6.イワンのバカ

pm9:00




若手バンドの演奏は圧巻の一言だった。


彼らはタイトなステージを1時間やりおおせたのだ。


ラストの一曲が終わった時、俺は思わず立ち上がって彼らに拍手を送ってしまった。


「すごかったな…」


とヨシを見るとカウンターに突っ伏していた。


「おい、大丈夫か?」


と聞くと、水…とヨシは一言呟いた。


マスターを見ると、やれやれと呆れ顔だった。


「息子じゃなきゃこんな馬鹿一晩で殺してるよ」


と言いながら、ヨシの前に水を置いた。


ほら、飲めよ、とヨシにガブガブ水を飲ませたが、しばらくすると、ヨシは水を片手で押し戻し、


「水が口から出そうだ」


と呟いた。


マスター、息子さんぶっ飛ばしていいかな?


俺は仕方なく、ヨシに肩を貸してトイレへと運んだ。




ヨシをトイレに放り込み、ドアを閉める。


汚い嗚咽が聞こえる。


そこへ先ほどまでライブをしていた若手バンドがなだれ込んできた。


トイレの隣は楽屋になっていたので、彼らは楽屋に戻って一息つこうとしていたのだろう。


「さっきまでライブしてた人たちだよね」


俺は普段はこんなこと絶対しないのだが、今日は酔いも手伝い、彼らに声をかけてしまった。


はい、そうです。とボーカルが応える。


まだまだガキじゃないか、大学に入ったばかりくらいの歳だろうか。


彼は屈託のない笑顔で俺に向けてきた。


「さっきのライブ滅茶苦茶よかったよ、いや、ここ数年で一番感動したよ」


と言うと、ボーカルは、えー、そんなこと言って貰えるなんてめちゃ嬉しいっす!!!と俺の手を握りブンブンと振り回した。


俺は一安心した。バンドマンってのは擦れた奴が多い。


学校で無視されて居場所がなくて、クラスで馴染めず、友達も出来ず、孤独な少年が世界を相手に唯一関わりあう事ができるコミュニケーションがバンドだった。


なんてのは腐るほどある話で、その為、バンドマンの8割くらいは捻くれている。


こう言う屈託のない人は珍しい。




と思っていたが、どうやらボーカル以外は違うようだ。周りの楽器隊は見るからに早く楽屋に帰りたそうに、俺に怪訝な目を向けていた。


実際に一人は俺の存在など無視して楽屋に入っていった。


彼らなんて御構い無しにボーカルくんは俺に話しかけてくる。




どこ出身っすか?バンドやってたんですか?


てか、お兄さん何歳っすか?25?見えねえ!!!俺、大学2年で、あそこですよ、ほらこの県の向こうのマンモス校っすよ!!!


え、お兄さんもOBなんすか!!!会ったことあるかも知れないっすね!!!あ、年齢的にないっすね!!!すいません!!!




マシンガンのように俺に話しかけてくる。俺はボーカルくんのピュアな笑顔とは対照的な楽器陣達は、早く終わんねえかな、疲れてるし、汗かいてるし、楽屋に戻って着替えてゆっくりしてえよ…と目が雄弁に語っていた。




なんで、そんなに彼らの気持ちが分かるのかって?俺もそうだったからだよ。


なんとも居心地が悪くなり、引き止めてちゃ悪いしね、そろそろ楽屋に戻ってゆっくりしてよ!と言いかけた時、




「おい、ユウジ、いい加減戻ろうぜ、こんなしけた所ウンザリだよ」と後ろの楽器隊の1人が言った。


しけた所?それどう言う意味だ?


と俺が聞く前に、トイレのドアが勢いよく開いた。


そこから出てきたのは、口から汚物を垂れ流し、その汚物は彼のシャツ前面をグシャグシャに汚し、鼻から緑の液体を右へ左へと走らせ、目は血走ったマッドモンスター。通称ヨシの姿があった。




「おい、しけた所ってどう言うことだ」


とヨシが胃液で爛れた喉から地下深くの地獄の獄卒の様なしゃがれた声で聞いた。




「なんだ、このおっさん…汚ねえんだ…」


彼は言葉を言い切ることが出来なかった。


なぜならば、ヨシのパンチが彼の顎を捉えていたからである。


ぺちょなんと乾いた音が響いた。


その音からヨシのパンチ力の低さたるやギャグのレベルである事がうかがえた。




まずい、待ったをかけるより前に楽器隊A君がヨシの胸ぐらを掴む。まて、A君、そんな事したら君の手がゲロまみれになるぞ。と思い彼らを止めにかかった。


ボーカル君も同様に止めに入ろうとしたが、こう言うことに不慣れなのだろう、勢い余ってつまづいた。


ヨシもやってやるよとA君の胸ぐらを掴み、楽器隊B君も血気盛んに、フザケンナよ!!!と大声で怒鳴り、ヨシに殴りかかろうとしていた。


俺もこの時冷静ではなかった。


とにかくヨシを止めなくては、その一心であった。ヨシの体を後ろから羽交い締めにする。




「ヨシ、落ち着け!!!」


ヨシは暴れて抵抗しようとしたが、彼の非力さでは毎日労働に勤しみながらジムに通っている俺の腕を振り払う事が出来ない。


身動きができないヨシを前から2人がポカポカと殴っている。


しまった!!!これではヨシがリンチにあうだけではないか!!!しかし、この腕を解けば、この魔物は更に暴力を求め、彼らと乱闘の1つでも演じるのは必定である。


俺は迷いながらもヨシを羽交い締めにする。


まて、まて、まて、まて、とヨシが叫ぶ。




「リョウ!!!お前はどっちの味方なんだー!!!」


ヨシの叫びがカリフォルニアに響いた。






pm10:00




話はこうだ


大学生バンド「ハイネックフリーダム」(変な名前)は夏休みを利用して日本各地を巡るツアー中。


みんなで貯金して貯めたお金で買った中古の機材車で西へ東へと旅をしていたそうな。


ツアーも残すところあと2本、機材車も彼らも限界を迎えつつあった。


今日の公演は港町の小さなバー。昔は由緒正しいライブバーだったが今では酔っ払いとヤンキーの溜まり場になっているらしい。


彼らは疲労と寝不足のせいで高速道路で4度事故を起こしかけて、それでも気合と若さでなんとか会場までたどり着いた。


大学の隣の県だったこともあり、ファンや友達も集まってくれてライブは盛況、力の限りステージをやりおおせた。


ライブが終わってヘトヘトの身体を引きずりながら控え室に帰ろうとしたら、痩せた若い男に声をかけられた。


なんでも、いたくライブを気に入ってくれたらしい、有難い話だ。普段なら両手を上げて感謝感激雨霰なのだが、この日はもう無理、早く休ませて欲しかった。が、ボーカルがハイになっちゃっててなかなか話が終わらない。


堪忍袋の尾が切れかけたギターがボーカルを制した時に、言わなくてもいい一言を言ってしまった。その点は本当に申し訳ない。


しかし、言ってしまった後では遅い。


その一言がトイレの中から化け物を召喚してしまい、乱闘騒ぎに至ったわけである。




俺たちの騒ぎを聞きつけた酔っ払いたちが集まってきた。


お、なんだなんだ?喧嘩か?


やれやれ!!!殺しあえ!!!


物騒な声が飛ぶ、そして、なぜか酔っ払い同士も喧嘩しだした。


てめえ、この野郎


ぶっ飛ばしてやる!!!!


その騒ぎが伝播し、バンドを見に来ていた女の子達の甲高い悲鳴が轟く。


きゃー、喧嘩よ!!!


いや、怖い!!!




うるせえ!!!


そんな喧騒を吹き飛ばす大声が炸裂し、皆、一様に声を失いその声の主人を見た。


マスターである。マスターがカウンターからずんずんと俺たちの方に歩いてくる。


もう、誰も喧嘩などしておらずことの成り行きを見守っている。




何があった。


マスターが静かだが有無を言わさぬ声で言った。




「こいつが!!!」とギターくんが叫ぶ


「おめえだろ!!!」とヨシが叫ぶ




うるせえとマスターがまた怒鳴る。


リョウ、何があったか説明しろ。とマスターが言う。




俺は事のあらましを説明した。




「そんなクソみてえな話で俺の店を荒らしたのかてめえら」


マスターはヨシとギターくんを睨みつける。マスターの凄みに2人は蛇に睨まれた蛙のように縮み上がってしまった。




「お前ら腐ってもバンドマンだろ。そのクソみてえな手でペチペチ殴り合うんじゃなくて、気に入らないことがあるんなら音楽で相手をひねり潰せ」




ん、何か話がおかしな方向に行きそうな予感がしてきた。




「おい、お前」と今度はマスターがボーカルくんを睨みつける。


はい!!とボーカルくんは背筋を伸ばし、勢いよく応える。


「来週末はお前らのバンド暇か?」


はい!!!


「なら、ウチでもう一回ライブを打て、それでお前らのバンドとコイツらのバンドでツーマンしろ」


はい???ボーカルくんは困惑しているようだ。至極真っ当な反応だ。


「ツーマンして、客の反応が良い方が勝ちだ。異論ねえな」


はい???ボーカルくんは全く現状が理解できていないみたいだった。俺もそうだ。


「異論ねえな」


マスターはボーカルくんと唇が当たるのではないかと言うほど顔を近づけて凄んだ。


「はい!!!」


とボーカルくんは応えてしまった。




わっとフロアが湧いた。


拍手する者や口笛を吹く者までいる。




俺とボーカルくんは呆然としている。


「なんか…凄いことになっちゃいましたね…」


とボーカルくん。


「…無茶苦茶も良いところだ」


俺は吐き捨てるように言った。


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