最終話 強くなろう

 意識を取り戻す。目が覚めないと思っていたけど覚めた。どれくらい寝ていたのか知らないが血は止まっている。火傷も軽くなっている。超回復に感謝だ。


 疲労困憊の体を引きずってアパートに帰る。部屋の前に人の気配はない。


 何をがっかりしているのだろう。有馬が待っているとでも思っていたのだろうか。そんなわけないのに。人殺しなのだから。


 部屋の扉を開ける。その時、後ろから階段を駆け上がる音がした。


「奈佐君!!」


 肩で息をする有馬がいた。


「よかった……!! 生きてて……!!」


 有馬が抱きついてきた。


「どうして」


「どうして? ああ! 走り回ってたから。だって奈佐君ぜんぜん帰ってこないし。それで警察呼ぼうとしたけど、呼んだら奈佐君も捕まって死刑になるかもしれないから、それで倉庫まで戻ってみたけどいなくて、いろいろ探し回ったけど、やっぱり見つからなくて。もしかしたら戻ってきてるかもって思って……」


 有馬は涙を浮かべながら話す。でもなんで汗をかいているのか聞かれていると勘違いしているようだ。


「いいのか、俺は大量殺人者だぞ?」


「アタシのためにしたんでしょ? だったらアタシも同罪だよ。一緒に背負うよ」


 強い目をしていた。


「やっぱり有馬はいい人だな」


「いい人じゃない。いい人なら殺人者を匿ったりしないよ」


 たしかにそうだ。有馬はいい人ではない。ずっと心の底で完璧な善を求めていた。その理想を有馬に重ねていたんだろう。でもこの狂った世界じゃ善人は存在できないのかもしれない。


「アタシも奈佐君と同じだよ。だから独りじゃない。一緒に生きていこう」


 こんなことを言われたのは初めてだ。素直に嬉しい。有馬はいい人じゃないけど、それでも一緒にいたいと思った。でも、だからこそ。


「一緒にはいられない」


「どうして?」


「俺は有馬のように罪悪感を持っているわけじゃない。客観的に犯罪者だということは分かっているけど、悪いことをしたとは、これっぽっちも思っていない」


「……それでも」


「それでも一緒にいてくれるのか?」


「うん。だって奈佐君はそれでも優しい人だから」


 有馬が笑った。その微笑みこそが優しさだった。


 それに比べて、殺人を悪いとも思わない俺が優しいなんて不思議な話だ。でも有馬が言うなら、そうなのかもしれないと思えた。


「なら待っていてほしい。強くなって戻ってくるから」


 抱きしめる。有馬も抱きしめ返してくれる。


「強くならなくていいよ。アタシの命まで背負おうとしないで」


 たしかに他人の命まで背負う必要なんてないのかもしれない。でも。


「それはできない」


 俺が嫌なのだ。大切な何かを理不尽に奪われるくらいなら死んだ方がましだ。


「でもこれは俺のエゴだから、無理して待ってる必要はない」


「それはずるいよ。そんなこと言われたら待ってるしかなくなるじゃん」


 引き離された有馬が口を尖らす。


「いや、だから待っている必要は……」


「分かった! 今回は奈佐君のわがまま聞いてあげる。その代わり戻ってきたら、アタシのわがまま聞いてね」


 上目遣いで人差し指を突き出してくる。いつもの男慣れしたあざとい有馬だ。


「ああ、いくらでもするよ」


 微笑んで有馬と別れた。



 町中を歩きながら思う。

 この世界は狂ってる。唯一絶対の正義はない。でも一つだけたしかなことがある。


 弱肉強食。


 それは何度も擦られた言葉。だけどそれが唯一の真理だ。強くないと何も守れない。自分も、大切な人も。それが身に染みて分かった。だから、もっともっと強くなろう。


 修行するために山へ向かった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

通信空手100段 上田一兆 @ittyou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ