7.ロックンロールイズノットデッド

8/10 am5:00




「おい、マスター」


登る朝日を背に、マスターはカリフォルニアの扉に鍵をかけているところだった。


「リョウ、見ての通り、今日は看板だぞ」


マスターは俺に背を向けたまま言う。


「俺のこと待ってたのか」


「一度家に帰って、寝てからまた来た」


嘘だ。一睡もできなかった。




あのあと、若手のバンド達は「やってやろうじゃねえか」と息巻き、カリフォルニアを後にした。


取り残された俺はヨシを見やったが、彼は若手バンドが店を出る頃には店の奥のソファを陣取りグーグーイビキをかいて寝ていた。


俺は無性に腹が立った。どうしてここまで腹が立つのか、バカなヨシのせいか、訳が分からない言い分で俺たちをライブに引き摺り出そうとしているマスターのせいか。


自分でもよく分からない。むしゃくしゃした俺はカウンターに一万円を投げてよこし、店を後にした。




家には帰らず、ずっと海を眺めていた。


随分遠いところまで来てしまったものだ。と俺は夏の海の穏やかな波を見ながら思った。


みんなでバンドをしていた頃がほんの少し前のように思っていたが、もう10年近くも昔なのだ。


なぜバンドをやめたのか、理由はいくらでもある。金、人間関係、疲労感、閉鎖感、いくらでもあるがどれも言葉にした瞬間にしっくりこなくなってしまう。


ヨシは俺たちがバンドのことを忘れたと言ったが、忘れられる筈がないだろう。


でも、どうしろと言うのだ。週末に集まって「俺たちもおっさんになったなー」なんて言いながら、練習終わりに飲みに行って、あの時はああだったなんて何年も昔の話を何度も何度もする。そんなバンドをお前は望んでいるのか?


違うだろ、血が滾り、ライブ一本ごとに血を全部入れ替えて沸騰させてこの世の中と死闘を繰り広げる。


お前が求めているのはそんなバンドだろ?


でも、どうだ?俺たちはそれぞれ大人になった。


毎日不平不満を貯めながらそれでも働いて金稼いで生きていく。


日々の退屈を許容しながら心が少し固くなっていくのを感じても、それでも俺たちは生きていかねばならない。


ライクアローリングストーン。それでも転がり続けるしかないだろ。


「いつまでもガキみたいなこと言ってんじゃねえよ」


俺はそう叫び、海水を蹴り上げた。


右足がグズグズに濡れてしまった。






「マスターどうしてあんなこと言ったんだ?」


俺はマスターにそう投げかける。


「リョウ、ちょっと歩くか」


そう言ってマスターは俺にタバコを一本差し出した。






am5:30




「なんで、あんなことを言ったのか、自分でもな、よくわからないんだ」


マスターと俺は海辺の道路を歩いている。


「リョウ、生きてて楽しいか?」


朝の潮風が涼しく気持ちいい、あと数時間もすれば暑くて仕方なくなってしまうだろう。


「なんだよそりゃ」


「俺は楽しくねえぞ」


マスターは笑いながら言った。


「毎日、朝に帰って夕方まで寝て、そっから買い出し行って仕込みしてたら開店だ。そっからまた朝まで馬鹿に酒出して、朝になれば、これが俺の人生なのかと思いながら店の鍵を閉める。俺の人生はこんな小さい町の小さい店で終わるんだと思うと死にたくなるよ」




マスターは更に笑った。


マスターに会うのはいつも薄暗い店の中でだ。俺たちがいつ行っても小言とビールで出迎えてくれる屈強で皮肉屋のおっさんは朝日に照らされ、いつもよりも小さく見えた。


顔は日に焼けて真っ黒、そして、シワだらけのシミだらけの顔を歪ませてマスターは笑った。




「マスター、それは殆どの人間が感じていることなんじゃねえのか?」




俺だってそうだ。毎朝嫌々起きて、嫌々仕事して、家に帰って飯食って寝る。


つまらないがこれが人生だろ?


それに仕事だって毎日楽しくないわけじゃない、やりがいはある。


でも、あの頃の、ステージで心を燃やしていたあの瞬間と比べてしまう自分もいる。


あの頃に比べて俺はちゃんと生きていると言えるのかと自問してしまう自分がいる。




「リョウ、みんなおんなじだから我慢すべきなんてのは自分が大人になったと思い込んでる馬鹿が言うことだ。人生は熱く生きた方がいいに決まってる。それで失敗しようが地の底に沈もうがやらないよりかはマシだ」




こんなにマスターが話すところを見たのははじめてだ。


俺は物心ついた頃からマスターと一緒にいたけど、その実、この人のことを全く知らないことに気がついた。




「いいか、お前が今感じてる苛立ちや不安は俺くらいの年になったって消えやしねえよ。何年経っても根っこの部分ってのは大人になってくれねえ、別に仕事を辞めてバンドで飯食えなんてこと言う訳じゃねえ、けどな、お前ら4人もう一回バンドやってみろや、死ぬ気で週末まで練習してみろ。きっと何も変わりゃしねえ、でも、そしたらな、もうちょいましに生きていけるぞ」




「マスター…」


俺は何も言えなかった。ライクアローリングストーン。ローリングとは流れに乗って転がる事を言うんじゃない、流れに逆らって歪に不気味に、しかし、しっかりと転がる事なのだ。




「話しすぎたな、柄でもねえ、リョウ…お前もう帰れ、帰って寝ろ」


マスターがタンを道路に吐き捨てながら言った。いつもの粗野で無愛想なマスターが戻ってきた。




「おう、マスター…おやすみ」


俺はそう言い、マスターとは逆方向に歩いていった。

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