10.愛をこめて花束を

8/10 pm18:00




小さな代車でリョウの家まで迎えに行くと、リョウは家の前で既に俺のことを待ち構えていた。


車を停めるとリョウは助手席に乗り込んできた。


リョウの顔は数日前までの飲んだくれの腑抜けたツラではなくなっていた。


いくらか痩せこけたように見える。目の下にはクマができていた。


しかし、目は鋭く、そして澄んでいるように見えた。


それは何か決意した男の目であった。




「すまんな」とリョウは言った。


「何が?」俺は聞いたがリョウは答えなかった。






「グッチーには言ったんか?」


「まだ」


「やろうな」


今回のバンド騒動で1番の問題はグッチーだ。あいつが素直に首を縦に振るとは思えない。


あいつは俺たちの中で1番素直じゃないからな。


それだけじゃない、きっとあいつは…


「なんでライブなんてするんだろうな」


リョウが聞いてきた。


「それが分からんからもう一回しようやって話しちゃうんか?」


夏の夕暮れ、あたりは暗くなりかけている。


その中を車がただ走る。


「今の時代、ライブ100本打つよりもいい音源とってインターネットに上げた方がよっぽど費用対効果があるぞ…それなのに、なぜ、ネコも杓子もライブなんてやりたがるんだ?」


「そりゃお前…」


魂を直接伝えるため?魂の解放?馬鹿騒ぎのネタ?言葉が頭をよぎるがどれも見当違いのように思える。


「そりゃ売れるのが目的ならそうした方がいいわな、でもよ、俺たちの目的って売れることだったか?」


「ある一点においては」


「そう言う時期もあったさ、でもよ、なんでバンド始めたかって覚えてねえのか?」


リョウは答えない


「カリフォルニアで音楽が好きになった。だから自分らでもやりたくなってバンド始めた、そしたらバンドが好きになって、ライブもしたくなった、いざライブやりゃあライブも好きになった。それでもう十分だろ。なぁ、7年間俺たちは考え続けて、考え続けて答えが出なかったんだろ、もう考えるのはいい加減よくねえか?好きだ。それでもう十分だろ」




俺が言い切ってしまってもリョウは何も言わなかった。俺たちは一言も話すことなくグッチーの家へと向かった。




pm:19:00


グッチーの家に来るのは4回目だ。


一軒家を買って、奥さんと子供と暮らしている。


俺たちが着くとグッチーが迎えに出てきた。


「お前ら、遅えぞ、もう飲み始めてるぞ」


陽気に言うグッチーとは対照的に俺たちはおう、と短く答えた。


グッチーは俺たちの神妙な雰囲気には気づかず、ほらほら、入れ入れ、と急かす。




俺たちが居間に行くと、既にヨシはリビングで酒を飲んでいた。傍らにはグッチーの奥さんが子供を腕に抱えて座っている。


「ほらほら可愛いなぁ、お前、お前はお父さんみたいにグレちゃダメですよぉ」とヨシが赤ちゃんに話しかけていた。


酒臭い顔を俺の子供に近づけんな!!!とグッチーがヨシの頭を叩くと、ヨシも奥さんも笑った。




「すいませんね、大勢で押し掛けちゃって」


「いいんですよ、この人ね、みんなが来るのすっごく楽しみにしてて、今日は朝から買い出しだなんだって大騒ぎだったんですよ」


と奥さんが笑いながら答える。


「そんな事言わなくていいから、ガキは俺が見てるから、ビール取ってきてくれよ」


ぶっきらぼうに言うグッチーは明らかに照れていた。






グッチーの奥さんはよく笑う感じのいい人だ。俺たちよりも4つ年上の彼女とグッチーが出会ったのは今から7年前。


グッチーは高校を卒業すると工場で働き出した。当時のグッチーはと言うと金髪を逆立てて、極細眉毛の強面と言う風貌だったが、根が真面目なもんだからよく働いた。


しかし、生まれつき口下手な彼は周りとはうまく溶け込めなかったそうだ。


無口で強面な若者は職場で孤立していった。そんな彼の事を唯一気にかけていたのが、工場の事務をしていた彼女だ。


彼女はグッチーとは正反対でよく笑い、仕事も卒なくこなし、職場での信頼も厚く、何よりもみんなから好かれていた。


不器用な青年にに母性をくすぐられた彼女は何かと世話を焼いてあげるようになった。


彼女が橋渡し役となり、グッチーも周りとなんとか溶け込んでいった。


そんな彼女の事をグッチーはいつしか愛するようになり、彼の猛アタックの末付き合うようになった。


それから2年後、2人は結婚した。俺たち3人は結婚式に呼ばれた。


式中、終始緊張しているグッチーを見て、俺たちは笑いを堪えるので必死だった。


式の途中、新郎新婦の映像が流れた。


生まれてから結婚に至るまでの2人の軌跡を数分にまとめたお決まりのやつだ。


俺たち3人は殆どの写真に写っていた。なんだか気恥ずかしく、そして少し泣けてきた。


しかし、バンドの写真は一枚も使われなかった。


それはグッチーの中でバンドがまだ旧いアルバムの中に飾られるような思い出ではなく、現在進行形の出来事である事を嫌でも思い知らされ、俺の心にチクリと痛みが走ったのをよく覚えている。






「子供何歳になったよ?」


「1歳と10カ月、デっかくなっただろ」


「早いな子供の成長って」


「1年と10カ月の間俺たち変わったか?」


「俺は毎日ビール飲んでギター弾いてたな」


「お前は変わらなさすぎなんだよ」


「結婚いいなぁ」


「テツはどうなんだよ?そろそろか?」


「考えてはいるんやけどなぁ…」


「結婚はいいぞ、式には呼んでくれよ」


「お前ら3人は呼ぶに決まっとるやろ、でもな」


「お、どうした?」


「友人代表のスピーチは絶対にリョウには任せん」


「そうそう、グッチーの結婚式の時、ありゃ酷かったもんな」


「こいつ、俺よりも緊張しててよ、笑い堪えのに必死だったんだぜ」


「やめろやめろ、お前ら、何年前の話してんだ」


「式の映像あるから今から見てみる?」


「やめろやめろ」


「私久しぶりに見たーい」


「見ようぜ見ようぜ」




"し、しし、新郎、、ぐ…あ、まずは…ごごごご両家の…皆さま…あの"




ははははは




「どもりすぎだろ」


「まったく、友人の好意を笑い物にして、酷い男だな」


「でも、リョウくんの人柄が出てて凄くいいと思うよ」




"ぼ…ぼくと沢口くんは…昔からの友達でして…彼は…彼が…彼の…彼と一緒にバンドができたことは…僕の少ない誇りの…1つでして…僕は…あまり…優れた人間ではなく…その…つまり…こいつは…いや…沢口くんは…そんな俺…ぼくと…バンドをやってくれて…苦労も…その何というか…ご結婚おめでとうございました"




もう誰も笑っていなかった。


リョウの辿々しいスピーチに当時は笑いを堪えるので必死だったが、時が経ち、こうして見返すと、辿々しいながらも必死に祝いの言葉を伝える彼の姿は心にくるものがあった。




「なぁ、もう一回さ、バンドやらねえか?」


リョウがテレビに目をやったまま言った。








pm20:00


奥さんが子供を寝かしつけに寝室へといった。俺たちは4人さっきとは打って変わって黙したまま酒を口に運び続けていた。


「3人はやるって決めたんだな」


無言で頷いた。


「気に入らねえ…」


とグッチーは酒を煽った。もう既にかなりの量を飲んでいる。


「けしかけてきたマスターも気に入らねえし、お前ら3人も気に入らねえよ。そんな簡単なもんなのかよ…」


そう言って酒をまた飲む


「俺がどんな気持ちでバンド辞めたのか知らねえわけじゃねえだろ」


「それはお前だけじゃねえよ、自分だけ悲劇の主人公ぶるのはやめろ」


とヨシが言う。


「なんだと」


グッチーがヨシに掴みかかる。ヨシもグッチーの胸ぐらを掴む、すぐさま、俺はグッチーを、リョウはヨシを羽交い締めにして2人を引き剥がした。


「やめろ」


とリョウが叫ぶ


「俺はな、リョウ、お前に1番頭に来てんだよ。俺はな、俺は、お前のこと、お前の!!!」


とグッチーが今度はリョウに掴みかかろうとする。


「うるさーい!!!近所迷惑なのがわからないの!?」


奥さんが居間に入ってきて叫んだ。


俺たちは奥さんの方を見つめ、ピタリと動かなかった。もっともな意見だ。


気づけばグッチーの体は俺の手からスルスルと抜け落ち、ぺちゃんと床に倒れた。


どう見ても飲み過ぎだ。






pm:21:00


俺たちが泥酔したグッチーを寝室に運んでいる間に奥さんは居間を綺麗に掃除して、机を隅に追いやり、3人分の布団を敷いてくれていた。


今日は泊まっていってよ。と明るく笑う彼女に俺たちの心がどれだけ救われたことか。




いいもの見せてあげる。と彼女は言った。


彼女は俺たちを2階の一室に案内した。


室内は乱雑に漫画や雑誌が置かれていた。


ここはね、あの人の趣味部屋。汚いでしょ。


と彼女は笑った。


そんな散らかった部屋の中で、ある一箇所だけが、見事に整頓されている。


その一箇所にはベースがスタンドに立てかけられていた。そして、その周りは雑誌も漫画も一切置いておらず、空白になっていた。その空白はちょうど人が1人、ベースを抱えて座って弾く分くらいのスペースであった。


ベースはよく手入れされていた。遠目でも丁寧に扱われているのがわかる。




「あの人、まだね、毎日弾いてるのよ、健気よね、忠犬みたいにあなた達が帰ってくるのをここでずーっと待ってたのよ…」


だからね、だから今日みたいに彼が怒鳴っても気を悪くしないであげてね。




部屋に立てかけられたベースはいやがおうにも俺たちに昔の、8年前の夜のことを思い出させた。

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