物足りなくてすべてが満ち足りている世界

牛丼一筋46億年

1.青春狂騒曲

8/7




「実はさ…」


俺は顔を伏せ、涙をみんなに見せないように言った。


おいおい、どうしたよ?間口?


「実は俺、グス…帰ってきたのはさ…グス…理由があってな…俺の体なんだけど」


顔をビールジョッキを持ってない左手で拭う。


なんだよ…おい…どうしたよ?


「俺…クラミジアになっちゃってさ」


舌を思いきり出しながら、顔を上げる。


ふざけんな!クソ野郎!


心配した時間を返せ!


お前はだからダメなんだよ!


口々に皆罵り、沢口なんて、お手拭きを顔めがけて投げてきやがった。


俺は、ぐわはははっと大笑いし、ビールを一息に飲み干した。




盆休みを利用して地元に戻ってきた。


俺の地元ってのはクソみたいに小さな港町。どれだけ小さいかって言うと、足の小指の爪くらい小さな町だ。




地元に帰っても特にすることもないのだけれど、一人暮らししている都会には悲しいかな朝まで飲み明かし、未来や将来について語り合う友人も、1日中ダラダラ部屋でセックスして、夕方一緒にご飯を食べてくれる彼女もいない。


都会で貴重な休みを寝て過ごして、盆休みの最終日に「あー今年の夏も何もしなかった!」と嘆くよりかは、地元に帰って旧友を温めたり、たまには親に会って元気でやってると安心させた方が幾らか生産的ではないか。




8/8


am10:30




「リョウ!!!」


聞き慣れた声だ。目を閉じてても誰だか分かる。分かるが、俺は絶対に返事はするまいと心に固く誓った。


「リョウ!!!聞いてんの!?」


ドシドシと階段を登ってくる音が聞こえる。


それでも絶対に起きまい。起きること、それは敗北と知れ!!!


そもそも頭が上手く回らん。少し痛い。なんでだ?あ、そうか、昨日飲んだもんな。結構飲んだな。あいつら容赦なしだもんな。


「リョウ!!!いつまで寝てんの!?」


母さんが部屋に怒鳴り込んできた。


俺はと言うとボクサーパンツ一枚で布団の上にうつ伏せになって寝ている。


「母さん、あなたには、都会からはるばる帰ってきた息子を労ろうって気持ちはないのですか?」


俺は目も開けずに答える、と頭をばちんと叩かれた!!!


「母さん、あなたは暴力によって物事を解決しようとしましたね?非暴力主義者である私は断固としてあなたの要求を飲むわけにはいかないのです」


「馬鹿なこと言ってないでさっさと着替えて!洗濯できないじゃない!!!」


母さんは俺ひっぺがそうと敷布団ごと持ち上げにかかった。ババア、60近くなるのにその力はどこから湧いてくるのだ…


しかして、俺は起きるわけにはいかなかった。まだ、俺は25歳のヤングマンであり、俺の男性器は母の粗暴な行動に怒りの意思表明の如くいきり立っていたのであった。


流石に大人になってからこんなもん見られたくない。しかして、必死の抵抗むなしく、打ち上げられたマグロのごとく、俺はゴロンと床に転がされる寸前であった。




「わかった!!!わかったから、あと5分!あと5分したら起きるから!!!」




「そう言って起きたためしないじゃない」




「本当だ!!!肉親を信じずして、誰を信じるんだ!!!」




俺の強情っぷりに流石の母も諦め、部屋を出て行った。




母が一階まで降りたのを音で確認した後、俺は2回のトイレに駆け込み、初尿を出した。




「昨日は遅かったけど、どこ行ってたの?」




母ってのは凄い。俺に質問しながら、湯を沸かし、洗濯機を回し、掃除機をかけつつも目はしっかりテレビのワイドショーをチェックしている。


俺はと言うと、目の前に並ぶ、白米、味噌汁、シャケ、根菜の煮物、目玉焼き、ソーセージ、納豆、ナスの浅漬け、そのどれから口に運ぶか未だに決めかねている。




「母さん、少し、朝飯にしちゃ量が多くはないかね?」




「何言ってんの!?せっかく作ったんだからさっさと食べな!!!起きてくるの遅いんだから!!!冷めちゃうよ!!!」




母さんはいつからこんなに大声になったのか…仕方なく、俺はもそもそとソーセージを一つ口に入れた。




「そう言えばね、昨日はカリフォルニアに行ってて遅くなったんだ。マスターが母さんによろしくってさ」




カリフォルニアとは友達の村上良樹、通称ヨシの親父さんがやってるバーだ。なんでカリフォルニアなのかは…長くなるから割愛、朝だし、勘弁願うよ。


バーと言えば聞こえはいいが、来るのは街の汚ねえオヤジ達とグレた明らかに未成年のガキども。


『この町の男はカリフォルニアで酒の味を覚える。そして、その内の数人はアル中になって酒の味を忘れる』


俺が高校の頃、彼女にフラれてカリフォルニアで泣きながらビールを飲んでいた時、マスターが笑いながらそう言った。




「あら、ヨシくんとこで飲んでたの?次行くときは言ってよね」




言わねえよ、どうせ、これでもどうぞって、料理持たせる気だろ?と思ったが言わなかった。




am11:00




ピンポンと間の抜けた音が家に響く


「こめんくださーい」とピンポン以上に間の抜けた声が玄関に響く。


「あら、テツくん」


母さんのよそ行きの甲高い声が聞こえる。


一体あのブヨブヨの肉体からどうしたらそんな声が出るって言うんだ。




「おう、リョウ、お前、まだ飯食ってんのか」




石黒哲也こと、テツが居間に顔を出した。短髪、長身、筋肉質、よく焼けた肌、10代でも十分通りそうな童顔。昔からテツは年上の女によくモテた。高校生の頃なんて、その様をギリギリとハンカチを噛み締めながら見ていた。なぜモテるのだ!?と俺たちは一度テツを吊るしあげたことがあったが、「そんなの俺に聞いてもわからんよ〜」とまた間の抜けた事を言うだけだった。


今なら分かる。この幼さを残した顔とむきむきの男の色気漂うカラダのアンバランスさはある種のエロスを感じさせるのだ。テツの後から入ってきた母さんも心なしか上機嫌に見えて、俺は余計食欲をなくした。




「そうなのよ、この子、全然食べなくて」


「リョウ、おばあさんがせっかく作ってくれた料理食べんと損やぞ」


「テツよ、損だと思うならお前が食べてくれ。母さんは俺が育ち盛りの時並みに料理を作りやがる」




テツはひょいと煮物をつまみあげて口に放り込んだ




「やっぱり、おばさんの料理は絶品やな!本当に食べてもいいか?」




「あらやだ!!もう、テツくんに全部あげちゃう!!!」




母さんはそう言うと、俺をそのデカイ尻で押しのけ、テツを座らせた。




「なんか、申し訳ないなあ」


と言ったテツは申し訳のなさを一欠片も感じない食いっぷりで全部平らげた。




am12:00




「リョウ、お前、俺との約束忘れとったんちゃうやろな」


とテツは俺に悪戯っぽい顔を向けてきた。


「忘れてるわけねえだろ、ほら前見ろ、お前と心中するくらいなら、出家して一生セックスせず、肉も食わずに死んだ方がマシだ」




テツの車に揺られて俺たちは昼飯を食いに出かけた。




どうやら昨日の飲み会でテツと飯を食いにいく約束をしていたらしい。




「リョウ、都会はどうや?仕事は?」


「お前は、思春期の娘の親父か…」


「はぐらかすなや、どうや?」


テツの問いに言葉が出てこなかった。


「…別に、楽しくはないが、悲しいほど給料はいい」


「そうか…」


沈黙が流れる。なんだか気まずい、こんな事なら冷蔵庫から親父のビールでもくすねておけばよかった。


テツがオーディオをいじる。流れてきたのは、ビーチボーイズのカリフォルニアガールズ。


「おいおい、やめろやめろ、こんな古い曲」


「なんでや、俺らって言うたらこの曲やろ」


「流行歌を流せ」


「リョウよ、最近の曲は好かん。特にドラムが好かん。やれテンポの速さやら、変拍子やら、手数やら…ドラムってのはもっとボーカルの歌に寄り添い支えるもんやろ。俺はそう言うドラムが聞きたい」


「だからってお前…」


ふと横を見ると、青々とした海が視界に広がっていた。海沿いの道に出たのだ。


「ビーチボーイズは古すぎるぞ」


はははとテツは笑った。




pm17:30


俺たちは昼食を食べ終えた後、コーヒーを飲んでダラダラと話をした。


誰と誰が結婚しただとか、あいつが転職しただとか、流行りの映画の内容だとか他愛のない話の後、結局は音楽の話に落ち着いた。いつもそうだ。


ラモーンズのイントロクイズだとか、ビートルズの傑作はラバーソウルか否かとか、ポールマッカートニーとジャックブルースならどっちが好きかとか、結局いつもそう言う話になる。




俺たちはションベンが黒くなるくらいコーヒーを飲んでいたらもう夕方になっていた。


そろそろションベンを泡立つ黄金色にしないかと言う話になり、俺たちはカリフォルニアへ向かった。




カリフォルニアは海を背に立っている。


ボロボロのガレージの壁に電飾でCaliforniaと記されている。


すっかり色褪せ、日に焼けてボロボロになってしまった外国人の女がスカートを抑えながら、「ウェルカム!カリフォルニア!」と言っている看板が目印だ。




入るとヨシが机に足を乗せてギターを弾いていた。曲は天国への階段だ。




「よお!リョウ、テツ!!!会いたかったぜブラザー!!!」




ヨシは似合わない長髪と髭を振り回しながら、こちらに顔を向けた。




「お前ら、まだ開店してねえぞ、帰れ、バカは息子一人で間に合ってる」




マスターがカウンターの奥から言った。


二人ともお揃いのアロハシャツを着ている。


カリフォルニアはこいつらの中でどんな場所なんだ?




「グッチーもそろそろ来るってよ!!!昨日の続きと行こぜ」




ヨシはマスターの言葉を無視して俺たち二人を抱きしめた。汗臭い嫌な臭いがした。この愚かな男が愛おしくなり、俺は思いっきりヨシを抱きしめてやった。






pm19:00


俺たち3人はビールをチビチビと飲みながら甲子園の結果を見ていた。


すると、金髪のいかにもな、田舎ヤンキーと辞書を引けば挿絵で出てくる様な男が店に入ってきた。


そいつは俺たちを見るや否や、サングラスを取り(なんで夜にサングラスしてんだ)手を広げて満面の笑みを見せた。




「3バカが揃ってるな」


それはお前を入れて、俺以外の奴って事だよな?


グッチー!!!会いたかったぜブラザー!!!


なんで夜なのにサングラスしてんの?


それぞれが同時に言っている途中でグッチーは俺たち3人の頭を両手で抱きしめた。


お陰でビールがしたたか溢れて俺のズボンが濡れたが、俺は大笑いした。




沢口健二ことグッチー。グッチーは高校に上がったくらいから地元の不良とつるむようになった。


何度かグッチーとグッチーの不良仲間と遊んだことがあるが、喧嘩に巻き込まれたり、悪いことしたエピソードを聞かせれたりと散々だった。


グッチーは高校を卒業すると早々に結婚した。今では一児の父だ。きっとかつての不良仲間とは「昔、俺はこんな悪だったんだぜ」エピソードに花を咲かせていることだろう。


そんな話をしているグッチーよりも、ラモーンズの美しさについて語るグッチーこそが真の彼の姿だと俺は確信している。




「お前らバカは酒が本当に酒が好きだな」


と言っているグッチーの目の前にマスターはビールジョッキを乱暴に置いた。


「マスター、俺まだ何も頼んでないぜ?」


「どうせビールだろ?俺の残り少ない人生を無為に使うな」


マスターがそう言うと俺たちは大笑いした。


うるせえと言いながらグッチーはビールをあおった。






「リョウよぉ、いつ帰るんだ?」


グッチーが言った。


「さぁ、12日くらいには帰ろうかなと思ってるけどな」


「なら、明日か明後日くらい俺の家に来いよ。嫁になんか作らせっからよ、飲みに来いよ。つーか、お前ら全員で遊びに来い」


グッチーは少し恥ずかしそうに鼻をこすった。




「おい、いいのかグッチー?」


ヨシが割って入った。


「ん?なんでだ?」


「お前の嫁さん、クラミジアになっちまうぜ」


とヨシが笑った。グッチーは死ね!の一言と共にヨシの肩にパンチを見舞った。


いってえ!!!と言ったヨシは笑っていた。




こうして、かつてのバンドメンバー全員が昨日ぶりに揃った。






pm21:00




しこたま酒を飲んで、俺たちは少し、いや、ありのまま言うとだいぶハイになっていた。




「ヨシ、おめえもそろそろ定職につけよ、俺が紹介してやろうか?」


グッチーがヨシの肩を揺さぶりながら言う。


「俺はお前らみたいにドロップアウトしねえのよ。一生ギター弾いて生きていくって決めたんだからな!」


ヨシがグッチーの手を払いのけて言った。悪い流れだ。


「お前らよ、昔はあんだけバンドバンドバンドバンド言ってたのによぉ、やっぱりいい年になればよ!!!リョウは大学、テツは就職、グッチーに至っては結婚しちまいやがってよぉ!!!カリフォルニアロックンロール魂を捨て去りやがって!!!」




テツが俺にアイコンタクトを送ってきた。


俺はそれにうなづいて答えた。




「ヨシ、少し飲みすぎなんじゃねえか?マスター、水一杯もらえる?」




マスターは黙って水をヨシの前に置いた。




「おい、あんたの息子、だいぶ酔ってるぞ、いいのかよ?」


とグッチーはマスターに言うも、マスターは手を振ってカウンターに戻ってしまった。




「親父はかんけえねえ!今日という今日は言わせてもらう!!!お前らな…」


と言ったところで、ヨシが黙った。黙って入口の方を見ている。


俺たち3人はその視線を追った。




見ると入口には女が立っていた。


女は長い髪を後ろで束ねて、その顔はテツの握りこぶしよりも小さく、肌はこの町の芋くさい女たちとは違い透き通るような白だった。早い話がすごい美人がこの汚ないバーにやってきたのであった。




pm22:00




女はカウンターに座り、


「ギムレット」と一言言った。


マスターは流石年の功と言うのか、こんな美人を前にしても舞い上がらず、あいよと短く答えたのち、グラスを彼女の前に出した。


その姿は様になっていた。




俺たちはと言うと、鼻を伸ばし、それを見ているだけだった。


「おい」


グッチーは両手の指を軽く鳴らした。


4人は頭を付き合わせる。


「誰が声をかけにいく」


グッチーが言う


「俺はいいよ、彼女いるし」


テツが両手を振る。


「日和ったな、テツ。グッチー、そう言うお前は妻帯者じゃねえか」


俺が言う,


「そんな細かい話、今は無しだ」


「細かくねえよ、彼女持ちのテツ、妻帯者のグッチー、と来ると俺がいくべきだな」


「待て待て、ここは公平にじゃんけんで決めよう」


とグッチーが言い、皆手を出し、「じゃんけん」と掛け声と共に手を出そうとした時、




「待った!!!」とヨシが言った。


ヨシは顔を伏せっている。


「お前ら、最近いつ女と寝た?」


「うーんと、3日前かな?」とテツ。


「俺は二週間前」とグッチー。


「一週間前」と俺。




「俺は…」ふるふるとヨシが震えている。


「俺は高校3年の夏以来、女は抱いてねえ」


と声を絞り込むようにヨシは言った。




嘘だろ?


哀れ…


ほぼ童貞じゃん…




口々に言う。言いたい放題だ。




「ヨシ、お前が行ってこい」グッチーはそう言うと、ヨシの肩を叩いた。




力強くヨシは頷き、立ち上がり、彼女の元へと歩いて行った。


その姿はまるで、機関銃に立ち向かうラストサムライが如く、覚悟を決めた男の力強い足取りであった。




ヨシは彼女の前まで行くと、何かを彼女に言った。すると彼女はヨシに微笑みかけ、彼に何か言っている。




「なんて言ってんだ?」


「全く聞き取れん」




しばらくすると、ヨシは日光猿軍団の猿のように、頭をかいたり、腰をくねらせたりしだした。ラストサムライはどこへ行ったのだ。




「惨めな奴め」


「男としてああはなりたくない」




しばらくすると、ヨシはくるりとこちらに向き直り、手で大きく丸を作った。


その顔の情けなさたるや、特攻隊が見たら「これが私たちが命がけで守った日本人の成れの果てか」と悔し涙を流すこと間違い無しといったところだった。




「なんだあいつは?」


「遂に狂ったか?」




と俺たちが思い思いに好き勝手言っていたら、ヨシが近づいてきた。




「俺たちと一緒に飲んでもいいってさ!!!」




そう言うヨシは、いつもより鼻の下が10センチほどのびていたが、どこか誇らしげだった。




「日和ったなこの玉無し野郎」


「マスターもカウンターの奥で泣いてるぞ」




と口々に罵った。


見やると、ヨシの奥で彼女がグラスを片手に軽く手を振っているのが見えた。




俺たち3人はつられて手を振り返した。


きっとその時の俺たちの鼻の下が10センチほど伸びていたこと確実だった。


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