応援コメント

幽霊考」への応援コメント

  • お説と合致するのか対立するのかわかりませんが。
    私は以前、無念の中に死んだ人の幽霊は、それこそ不慮の死をとげた人の数、無数に存在すると思っていました(現在はちょっと忙しくて、そうしたことをあまり考えていないのですが)。
    ただ、人に感知される(見えるも含めて)には条件があって、その条件がそろった幽霊のみ、人から「幽霊だ」と感知されるのだと思っていました。歩様は、その条件こそが「ブラックマター」だと言われるかもしれませんね。私も今、お説拝読して、その可能性はあるなと思いました。
    ただ、特に昔の人は、何かしら論理的に説明できないモノを感知した=「幽霊だ~!」で逃げ出して、それ以上追及しようとしなかったんじゃないかな。カン違いや見間違いもかなり混ざっていると思います。でも、一度「あれは幽霊だ」と思い込んだら、もう検証しようとしなかっただろうと思われます。
    なんだか小説のネタになりそう。…そんなことを考えたことのある者として、興味深く読ませていただきました。幽霊が電磁波を出して人間を苦しめている…まさに「祟り」ですね。そういえば、疫病を祟りだと解釈して大掛かりな加持祈祷が行われたことがあったんじゃなかったかな…と、ぼんやり思い出したりします。

    作者からの返信

    三奈木真沙緒さま

    今日もありがとうございます
    「幽霊考」に関しては、同意できない人は同意できないだろうなと
    でも、真沙緒さまは同意もありつつ、独自の解釈もされている
    そのお返しがうれしいです

    そうなんですよね、訳分からないものは幽霊として逃げていたと考えられなくもないです
    ただ、どちらかといえば、昔の人はそれらを「たぬき、キツネ」のせいとしていたのです
    いわゆる「見えないもの」を幽霊とするようになったのは比較的新しいのです
    簡単に言うと「文明開化も迎えて、たぬきやキツネが人を化かすなんてありえない。でも、怪奇現象は残るしなあ。じゃあ、原因は幽霊だ!」って
    そこはちょっと、民俗学の分野に入って、また長々と語ることありますが
    そう、民俗学で幽霊も語れるのです
    再三引き合いに出しますが、柳田国男先生は「幽霊は都市で作られた物語」とあまり取り上げようとはしませんでしたが

    大がかりな加持祈祷といえば、もはや祇園祭がそれです
    それもまた語れば長くなりますが
    また、西洋でもペストの流行時には今から見ればとんでもないものいろいろありましたし

    「小説のネタ」とすれば、「貞子」もそれになりますよね
    「幽霊考」を書いていた当時、私もそれが頭にちらついていました
    そこも真沙緒さまと思いが同じになったとちょっとうれしくなった次第です

    いつかもうちょっと民俗学の視点で幽霊語りたいな
    でも、すでにそれは世にあふれているしなあと思いつつ

    今日もお疲れさまでした
    お返し、いつも楽しみにしております

    編集済