第17話 お皿を拭きたいわけじゃなくて

 最後の一品をテーブルの上に置き、俺は時計を見た。


 十八時三十八分。いつもの夕食時間よりちょっと早いが許容範囲だろう。


 夕食の準備ができたことをRINEで報せる。程なくして既読がつき、


『ちょっと待って』


 と返信が来た。


 しかしそれから五分たっても莉桜は姿を現さない。俺はもう一度メッセージを送る。


『料理が冷める』


 間もなくして莉桜がこちらに向かってくる気配がした。


 茶の間に入ってきた莉桜は暗い表情をし、なぜか頭を抱えている。


「どうした? 頭でも痛いのか?」

「ううん……」

「じゃあなんだよそれ」

「……」

「なんともないなら早く座れよ」


 莉桜はなぜかためらっている。やがて、覚悟を決めたようにぎゅっと目をつむり、ぱっと手を離した。


 莉桜のストレートヘアがあっちこっちに跳ねて逆立った。


「……嵐でも来たのか?」

「部屋の中で発生するわけないでしょ。――油断したの」

「油断? なにを」

「寝るときは髪を結わないとこうなるの……!」


 そういえば以前、早朝にトイレに起きたとき、シュシュで髪をおさげにした莉桜と鉢合わせたことがある。あの髪型も可愛かっ……。まあ俺の感想はどうでもいい。しかしなるほど、ロングヘアはそういう手間がかかるものなのだ。


 羞恥に耐えるようにうつむく莉桜。年相応のあどけない表情。


 ――……………………はっ!?


 気づくと俺は莉桜を凝視してしまっていた。俺はごまかすようにシャカのサインを形作る。


「よ、よく眠れたようだな。よかった」


 莉桜はぽかんとした。俺のセリフを予想だにしていなかったような顔だった。


「笑わないの? これ、変でしょ?」

「変は変だぞ」

「やっぱり!」


 と、絶望的な表情になる。


「でも同じ家に住んでるんだから、お互いの変なところが見えるほうが自然だろ」

「……そうだけど」


 それに俺はそういう莉桜のほうが魅力的だと思う、とは口にしないけど。


「家はさ、やっぱりほっとできて、気を抜ける空間じゃないと」

「……」

「だからさ、俺に対して格好つけることないんだぞ? 幼馴染みなんだし」


 しゅんとしていた莉桜は急にむっとした。


「べつに格好つけてるわけじゃない」

「じゃあなんなんだよ」

「幼馴染みっていうなら分かってよ……」


 拗ねたような顔をする。


「なにを?」

「わたしだって女の子なんだから、人前に出るときは見た目くらい気にする」

「分かってるよ。でも俺の前では気を抜いても――」

「それが分かってないって言ってるの!」


 ――ええ……? どこが?


 ものすごく理解のある同居人だと思うんだが、なにが気に入らないんだ……?


「とりあえず髪は縛っておけばいいだろ。料理は俺が運んでおくから」

「ごめん……。シュシュを探してくる」


 と、茶の間を出ていった。そうか、シュシュが見当たらないからなかなか起きてこなかったのか。よく分からないが、難儀な性格だな。


 すでに皿に盛りつけてあった料理、ご飯、味噌汁をちゃぶ台に運ぶ。最後にティーパックの緑茶を用意していると、まとめ髪にした莉桜がもどってきた。


 ちゃぶ台に並べられた料理を見て、目を丸くする。


「これ、橙也が作ったの……」

「ふ、ふ、ふ」


 ご飯と豆腐の味噌汁、メインディッシュはチキンカツ。付け合わせにキャベツの千切りとプチトマト。


「早く食べようぜ」

「うん……」


 向かいあって座る。莉桜は手を合わせて「いただきます」とつぶやくように言った。味噌汁に口をつけ、次にキャベツ、チキンカツと食べていく。


「どうだ?」

「おいしい……」

「だろ! 俺、昔から好きなんだ、これ」

「チキンカツが?」

「ただのチキンカツじゃない。ニシモト食品の『冷凍やわらかチキンカツ』だ」

「………………は?」

「ニシモト食品の『冷凍やわらかチキンカツ』」

「冷凍……?」

「そう、これだけ入って三百九十八円さんきゅっぱだぞ? すごくない?」


 莉桜はおもむろに箸を置き、茶で喉を湿らせて、一息ついてから大声で言った。


「作ってないじゃない!!」

「作ってないが?」

「開き直るの?」

「俺が料理を作るなどとは一言も言ってない」

「言った!」

「『作る』という単語は一回も使ってない」


 莉桜は頭の中の記憶を探索するみたいに目をぐるりと動かした。


 そして額に手を当て、悔しそうに言う。


「言ってない……」


 そう、『やる』『やりようはある』『任せろ』とは言ったが、俺が調理するという意味合いのセリフは一度も吐いていない。


「でも! ずるい!」

「なにがだよ」

「だって料理してないんでしょ」

「そうだな、キャベツはスライサーで千切りにしたし、チキンカツは温めただけだ。――というかさ! レンジで温めるだけなのに衣がさくさくしてるのすごくない? さすがニシモト食品だよな!」

「知らないけど! 料理してないでしょ!」

「お米を炊いたぞ?」

「炊飯器の手柄!」

「でも味噌汁はちゃんと――」

「作ったの?」

「袋から出してお湯で溶いたぞ?」

「インスタント……!」

「でもおいしかっただろ?」

「おいしかったけど、そういうことじゃないでしょ」

「どういうことだよ? おいしいならいいだろ」

「でも、ちゃんと作ってないし」

「なんでちゃんと作らないといけないんだ?」

「なんでって……」


 莉桜は言葉に詰まった。


「出来合いの食品って、俺らよりずっと料理が上手で、料理のことをずっと真剣に考えてる大人たちが開発してるんだ。手作りの料理より劣ってると俺はは思わない」

「お、劣ってるなんて言ってない」

「『健康的な生活』のために努力しすぎて不健康になってたんじゃ世話ないだろ」

「でも努力しないと進歩しない」

「努力はすればいいさ。にな」


 莉桜は黙りこむ。


「いきなりレベル九十九にはなれない。こつこつ経験値を貯めて、ひとつずつ上げてくしかないんだよ」

「それはよく分からないけど……」


 そうだ、こいつゲームやらないんだった。けっこういい例えだと思ったのに。


「ま、まあとにかくだ。本来やるべきことをやろうぜって話だ」

「やるべきことって? 勉強とか?」

「それも大事かもしれないな」

「いや大事でしょ。学生なんだから」

「そ、そうだな。大事。うん、大事」


 莉桜はじとっとした目つきで俺を見る。珍しく俺のターンがつづいていたのに。


「俺が言ってるのはもっと根本的なことだ」

「根本的って?」

「楽しむことだよ。ほかになにがあるんだ?」

「でもほかのことを疎かには……」

「だからにやるんだよ。手を抜いてもいいし、誰かに頼ってもいい。全部一から自分でやる必要はない」

「……」


 莉桜は難しい顔をしている。理解はできるが感情的に納得しづらいという感じだ。しかしこのままでは、もともと身体が強いほうではない莉桜はいつか倒れてしまうかもしれない。


 頭の固い莉桜にしっかり休んでもらうには――。


「――じゃあ、『なにもしない日』を作ろう」

「なにもしない日?」

「一週間ご苦労様って感じで完全な休日を作る。その日は絶対に休まなければならない。チートデイみたいなもんだ。どうよ?」

「……」

「ぶっ通しで動きつづけるより、適切に休息をとったほうがパフォーマンスは向上する。仮眠と同じだよ」

「仮眠……」

「頑張るのはいいけど、休むことも、やりたいことをやる時間も大切じゃないか?」


 莉桜はしばらく逡巡したあと、


「……そうだね」


 と、頷いた。


 ――よしっ……!


 頭の固い莉桜を休ませるには『休まなければいけない規則』を作るしかない。その考えは正しかったようだ。


「さっそく明日からな。遊びに出かけてもいいし、映画を観たり本を読んだりしてもいい」

「うん」

「音楽を聴くのもいいな」

「うん」

「二度寝して昼過ぎまで寝坊してもいい」

「うn――、それはない」


 惜しい。流れで押し通せると思ったのだがしっかり否定された。


「そこまでいったら休息じゃなくて堕落だから」

「くそっ……」

「でも、まあ」


 莉桜は味噌汁のお椀を持ちあげて、


「少しゆっくり寝るくらいならいいんじゃない?」


 と、目を合わせないまま言い、口をつけた。


 ――……お?


 莉桜が譲歩したぞ? 茶化したい欲が顔を出すが、ここでそれをすると取り下げられる恐れがある。我慢しておこう。


「何時までなら寝てていいんだ?」

「何時まで寝たいの?」

「十二時」

「昼じゃない!」

「じゃあ十一時」

「まだ寝過ぎ」

「十時五十九分」

「往生際が悪い」

「じゅ、十時」

「……」

「九時半!」

「九時ね」


 これ以上の議論は不要とばかりにぴしゃりと言い放つ。


「い、いいだろう、それで譲歩してやる」

「寝ぼすけさんに譲歩したのはわたしなんだけど?」


 冗談っぽく言って微笑む。


 もう一声欲しいところだが、二時間近く多く睡眠をとれるなら御の字か。


「それで結構です」

「よろしい」


 莉桜は勝ち誇ったような顔でチキンカツを口に運んだ。






 食後、洗い物に取りかかろうとしたところ、莉桜が隣に並んだ。


「なにしてんだよ」

「お皿を拭くんだけど」

「今日はなにもしないって約束だろ」

「もう充分に静養したもの」

「なら好きなことをやってればいいだろ」

「そうだね」


 と言いつつ、莉桜は布巾を持ったままだ。


「いや聞いてる?」

「好きなことやってていいんでしょ?」

「ああ」

「じゃあ、いいじゃない」


 ――……?


 皿を拭くのが好きなのか? そんな奴いる?


 いや、莉桜ならあり得る。少しの水滴や水垢も残さずに拭きとることに快感を覚えそうだ。それと、俺がちゃんと洗っているかの監視も兼ねているのだろう。


 びくびくしながら洗い物をする俺とは対照的に、莉桜は終始、機嫌がよさそうに皿を拭いていた。

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親友の好きな娘とふたり暮らしすることになった 藤井論理 @fuzylonely

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