第2話 スッキリ

 気付けば夕方だった。十数時間寝たのにまだ眠い。このままじゃ駄目だと分かっているのに何もする気がおきない。何をすればいいのかも分からない。


 何気なくスマホを手に取る。動画配信アプリ、ミーチューブを開くと、ホームのトップに広告が載っていた。普段なら見もしない。だがぼうっと見ていたからか目に止まった。


『100日後に最強になる空手』


 胡散臭いタイトルだ。サムネイルも初老の熊のような体格の男が構えているだけで見映えしない。だが何をすればいいかも分からずに追い詰められている俺にはわずかな希望に思えた。光に引き寄せられる羽虫のように動画をタップする。


 内容は知らないオッサンが知らない流派の知らない型の見本を見せていくといったものだった。13の型があり、それらを全て続けて行い、24時間続けても息が切れなくなったら、その時あなたは最強になっているでしょうというものだった。


 その割にはオッサンはそれほどすごくなく、オリンピックで見た女性空手家の演舞の方がよっぽど速くて強そうだった。胡散臭いことこの上ない。この型が他の空手よりも優れているのかも分からない。


 だけど役に立たない型だったとしても、24時間ぶっ通しでやり続けれるほどの体力が身に付いたなら、それだけでも強くなっているだろうと思えた。またずっと引きこもって頭を使っていなかったので、他の方法を思い付かなかった。だからこの動画に従うことにした。


 初日は型を覚えスムーズに行えるようになるだけでヘトヘトになった。二日目は筋肉痛だったが、型を一時間繰り返し行った。三日目には足の皮が剥けだしたが、我慢して続けた。毎日型を繰り返す回数を増やし、時間を増やした。


 足裏からは血が出て、全身が軋んだが、ここでやめたら変われない。理不尽にいじめられ続けるか、引きこもり続けるか。そんな二択は嫌だ。あいつらを見返したかった。いやそんな甘い言葉じゃ足りない。あいつらをぶちのめしたかった。その一心で俺はやり続けた。


 そして100日が過ぎた。ついに一日中やり続けても息切れしなくなった。拳が音を置き去りにする。体から立ち上る蒸気はさながら闘気のようだ。


 コオォと息を吐く。


 俺は完璧な肉体と完璧な精神を手に入れた。誰にも負ける気がしなかった。


「将誠?」


 汗を洗い流すために一階に降りていくと、朝食を食べていた両親が驚いた顔でこちらを見た。


 無理もない。ご飯を食べる時や風呂に入る時はいつも昼間や深夜の二人がいない時だったので、二人からしたら急に息子がムキムキになった感じなのだろう。


「学校、行くの?」


 母が期待した眼差しを向ける。


「うん、行くよ」


 母の望む答えを言う。もしかしたらすぐに悲しませることになるかもしれないけど、たくさん心配させただろうから、とりあえず一旦安心してもらいたかった。


 それから俺はシャワーを浴びて制服に着替えると、学校へ向かった。


 すれ違った同級生が幽霊にでも会ったかのように見てくる。何だ、俺は死んだことになっていたのか? お前らを冥土に送ってやろうか。睨むとそそくさと逃げていく。情けない奴らだ。まあいい、それよりもやることがある。無視して校舎裏に向かう。


「俺はハイパーカップ買ってこいつったんだよ! なんでバーゲンダッツ買ってきてんだ!」


 校舎裏に行くと案の定、金髪野郎が丸井を蹴り飛ばしていた。


「おい」


「あ?」


 俺が声を掛けると三人組が振り返る。初めて会った時と同じようなやり取りだ。違うのは俺の声が震えていないこと。全然怖くない。むしろ怒りが沸いてくる。間抜け面のこいつらにはもちろんのこと、こんな奴らにいじめられていた自分にも。


「誰だお前」


 金髪が聞いてくる。


「3ヶ月前のことも覚えてないのか。猿以下だな」


「ああ思い出したぜ。この豚の代わりにいじめられに来たバカだろ?」


 金髪は青筋を立てながら片方の口角をヒクヒク上げた。マジギレ3秒前って感じだ。


「何しに来たんだ? またいじめられに来たのか? てか筋肉ついてんな。もしかして復讐か? それともまた豚を助けに来たのか? あ?」


「そんなデブどうでもいい」


 俺が言うと丸井はまるで傷ついたみたいな表情になる。なんでてめえが傷ついてんだ。先に裏切ったくせに。ムカつく奴だ。


「どっか行け、邪魔だデブ」


 蹴飛ばすと、丸井は怯えたように逃げていった。


「また友達に逃げられたなあ」


「友達じゃねえよ。さっき言ったことも覚えてねえのか鳥頭」


「調子乗ってんじゃねえぞ!」


 ぶちギレた金髪が俺に殴りかかる。それを俺はわざと受ける。拳がおもいっきり顔にぶつかる。全然痛くない。蚊の止まったようなパンチとはこういうのを言うのだろう。俺は鼻で笑った。


「強がってんじゃねえぞ!」


 金髪がまた殴りかかってくる。それを今度は空手の中段外受けで弾く。


「グアアッ」


 腕を押さえてうずくまる金髪。中段受けは本来受け流すだけのものだが、実力差がありすぎて骨が折れたみたいだ。だがこれで終わらせたりしない。俺が受けた痛みはこんなもんじゃない。


「死ねオラアッ!!」


 金髪の髪を引っ掴み、顔面におもいっきり膝蹴りを食らわす。


「ブフゥッ」


 情けない声を出した金髪は歯を散らしながら吹っ飛ぶ。そして地面に倒れ込む。鼻はマイナスになっていた。


 さらに間髪いれずに、唖然としている剃り込み坊主のみぞおちに肘鉄を食らわし、デブのみぞおちに正拳突きを食らわす。二人とも血を吐いて吹っ飛び、坊主は校舎の壁に、デブは生け垣にめり込んだ。三人とも一撃で気絶した。


 呆気ない。復讐したらもっとスッキリすると思っていた。だけど相手が弱すぎて物足りない。


 どうしようか。あ、そうだ。いいことを思いついた。


 俺は金髪の小指を、魚を釣るように、勢いよく引きちぎった。水飛沫のように血が舞う。続けて残り二人の小指も引きちぎる。気絶しているのに呻いてビクンビクン跳ねているのが間抜けだ。思わず笑ってしまう。


 簡単なことだったんだ。復讐して何も生まなかったら、もっと復讐したらいい。そうしたらスッキリする。


 俺は気絶した三人を放って、軽い足取りで教室に向かった。



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