第9話 もしかして迷惑……?

 とんでもない美少年と美少女が教室で楽しげに談笑している。


 穏やかな笑みと声で話す静樹と、席に座り、彼の顔を慈しむような笑顔で見つめる莉桜。窓から差しこむ朝日に照らされて、よりいっそうキラキラして見える。


 会話に加わろうとするクラスメイトはいない。みんな遠巻きに見守るだけ。男子はちらちらと盗み見るように、女子はうっとりと遠い目で。


 容姿も人柄も良いふたりはすでにクラスの人気者だ。そのカップルとなれば聖域のように扱われるのも頷ける。


 もちろん、ふたりは付きあっていない。しかし周囲は『照れて隠しているだけ』、あるいは『どっちにしろ近いうちに付きあう』と考えているようだ。それだけお似合いということだろう。完全に同意だ。


 ふたりが会話をしている様子は、まるで少女漫画原作映画のプロローグだった。


 すごく遠く感じる。いや、天から二物も三物も与えられたふたりと俺とは実際遠いのだろう。高校に上がって、ますますそれを感じるようになった。


 ――しっかし……。


 喜ばしいことに静樹と莉桜は同じクラス――一年B組となった。


 ついでに俺も。


 ――こんなことある?


 七つ学級あるのに、三人が一緒のクラスに割り振られるなんて。受験番号が近かったから? それとも中学の学区でまとめられたのか。真偽のほどは分からないが、ともかく三人は一緒のクラスになった。


 気心の知れた者同士が集まったという意味ではまれに見る幸運。しかしふたりと距離を置きたいと考えていた俺にとっては神の悪戯と言うほかない。


「あ、おはよう、橙也!」


 忍び足で自分の席に向かっていた俺に静樹が人懐っこい笑顔で寄ってきた。


「お、おお。おはよう……」


 俺は今おそらく、とても情けない笑みを浮かべていることだろう。


 周囲に目をやる。みんな夢から冷めたように、授業の準備をしたりスマホをいじりはじめたり、各々の現実に戻っていった。


 この瞬間が、とてもつらい。俺が登場したことによりクラス全体がとしてしまうこの瞬間が。いっそにらんだり舌打ちでもしてくれたほうがどんなに楽か。


「それで、どう? その……、生活のほうは」


 静樹は声を落とし、少し聞きづらそうに尋ねた。


 そりゃまあ好きな娘が別の男と暮らしてるんだから気が気じゃないだろうな。莉桜とはあくまで腐れ縁であるということを強調し、静樹に安心してもらわないと。


「どうって、ふつうだよ。ちゃんと食って、遊んで、寝てる。まあ、うるさいのがいるから実家のときより窮屈だけどな」

「じゃあ、とくに変わったことは」

「ないけど?」

「そっかあ……」


 静樹は気の抜けたような表情になった。


「しいて言うなら、莉桜のオカン化がますます加速してる。この調子だと高校卒業のころには小姑になってるな」

「だったら橙也は赤ちゃんになってるかもね」


 と、これを言ったのは静樹ではない。彼の後ろから現れた莉桜だった。


「お……」


 ――お前なにこっち来てんだよ……!


 買い出しのときは別行動をとりたがったり、かと思えば一緒に登校したがるような素振りをしたり、いったいどうしたいのか分からない。


「な、なに? なんか用事……?」


 俺はさっき以上に情けない笑みを浮かべているに違いない。


 莉桜は眉間にしわを寄せた。


「用事がないと話しかけちゃ駄目なの?」


 目だけで周囲を確認する。多くの鋭い視線が俺を射抜いていた。


『なにお前ごときが杉里さんと話してるんだ』『ふたりの邪魔をするな』。そんな怨念と憤怒のこもった眼差し。


 明確な敵意に、俺の背中にはどっと汗が浮かんだ。にらまれたほうが楽だなんてことはまったくなかった。


 俺は深々と頭を下げた。


「俺なんかに話しかけてくれてありがとうございます」

「なにいきなり。気味の悪い……」


 莉桜は眉をひそめた。





 放課後、下校しようと玄関で靴を履きかえていると、莉桜からRINEにメッセージが送られてきた。


『今日のお買い物はわたしが行くから』

『カン○リーマアムのアソートパックを頼む』

『ちょっとは申し訳なさそうにしてよ』

『よろしければ荷物をお持ちしましょうか?』

『大丈夫。少し買い足すだけだから』『お米とかお水とか重いもののときはお願い』

『かしこまりました』


「なんなんだよ、まったく……」


 思わず愚痴がこぼれた。


 向こうから距離を詰めてきたから、こっちも歩み寄ったらするりと逃げられる。


 ――猫かお前は……!


 適切な距離感が分からない。改めて、ふたり暮らしをする羽目になった運命が呪わしい。


 部活に入ったり道草をしたりして帰る時間を遅らせようと考えたこともあったが、とある事情により俺は帰宅部を選択し、速やかに帰らざるを得なくなる。


 その事情とは、莉桜が学級委員長を固辞したことだ。


 各委員を決めるロングホームルームでのこと。聡明で人気もある莉桜は、ごく当然のように学級委員長に推薦された。


 クラスメイトたちに異論はなく、担任の教師もその人選に納得した様子。学級全体が莉桜の委員長就任に賛成――そんな雰囲気の中、ただひとり、反対の者がいた。


 莉桜本人である。


 莉桜は立ちあがった。クラスメイトたちの視線が集中する。しかし彼女は少しも緊張した様子を見せず、ぴんと背筋を伸ばして告げた。


「ごめんなさい。委員会に入るつもりはありません」


 静かな教室に莉桜の張りのある声が響く。


「わたしは寮の選考に漏れたため、家を借りて暮らしています。家事や雑事の時間が必要ですし、帰宅時間が遅いと両親に余計な心配をかけてしまいます。ですので、せっかく推薦してもらったのに心苦しいのですがお断りさせていただきます」


 ぺこりと頭を下げ、着席する。そのあまりにもきっぱりとした態度にみんなはぽかんとした。


 最初に立ちなおった担任教師が言う。


「そ、そういう事情ならしかたないな。じゃあ、誰か別のひと――」


 そうしてけっきょく委員長は『真面目そうだから。眼鏡だし』という無茶苦茶な理由で河野くんという男子に決定した。本人もやりたかったが言い出せずにいたそうだから結果オーライではあった。


 ともかく、莉桜はとても真剣に自立への一歩を踏み出そうとしていた。そんな態度を見せられて、帰宅時間をわざと遅らせるなんてできない。


 誰かに遊びに誘われたなら言い訳も立つが、つるむような親しい友人はまだおらず、最も俺を誘ってくれそうな静樹はサッカー部に入部して忙しそうだ。


 ――帰るか……。


 俺は重い足どりで帰宅の途についた。

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