9.息子
8/10 pm15:00
起きると昼頃だった。
カーテンから溢れる日差しに体を焼かれて、汗が滴り落ちる。
頭が痛かった、頭だけでなく、身体中痛かった。何故だと考えると、そうか、昨日の馬鹿騒ぎのせいだ。
親父の店を馬鹿にされて頭に血が上ってしまった。
それで親父の店を無茶苦茶にしてるんだから笑えない。
俺は自嘲気味に笑った。その後、涙が出た。
気にはしない、いつものことだ。
毎朝、目から涙を流す。そして毎朝死にたくなる。
また1日が始まった。また生きなくてはならない。
生きるとは考えるということだ。そしてそれは絶望すると言うことなのだ。
リョウは俺に『プーやってるからそんなこと考えるんだ』と言った。
その通りだ。だから俺は毎日夢を見るのだ。夢を見なくなる人生なんて味気ないだろう。
思うに奴は都会に毒されすぎたな。普通という縛りの中で一生踊っとれ…と俺は体を丸めて考えていた。
奴は変わっちまった。でもそれが普通なのだ。変わらない人間はいない。でもな、お前のは変わったんじゃねえぞ、ただ諦めたんだ。それは賢い人間のすることかも知れねえが、血の通った人間のすることじゃねえ。
俺は分からねえ、何をすべきか、何が出来るのか、ただ、ここじゃないどこかに行きたいのか、それともここに止まっているのか、分からねえ、でも俺は分かるまでここで苦しみ悩み続けようと決めたのだ。どれだけ辛かろうと。
体を丸めてしばらくすると涙は消えてなくなり、かわりに腹が減ってきた。
そうだ、飯を食おう、食い終わったら、いつものようにギターの練習をしよう。
布団から立ち上がってリビングに行こうとした。
廊下に出て、まっすぐ進む。まっすぐ進むはずが最近はいつも途中の部屋を開けちまう。
中では親父が寝ている。親父は毎日朝に帰ってきて夕方になるまで起きない。完全に昼夜逆転生活だ。
親父は暗闇の中、寒いくらいクーラーをつけた部屋で布団を首まで手繰り寄せて寝ている。
俺はその顔をじっと見つめる。もしかしたらもう死んでしまっているのかも、そう思うほどいつも親父は身動き1つせずに寝る。
親父は無口だったが、母さんが死んでからは無口どころかほとんど喋らなくなった。
親父は母さんが死んだ時、涙を流すことはなかった。葬儀が終わった翌日には店を開けた。愚痴も泣き言も言わずただただ働いた。
息子の俺にも親父の気持ちは分からなかった。子供ながらに親父の心が固く固く閉じてしまって、もう自分でも以前の形が分からなくなってしまっている。そんな風に思うことがよくあった。
俺は親父とどんな風に話したらいいのかわからなかった。親父もそうだったと思う。
俺がリョウ、テツ、グッチーとバンドを始めめ、オリジナル作って親父の前で演奏した時、親父は笑った。それは時間にしたら1秒もないほど一瞬だったが、確かに親父は笑った。親父の笑顔を久しぶりに見た。
その時、俺は死ぬまでバンドを続けようって思ったんだ。
俺は親父の顔を覗き込む。
真っ黒でシワとシミだらけで醜い顔だ。でもな、親父、知ってたか、俺はいつもこうやってあんたと向かい合いたかったんだ。今は勇気がねえからあんたの顔も寝てる時にしかまっすぐ見れねえけどよ。
親父のことを尊敬していた。親父は決して器用ではなかった。それでも男で1つで俺を育ててくれた。感謝してねえわけねえだろ。
高校3年生になった頃、就職が決まった。隣の隣の町の工場だった。別に働きたいわけじゃなかったけど、それでも周りは就職していくし、就職するのが普通だと思っていた。
朝まで親父を待って就職の報告をした。
就職が決まったぞ。と俺は親父に言った。
親父はおめでとうと言った。それだけ言うと自分の部屋に引っ込んでいきそうになった。おいおい、息子の就職が決まったってのにそれだけかよ。俺はそう思い、親父に何か言おうと思った。その時、親父がぽそりと、もうギター弾かねえのか…と独り言のように言った。それだけ言うと部屋に引っ込んでしまった。
俺は翌日、工場に就職辞退の連絡をした。
なんであんなことをしちまったんだろう。
馬鹿なことしちまった。と思う反面、あれでよかったような気がしている。きっと親父は俺が就職しても心の底から喜んでくれなかっただろう。でも、親父、あんたは俺がどうしたら喜んでくれるかい?
わからなかった。わからないまま7年が過ぎた。7年間、気がつきゃ俺はギターを弾いて酒を飲んで歳をとっていた。
俺は毎日カリフォルニアに親父と一緒に行って、親父が準備する横でギターを弾いて、店が開店すりゃ酒を飲んで、酔ったら家に帰って寝た。その繰り返しだった。
親父は俺に一切愚痴を言わなかった。
周りはみんな就職しちまったよ。グッチーに至ってはガキまでいる。
そう言えば今日はグッチーの家に集まることになってたな。
グッチー驚くだろうな、バンドをもう一度することになるなんてよ、思っても見なかったもんな。
俺はずっとこの時を待っていたんだ。別にこれで何かが変わるわけじゃねえ、でも、俺の中できっと何かが前に進む。そんな気がしている。もしかしたら親父は俺のために今回の騒動を仕掛けたのかも知れない。
俺はいい加減親父の顔を見るのに飽きて部屋を出ようとした。
「ヨシくん」
ドアノブに手をかけた時、親父が言った。
名前を呼ばれたのは久しぶりだった。それにヨシくんとは、親父、さては寝ぼけてるな。
「なんだ、親父?耄碌したか?」
俺は皮肉を言う。
「ヨシくん、もう気にしなくてもいいんだよ…」
「なんだよ親父…」
親父は答えなかった。
親父が寝ぼけているのか、それとも起きているのか分からなかった。確認する前に部屋を出た。
ボロボロボロボロ涙が出た。
涙を流したまま炊飯器から茶碗にご飯をよそった。
そして、ただ、白米を口いっぱいに放り込んだ。まだ涙がボロボロ出て仕方がなかった。
なぜ涙が溢れるのか自分にも分からなかった。
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