作者は異世界に旅立った

 脳神経外科医さんのエッセイだ。
 そういえば昔、アメリカの脳外科医が書いた「脳外科医になって見えてきたこと」を読んだことがあった。
 適当な邦題になっている上に、アマゾンのレビューでは「表紙写真のように術者が向き合って手術することは脳外科ではほとんどない」とツッコミまで入れられているが、原書でも同じような表紙になっている。
 アメリカではこんな経歴を経てからでも脳外科医になれるんだなと読んだ当時おもった。
 日本で医者ときけば、実家が太いのだろうとまず想う。医者に憧れる者がいても、その多くはかかる学費の時点で諦める。


 お医者さまは高給取りだ。
 労働内容に対して少ないと想っているが、四十代でも手取り15万円がごろごろしている世情と比べれば、やはり多いだろう。
 格差社会を象徴するように金持ちは容姿のよい者と結婚する。結果として生まれる子もイケメンと美人だ。
 医者の子は医者になりやすい。
 わたしは面食いではないのだが、客観的に見て、やたらと顔のいい医者にあたる。医者の顔面偏差値が年々上がっている気がする。
 最近かかった内科の若い医者もそれはそれはお顔がよくて(MENS NON-NO系)、診察を受けている間、お母さま美人でしょと云いたいのを必死でこらえた。
 これからの医者は容姿がよいのが当たり前になるのかもしれない。

 そんなお医者さまには幼少期より何かとお世話になっている。
 わたしがお会いしてきたお医者さまたちは皆、「ザ・医者」という感じだった。たまに雑談トークで破顔しても、切り替えスイッチがぱちっと入るとお顔がすっと真面目に変わり、淡々と職務に従事しておられた。
 こちらは、そんなお医者さまが書いたエッセイなのだという。


「男なら、抜く抜かないにかかわらず、鞘の中の刀は常に研ぎ澄ませておくべきだ」


 医者のふりしやがって……。
 どんなトンチキなんだよと餃子を作りながら読んでいたら、本当にお医者さまだった。
 申し訳ないのでレビューを書くことにした。


 文章にキャッチ力がある。
 どんな話題が人の関心を引き寄せるかよくご存じだ。
 病院に勤務していたら毎日ネタの方から頼みもしないのにやってきて話題には事欠かないだろうが、それを人が読めるものに出来るかどうかは別だ。
 学生時代から何事にも積極的で努力を惜しまず、結果を受け止める姿勢もすばらしい。
 こういう方をみると、少しは苦労をしてみろと下々の我々は想うものなのだが、勉強量だの日々の激務だのクレーマー対応だの、苦労の面でも抜かりなく上位だ。
 御母堂からバチバチに叩かれていたという虐待まがいの過去までわさびのように添えられており、親ガチャに嘆くな、と世の中の膿を吹き飛ばされている。
 せっかく人間に生まれたのなら、余すところなく能力を引き出してしかも人のために生きる、こんな方でありたい。
 そんな見本のような人生だ。
 ご本人はそうは想っていないだろうが、傍目にはそう想える。


 そんな人が、云うわけ。
「男なら、抜く抜かないにかかわらず、鞘の中の刀は常に研ぎ澄ませておくべきだ」
 何を云い出したの先生。
 これが、エッセイの第一話である。


 もともと医者というのは異世界の住人だ。
 異世界ものなどに飛ばずとも、読者はこの方のエッセイで異世界に飛べるだろう。病院自体が非日常の異空間なのだ。
 冒頭で述べたように近い将来、病院にいる医者はイケメンと美女だらけになるはずで、これも非日常感に拍車をかける。
 たとえお顔が残念であっても、異世界ファンタジーのヒーローはべつにイケメンでなくてもよいという救済策があるから安心して欲しい。
 腕と頭脳と勇気と体力があればよい。
 ハードルが高い気がするのは、ファンタジーだからだろう。

 作者は異世界で刃物をふるい無双している主人公だ。日々襲い来る無理難題と患者。ハーレムなみに周囲には女性の医療従事者も多く、責任をなすりつけ合う盟友もいる。
 時として一人取り残され、術野の前ではマーヴェリック。
 これは異世界ファンタジーとそっくりだ。
「高校生の頃のオレに、今のオレが伝えたい物語がある!」
 お若い方が多いカクヨムにこれほど相応しいエッセイもない。


 専門医の中でも脳外科を選択する人間はどこか切れてるやつが多い。ということに巷ではなっている。
 と想ったら、やっぱりサーキットで走っておられた。気質として紙一重のスリルがお好きなのかもしれない。
 非日常が日常になりすぎて、人の頭に穴を開ける生活を送っているような人間は、ナチュラルにずっと異世界ファンタジーの住人なんじゃないだろうか。


 エッセイを読みつつ餃子を焼きつつ、そんなことを考えてみたのだが、実際に先生にお会いしたら、やっぱり詰まらないほどに平均的な「ザ・医者」なんだろうなと想う。
 医者たるもの、火を噴くドラゴンくらいは飼っていて欲しいものだ。
 ここまで書いて、わたしもひとつ平穏な毎日から非日常に飛んでみようと思い立った。配偶者のオンライン英会話講師リストを覗いてみようと想うのだ。
 先生のエッセイによると、綺麗なお姉さんが人気のようだ。
 勝手に見るのはマナー違反だから、事前に見るねと告げるつもりだが、夫が走り寄ってくる前にクリックはする。

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