エピローグ.夏の終わり

「これがC、抑えてみ」


昼過ぎのカリフォルニア、店内には明かりが灯っており、長髪を後ろで束ね、無精髭を生やした男を中心に子供らが半円を描くように椅子に座っていた。その手には皆ギターを持っている。


「さんはい」


ヨシの掛け声とともに合唱が始まった。


きらきら星だ。簡単な曲だ。


皆一様にギターと睨めっこしながら、一音一音確かめる様に鳴らしている。


全員のペースが乱れるものだから、合唱の体をなさなくなっていった。しかし、子供達は顔を赤くしてギターにかじりついている。


その顔を見て、ヨシは満足そうに笑った。




「せんせー、じゃあーねー」とレッスンが終わった子供らが外へとかけて行く、ヨシがその姿を見送り、手を振っていると、入れ替わるように男が入ってきた。




その男は黒いシャツを着込み、金髪で恰幅がよかった。男は腕を組みながらニヤニヤとヨシを眺めている。


「様になってるじゃねえか、ヨシ」


「グッチー」


ヨシが椅子を勧め、そこにグッチーは座った。


「なんか飲むか?」


「ビールくれ」


ヨシが準備し、2人は乾杯してビールを飲んだ。


「ギターレッスンか…」


グッチーがしみじみという。


「ああ、昼の間親父にここを貸してもらってな」


「なんつーか…」


「昔の俺たちを見てる様な気分だろ?」


2人は笑った。


「無理して会社勤めするよりも俺にはこっちのが合ってる、ガキどもにギター教えるのも結構楽しくてな」


ヨシがとうとうと語る。




あのライブから既に1ヶ月が経った。


ライブはお世辞にもいい出来とはいえなかった。何度も何度もミスをした。手が、足が、声が追いつかなかった。明らかに技術ではハイネックフリーダムに劣っていた。


それでも楽しかった。涙が出るほど楽しかった。


ライブ後、その場にいた人間全員で朝まで飲んだ。クタクタになるまで飲んだ。


翌日、リョウはまた都会へと帰っていった。




3人で駅まで見送りに行った。


別れ際、押し黙った。


気まずい沈黙が流れた。それを破ったのはグッチーだった。


「お前よ、才能あるんだから、あっちでも歌えよ」


本心からの言葉だった。青春をコイツにかけてたんだ。とグッチーはその時気がついた。俺が青春をかけた男が都会でぼけっと生きてるなんて、俺には許せねえ。




リョウは答えるでもなく、微笑み、手を挙げて駅に消えていった。




「そう言えば、テツから聞いたか?」


ヨシが言う。既に顔は真っ赤だった。


「聞いたよ、結婚するんだってな」


「今日はキョウコちゃんの両親に挨拶に行くらしいぞ」


そう聞くとグッチーはニヤリと口を釣り上げた。


「お前は知らねえだろうがな」


「おう」


「ありゃ、揉めるぞ」










「てっちゃん緊張してる?」


キョウコはさっきからそう何度もテツに聞いている。


スーツを着込み、車を運転するテツはどこからどう見ても緊張していた。




プロポーズをしたのがあのライブの翌日だった。


テツは部屋に帰るとすぐに飯の支度をするキョウコを抱きしめた。


「どうしたのてっちゃん」


「結婚しよう」


テツは我ながらロマンチックさのカケラもないプロポーズだなと思った。


不器用で、真っ直ぐで、しかし、それが自分なんだ。これが俺だ。


「うんいいよ」


キョウコは腕の中で笑った。






「大丈夫だよ、お父さん優しいし」


キョウコはテツの太ももに手を乗せた。


彼の緊張を少しでも和らげようと笑った。


しかし、テツの汗は止まるどころか、更に勢いを増し、垂れ流された。


「それはキョウコに対してってわけで、つまりな…」


そこで口籠った。何を俺は不安がっているんだ。


不安、その2文字が頭によぎった時、テツはライブのことを思い出した。


ライブはいつだって不安だった。ライブ前はいつも逃げ出したくなった。ドラムが止まれば曲が止まる。俺のミスはバンドのミスにつながる。


そう思うと、怖くて仕方なかった。


でも、周りにはいつもあいつらがいた。あいつらが俺を支えてくれた。


そして、今、俺の横にはキョウコがいる。


キョウコは今まさに俺を支えようとしてくれている。


ライブとおんなじだ。期待に応えてやらないと。テツはキョウコの手を強く握りしめた。






キョウコの家は洋風の大きな家だった。花壇には花が咲き、車庫には外車が並んでいる。


俺の生まれた町にはこんな家はなかったな。




「てっちゃん、不安?」


キョウコがテツに問いかける。


「大丈夫」


そう言い。2人は家のドアをくぐった。


「ただいまー」


キョウコがそういうと、キョウコの母が玄関先までかけて来た。


「あら、あなたが哲也さん?娘から話は聞いてますよ」


気さくそうな人だった。テツはカチコチに固まっていた。


キョウコの母が玄関先から夫、つまりキョウコの父親を呼んだ。


お父さん、キョウコが帰って来ましたよ。


奥からのそのそと男が歩いて来た。


ハゲ上がった頭、ドッシリとした体を揺らして歩いて来る。口はへの字に曲がり、目は訝しげにテツを眺めていた。


キョウコの父がテツに向ける視線は何かを試す様でもあった。


負けるか!!!とテツは心の中で呟いた。


俺は男だ!!!そう心に意気込むテツは側から見れば明らかに冷静ではなかった。


頭が沸騰しそうなほど熱くなり、テツはその場に座り込んだ。


「お父さん、お母さん、娘さんとの結婚をお許しください」


そう言って頭を深々と下げた。




しまった。とテツは思った。カラ回った。


緊張しすぎた。意気込みすぎた。でも、なんだ、これが俺だ。これが俺なんだ。どんなに時間が掛かろうが、絶対にこの人たちの家族になってやる。そう思うとなんだか笑えてきた。無性にドラムが恋しかった。






繁華街の片隅にあるライブハウスの看板にはアルファベット表記のバンド名と並んで、リョウ(ビューティフルブラザーズ)と書かれていた。




俺がステージに出ると暗い客席からまばらな拍手が聞こえた。


顔を上げて見ると、そこには数人の客しかいなかった。皆、試す様な目つきで俺を眺めている。


その視線がやけに気持ちよかった。


椅子に座り、アコースティックギターを抱える。


1人だった。でも、1人ではなかった。後ろを見るとテツが笑っている。右を見ればヨシが俺のことを睨んでる。左を見ると緊張した面持ちのグッチーがベースを構えている。




何も言わずにギターをかき鳴らす、シンプルなバッキングにシンプルなコード進行だ。


なんの変哲もない演奏だ。だからこそ、歌が映える。そんな曲を用意した。


さぁ、歌うぞ。


その刹那、疑問が頭をかすめた。




一体、なんの為に歌うのだろう。


分からない、分からなくてもいい、ライクアローリングストーン。転がるだけだ。




俺は暗闇に向かって叫んだ。

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