蝦蟇(がま)

 さる商家で起こった怪異を一つ


 離れで暮らしている若旦那は病持ちでした。

 青い顔に咳もひどく、大旦那は彼を隠すようにして離れを与えたのです。

 そこはしかし、何といっても親のこと。

 何とか床離れをさせようと、名医と聞けば高い金を払ってでも診察よろしく、果ては祈祷師にまですがる始末。

 それでも一向に若旦那は床から起き上がれません。


 さて、困った……。


 ある日の夕暮れ、苦しむ息子の枕もとで大旦那は深く沈むほどのため息。


 このまま病み果てさせ、世間の面白いことの一つも知らずに死なせてしまうかと思えば不憫でなりません。


 ふと顔を上げれば、一羽の雀。

 風を入れようと開け放った障子の向こう、夕焼けに染まる庭で、チュンチュンと。

 何気なしにそれを見ていると、シュッと音がしたかと思うほど、雀は一瞬で消え去りました。

 飛び去ったわけではない、いうなれば何かにひっ捕まえられてさらわれたような……。


 果て、これはなんぞ?


 旦那は眉根を寄せ、首をひねりました。


 そういえば、この離れの屋根には小鳥も止まらないと奉公人が噂していたな。こそこそと角でうわさ話、息子の不憫をたとえて笑うものか、屹とにらんだものだが……。


 霞が払われる。


 改めて考えれば、小鳥の姿どころか、物音の一つもこの離れでは聞いたこともないではないか。


 うむ!


 パンと膝を打てば、そこは商売で成功を得た人、決断は早い。

 苦しむ若旦那を丁重に運ばせ、畳を返し、床板もはげば、湿った床下があらわに。

 滴るほどのそこには、無数の鳥の骨、蛇の骨、果てはしゃれこうべまで。

 腰を抜かす奉公人を叱咤して、その真ん中にでんと座っていた大蝦蟇ガマを叩き伏せる。


 蝦蟇は瘴気を発し、人の生気を食らうと聞く。


 一人が打てば、あとはもう我も我もと手柄を争うか、数人で分ければ祟りも怖くないともいうか、蝦蟇はついに調伏せしめられた。


 これが元凶に相違なし!


 旦那は腐りかけた床板も畳も新調するとともに、床下も掘り起こして新しい土を入れ、砂をかぶせ、掃き清めました。

 神社から神主呼んで丁重に蝦蟇を葬り塚も築き、祈祷も済ませれば、なんとも清廉な空気に満たされる。


 以来、若旦那はみるみる回復、それを小鳥たちも楽しげに見ていたというお話


 ▼


 このお話、現代の目から見れば如何に?


 まず、蝦蟇が瘴気を発して人を苦しめることなんてあるはずない。


 逆じゃないか。


 換気の悪い床下に水が染み出してくれば、湿気が逃げずカビだの何だのと人体に有害なものが発生するのは必然。ところが、蝦蟇(かえる)などはむしろそんな環境を好むもの。

 蝦蟇が瘴気を生み出したのではない、けがれた環境が蝦蟇を呼んだのだ。


 そう、その通り。


 風水なんかも同じことで、部屋がきれいになればほこりなどのアレルゲンも消える、体が健康になればこそ気力も充溢、何でも前向きに捉え仕事もうまくいく?

 そこは時の運、人の和も絡みあってのことのでしょうが、それでもやはり、住環境を快適に保つことは健康にとっても大事なこと、現代医学こそ推奨するものです。


 昔の人はそれが分からなかったんだなあ。


 と、笑うのは簡単。

 順序が逆でも、結果的に健康を取り戻し、運気もそこから引き寄せられるなら、何も文句を言うこともないでしょう。


 次は蝦蟇に目を転じれば、現代人なら誰しも、カエルは長い舌を伸ばして獲物を捕らえるのだと知っています。それも現代のハイテク機器、ハイスピードカメラでやっととらえられるもの。人知を超えた早業には違いない。


 ハイテク機器などない昔なら、こう見るのではないですか?


 蝦蟇がじっと動かず息を殺し、岩のごとく。

 なんぞ?

 射程範囲内に獲物が入ればゆっくり口を開く。

 狙い定めて。

 あっ……!

 次に人が見るのは蝦蟇が獲物を嚥下する姿。

 

 瘴気を放って獲物を溶かし、それを吸い取るのだと理解するのも、人の目ではとらえられない早業ゆえといえなくもない。それはある種、人を超えた神秘の力。


 人間はさすがにないにしても、実際大きな牛ガエルなら小鳥もヘビも食らいます。

 不気味な姿形とも相まって、大きな蝦蟇を悪魔の化身と見てもなんら不思議はない。好奇心が迷信を上回り、カエルの観察、解剖でもしない限りカエルの舌がまさか伸縮自在とは気付かないでしょう。


 江戸の昔は、ウサギは月光に溶かされ(穴掘って逃げただけでは?)、ヘビは海でタコに変じる(ウツボとタコが身を絡ませ合っての争いを、ヘビがタコへ変じる途中と見たか)と信じていた時代。


「蝦蟇は瘴気を呼び、病を起こす。それを退治すれば病は平癒」


 それはかの時代のまっとうな「科学」であったといえるのです。

 順序逆でも、それで確かに病が癒えるなら。


 迷信と馬鹿にするなかれ。

 つぶさに昔語りを観察、その真理に行きつけば、なるほどと納得できるものもある、現代に通じるものもそこにはある。

「信じるか信じないかはあなた次第」とそこで思考を止めず、科学的な解明もしつつ、時代背景やその時代の人の心までも読み解く。案外、迷信には真理が詰まっているものです。

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