応援コメント

蝦蟇(がま)」への応援コメント

  • 蝦蟇はあくまで、象徴的な表現…と、現代からは解釈できそうですね。
    そりゃ、そんな湿気だらけのところじゃ、元気になるはずないよ…今も昔も、人は経験的に知っていたのですね。言い伝えとか加持祈祷が、当時は最先端の科学のようなものでしたよね。
    ですが、こうしたお話は、表現方法はともかく、核をきっちり貫いているから、侮れませんね。…いや、侮っているわけではないです。すみません。

    作者からの返信

    三奈木真沙緒さま
    本日もありがとうございます!

    私もここからまた語ってしまいますので、先にすいませんと謝ります!

    さて、本日の私からの補足は……
    「蝦蟇」のお話はあくまでも私の創作ですが
    江戸の昔の人々も、実は怪異には懐疑的だったのです
    ただし、そのほとんどを狐、狸、あるいは蝦蟇など、実際の動物が人を化かしたとしていました
    いわゆる「お化け」「妖怪」は創作のなかだけで楽しんでいたようにも見受けられます

    鳥山明先生のペンネームの由来となった鳥山石燕などが描いた妖怪絵なんかも、どうやら前項で三奈木さまも気付かれたように、空想の図鑑として楽しんでいたようです

    そこらへんはもっと詳しく、そして面白く語っていただける専門家
    特に「小松和彦」先生の著書などをお読みいただければ
    (小松先生:国際日本文化研究センターの所長を二期務められるなど、妖怪をまともな研究対象としてくれた、妖怪研究家にとっては頭の上がらない大先生です)

    ともかく、江戸の人々にとっての「科学」はそうした動物を原因とするものも多かったわけですが、それでしっかり「邪」を祓って生き残っているわけですから侮れませんよね
    迷信にとらわれていた側面、特に占いが生活を縛っていた感は否めませんが(平安の昔からどうも日本人はそれから抜け出せません 今も大安吉日、何故か気にしますよね? それこそ意味全くないのに)
    それは「妖怪学」の項にて

    本日も、私に語らせてもらえる機会を作っていただきありがとうございます
    三奈木さまは真摯に考えていただけていると思えばこそ、コメントいただく限りは調子に乗って追加の語りをしてしまいます
    鬱陶しければ「うるさい」とご遠慮くなくいってください
    かっこ笑いですよ、もちろん

    編集済