第7話 出所

 5年経ち、やっと俺は刑務所を出られることになった。久しぶりに伸びた髪を触りながら建物を出る。いつもと同じはずの日差しがやけに眩しく感じる。空気が美味しい。軽い足取りで刑務所の外へ出ると、父が出迎えに来ていた。


「お前とは縁を切る。二度と帰ってくるなよ」


 厳めしい顔でアパートの鍵と金の入った封筒を投げてきた。それが子供に対する態度か?と思うが、人を殺したのは俺だ。悪いとは思っていないが、父が怒るのも無理ないことなので、素直に受け取る。


 他にすることもなさそうなので立ち去ろうとするが、ひとつ言っておかなければならないことがあった。


「もう母さんを泣かすなよ」


「どの口が言うんだ」


 父が青筋を立てる。


「そうだ、責められるべきは俺だ」


 悪いことをしたと思っちゃいないが、もし父が誰かを責めなければいけないとしたら、それは俺だろう。


「母さんは悪くない。もし教育が悪かったって言うなら、その責任は父親のお前にもある。だから母さんを責めるな」


 父はフンッと鼻を鳴らして去っていく。分かったのか分かっていないのか。でも縁を切られた俺には確認するすべはない。これからは父と母二人の問題だ。もう二度と会うことはないだろう。俺は父と反対方向へ歩き出した。


 その後、父親が借りたアパートへ向かうため電車に乗った。5年も経っているとファッションの流行は結構変わっている。最先端のはずなのにバブル時代を彷彿とさせるような不思議なファッションだ。


 興味深く周りを見ていると、ふと異変に気付いた。少し離れた所にいるミニスカートを履いた若い女とスーツを着た若いサラリーマンの男の様子が変だ。女は俯いていて、男はやけに女に近い。人が多く乗っているとはいえ、身動きができないほどじゃないのに。


 よく見てみると、男は右手でつり革に掴まり、左手にカバンを持っているが、そのカバンを持った左手の甲が女の尻に押し付けられていた。痴漢だ。勘違いではない。腕の位置が明らかにおかしい。周りの乗客皆が気付いているほど。


 でもトラブルにあいたくないのか人の目が気になるのか知らないが、誰も痴漢を止めようとしない。クズばっかだ。刑務所内となんら変わらねえ。ため息を吐いて助けに向かおうとするとその時、


「痴漢してるよね」


 別の若い女が男の手を掴んで女の尻から離した。ハイウェストのショートパンツを履いた金髪の、見るからに気の強そうなギャルだ。見て見ぬふりせずに人助けするいい人もちゃんといるんだなと嬉しくなり、自然と口角が上がる。


「はあ!? してませんよ! 証拠あるんですか!?」


 男が反論する。ギャルも一歩も引かない。


「証拠ってッ……この目で見たんだから!」


「そんなのいくらでもでっち上げられるじゃないか!」


「素直に認めなよ!この子がどんな思いしたと思ってんの!?」


「やってないですよね?」


 男は静かだが圧のある言い方をする。


「えっ、あ、えっと……」


 急に聞かれて言葉に詰まる女。彼女の方へ乗客の視線が集まる。


「痴漢だって」「あの子?」「かわいそう」「冤罪じゃね」


 乗客たちは好き放題にささやき合っている。声を押さえているつもりでも、意外と聞こえてくる。


 俺の耳に入っているということは、当然女にも聞こえているわけで、女は顔面蒼白になって俯く。「自意識過剰でしょ」とか「痴漢詐欺女」とか幻聴も聞こえているかもしれない。「俺もあの子触りてえ」「エッロ!」みたいな男の好奇の視線に恐怖を感じているのかもしれない。耐えられなかったのか、ちょうど止まった駅で降りて、一目散に走って逃げた。


 痴漢されても何も言えないような奴だから仕方ないだろう。でも助けてくれた人を放ってどっかに行くのはどうかと思う。


「かわいそうに、痴漢の被害者にされて」


「あんたがしたんでしょ!」


「私じゃなくてあなたです」


「ふざけてんの!?」


「いい加減にしてください。被害者もいないのにいつまでも。名誉毀損ですよ。どう責任取るんですか!? え!?」


「ッ……」


 案の定ギャルが不利になっている。周りの乗客は男が痴漢していたことを知っているくせに誰も助け船を出さず、無視して駅に降りていく。仕方ないので俺が動く。


「おい、歯食いしばれ」


 男の肩に手を置く。


「?」


 よく分からず振り向いた男の顔面をおもいっきり殴り飛ばす。


「ぼへらっ!!」


 男は間抜けな声を出して、連結部分の扉に突き刺さった。乗客は口を開けてポカーンとする。また捕まるのも嫌なので、今のうちに退散する。


「あの、ありがとう!」


 電車を降りてスタスタと駅を歩いていると、ギャルがわざわざ追いかけてきて礼を言ってくる。やっぱりいい人だ。


「どういたしまして」


 じゃあな、と恩着せがましくならないように、軽く手を振って歩き出す。


「待って! お礼させて!」


「当たり前のことしただけだ、必要ねえよ」


「いや、ぜひ!」


 どうしてもお礼したいようだ。


「わかった、頼む」


 お礼されたくてしたわけじゃないが、かといって無理に断る理由もない。


「ありがとう!」


 ギャルはお礼する側なのに嬉しそうに笑った。


「じゃあご飯奢るね。どっか行きたい所ある?」


「がっつり食べれる所がいいな」


 なんせ5年ぶりの外食だ。


「わかった。サ○ゼリヤでいい?」


「おう」


 サ○ゼリヤへと向かった。


「自己紹介まだだったね。アタシ有馬ありま愛華らぶか! よろしく!」


奈佐なさ将誠しょうせいだ。よろしく」


 テーブルに着いて自己紹介を済ます。


「さ、どんどん頼んで!」


「おう」


 メニュー表のうまそうな写真を見ているだけでよだれが口の中に溢れてくる。有馬には悪いが我慢できないので、遠慮せずにどんどん頼む。


 ドリア、パスタ、ピザ、ソーセージにポテト。次々にテーブルに料理が届く。彩り豊かで湯気も立っていてうまそーだ。パスタを一口食べる。


 うめえ! 5年ぶりのシャバの飯うめえ!


 バクバク食いまくる。


「そんなに美味しかった?」


「おう、ありがとな!」


「いやあ、そんなに喜んでくれるとは思わないじゃん。こっちも嬉しくなるよ」


 少しだけ頬を赤くした有馬は、ハンバーグを食べ始めた。


 俺の食べるペースがようやく人並みに落ち着いてきたのを見て、有馬が話しかけてくる。


「ね、同い年くらいだよね! 何歳?」


「22だ」


「1個上だ。てことは四年? どこ大?」


「いや、大学には行ってない」


「じゃあ働いてるんだ! どこ? 有名なとこ?」


「いや働いてもない」


「あ、そうなんだ。まあすぐに見つかるよ! 奈佐君いい人だから!」


「ありがとな」


 働いていないと言っても、まったく態度が変わらないのすごいな。無職にまったく偏見とかないのだろう。


「そうだ、RINE交換しようよ」


「あースマホ持ってないんだ」


「あ、そ、そうなんだ……まあ、初対面だしね」


 勘違いされているな。


「いや、本当に持ってないんだぞ?」


「今時いなくない?」


 たしかに今時スマホを持ってない人なんてほとんどいないだろう。でも。


「俺昨日まで刑務所入ってたから」


 正直に話す。普通なら初対面の奴に話したりしないが、なんとなく有馬には話したくなった。嫌っていると勘違いされたくなかったのかもしれない。


「まじ?」


「まじ」


「そうなんだ」


「引いた?」


「引かないよ、何か事情あったんでしょ。奈佐君いい人だって知ってるし」


 有馬はすんなり受け入れた。何をしたのかも聞いてこない。本当にいい人だ。初対面なのに。いつか騙されそうで心配になる。


「何か困ってることあったら言ってね。てか、住むとこはあるの?」


 心配そうに眉を寄せながら聞いてくる。


「あるよ」


「そりゃそっか、実家いえ住めばいいもんね。あっ、そうだ、何かあったら連絡して」


 テーブルの紙ナプキンに電話番号を書いて渡される。


「助かる」


 素直に受け取る。


 そしてご飯を食べ終わったので席を立つ。


「今日はありがとな」


「こっちこそ助かったよ、ありがと」


 お互いに礼を言って、会計に向かう。


「困ったら連絡してね」


「おう、じゃあな」


 店の前で別れる。


 それから電車に乗ってアパートに向かった。普通のアパートの二階の部屋だ。


 中に入ってみると、何もない。冷蔵庫と洗濯機とレンジ以外何もない。箸や皿もなければ包丁もない。タオルや服もない。椅子も机もない。 なんてひどい親だろう!


 仕方ないので服とタオルと歯ブラシと夜食をコンビニで買う。


 そしてアパートに帰ってくると、有馬愛華と鉢合わせた。ちょうど隣の部屋の扉に鍵をさしているところだった。

 まじ?

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