第11話

 お父さんは拘留され、DV保護命令というのが下り、やっと正式に離婚が決まった。拘留とは言っても、お父さんは一ヶ月もしないで出てくる。わたしとお母さんは慌ただしく準備をし、前住んでいたアパートからも引っ越した。保護命令によって、お父さんはわたしたちに近づくことはできないことになっているけれど、どうしても安心はできなかったからだ。住民票にも閲覧制限をかけて、わたしたちは遠くに逃げた。

 だけどわたしが小学校六年生になったばかりの時、お父さんはわたしたちのところに姿を見せた。お母さんと買い物から帰るところで、見たことのある人影に呼び止められたのだった。お父さんは、怒っている時とは別人のように物腰穏やかに、わたしたちに話しかけ、また一緒に暮らそう、自分は十分に反省している、家族なんだから分かり合える、家族は一緒にいるのが一番だと言った。お父さんの前では毅然としていたお母さんも、姿が消えた途端に怯えをあらわにしていた。わたしたちは夜逃げ同然に別の場所へと逃げた。

 けれど、次の場所にもお父さんは現れた。お母さんの前じゃ警戒されると思ったのか、今度はわたしが一人で歩いている下校中に現れた。わたしは防犯ブザーを鳴らして走った。走るのは苦手だったけれど、恐怖は何よりも強い原動力だった。引きはがしたところで民家に助けを求め、しばらくかくまってもらった。しどろもどろで事情を話すわたしに、家主のおばさんは「お父さんなら、話だけでもしてあげたら」と困ったように言った。

 その後警察に相談をしに行った。お父さんに会ったのはわたしだけだったので、親子はストーカー防止法の対象外だとけんもほろろだった。追い打ちみたいに、お父さんの弁護士さんからうちに手紙が来た。長々と書かれていた文章は要約すれば「面会交流は父親の権利だから、子どもに合わせるべきだ」ということだった。

「会いたいんだったら止めないけど」

 お母さんが遠慮がちに言うのに食い気味に、わたしは「会いたくない」と答えた。

 書面で払うことになっていたはずの四万円の養育費は、当然のように、一銭も払われていなかった。面会すれば養育費を払ってもいいと言っていると、脅し同然のことも手紙には書かれていた。生活は楽ではなかったけれど、わたしたちはもう養育費なんて望んでいなかった。立派な父親でいることなんて大それたことは求めていない。わたしたちの希望はただ一つだけだった。「もう二度と、関わらないでほしい」

 卒業を目の前にして、わたしたちはまた別の場所に引っ越した。度重なる引っ越しで貯金も底をつきかけ、お母さんのパートの仕事もなかなか見つからなかった。おやつや新しい服といった些細な贅沢はおろか、ガス代や電気代に事欠くことも増えた。

 わたしはそれから一年、学校に通うことができなかった。前の町でもその前の町でも、情報が漏れたのは、たぶん学校からだった。お母さんは半ばトラウマになっていて、わたしを外出させることも嫌がった。わたしも学校に行くことは怖かったので、大人しく家の中にこもった。都会で人の群れと喧騒に隠れるように生活をした。狭いアパートで隙間風がひどくても、ガス代と水道代がかかるから冬でもシャワーしか浴びれなくても、そのシャワーすら二日に一回でも、じっと我慢した。嵐をやり過ごすみたいに。

 学校には通わなかったが、勉強に遅れることは心配だったらしく、お母さんは山のように教材を買ってきた。バタバタしたり教科書が頻繁に変わったりで、この頃勉強に遅れ気味だったから、その復習からだった。わたしは学校に行く代わりに、家の狭い座卓で算数や国語や理科や社会のドリルをやった。わからない所はお母さんが先生になって教えてくれた。それだけでなく、お母さんはパートのあとなるべく早く帰ってきて、わたしと一緒にいてくれた。お母さんの節約料理は、きれっぱしや見切り品ばかりでも、お父さんと食べたピザやお寿司よりずっと美味しかった。

 この一年を振り返る時、お母さんは「申し訳なかった」と言うけれど、わたしにとっては楽しいことも多かった。お母さんがひとりで働くようになってから、お母さんとゆっくり一緒にいられる機会は、それほど多くなかったから。

 次の年から、まとまったお金が用意できたことを機に、わたしは一年遅れで中学校に通い始めた。教材費も制服も体操服も高かったはずなのに、お母さんは些細なお祝いもしてくれた。

 中学一年生の部分がすっぽり抜けていて、自宅学習にもムラがあったから、苦労は多かった。だけど、塾に行く余裕はないし、お母さんが「自分のせいで」と責めるのを見たくなくて、わたしは必死に勉強をした。この辺りでは二番目の公立高校に受かった時には、お母さんは涙が出るほど喜んでくれた。


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