親友の好きな娘とふたり暮らしすることになった
藤井論理
第1話 安心できる枕
――376。380。383……。
仮設の掲示板に貼りだされた飛び飛びの受験番号を、ひとつひとつ、ことさらのようにゆっくりと目で捉えていく。
俺の番号は『391』。合否がどちらにしろ、そろそろ結果が分かる。
心臓が早く、激しく鼓動する。
俺は目をつむり、大きく深呼吸をした。
――緊張することじゃない。この高校にどうしても入りたいわけじゃないし。
そう自分に言い聞かせても動悸は治まってはくれなかった。
「……よしっ」
掛け声で弾みをつけ、目を開こうとした、その瞬間。
「あった!」
隣から明るい声が響いたかと思うと、肩をがっしと掴まれて激しく揺すられる。
「あったよ!
「お前な……」
俺は隣の人物――幼馴染みで親友の
「本人を差し置きすぎだろ」
先に合否を確認したばかりか俺より喜んでいる。
「ごめん! でもよかった! おめでとう!」
「……ありがとう。お前もおめでとう」
まあ、悪い気はしない。しかし――。
――受かっちまったか……。
心のどこかに『落ちていればよかったのに』という思いもあった。
「静樹、はしゃぎすぎ」
左隣から、静樹とは対照的な冷めた声が聞こえた。
「受かるよ、適切な努力をしたんだから」
「そうだぞ、もっと俺を称えろ」
「橙也は調子に乗らないっ」
「なんだよ、俺の天才的な能力を褒めたんじゃないのか?」
「わたしが勉強を教えたんでしょ……。三年になってもなにもしてないから、お尻を蹴り飛ばしてあげたんじゃない」
「その節はお尻を蹴っ飛ばしていただいてありがとうございました、女王様。とても良かったです」
周囲にいた受験生やその親たちが「え?」という顔でちらりとこちらに目をやった。莉桜は大慌てで抗議する。
「ちょ、ちょっと……! こんな公衆の面前で卑猥な冗談言わないでよ……!」
「え、卑猥だった? どのあたりが? ねえ、どのあたりが?」
「こ、この……!」
紅潮した顔に怒りの表情が浮かぶ。
「まあまあ、じゃれ合うのはそれくらいにして」
静樹が俺たちのあいだに入って取り成す。
「じゃれ合ってねえ!」「じゃれ合ってない!」
俺と莉桜の声が重なった。
「はいはい」と呆れたように笑った静樹は、俺たちの肩を抱いてぐいっと引き寄せた。
「な、なんだよ」
「やったよね、僕たち」
噛みしめるように言う。
「また同じ学校に行ける」
「……ああ」
「橙也がしっかりしていればここまでの苦労はしなかったんだけど」
莉桜が憎まれ口を叩く。
「お前なあ、ここは喜びを分かちあう流れだろ」
「喜んでないとは言ってない」
と、そっぽを向いた。
「じゃあ小躍りしろよ」
「まず橙也からやりなさいよ」
「おお、見てろ」
俺は小さな身振りで盆踊りを踊ってみせた。
莉桜は蔑むような眼差しになる。
「バカじゃないの?」
「お前がやれって言ったんだろ!」
「小躍りの躍りは飛びあがること。舞を踊るほうじゃない」
「知ってるよ。ほんと冗談の分からない奴だな」
「ああ、冗談だったの? 今のが本気でも橙也なら違和感なかったから」
「あ? どういう意味だ?」
「そういう意味ですけど?」
俺たちは顔を近づけてにらみあう。
「はいはいはい!」
また静樹が仲裁に入った。
「ほんとにもう、仲がいいんだから」
「「よくない!」」
俺と莉桜は異口同音に抗議の声をあげた。
合格発表という一大イベントだというのに、俺たち三人はあまりにもいつもどおりだ。
それが嬉しくもあり、ほんの少し苦しくもある。
「国枝くん! 莉桜!」
横合いから声がかかった。俺の知らない、他校の制服を着た女子だ。
「ああ井川さん。どうだった?」
静樹の問いに彼女はピースした。
「よかった。高校は同じところに通えるね」
彼女の後ろにも数人の女子たちがいる。今の会話からすると、静樹と莉桜が通っていた塾の知りあいかなにかだろう。
無関係の俺は、お互いを讃えあう彼らを少し離れたところでぼんやりと見ていた。
静樹と話す井川さんたちの表情はきらきらとしている。彼への熱い視線を見るかぎり、志望校合格だけがその理由ではないようだ。
それももっともなことだ。百八十センチに迫る身長、小さい頭、長い脚。やや垂れ目の優しげな顔立ちに穏やかな口調。男の俺だってたまに気持ちがざわざわするほどだ。
しかしそんな眼差しを浴びる静樹の視線は井川さんたちを通り越し、べつの友だちと話しこむ莉桜のほうへちらちらと向けられていた。
長い黒髪に意志の強そうな眉。利発そうで、それでいて気品も感じさせる目鼻立ち。莉桜はひいき目に見るまでもなくきれいだ。
静樹の視線に気づいた莉桜が微笑む。静樹ははにかむような笑みを浮かべた。
お似合いのふたり。
――……。
彼らに背を向け、ダウンのポケットに手を突っこみ、正門へと歩く。掲示板前の喧騒が遠くなっていく。
俺はすでに莉桜にフラれている。言葉で告白をしたわけではない。でも、好意を持っていると伝える行為をした。小学生のころだ。
その結果、莉桜は激怒し、なかば絶縁状態になった。一ヶ月近く口をきかなかったのは、あとにも先にもこのときだけだ。それに女子同士の恋バナで、静樹が好きだということを口にしていたのも耳にした。
俺の恋はもう終わっている。なのにまだ、胸の奥底がしくしくと痛んでいる。
「橙也!」
たたた、と静樹が駆けてくる。
「どこ行くの」
「どっかにコンポタ売ってないかなって。ぼーっと突っ立ってたら寒くなったんだよ」
「橙也を紹介しようと思ったんだけど、なかなかタイミングがなくて」
「いいよべつに。モテすぎちゃったら申し訳ないし」
「うん、きっと井川さんたちも橙也のこと気に入ると思うんだ」
――こいつはこいつで冗談が通じねえ……。
俺は天を仰いだ。
「女の子と話すの緊張するから逃げたんでしょ」
あとからやってきた莉桜がさっそく憎まれ口を叩く。
「同じ学校に通うんだし、挨拶しておけばいいのに」
「いちいちうるさいな、オカンかお前は。それに逃げたんじゃねえわ」
「じゃあなんだっていうの?」
莉桜は腕を組み、挑発的な視線を送ってくる。
コミュニケーションから逃げたわけじゃない。莉桜と静樹の仲睦まじい様子にいたたまれなくなっただけだ。
「……お前のせいだ」
「はあ? どうしてわたし」
「だって俺――」
俺は肩をすくめた。
「俺が入っていったらお前の素が出るだろ。せっかくうまいこと上品を装ってるのに。感謝してほしいな」
「べつに装ってませんけど! わたしが小言を言うのは橙也がふざけるからでしょ」
「お前がカリカリするから小粋なジョークで空気を和ませようとしてるんだろうが」
「逆に空気が冷え冷えとするんだけど」
「してませんー。お前がジョークを解さないだけですー」
「解したうえでつまんないって言ってるの」
「ほっほう。莉桜さんは腕に覚えがあると見える。じゃあハンバーグが焼けるほどの熱々鉄板ジョークをどうぞ」
「出された料理がおいしいかまずいかはコックじゃなくても分かるでしょ」
「素人は黙っててくれないかっ」
「橙也が玄人とは思えないけど」
俺たちは同時に静樹のほうを見た。
「つまんないことはないよな!」「つまんないよね!」
「うん……」
静樹は困り果てた顔で言う。
「とりあえず今は……、とても恥ずかしいかな」
言われて気づく。道行く受験生や父母だちが、こちらをちらちら見たりくすくす笑っていることに。
「ま、まあ、ディベートの練習はこれくらいにしようか」
俺は背筋を伸ばし、ダウンジャケットの襟を正した。
莉桜は額に手を当てる。
「あ~、最悪……。語り草になっちゃう……」
「長い人生、そういうこともあるさ」
「橙也のせいでしょ……!」
静樹がぱんと柏手を打った。
「はい、おしまい。お腹が空いてるいらいらするんだよ。早く帰ってなにか食べよう」
この短時間に三度も仲裁させてしまった。三人の歴史を振りかえってもここまでのはなかなかない。なんだかんだ言って、合格で俺もテンションが上がってしまっているのかもしれない。
俺たちは静樹の提案に従い、学校を出て駅へ向かった。
三人並んで電車の席に座る。俺、莉桜、静樹の順。
車内は暖房が効いていて、冷えていた手足にじんと血が巡るのを感じる。早起きと緊張からの開放感と適度な揺れのせいで、急に眠気がやってきた。
――やべ、寝そう……。
重くなるまぶたに抗っていると、
「橙也、あのさ」
と、静樹に話しかけられ、俺ははっと顔をあげた。
「ん? なに?」
「ありがとう」
「……なにが?」
「話しかけてくれて」
寝言でも言ってしまっていたのだろうか。いや、意識はあったはずだ。隣の莉桜はすっかり目をつむり、こっくりこっくりしているが。
静樹は遠くを見るような目で話す。
「小学生のとき、クラスの子たちから無視されてる僕に」
――ああ、昔の話か。
静樹は転校生で、最初は人気者だったけど、いじめられている子を助けたのをきっかけに、リーダー的な男子の号令でクラス全員からシカトをされていた。そんな静樹に俺が声をかけた――のだが。
「ん、お、おう、どうってことない」
少々美化しすぎだ。
『はみ出してる俺、格好いい』
それが当時の俺の行動理念だ。奇っ怪で天の邪鬼な言動を繰りかえし、クラスで浮いた存在になっていた。早すぎた中二病である。
だから、同じくはみ出した静樹なら仲間になれると考えたのだ。莉桜とはすでに仲がよかったが、一緒に騒ぐことができる男友だちも欲しい。そんな俺に、彼の存在はネギを背負ったカモだったわけだ。
だからここまで感謝されると、なんというか、気が咎める。
「橙也がいなかったら僕、不登校になっていたかもしれない。本当に感謝してる」
静樹はまっすぐな瞳で俺を見る。こいつはこういうことを恥ずかしげもなく言える奴だ。むしろこっちのほうが照れてしまう。
「……こっちこそ」
それは俺の素直な気持ちだ。静樹や莉桜がいなければ、俺の少年時代は暗黒だったに違いない。
「これからもずっと、この三人で仲よくしていたいよね」
「……そうだな」
本当に、そう思う。この三人が俺の人生の核だ。
だからこそ俺は、それを守りたい。
と、そのとき、いきなり左肩に重みがかかった。
莉桜が俺にもたれかかっていた。
――うおおい、馬鹿野郎! もたれるなら静樹のほうだろうが……!
莉桜をこんなに間近で見るのは、子供のころ彼女と相撲をとったとき以来だった。
――頭小せえな……。っていうかまつ毛長っ……。
シャンプーかコロンか、あるいは莉桜自身の匂いか、ふわりと果物のような甘い香りが鼻先をくすぐる。ダウンジャケット越しに感じる柔らかな感触も、子供のころの筋張ったそれとはまったく変わっていた。
心臓が早鐘のように脈打つ。
――や、やめろ、止まれっ。……いや、止まったら死ぬわ。治まれ!
このままでは胸の高鳴りを莉桜に悟られてしまう。
デコピンで起こしてやろうと、莉桜の額に右手を伸ばす。
「寝かせてあげなよ。疲れてるんだよ」
静樹が制止した。
「さっき気丈に振る舞ってたけど、本当は緊張してたんだと思う」
なんというお人好し。本当は気が気でないくせに。
俺は右手を引っこめた。しかし危機が去ったわけではない。
俺はポケットからスマホをとりだし、フォトアプリのアイコンをタップした。そして、母親が台湾旅行に行ったときに送ってきた、チャイナドレスのコスプレ写真を開く。
ラメがきらきらした真っ赤なチャイナドレス。もふもふした扇子。スリットから覗く脚。
動悸が瞬く間に治まっていった。
――ありがとう、母さん。
窮地は脱した。しかし俺たちの家はド田舎。それからさらに一時間以上、莉桜と密着したまま電車に揺られることとなった。
やがて、降りる駅がアナウンスされた。莉桜はびくりと痙攣し、弾かれたような勢いで身体を起こす。
そしてしばらく呆然とした顔で俺を見たあと、おずおずと尋ねた。
「も、もしかして、肩に――?」
「気の抜けた顔でぐーすか寝てたぞ。ひとを枕にするとはいいご身分だな」
俺の嫌味に対して莉桜は反論してこなかった。それどころか手の甲で口元を隠し、
「ご、ごめん……」
と、謝罪の言葉を口にする。顔といわず耳まで真っ赤だ。
――や、やめろよそういうリアクションはっ。こっちまで恥ずかしくなるだろうが……!
「お、おお……」
俺はうめき声みたいな返答しかできなかった。
電車を降り、改札を抜けて、駅を出る。終始、俺は莉桜のほうを見ることができず、向こうも無言だった。
「そ、そうだ! 通販で買った本がコンビニに届いてるんだった! 俺、受けとりに行くから、ふたりは先に帰ってろよ」
俺は自宅とは反対方向に歩きだす。
「え、じゃあ僕たちも――」
「いいからいいから。親御さんも待ってるだろ。じゃあな」
返事を待たず、ふたりに背を向けた。
早足で歩く。充分に距離をとり、俺はようやく歩く速度をゆるめた。
これでいい。静樹と莉桜をふたりきりにしてやれたし一石二鳥だ。
立ち止まり、振りかえる。ふたりの姿はすでにない。
またちくりと胸が痛む。
俺はほとんど小走りで、用もないコンビニへ向かった。
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お久しぶりです、藤井です。本日から連載を開始します!
ひとまず十話くらいまでは毎日投稿する予定です。
内容はお調子者主人公とツンデレヒロインの軽いノリの会話、舞台は家がメインの日常ものです。甘さはいつもどおり。
ぜひぜひ応援とステマ()よろしくお願いいたします!
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