第6話 だって挨拶は大事だから

 翌日の昼間、俺は買い出しに出かけていた。


 家電や家具はおじいの生前のまま残されているので、細々とした必需品や日用品だけ揃えればいい。


 別行動の莉桜は食品の買い出し担当だ。帰りの荷物が重くなるだろうし一緒に行動したほうがいいんじゃないかと提案したが、すげなく断られた。莉桜のほうから適度な距離感を保ってくれるのは助かる。が、ちょっぴり傷ついた。


 百円ショップから出ると陽光が目に飛びこんできてくらくらした。寝不足気味の俺に、このまぶしさは刺激が強すぎる。


 ぼんやりして買い忘れをしていないか買い物袋の中を確認する。


 ――ええと……、皿、茶碗、お椀、コップ、箸、スプーン……。


 そのときポケットのスマホが震動した。一瞬、莉桜からかもと胸が高鳴る。しかしすぐに冷静になり、どうせまた母さんだろうと高をくくる。


 ――今度はなんだ? 昼食にステーキでも食ったか?


 通知を確認する。そこには莉桜の名があった。危うく買い物袋を取り落としそうになる。


 ――もしかしてねぎらいの言葉とか……。


 重い食器を担いでの帰宅はかなり疲れそうだ。なんならレジから店の出入り口までを移動しただけで気持ちが挫けそうになっている。でも莉桜から『ご苦労様』の一言でもあれば頑張れる気がする。


 俺ははやる気持ちを抑え、ことさらにゆっくりと通知欄をタップしてRINEのアプリを開いた。


 そこにはこう書かれていた。


『買い出し追加


・ハンドタオル

・スリッパ

・乾電池(単三)

・三角コーナー

・まな板

・バスマット


以上』


 ――箇条書き……!


『用事がないかぎり連絡はしないから』


 その言葉に嘘偽りのない『ザ・用事』な内容だった。事務的が過ぎる。とくに『以上』の定型文感が分厚い壁を感じさせた。


 ――なんかこう一言『お願いね』くらい書いてもばちは当たらないだろお……!


 などと心の中で文句を言っても空しいだけ。無い物ねだりだ。


 俺は追加の品を買いに、すごすごと店内へ引きかえした。





 外もすっかり暗くなった十九時ごろ。仏間で荷解きをしていると呼び鈴が鳴った。応対には莉桜が行ったようだ。今日の夕食はデリバリーを注文すると言っていたから、それが到着したのだろう。


 俺は手を止め、茶の間へ向かった。


「おお、こ、これは……!?」


 赤、オレンジ、黄、白、色とりどりに輝くそれは――。


「SU・SHI……!」

「なんで片言なの……」


 莉桜は、今日買ってきたばかりのマグカップにティーパックで緑茶を淹れていた。


「寿司だったんなら言ってくれよ。さっきカントリーマ○ム食っちゃっただろ」

「お寿司じゃなくても夕飯前にお菓子を食べないでよ」

「でもそこにカン○リーマアムがあったわけだし、仕方なくない?」

「理性を動員して」

「お前カン○リーマアム嫌いなのか?」

「好きだけど! 食後に食べればいいでしょ」

「でもそこにカン――」

「いいから座って」

「はい」


 俺は莉桜の斜め向かいに座り、紙おしぼりで手を拭く。


「それにしても奮発したな。俺はいくら出せばいいんだ?」

「大丈夫、お母さんの奢りだから」

「マアムの?」

「うまいこと言った、みたいな顔をしないでもらえる?」

「でもなんでまた」

「よろしくお願いします、ってことでしょ、きっと」


 と、湯気の立つマグカップを差し出した。俺はぺこぺこと頭を下げる。


「あ、すんませんね。奢ってもらったばかりかお茶まで出してもらって。けひひ」

「お礼はちゃんと言う」

「ごちになります!」

「……まあいいけど。それじゃあ、いただきましょう」

「あ、その前に」


 俺はスマホで寿司の写真を撮った。


「○ンスタでもやってるの?」

「いや、ただのささやかな抵抗」

「なにそれ」

「目には目をって言うだろ。だから寿司には寿司を」

「余計に分からなくなった」

「つまり――」

「まあ興味ないけど」


 ――じゃあ聞くなよ……!


 莉桜は手を合わせ、「いただきます」とつぶやくように言った。さらっと流されてしまい不服ではあったが、そんなことより寿司だ。


 さて、なにから手をつけよう。マグロ、サーモン、イカ、サバ、イクラ、トビッコ、ホッキ、タマゴ。嫌いなものはない。というか、全部好き。


 しかし問題がある。それは各三つずつということだ。俺たちはふたり。もちろん割りきれない。


 莉桜はマグカップを両手で持ち、緑茶の香りを胸いっぱいに吸いこんだあと、ちびちびと口をつけている。


 ――う~ん……。


「なに?」


 莉桜の疑問の声で我に返る。


「え?」

「ひとの顔をじっと見て」


 しまった、考え事をしていて無意識に見つめてしまっていたようだ。ごまかさないと。


「い、いや。――整った顔をしてるなって」

「え……」


 莉桜の目が泳ぐ。


「な、なに、急に。お寿司を奢ってもらうからっておだててるんでしょ」

「本気で思ってる」

「……本気で?」

「ああ。だって、ちゃんと目の下に鼻があるし、しかもその下に口も付いてる」

「『整ってる』の基準が低くすぎでしょ!」

「生き物ってよくできてるなって思って」

「このタイミングで生命の神秘に目覚めないでよ」

「馬鹿なこと言ってないで食うぞ」

「言いだしたのはそっち……」


 はあ、とため息をつき、改めていただきますを言って、俺たちは寿司を食べはじめる。


「待て」


 俺は手のひらを莉桜へ突きだす。


「今度はなに」


 莉桜の問いには返事をせず、俺は割り箸でホッキの握りをつまみ、寿司醤油をちょんとつけて口に運んだ。


「うまっ」

「……なんでわたし止められたの」

「ホッキが好きだから、先に食べられたくなかった」

「なに? その独占欲……」


 俺はふたつめのホッキも食べた。


「シャキッとした歯触りと磯の香りがたまらん……!」

「それはなにより」

「代わりにイクラとトビッコ食べていいぞ。あんまり好きじゃないから」

「え? イクラとトビッコが嫌いなひとなんているの?」

「いるだろそりゃ。俺は、なんか……、食べると気が重くなる」

「なんで」

「だってこれ全部卵だろ? 命が多すぎて」

「感傷的すぎるでしょ……」

「想像力が豊かと言ってほしい」

「まあ、それならいただくけど」


 莉桜はトビッコの軍艦巻きを口に入れた。ぷちぷちと弾けるような音がこちらにも聞こえてくる。


「ん~……!」


 幸せそうな表情だ。眉も目も恵比寿様のように垂れている。


 俺の視線に気づき、莉桜は表情を引きしめた。そしてことさら落ち着いた声で言う。


「うん、まあ、おいしいかな」


 俺は顔を伏せた。笑いそうになるのを必死に我慢する。


「お、俺、つぎはサバをもらうわ」

「なんで声が震えてるの?」

「武者震いだ」

「サバに……?」


 怪訝な顔をする莉桜に俺は言う。


「だからサーモン食っていいぞ」

「……いいの?」


 不自然なほどの真顔。だからこそかえって感情――おそらく喜びの――を隠しているのが見え見えだ。


「もちろん。イクラも食うんだし、腹の中で親子対面させてやれ」

「嫌なこと言わないでよ。罪悪感が……」


 と言いつつ、イクラもサーモンもぺろりと食した。今度はさっきみたいに緩みきった顔こそしないものの、いつもの険のある表情とはほど遠い柔らかさが出ていた。


 ほどなくして、プラスチックの寿司桶は空となったのだった。





「お風呂いただきました」


 莉桜は茶の間を通りすぎ、すぐに自室の客間へ引っこんだ。風呂あがりのパジャマ姿に慣れなくて、俺はあいかわらず顔をあげられなかった。


 久しぶりの莉桜との食事は楽しかった。会話が弾む。やはり莉桜とは、根本的には馬が合うのだ。


 だからこそ思う。この妙な気持ちさえ消えてなくなれば、同居相手としてベストパートナーになれるのに。


 ……などと、叶いもしないことを願ったところでなにかが好転するわけもない。俺は大きなため息をついた。


 風呂に入り、自室の仏間にもどる。布団を敷いてごろりと寝転び、俺はスマホで母さんにメッセージを送った。


『そっちはどう? こっちは寿司』


 もちろんさっき撮った寿司の画像も添付した。


「へっ」


 ちょっと胸がすっとする。


 そうだ、莉桜のお母さんにもお礼をしとかないと。


「『寿司ごちそうさまでした おいしかったです!』と」


 紙飛行機のアイコンをタップして送信する。なぜか莉桜のお母さんとはID交換済みだ。まあ、今まで幼馴染みの連絡先を知らなかったほうが異常ではあるのだが。


 ほどなくしてスマホが震動した。返信は莉桜のお母さんからだった。


『どういたしまして 莉桜をよろしくね』


 珍しく母さんからもすぐに返信が来た。


『よかったね! おいしそう!』


 ――仕返ししがいがねえ……。


 天然というかなんというか、さすがあのおじいの娘なだけはある。


 俺は枕元にスマホを放った。脚を組み、足首を貧乏揺すりみたいにぶらぶらと動かす。


 ちらりとスマホに目をやる。


「……」


 寝返りを打ち、片付けずに積みっぱなしにしていた漫画をぱらぱらとめくる。しかしまったく頭に入ってこず、それもすぐに放った。


 もう一度、寝返りを打つ。眠ってしまいたいのに、やはりまったく眠気がやってこない。


 それでも目をつむってじっとしていると、ムー、ムー、とスマホの振動音が聞こえてきて、はっとまぶたを開けた。


 ――違う。


 俺はゆっくりとスマホに手を伸ばす。


 ――期待するな、期待するな、期待するな……。


 きっとまた母さんだ。


 通知を見る。


 莉桜の名。


 心臓が跳ねる。


 震える親指でタップ。


『さっきはありがとう』


 ――……。


『なにが?』


 既読はすぐについた。少し間を置いて、莉桜からの返信。


『橙也の嫌いなお寿司が全部わたしの好きものだと思ったのは気のせいだった?』


 俺は天を仰ぎたい気分だったが、仰向けで寝ているのでこれ以上仰ぎようがなかった。代わりにぎゅっと目をつむる。


 しばしそうしたあと、返事を送った。


『偶然だな』


 嘘だ。小さいころ、俺の家と杉里家で何度か回転寿司を食べに行ったことがある。莉桜が高価なイクラばかり食べるものだから、莉桜のお父さんの顔が引きつっていた。トビッコやサーモンも繰りかえしおかわりしていた。


 なぜそんなことを覚えているのかって? 莉桜の嬉しそうな顔が最高に可愛かったからに決まってる。


『別にそれでもいいけど』『もう一ついい?』

『今度はどんな勘違いだ?』


 俺の軽口を無視し、莉桜はこう送ってきた。


『これからよろしくね』

『今さら?』

『そういえば言ってなかったと思って』


「ふっ」


 思わず笑ってしまった。変なところで律儀なのはあいかわらずだ。


『用事がないかぎりは連絡しないんじゃなかったのか?』

『挨拶はれっきとした用事でしょ』


 ――……。


『じゃあ毎晩おやすみって送ってもいいわけだな?』


 既読はついたがなかなか返事はこない。


 ――踏みこみすぎたか……。


 送信したことを後悔しはじめたそのとき、莉桜の返信が送られてきた。


『好きにすれば?』


 気がつくと俺は空いた左手の拳を痛いくらい握りこみ、ガッツポーズをしていた。


 ――喜びすぎだろ俺。


 挨拶くらい友だちでもする。こんなの全然特別なことじゃない。


 拳をほどき、両手でスマホを持つ。


 なんて返信してやろう。


「……いや」


 奇をてらう必要はない。なぜならこれは『用事』なのだから。


『こっちこそよろしく』


 少し考えたあと、もう一つ『用事』を送った。


『おやすみ』


 チャットの画面をじっと見つめる。やがてシュポっと音がして、莉桜の返信が表示された。


『おやすみ』


 俺は枕元にスマホを置き、天井を見つめた。胸いっぱいに息を吸いこみ、大きく吐きだす。


 今日も眠れそうにない。でもそれは昨夜の生殺しのようなものとはまったく違っていた。


 ――そういえば……。


 莉桜からのRINE、部屋に戻ってからずいぶんと時間がたってから送られてきたな。


 もしかして莉桜も、俺にメッセージを送ろうかどうか迷っていたとか――。


 ――いや、ないない。


 あいつのことだ、明日の準備を終えて床に入ろうとしたとき、きちんと挨拶していなかったことを思い出して気になってしまい、嫌々RINEをしたというだけだろう。


 俺は目をつむり、やって来そうもない睡魔が訪れるのをひたすら待ちつづけた。

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