医療に携わる人と、携わらない人では、圧倒的に後者が多いように思います。けれど、これまで一切病院にお世話になったことのない人はいないと思います。
病院は身近だけれど、日常とは最も遠い場所。そんな感覚の人もいるでしょう。
基本的に、お医者様と話しをする機会と言えば、それこそ病院にお世話になるときだけです。
だからこそ、興味深い話がこの作品にはたくさんあると思います。拝読していて、面白い話が多くあることはもちろん、為になる話も多いです。
そして、拝読すればお医者様が本当に大変な職業だということを改めて知り、その中で毎日執筆されていることに頭が下がります。患者さんや病に真摯に向き合って下さっていることにも頭が下がります。
ただ、お医者様も『これはネタにできるかも』と違う角度から仕事を日々楽しんでくれているのかもしれないと思えば、それはそれでこちらとしてはちょっと気持ちが楽になります。
十代から持病を持ち、長年通院をしている私にとっては、そういう意味でもありがたい作品です。
時には厳しい現実もあり、工夫をして仕事を乗り切るコツもあり、知識や技術を学び高める努力も仕事には必要で。でも、基本は楽しく──そんな『仕事』の側面も垣間見れるすばらしい作品です。
何よりも、これから医療に就く人たちが増えてくれたら! と熱を注いでいるのを感じられます。
自分が嫌だと思う仕事であれば、他の人にもとは思えないと思うんです。なので、作者様は仕事を愛していらっしゃると感じています。患者としてはありがたく、何かあったときにはこんな先生に診ていただきたいと思います。
新感覚の現代ドラマ。
連ドラになったら、新たな医療ドラマができるだろうなぁと期待しています。
鬼手仏心
仏の心を持ちながらも鬼の手をもって治療にあたれ、という諺だ。
----------------------Ⓒhekisei『診察室のトホホホホ』本文より抜粋
このエッセイの作者は現役・脳神経外科医
書き手で医師の先生は手術室でも診察室でもまずその人を深くみる。
すくうために症状を聴く時にも、読み手のこちらまで笑わせる安堵を患者に与え
中古販売の自転車をなおすことで生活保護からの脱却をする人を目の前に、まだ学ぶ
『患者からも学ぶことは沢山あるし、凄い人は凄い。 当たり前の事だけど。』
カクヨムへ毎日投稿をどう思って書いておられるかの表明には
『読者が、明るく楽しく前向きになること。
縁あって読んでくれた人にハッピーな気持ちになってもらう。
作者としてこれ以上に嬉しいことはない。』
………ええっともう、このお人は…
「医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救ふを以て志とすべし。わが身の利養を専らに志すべからず」---貝原益軒(本草学・儒学者/1630年~1714年)『養生訓』(1712年著)
300年前の貝原益軒せんせーい。ここにも仁のお医者がいますよー! しかも楽しーい ♪
脳神経外科医の日常を一人称のオムニバス形式で描いた作品。
医師にとってはごくありふれた日常も、多くの人にとっては非日常。そうして、文字通り人の数だけある様々なお話は、クスッとするものがあったり、感動があったりと、正しく人間ドラマを凝縮したよう。
一方で、確かな知識と医学的な専門用語を用いながら描かれる診察、手術風景は医療ドラマのワンシーンのように臨場感があって、その様を研修医としてそばで見ているような気分になります。
そうして、コミカル・シリアス織り交ぜた日常から主人公が得た“学び”や“教え”こそが本作最大の魅力なのだと思います。
作者様があらすじでも語っているように、本作は過去の作者様自身へ、というスタンスで描かれています。そのため各話には脳神経外科医になった“自分”からの助言が、ときに面白おかしく、ときに真面目に添えられており、ただの日常風景を描く作品にとどめません。
病気はいつ誰がなってもおかしくない。加えて現在の社会情勢も相まって、ついつい考えさせられます。
その助言に“押し付けがましさ”を一切感じないのは、やはり、一癖も二癖もある患者さんとのコミカルなやり取り、あるいは、ひょうきんでありながら人に対して真剣な主人公の姿勢があるからでしょうか。どの話も不思議なほどすんなりとオチを受け入れることができ、心地よい読後感がありました。
特に「人の振り見て我が振り直せ」。改めて、心に刻みます…。
多種多様な患者を前に、コミカルとシリアスを確かな知識とともに絶妙な加減で織り交ぜる。オムニバス形式という読みやすさと、テーマ性や学びもある作品。軽い気持ちで手にとって見れば、止まらないこと間違いなしです。
いつ病気になってもおかしくなく、まだまだ先は長そうなコロナ禍もあります。私達のために奮闘する人々の日常や思い、是非、覗いてみませんか?