいとしていたのです
    いわゆる「見えないもの」を幽霊とするようになったのは比較的新しいのです
    簡単に言うと「文明開化も迎えて、たぬきやキツネが人を化かすなんてありえない。でも、怪奇現象は残るしなあ。じゃあ、原因は幽霊だ!」って
    そこはちょっと、民俗学の分野に入って、また長々と語ることありますが
    そう、民俗学で幽霊も語れるのです
    再三引き合いに出しますが、柳田国男先生は「幽霊は都市で作られた物語」とあまり取り上げようとはしませんでしたが

    大がかりな加持祈祷といえば、もはや祇園祭がそれです
    それもまた語れば長くなりますが
    また、西洋でもペストの流行時には今から見ればとんでもないものいろいろありましたし

    「小説のネタ」とすれば、「貞子」もそれになりますよね
    「幽霊考」を書いていた当時、私もそれが頭にちらついていました
    そこも真沙緒さまと思いが同じになったとちょっとうれしくなった次第です

    いつかもうちょっと民俗学の視点で幽霊語りたいな
    でも、すでにそれは世にあふれているしなあと思いつつ

    今日もお疲れさまでした
    お返し、いつも楽しみにしております

    編集済
  • 昔はお化け。
    現代なら…痴漢、通り魔、連れ去り、不審者、強盗…。
    世知辛いような、根っこの部分は実は変わっていないような。

    作者からの返信

    三奈木真沙緒さま

    夜にお付き合いただきありがとうございます
    返信遅れましたが、よろしくお願いします

    日本に人身売買はないような感じで語られることありますが、とんでもない!
    調べてみれば、怪異譚にも隠されて、児童に対するいたずらも
    天狗譚や神隠しはそれであると昔の人も気付いていた気は確かにあります
    今のほうが「人の仕業である」と警察に捜査される分、救いはあるのかもしれません
    江戸時代はよかったとされることもありますが、確かにその面もあるでしょうが、昔にはむかしの困ったことや悪い面もあるものです
    そこは確かに、根っこでは変わらないのでしょうね

    昔も今も、子供をどう守るかは大事です
    時代に沿ったそれはどのような面からも考える必要があるのでしょうね、というお話の趣旨でした
    それが伝わっていたようでそこは作者として嬉しいです

    今回もお疲れさまでした

  • への応援コメント

    歌川国芳は、「なめ猫」よろしく、着物を着て擬人化した猫の絵も描いてますよね(年齢ばれるかな)。あの人、猫大好きでしたよね。
    あと、西洋だったかもしれませんが、猫は魔性を嫌う、みたいな迷信があったと聞いた気がします。つまり、「見える」「感じ取る」能力を持っていると思われていたのかと。日本人も、猫の習性に同じようなものを感じていたかもしれませんね。

    作者からの返信

    三奈木真沙緒さま

    今日も私の私論にしばしのお付き合い、ありがとうございました
    「なめ猫」私もわかりますよ!

    国芳はそうなんですよね
    それはきっと三東京山(山東京伝の弟)と組んだ、「朧月夜の草紙」だと思います
    現代では「おこまの大冒険」として復刊されていますが、多分廃版なんですよね
    「Amazon」でも古本でしか出てきませんし
    県立程度の大きな図書館なら見られると思いますが
    この話の参考とした「猫の日本史」は新書ですので、そちらは手軽に手に入るかと

    国芳の猫絵はたくさんあって、国芳の全集もありますが、そこでは武者絵や妖怪絵と並んで猫絵で章も作られるくらい
    彼がかなりの猫好きであったのは間違いなく、その逸話も調べればいくらでも出てきます

    さて、西洋のほうにまで入っていただけたので、その話を少し
    猫は魔女の使いとして有名ですが、理由はおおむね日本のそれと似たものではないかと私は考えています
    魔女裁判のころは家畜の豚までも裁判にかけられて、なんかよくわからない理由で豚も鶏も有罪となっていましたけどね
    黒猫はでも、ヨーロッパでも幸運を運ぶものとされることありますが

    猫の習性というのは大いに神秘的ですよね
    動物学的な解明はなされていても、だからといって……
    というのが、洋の東西を問わず人をひきつけてやまないかわいさではないでしょうか

    今日もお疲れさまでした

    編集済
  • なるほど。試練を乗り越える過程があってこそ、ドラマにもなりますしね。
    「背負う」という行為は、自分の体にぴったりくっついていながら、首をねじ曲げてもよく見えない、という状態を作る、微妙な体勢になりますね。そこに福があるのか邪があるのか…ホラーでもあり、サスペンスでもありますね。

    作者からの返信

    三奈木真沙緒さま

    本日も私の考察にお付き合いください、お疲れさまでした
    「なるほど」とうなずいてもらえるのは本当にうれしいです

    今回の話は「現代ファンタジーへ」の部分は自分独自のものですが
    そのほかに関しては各種学問に沿ったものとなります
    それを難しい用語を使わずにうまく伝えられるかどうか
    「中学生でもわかるように」はその際に必ず使われる言葉ですが、それが出来ていたと感じられて一安心しております

    今回に関してはもう、三奈木さまのご理解で十分!
    私の補足など何も必要ありません

    ありがとうございました

  • 伝統への応援コメント

    祭りそのものを残すのか、祭りの成り立ちこそ大切にするのか。
    ↑どちらを選んでも確かに正しいですが、「これでよかったのか」という葛藤も残るんですよね、きっと。それが「間違っていた証」とはいえないですが。

    私は浅い知識しかないのですが、歩さんの語りは毎回興味深く拝見しております。
    いつもありがとうございます(^^)v

    作者からの返信

    三奈木真沙緒さま

    今日も私の考察にお付き合いただき、ありがとうございます
    私もそれほど深い知識があるわけではありません
    ただただ長く考えている時間があったというだけです

    そういう言い訳はともかくとして

    「伝統」にどう対するかは難しいところですよね
    いずれにしても何らかのわだかまりは残るのでしょう
    そのなかでも何とか納得できるものを多く残せるか、伝えられるか
    その中心を私は「心」に置きたいというところです

    興味深くといっていただけて、一研究者として非常な喜びを得ています
    これからもよろしくお願いします

  • 集積と拡散への応援コメント

    桃太郎の類話がたくさんあるということは知らなかったですが、桃太郎のお話の発祥地と称している地域は、確か複数個所ありましたよね。お説ごもっともだと思いました。

    作者からの返信

    三奈木真沙緒さま

    今日も持論にお付き合いくださいましてありがとうございます

    ここなんですよね、「楽しめ」とばかりが先行しているなと、今なら赤面ものなのは
    自分自身、研究の楽しみ持っているのに
    子供への読み聞かせと大人の楽しみはまた別で語るべきでした

    さて

    桃太郎もですが、ここでも述べているように今日よく知られる昔話の「型」というのは、江戸時代に流行した絵本で作られたといっても過言ではありません
    そうして人口に膾炙したことで、のちに「桃太郎」は政治利用される結果にも
    ・桃から生まれたとするのも明治政府が教科書に採用した時に
    ・鬼=外国人 鬼退治で宝物を=敵国からお宝ぶんどることを正当化
    (NHKの「歴史探偵」でこの前「桃太郎」を取り上げています)

    今、とある国でも昔話を愛国教育に使っていますが……

    昔話って、日本に限らず、その国の原点のようなものであるからこそ「楽しむ」ことをしない人に利用されてしまうのかもしれません

    今回もまた、追加で長々語ってしまい申し訳ありませんでした

  • 妖怪学への応援コメント

    なかなか難しいお話ですが、じっくり考えるには興味深いですね。おもしろいです。

    作者からの返信

    三奈木真沙緒さま

    今回も訪れていただきありがとうございます
    「おもしろい」といってもらえるだけでうれしいです

    「妖怪学」も文明開化の一つ捉えてもらえるといいのではないでしょうか?

    またのお越しをお待ちしております

  • 蝦蟇(がま)への応援コメント

    蝦蟇はあくまで、象徴的な表現…と、現代からは解釈できそうですね。
    そりゃ、そんな湿気だらけのところじゃ、元気になるはずないよ…今も昔も、人は経験的に知っていたのですね。言い伝えとか加持祈祷が、当時は最先端の科学のようなものでしたよね。
    ですが、こうしたお話は、表現方法はともかく、核をきっちり貫いているから、侮れませんね。…いや、侮っているわけではないです。すみません。

    作者からの返信

    三奈木真沙緒さま
    本日もありがとうございます!

    私もここからまた語ってしまいますので、先にすいませんと謝ります!

    さて、本日の私からの補足は……
    「蝦蟇」のお話はあくまでも私の創作ですが
    江戸の昔の人々も、実は怪異には懐疑的だったのです
    ただし、そのほとんどを狐、狸、あるいは蝦蟇など、実際の動物が人を化かしたとしていました
    いわゆる「お化け」「妖怪」は創作のなかだけで楽しんでいたようにも見受けられます

    鳥山明先生のペンネームの由来となった鳥山石燕などが描いた妖怪絵なんかも、どうやら前項で三奈木さまも気付かれたように、空想の図鑑として楽しんでいたようです

    そこらへんはもっと詳しく、そして面白く語っていただける専門家
    特に「小松和彦」先生の著書などをお読みいただければ
    (小松先生:国際日本文化研究センターの所長を二期務められるなど、妖怪をまともな研究対象としてくれた、妖怪研究家にとっては頭の上がらない大先生です)

    ともかく、江戸の人々にとっての「科学」はそうした動物を原因とするものも多かったわけですが、それでしっかり「邪」を祓って生き残っているわけですから侮れませんよね
    迷信にとらわれていた側面、特に占いが生活を縛っていた感は否めませんが(平安の昔からどうも日本人はそれから抜け出せません 今も大安吉日、何故か気にしますよね? それこそ意味全くないのに)
    それは「妖怪学」の項にて

    本日も、私に語らせてもらえる機会を作っていただきありがとうございます
    三奈木さまは真摯に考えていただけていると思えばこそ、コメントいただく限りは調子に乗って追加の語りをしてしまいます
    鬱陶しければ「うるさい」とご遠慮くなくいってください
    かっこ笑いですよ、もちろん

    編集済
  • 憧憬への応援コメント

    そういえば、南総里見八犬伝とかも大ヒットしてましたよね。あれなどまさに、当時のファンタジー小説だったでしょうね。
    え、もしかして、現代でいうところのラノベ? 現代にも通じる「ヒットする要素」みたいなもの、いっぱい入っているらしいですし。挿絵もいっぱい。ラノベ?

    作者からの返信

    三奈木真沙緒さま

    いつも丁寧に考察していただき、本当にありがとうございます
    私は学者でも何でもなく、民俗学とアニミズム、昔話などを書物の世界で勉強しているだけの高卒です
    「エッセイ」で書いているものは、それでも数十年それを重ねた末の自分なりの考察、あるいは結論です
    そこに入ってきてもらえるなんて……
    喜びを感じてしまいます

    さて
    八犬伝、私は読んだことありません
    長すぎません?
    滝沢馬琴が情熱傾けすぎたのと、版元が金になるからと続けに続けて……
    いわば連載時のドラゴンボール状態
    やめどころを見失ったところもあるようです
    そうです
    つまり、そこも現代に通じるという

    識字率が高いといっても、当時流行の赤本、黒本といったものは紛れもなく「絵本」です
    文字よりもやっぱり、そこは絵のほうが主役だったのかもしれません
    とすれば、ラノベよりも漫画にむしろ近いかも
    滝沢馬琴とコンビを組んでいた葛飾北斎は、まさに「北斎漫画」と呼ばれるものを残しています

    長々と私論を失礼しました
    語る機会さえ与えてもらえたと嬉しいです

  • 私は『自主企画』をしたことがないので、歩さまの体験談は参考になります。
    お疲れさまでした。

    作者からの返信

    月猫さま

    ありがとうございます!
    そういっていただけると、これを上げた甲斐があるというもの
    体験を分け合うのも「カクヨム」様の魅力かと存じます
    また、よろしくお願いします

  • アニミズムへの応援コメント

    日本人は、節操がないというより、いろんなものを結び付けてバランスをとるのが上手なんだろうな、と思います。…あ、それって「いいとこどり」とも言えるのか…えーと…(汗)。

    作者からの返信

    三奈木真沙緒さま
    また「エッセイ」に訪れていただき、そしてコメントまでありがとうございます

    深く悩まないで!
    おおらか、それでいいんです、本当に

    知的欲求を満たす探究も、それはそれで楽しいです
    おっしゃる通りです
    私もちょっと偏っていたかなとあれから考えさせられました
    だからこそ、「楽しみ」ましょう
    その気持ちがきっと、かえって深い意味を捉えられるのだと私は考えます

    江戸の民俗探ると本当に、あの時代はおおらかだと分かります
    現代の目から見るときっついこともそりゃ多いですが
    柳田国男先生は都市のそれは否定されていましたが

  • 昔話2 -楽しみましょうへの応援コメント

    お説ごもっともです。
    だからこそ、「昔ばなしって民俗学に通じるものあるなあ…」とも思ってしまいました。
    お説に反対しているわけではありません。「学術的なことは学者に任せておけばいい。」←まさにココです。昔ばなしは、家族まるごと楽しめる一面がある一方、学術的な分析をしてもおもしろい(こっちは子どもには難しいかもしれない)、とも思います。…先日柳田国男を読んだせいかもしれませんが(あの方も昔ばなしを研究しておられましたね)。
    昔ばなしは口伝だからこそ、ちょっとずつ話が変わってしまったり、ほかの話と混ざってしまったりすること、よくありますよね。それも実は、昔ばなしが生き残る術、なのかなあとも思いました。
    非常におもしろいです。また読ませていただきます。

    作者からの返信

    三奈木真沙緒さま

    まさにその通りです

    時代に合わせて変わっていく
    そこも大事です
    昔のままではなく

    柳田国男先生は「現代民話考」の松谷みよ子先生のそれをやんわり否定しながらも、「まあ、貴方の好きにしなさいよ」的なことをおっしゃったそうです

    口承探究もまた、民俗(民族)学の一つであることも確か
    学術として「昔のまま」を残し、土地言葉でのそれも含めての意味の探究も必要です

    「楽しむ」を主題にここは書いていますというだけで学術的なそれを否定するものではありません

    深い考察、ありがとうございます
    それを考えていただいた、また私にそれを返してもらえた、それだけでこれを出した意味があると感じます

    編集済
  • こちらこそ、よろしくお願い致します(#^.^#)

    作者からの返信

    これからも本当に、よろしくお願いします
    感謝はもう、ここにありったけ

  • 昔話2 -楽しみましょうへの応援コメント

    読み聞かせで、一言一句そのままという話は私も聞きます。
    でも、無視していますが……
    筋は変えず、子どもと楽しむのが一番かなと思っています。

    作者からの返信

    子供たちが楽しむのが一番!
    子供たちの心に残ってくれればと
    それが結局は昔話を後世に伝える

    これって、実は私独自の考え方ではないんです
    とある児童向けの昔ばなし集
    そのあとがきは大人向けの話でした
    深く感銘を受けて、私もと行動している次第です

    その本の題名「日本の昔ばなし」
    ハードカバーの全集のようなものだったはずです
    図書館の児童書架で見つけました


  • 編集済

    妖怪学への応援コメント

    初めまして。登録されたばかりなのですね。文章を書くのがとてもお上手なので、
    読みやすく、知識も得られ感謝しています。ありがとうございました。このカクヨムの世界では、姿、形も見えないけれど、こうしてコメントを書くことにより、人と繋がり色々な事が起きています。とても、不思議です。そう思うと見えない世界は、存在するのかもしれないとこの頃思うようになりました。

    作者からの返信

    ありがとうございます
    手放しで称えていただき感動に震えています

    「見えない世界」の存在は私も否定しません
    それはこのエッセイのいろいろから理解してもらえると思いますが
    「見えない世界」を一人ひとりがどう捉えるか、「見えない」でとどめず「見える」に引き上げられるか、それが大切と考えています

    人の和(輪)も大切にしたいです
    これからもよろしくお願いします

    編集済
  • 大変面白く興味深く読ませていただきました。井上円了先生の本は、ぜひとも読みたいと思います。岩波文庫の「江戸怪談集」を持ってるんですが、挿絵がいいですね。程よく想像力を補填してくれます。「奇異雑談集」も、見世物小屋的な興味を掻き立てる話があって、当時の人が夢中になったのが分かります。それにしても、文字以前の昔話が伝わるということは驚異的なことです。伝言ゲームでも、10人もいれば、全く別の話になっちゃうというのに。やはり、そこには、その物語が持つ意図、伝えたいとする心に頷き、尊重して受けとめる気持ちが不可欠だったと思います。人生の教訓と、村落共同体の不文律の中に身を置きながら、一人一人が小さな幸せを見出していこうとしていた。現代人がマスメディアで簡単にコントロールできるのと違い、足が地についていたと思う。無名なおばあさんが、自分が身を置いている現実の中にアイデンティティを持って生きていた。だからこそ、文字、記録ではなく、心を伝えることが出来たのでしょうね。

    作者からの返信

    ありがとうございます
    私のつたない話から深く興味を持ってもらえた、自分なりの考察までいただけた
    本当に作者冥利に尽きます

    円了先生の本としては「妖怪学講義」がそのものずばりでありますが
    それは図書館に求めることをお勧めします
    その他いろいろ図書館でいいと思います
    児童書コーナーでも昔話の本はいっぱいあって、私もそこを漁るくらいです

    「心」大切にしたいですよね

    編集済