第16話 思う存分、凝視する

「よし、今日はもうなにもするな」

「なにも、って……、ご飯とかはどうするの」

「俺がやるに決まってるだろ」

「できないんでしょ」

「できないなりにやりようはあるんだよ」

「でも――」

「いいから安静にしておけ」

「たかが指の怪我だし」

「そのことだけを言ってるんじゃねえよ。自分が調子崩してるって気づいてないほど馬鹿じゃないよな?」

「……」

「お前の代わりに俺が頑張る。だからお前は頑張るな」

「でも、悪いし……」

「相棒に遠慮するなよ。次は俺が倒れるから、そのときは頼む」

「確定事項なの……?」


 莉桜はしばらく黙りこんだあと、つぶやくように言った。


「……分かった。頑張る」

「話聞けよ!」

「そうじゃなくて、頑張らないように頑張るってこと」

「もうその心構えがアウトなんだよなあ……」


 まあ提案が通っただけでもよしとしよう。


「よし、あとのことは俺に任せて、自分の部屋で昼寝でもしてろ」

「……」


 しかし莉桜はその場を動こうとはしない。


「どうした?」

「ここにいる」

「寝るならちゃんと布団で寝ろってお前が言ったんだろ」

「昼寝したら夜に寝られなくなるから。それに寝なくても安静にはできるでしょ?」

「まあそうだけど」


 莉桜は茶の間にいることが多い。俺との接触を避けて部屋に閉じこもるとばかり思っていたのだが、いったいどういう了見だろう。


 ひとまず莉桜のことは置いておこう。とっとと動かないと時間が足りなくなってしまう。まずはいつもどおり掃除を終わらせよう。


 ハンディモップで戸棚やテレビ台の埃を落とし、畳はフローリングワイパーできれいにする。


 その様子を、莉桜はちゃぶ台に頬杖をついてじっと見つめている。


 ――すっごい気になる……。


「あのさ」


 俺は手を止めて莉桜に言った。


「好きなことやってていいんだぞ?」

「分かった、そうする」


 そんなに見られたら緊張でかえってミスをしてしまいそうだ。それに俺は掃除をしながら鼻歌を歌いたいタイプなのだ。聞かれるのは恥ずかしい。


 俺は掃除を再開する。


「……」

「……」

「……」

「……」


 莉桜はまったく動こうとせず、あいかわらず俺を凝視している。


「あのさ!」


 俺は再び手を止めた。


「好きなことやってていいって言ったよな?」

「そうだね」

「なんでそこにいる」

「好きなことやってていいんでしょ?」

「ああ」

「じゃあ、いいじゃない」


 ――はあ……?


 手を抜かないように監視する気か? 俺ってそんなに信用ないのか。ないよな。そりゃないよ。しょうがない、うん。


 ひとり納得した俺。なんとかミスもせず掃除を終わらせる。


 ――俺の部屋は……、まあいいか。


 莉桜に見られるわけじゃないし。それより次の準備だ。


 身支度を整え、茶の間にいる莉桜に声をかける。


「ちょっと買い物に行ってくる」

「さっき行ったのに?」

「あ、ああ、ちょっと買い忘れ」

「そう……。行ってらっしゃい」


 ――……?


 なんだかつまらなさそうな顔をする。いびる相手が消えて、いよいよ手持ちぶさたになるからだろうか。


「行ってきます」


 俺は玄関に行きかけて、茶の間に視線をもどした。


「なにもするなよ」


 莉桜はびくりとした。手にはいつものペンとメモ帳がある。


「大きいのに変えたんじゃなかったのか……?」

「大きいの導入しただけ」


 呆れたメモ魔。魔は魔でもルシファーレベルだ。いやベルゼブブだな。響きが強そうだし。


「安静ってのは身体だけじゃなくて精神のほうもだからな」

「そんなの知ってる」


 ぷいっと顔をそむけてむくれる。顔立ちの整った莉桜がこんな子供っぽい表情をすると妙に可愛――。


 ま、まあそれはいい。


「じゃあな。よいバカンスを」


 手の甲側を相手に向けた拳の親指と小指を立てるハワイのハンドサイン――シャカをして、俺は玄関に向かった。





 買い物を終えて帰宅すると、莉桜が茶の間で居眠りをしていた。


 ――ほらやっぱり、疲れが溜まってたんじゃないか。


 ただ居眠りといっても、正座をし、腕を組むようにしてちゃぶ台に両肘をついた姿勢で、顔はうつむけているものの突っ伏してはいない。


 寝ていてもだらしない姿は決して見せない。そんな鉄の意志を感じる。


 そのおかげで俺は、久しぶりに莉桜の顔を穴があくほど見ることができた。


 ――がりがりのガキだったのに、すっかり大人っぽくなりやがって……。


 傾いた太陽のオレンジ色の陽光が窓から入りこみ、莉桜を柔らかく包んでいる。もしも俺が絵描きなら思わず筆を執ってしまうことだろう。


 ……いや、こんな面白い寝姿、ギャグにしかなんないな。この良さが分かるのは俺だけだろう。


 気配を感じたのか、莉桜は頭をあげた。口を手で隠し、


「あふ……」


 と、小さなあくびをし、まぶたを指で擦る。しばしぼんやりしていたが、やがて俺に気づくと大きく目を見開き、言った。


「寝てないけど?」

「無理あるだろ」


 酔っ払いの「飲んでない」と同じレベルだ。


「べつに責めてない。寝るならちゃんと横になれ。疲れがとれないだろ」

「橙也が料理してるのに寝るのは申し訳ないし……」

「いつもと立場が逆転するだけだ」

「でも」

「いいことを教えてやろう。――ひとが働いてるときに昼寝をする背徳感は、至高の悦楽だぞ?」

「そこまで堕ちたくない」


 逆効果だった。


 じゃあ、そうだな。ええと――。


「――睡眠不足を十日つづけると、一日徹夜したときと同じ状態になるらしい」

「……そうなの?」

「しかもそのときの認知能力は酔っ払いと同等だ。お前は今、酔っ払いと変わらない」

「……」


 莉桜は渋い顔をした。これは効果ありだった。すでに自分が堕ちていると知らしめられ、さすがに思うところがあったらしい。


「じゃあ、少し仮眠する」


 昼寝ではなく仮眠と言うところに莉桜のプライドの高さ――いや、意地っ張りなところが垣間見えた。


「ああ、いい夢を」


 俺はシャカのハンドサインをする。


 莉桜は眉をひそめた。


「なにそれ、流行ってるの?」

「知らないのか? シャカ」

「知ってるけど。ハワイの挨拶でしょ」

「ざんねーん違いますー。挨拶はこう」


 俺は手のひらのほうを莉桜に向けた。


「こっちがハングルースっていってハローとかハワユーみたいな感じだな。シャカはテイキットイージーとか Hell yeah! とかポジティブな意味」

「なんでスラングだけ流暢なの……」


 知識でマウントをとられてしまったからか莉桜はちょっとむっとした。俺はにやっと笑い、シャカのサインをする。


「それ絶対ポジティブな意味じゃないよね!?」

「驕れる者も久しからずという意味だ」

「ハワイの挨拶にそんな武士みたいな意味あるわけないでしょ!」

「テイキットイージー(落ち着いて)」

「橙也が煽って……!」


 莉桜は呆れたようにため息をつき、


「寝る……」


 と言い残して茶の間を出ていった。


 できれば莉桜に夕食の準備を見られたくなかったので都合がいい。俺は買ってきた食材を台所のテーブルに広げ、準備を開始した。

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