番外編

鬼頭さんの日常 ~正体不明のゴッドハンド~

江島えじまさん、それ誰かに呪われてない?」


 なんて、どうしてそんなこと言ってしまったんだろう。きっと「魔が差す」っていうのは、そういうものなんだと思う。

「やだな~、冗談やめてくださいよぉ!」

 さいわい、江島さんはそう言って笑った。よかった、変に思われたわけじゃなさそうだ。

 正直なところ、私は眩しすぎる彼女の笑顔が苦手だ。この、苦労とか挫折とかを知らない感じ。アルバイトをしている理由だって、生活費じゃなくてお小遣いと、あとはちょっとした社会経験を積むためにやっているらしい。そういう恵まれた背景が透けて見えるような屈託のない笑顔は、もちろん江島さんが悪いわけじゃないってわかってはいるけど、でも、見ていると疲れる。

 ピカピカして影の感じられない江島さんは、私たちが働くこのショッピングモールにも似ている。駐車場も含めて五階建ての大きなビルでは、食料品、衣料品、雑貨やおもちゃ、書籍など、様々なものが売られている。食事はもちろん、散髪や靴の修理、保険に関する相談なんかもできる。

 私たちの職場はゲームセンターだ。

 このキラキラした騒がしい空間は、休日は買い物ついでの家族連れで賑わうが、平日の夜間――つまり今は、かなり人気が少ない。よくメダルゲームをプレイしにくるおじいさんとか、音ゲーに本気のお兄さんとか、見慣れた常連客がいるだけだ。ちなみに私たち従業員は、彼らにこっそりあだ名をつけている。たとえばメダルゲームのおじいさんは「ギャンブラー」とか、音ゲーのお兄さんは「ドラムマスター」とか、あまりひねりのないやつを。

 私と江島さんはカウンターの内側に待機しつつ、飾り付けに使うオレンジや黒の色紙を切ったり貼ったりしている。もうハロウィンが近い。ついこの間まで夏だったはずなのに。

「まー、ほかの人にも言われましたけどね。誰かに呪われてない? って」

 江島さんはそう言うと、へへへ、と照れたように笑った。

「ほかの人にも言われたの?」

「だってここ一か月くらい、体の左側ばっかり怪我してるんですもん」

 江島さんの左手首にはサポーターが巻かれている。体育の講義中、バドミントンのコートでちょっと転んだはずみに捻挫して、なかなか治らないらしい。その前の週には自転車で転び、膝を大きく擦りむいたのが化膿して病院に行く羽目になった。それとほぼ同時並行で左目にものもらいができ、かつそれが悪化してまぶたを切開手術。眼帯が取れたと思ったら今度は左奥歯の親知らずが突然痛み出して歯医者に駆け込み――で、踏んだり蹴ったりらしい。

 怪我や病気が続いていることも、それが体の左側に集中していることも、いかにも「呪いっぽい」ではないか。それでも「だから今、金欠なんですよね〜」なんてネタにした感じで笑えるのだから、やっぱり根が楽天的なのだろう。

「おばあちゃんなんか『お寺さんに行ったら?』なんて言うんですけど、お寺って呪い解いてくれるんですかね?」

「さぁ……」

 たとえばお寺でお経を唱えてもらったら、呪いは消えてしまうのだろうか? わからないから何とも言えない。

「おばあちゃん迷信ぶかいからな~。別に嫌いとか仲悪いとかじゃないですけど、そういうとこちょっと苦手なんですよね。よくわかんないけど占い師? 霊能者? みたいな知り合いいるらしいし。大丈夫かなぁ、詐欺師とかじゃないといいけど……まー、今のところわざわざお祓いとかは考えてないですね~。あっ、ゴッドハンド来ましたよ。今日どの機械行くのかなぁ」

 江島さんが急に立ち上がって、うきうきと喋り始める。オレンジの紙製カボチャから一旦目を離して彼女の視線を追うと、たしかにそこには「ゴッドハンド」がいた。


 ゴッドハンドもまた、あだ名がついている常連の一人だ。

 女性で、謎多き人だ。肩まで伸ばした髪に長いスカート、いつも肌の露出が少ない地味な服装で、眼鏡をかけている。年齢がわかりにくく、まだ二十歳そこそこの若者に見えることもあれば、自分よりもずっと年上のように思えるときもある。

 ゴッドハンドは、週に一度くらいのペースでこのゲームセンターにやってきて、決まってクレーンゲームをプレイする。それがすごく上手いのだ。

 彼女は専ら、片手で掴めるような小さめのぬいぐるみとか、マスコットみたいなものを狙う。反対にお菓子とかゲーム機とか、そういうものが入った機体をプレイするのは見たことがない。大きなぬいぐるみにもあまり興味がないらしい。

「おお、もう一個とっちゃった。タグに引っかけるの上手すぎですね。もうアームの強さとか関係なくないですか? ゴッドハンドには……あっ、山崩すのも上手いな〜。次でまた一個落ちそう」

 視力のいい江島さんは、クレーンゲームのコーナーを覗きながらプレイの実況をしてくれる。よそのゲーセンの仕入れじゃないよね? と冗談っぽく呟くと、江島さんはくすっと笑った。

「でもほんと謎の人ですよね。仕事とか何やってんのかな? 見当つかないや」

「学生って感じでもないしね」

 こそこそ語り合っていると、当のゴッドハンド本人が、何かに気づいたかのように突然くるりとこちらを向いた。戦利品を入れたエコバッグを肩から提げ、こちらにすたすたと歩いてくる。

「やば、聞こえてた?」

 江島さんが呟く。わたしも少し緊張する。でもゴッドハンドは決してクレームをつけるような雰囲気ではなく、

「あ、あの」

 と話しかけてきた。

 目の前に立ったゴッドハンドは、近くで見てもやっぱり年齢が読めない。何の用事だろうと思っていたら、彼女は江島さんに向かって人形をひとつ差し出した。

「え、江島こずえさん、ですよね。お、おばあさまから、です」

「は? おばあちゃんから?」

「は、はい。え、江島昌枝まさえさんから、です。その、しばらく、肌身離さず、お、お持ちになって、ください」

 つっかえながら告げたそれは、おそらくどんぴしゃで彼女の祖母の名前だったのだろう、江島さんは首をひねりながらも、差し出された人形を受け取った。

 ゴッドハンドはさっと頭を下げ、それからちらりと私を見た。何か言われるのかと身構えていると、彼女はぱっと踵を返し、すたすたとゲーセンを出ていった。

「なんですかね? 今の。これとったばっかの人形でしょ? なんでわたしに、あれ……?」

 江島さんが首を傾げている。

 私も気になる。でも勤務時間中に持ち場を空けるわけにはいかない。とりあえず江島さんの手の中にあるフェルト製の魔法少女を確認すると、思わず「あっ」と声が出た。

「ね? 変ですよね」

「うん。それ、今とったやつじゃないよね。先週よりもっと前じゃないと、うちにはないやつ」

 つまり、すでに撤去されたはずの景品なのだ。

「これ、わざわざよそから持ってきたってこと? 何だろう……帰ったらおばあちゃんに聞いてみようかな。てかおばあちゃん、ゴッドハンドと知り合いってこと? なんで?」

 ぶつぶつ言いながらも、江島さんはゲームセンターのロゴが入ったエプロンのポケットに、無造作に人形をねじ込んだ。 

「ま、とにかくこれ終わらせちゃいましょうか! 色紙、あとちょっとですしね」

 気を取り直すようにそう言って、江島さんは備品の鋏を手ににっこり微笑む。

 私はそんな彼女のことが、


 嫌いだ。


 別に、江島さんが何をしたってわけじゃない。

 そうじゃないけど、彼女を見ているとどうしても「この世界は不公平だ」と感じてしまう。それがみじめで、辛い。

 結構レベルの高い大学にストレートで受かって、明るくて愛嬌があって、見た目もかわいくて、仕事もすぐに覚えて、私みたいな暗くてブスで何のとりえもないフリーターにも優しい。江島さんはそういう子だ。

 私とは違う。以前は彼女と同じ大学に通っていたのに、家族の介護のために辞めなきゃならなくなって、介護が終わったら今度はお金がなくて、結局大学に戻れなくなった私とは。

 就職も上手くいかず、就職して忙しくなった友達とは話も予定も合わなくなって、彼氏もできたことがなくて、根暗でひがみっぽい性格を必死に隠して愛想笑いしている私とは。

 通っていた大学も、アルバイト先も同じなのに、住んでいる地域も、年齢もそんなに変わらないのに、江島さんと私は全然違う。

 だから嫌いだ。大嫌い。

 一か月前、廃棄予定の景品をたまたまもらった。クレーンゲームの筐体に入っていた、アイドル育成ものアニメのキャラクターのマスコット。茶髪で目の大きな女の子のキャラクターが、やけに江島さんに似て見えた。きっとその瞬間、魔が差したのだと思う。

「あの子によくないことがあればいいのに」

 そう願いながら、手に入れたその人形に「江島梢」と名前をつけて自宅に持ち帰り、針を刺した。左側ばかりを集中して刺したことには、あまり意味がない。左側が針でいっぱいになったら、そのうち右側も刺そうと思っていた。

 ただのストレス解消のつもりだった。本当に呪うつもりなんかなかった。なのに、江島さんは頻繁に怪我をするようになった。それも、私が針を刺した体の左側だけ。

 愉快だった。ひっそりと病みつきになった。もちろんこんなこと、誰にも教えたりなんかしない。でも。

「やめたほうがいいです」

 ゴッドハンドはそう言った。

 その日、シフトを終えた私を、従業員用の駐輪場の入口でわざわざ待ち伏せて。

「あ、あなた、江島梢さんに、その、の、呪いをかけていませんか?」

 つっかえながら、でも逃れ難い芯のある声で、彼女はそう言った。

「え、江島さんに渡した人形は、み、身代わり人形です。たぶん、三日くらいは、も、もちます。その間に、あ、あなたが持っている人形を、その、捨ててください」

 やっぱりゴッドハンドは不思議な人だ。一見おどおどしているようでいて、その実臆してはいない。視線はまっすぐこっちを向いている。私はなぜか逃げられずに、彼女の話を聞いてしまう。

「み、三日後、しかるべき人の手に、こ、この案件が移ります。し、素人がかけた呪いなんか、その……簡単に返されてしまいます。か、返されてきた呪いは、い、今よりずっと、強くなっていると、お、思って、ください」

 そう言うと、ゴッドハンドは私に向かって深く一礼した。

 私は何も言い返せなかった。無言のまま彼女に背を向けると、自転車にまたがって逃げ出した。リュックサックを背負った背中が冷たい。いつのまにか、じっとりと汗をかいていた。


 江島さん、それ誰かに呪われてない? ――なんて。

 どうして私は、彼女にあんなことを言ったのだろう。あんなの、自分の悪事を仄めかしたようなものだ。

 もしかすると私は、自分がかけた呪いのことを、彼女に知ってほしかったのかもしれない。「本当はあなたのことが嫌いなんだよ」って言ってやったら、江島さんはどんな顔をするだろう。

 そんなこと、言えるはずないけど。

 自転車のペダルを漕いでいるうちに、どんどん顔が熱くなってきた。

 恥ずかしい。

 本当は江島さんを呪って喜ぶなんて、愚かなことだってわかっている。江島さんにだって、私にはわからない苦労があるのかもしれない。ああ見えて、彼女だって無理して愛想笑いしているのかもしれない。そうじゃなかったとしても、彼女を呪うなんて筋違いだ。そういうバカみたいなおこないが他人にばれていたということが、ひたすら恥ずかしかった。

 その夜、私は忠告に従って人形を捨てた。だからなのか、今のところは何事もない。少なくとも怪我をしたり、病気にかかったりはしていない。

 ゴッドハンドの忠告は本当に正しかったのか、それを確かめるすべはない。人形を捨てた後、私はゲームセンターでのアルバイトも辞めてしまったからだ。江島さんと顔を合わせない方が、自分のためにはいいのだと悟った。

 それからは、前よりも心穏やかに過ごせるようになった。江島さんに会わなくなったからというのもあるけれど、それだけじゃない。

 江島さんにかけた自己流の呪いは、思いがけないほどよく効いた。なんのとりえもないと思っていた自分にも、どうやらそういう才能だけはあったらしい。そう考えると、ほっとするのだ。

 そんなことを心の支えにするのは、おかしいだろうか。


 新しい職場は、親戚に頼み込んで、遠縁の人が経営する会計事務所を紹介してもらった。

 あのショッピングセンターからは地下鉄で三駅離れている。顧客はおじさんばかりで、少なくとも女子大生が飛び込みでやってくるようなことはない。ここなら江島さんに再会する可能性はかなり低いはずだ。

 できれば彼女に二度と会うことがありませんようにと、呪いと同じくらいの熱量で願っている。

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尾八原ジュージ @zi-yon

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