3.街へ出ようよ
朝起きると天と地が逆転しており、目の前の大きな目と見つめ合った。その目が死んだ魚の目と気付くのに3秒、車の中でひっくり返ってることに気がつくまで5秒かかった。
とにかく生臭いし、磯臭い。
股間に違和感を感じて、首だけ動かして見てみると、朝立ちしたチンコの代わりに、にょきりとグッチーの顔が生えていた。
まるでおにぎりみたいだ。俺とグッチーは米役、魚は具。ギュッギュッと握り込まれた俺たちは、おむすびころりんと投げ捨てられ、行き着いた先が後部座席だった。そんな有様だ。
俺は、1匹と1人を手と足で押しのけ、前を見た。
助手席ではヨシがなぜか全裸で寝ていた。ガリガリの白い胴体と真っ黒に焼けた手足と顔のコントラストをぼんやりと俺は眺めていた。するとすすり泣く声が聞こえた。
運転席を見ると、ハラハラと泣いているではないか。
「どうした?テツ?」と俺が聞くとテツは黙って前を指差した。
俺が身を乗り出して見てみると、車のボンネットはなく、中身が丸見えだった。
「な!!!」俺は短く叫ぶと車から降りて、車体を見た。
車は傷だらけで所々凹んでいるし、助手席のガラスは粉々に割れていた。
そこでようやく俺は昨日ぶっ倒れてからの記憶が全くないことに気がついた。
昨日の防波堤から数メートルも進んでいない位置に車は止まっていた。
車のそばを野球のユニフォームを着た少年達が通っていった。彼らは見てはいけないものを見るような目で車と俺を交互にチラチラと見ながらそばを横切っていった。
俺たちみたいな大人には決してなるべからず。俺は心の中で少年達に言った。
am:9:00
4人とも昨夜、魚を捕獲して以降の記憶が一切ない。
「俺たち誰か轢いたり、なんか壊したりしてねえよな?」と心配そうにテツは呟いた。
「俺たちじゃねえ、お前だよ、運転手の責任じゃ…」と俺は冷酷に言ったらテツは顔をくちゃくちゃにしかめて、今にも泣き出しそうになってしまった。
「刑務所に行くときは4人一緒に行こう。で、刑務所で昔みたいにバンドしようぜ。ブルースブラザーズみたいでカッコいいべ」とヨシ。
「俺には妻と幼い子供がいるんだ。悪いけど、お前ら3人で行ってくれ」
とグッチーが頭を抱えながら呟いた。
不幸中の幸いで、俺たち4人に怪我はなかった。更に幸運だったのは車は時速10キロしか出ないけど、プスプスと煙をあげながら走ってくれたことだった。
テツは律儀にも俺たち3人を家まで送り届けてくれた。
「なぁ、あの女はどこに行った?」と俺は道中3人に聞いたが、誰も知らなかった。
家に帰った俺を見るなり、母さんは血相を変えて走り寄ってきた。
「あんた、どうしたんや!?人でも殺したんか!?」
このババアは何を言ってるんだ?と俺は訝しげに母の顔を見ていたが、なるほど、合点がいった。
俺の着ていたTシャツは魚の血で真っ赤に染まっていたのだった。
「違う違う、これは血だよ」
俺も眠気と酔いで頭が回らなかった。
「あんた!!!」と叫ぶと母は俺の頭をぽかんと殴った。
「違う、違うんだって、とにかく」
尚も母は俺をポカポカと殴る。あー…もう…
「とにかく寝させてくれ」
ひねり出すように俺は叫んだ。
結局、母の誤解を解いて、俺が布団に入る頃には12時を回っていた。
12years ago
俺たちは毎日毎日練習した。
バンドでの課題曲は毎回じゃんけんで勝った者順に決めていった。
俺はビートルズのインマイライフを選んだし、グッチーはセックス・ピストルズのピル、テツはザ・フーのマイジェネレイション、ヨシはローリングストーンズのサティスファクション…そしてまた俺が課題曲を選ぶ…
勉強も部活もせず、ひたすらバンドをしていた俺たちは一年もすると持ち曲が30曲くらいできていた。
「そろそろオリジナル作ろうぜ」
中2の冬、場所はもちろんカリフォルニア。練習終わりにヨシが言った。
遂にこの時がきた。俺たちはこの時の為に牙を磨いてきたのだ。
曲はヨシが持ってきたリフから作った。ヨシらしからぬアンニュイなフレーズだった。8小節にも及ぶ長いギターソロでのイントロ、その後に訪れる一瞬のブレイク、爆音と絶叫、グッチーの愚直過ぎるシンプルなベース、テツのパワフルだけど、どこか哀愁すら漂う乾いたドラム、そこに俺のボーカルが乗っかる。
出来上がった曲は今までコピーしてきた曲のどれとも似ていなかった。恐らく有史以来作られてきた音楽のどれにも当てはまらない、まさに俺たち4人のオリジナルだった。
曲が完成したのは2月の凍えるように寒い日だった。練習終わりにそのままカリフォルニアに居座り、開店した店でコーラで祝杯をあげた。
「スゲーの作っちまったな!!!」
テツが興奮した口調で言うと、皆頷いた。
「これは音楽史が変わる」
俺はそう言った。当時は本当にそう思っていたのだ。
「ライブしようぜ。親父に言ってライブ組んでもらってさ」
ヨシがそう言った。カリフォルニアでは定期的にバンドを呼んでライブが開催されていた。来るのは何時も質のいいベテランバンドばかりだった。
「マスターいいって言うかな?」
「これだけいい曲だぜ、聞かせたら親父の方から泣いて頼んでくるぜ」
そうだな、あれだけいい曲だもんな
俺たちは笑いあってお腹がタポタポになるまでコーラを飲んだ。
「おい、俺たち大事なこと忘れてるぞ」
宴もたけなわな時、グッチーが言った。
「バンド名まだ決めてないぞ」
pm4:00
ぐっすりと家で寝た後、夕日に顔を焼かれて俺は目を覚ました。
寝汗で身体がビショビショだったのでシャワーを浴びた。
パンツ一枚で居間に行くと、母さんがテレビを見ていた。昔の人気ドラマの再放送だ。
「あんた、今日は夕飯食べるの?」と母さんが俺には目もむけず聞いてきた。
「あー、2日連続で夜通し遊んだしね。流石に今日は家で食べるよ」
俺は冷蔵庫から麦茶を取り出し、一口飲んだ。
「今日はお父さんも帰ってくるから、張り切って料理しなくちゃ」
持っていた麦茶を落としそうになる。
「親父帰ってくるの?」
「言ってなかった?」
「聞いてねえよ、予定変更、外でなんか食ってくるわ」
「ちょっとリョウ、あんた子供みたいなこと言わんで」
「お母さん、僕はいつまで経ってもあなたとお父さんの子供なんですよ。僕は永遠の子供なんです」
「適当言わんと家で飯食いなさい!!!」
「嫌だ!!!どうせ、昼間の血だらけTシャツのこと親父に言うんだろ!?親父に知れたら殺されちまう!!!」
「25にもなって殺されるようなことしとる方が悪い!!!」
「親父には正月に会いましょうとお伝えくだされ」
俺は財布と携帯だけ引っ掴んで逃げるように家を飛び出した。
long long ago
親父はデカイ船の船長で一度家を出ると数ヶ月帰ってこない。
小さい時、親父は俺の誇りだった。
港に停泊している馬鹿でかい船を指差して、
「あれがお父さんのお船?」と聞くと
「リョウ違うよ、その奥のもっとデカイ船が父さんの舟さ」と言った。子供心に痺れた。
親父は昔から異様に厳しかった。体罰なんて当たり前でよく殴られた。でも、頭ごなしにとやかく言うタイプではなく、一本筋の通った海の男だった。
「この町を出たい」
高校三年生の秋に親父にそう言った。だから受験は近くの大学じゃなくて、遠い都会の大学を受験したい。そう言った。
母さんは断固反対した。そんな遠くに行ってこの子は遊ぶに決まっとる。近場の大学でええやんか。そう言う母さんのことをそっと父は制した。
「リョウ、都会に行きたいから都会の大学に行くってのは納得できん。大学は遊び場じゃないんやぞ。なんでそこまで都会に行きたいんや。納得できる説明をしてくれんか?」
親父は静かによく通る声で言った。
「自分を試したいんや。この町で暮らして、就職して、結婚して、子供ができて、テツやヨシやグッチー達とハゲた頭を撫でて、太った腹をさすって、『俺らも老けたなぁ、昔は良かったのに』なんて言ってるのを想像するとゾッとするんや。一度でいいから外の世界を見て、外の世界で生きてみたいんや、間口さん家の息子さんやなく、間口良として自分がどんなもんなのか見てみたいんや。この町にいると…この町にいると俺は息が詰まりそうになる。知った顔、知った店、知った海、ここにおると俺はゆっくり死んでくように思えるんや、父さんはなんで船に乗ったん?俺と同じこと思ったからちゃうん!?」
俺は一気にまくし立てた。最後の方はほとんど泣いていた。
親父は何も言わなかった。俺は自分の部屋に駆け入り、布団にくるまって泣いた。
翌日、母さんから父さんが俺の都会の大学受験を認めたことを教えてもらった。
そして、俺は都会の大学に入り、それなりに遊んでそれなりに勉強して、それなりの会社に就職して今に至る。
pm6:00
蒸し暑さを我慢して、カリフォルニアまで歩いていた。この小さな町にも3人に電話をかけてみたが、テツは彼女とデート、グッチーは家族サービス、ヨシは電話に出なかった。
夕暮れの中、汗を流して、ベタンペタンとサンダルを鳴らして歩く。
家々が立ち並ぶ住宅地のどこからか太鼓の音が聞こえる。前から子供たちが歩いてくる、浴衣を着て騒いでいる。今日は祭りのようだ。この小さな町にも祭りがあったのか、俺が小さな頃からも祭りはあったっけ?まったく思い出せない。
彼らは近くの大きな公園に消えていった。
見やると、赤い提灯と出店が立ち並び、子供らが綿菓子やラムネを片手に辺りを歩いている。子供以外にも中高生のガキ共や、大人もかなりの人がいた。
この小さな町にこんなにも人がいるのかと驚いた。
ビールでも買って、飲みながらカリフォルニアに向かうか、と俺はふらりと祭りの会場に入った。
「おじさん、ビール一本」
「おう、間口さんとこの息子さんか、大きくなったな!!!」
このオッさんはどこの誰だ?俺はへぇ、まぁ、とか適当なことを言ってすぐに祭りから出ようと思った。
「おーい、りょうくん」
小走りで公演を後にしようとした時、後ろから声をかけられた。
振り向くと、雑踏の中、とんでもない美女が俺のことを見ていた。ミキちゃんだった。
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