自己愛性人格障碍者の本質は、本編の『第四話』『第五話』あたりを読めばだいたい掴める。
著者が遭遇した自己愛はさいわいにして、自己愛のなかでも赤ちゃんの部類だったと書かれているが、自己愛のひよこであろうと、
・執拗な詮索
・血眼になって粗さがしをしてケチをつける
・謝ったら死ぬ病気
・異常なまでの責任転嫁
・暴力的な破壊力に比例して、被害者意識も極めて強い
自己愛に共通のこれらの特徴は顕著だ。全国津々浦々、どの自己愛の言動も、ぴったり同じ。
ターゲットを決めると自己愛は、「ターゲットには気をつけてね……」と周囲からの切り離し工作を行い、『サンドバッグ』として利用しはじめる。ターゲットは自己愛の踏み台にされ、自己愛自身の負の汚点の擦りつけ先として使われる。
「タゲには友達がいないよね~」
「タゲみたいな劣った人間は何処に行っても忌み嫌われるよね~」
タゲに投げつけるこれらの文言は、被害者界隈ではおなじみの【自己愛のテンプレ中のテンプレ】の一つであるが、これは自己愛の、「自分では引き受けられない自分の姿」であったり、「過去に誰かから云われたこと」だ。
神のごとくに振舞う自己愛を崇めなかったターゲットを、自己愛は憎悪し、「滅すべき敵」認定して悪口で包囲する。
昨年後半から現在進行形で被害者を追いつめている某タレントがいるのだが、これが実に典型的な自己愛のやり方をとっている。
「あの女は嘘つきだ。嘘ばかりつく」
「あの女は認知の歪んだ精神障碍者だ」
このように被害者のことを「取り巻き」と呼ばれる信者たちに云い触らしており、自分にとって都合の悪いことは記憶を改ざん、「こっちこそ被害者だ!」と騒ぐわりには元気いっぱいに被害者に粘着してストーカーしている。
あまりの自己愛のテンプレ行動に、「あ、本当にやってる」見ていて笑えてきたほどだ。
「おいポチども、あの女を憎悪して完膚なきまでに叩き潰してこい」
「はい、自己愛さま!」
「おいポチ。お前はあの女の被害者役になれ。そして誤解された可憐な被害者となって悪評を拡散してこい」
「はい、かしこまりました!」
自己愛がテンプレ行動であるように、洗脳された信者たちの動きも軍事行動のようにきれいなまでの統一感がある。
自己愛性人格障碍者とは、評判の悪い新興宗教の教祖のようなものだ。
悪徳宗教の教祖は、往々にして醜悪で強欲で無能なものだが、パクってきた言葉を並べ立てて飾り立てる口達者と、「ターゲット」という共通の敵を用意することで結束を強固にする。
なぜ人は、自己愛に洗脳されるのだろう。
どんな悪徳宗教であっても、勧誘する際の建前は「愛と正義と善」であることを思い起こして欲しい。
愛と正義と善で縛り付けておいて、教祖の言いなりの駒となるように洗脳していくのだ。
人間の情と良心を逆手にとったこの洗脳力はなかなか強固で、それゆえに精神科医も口を揃えて、「自己愛からは逃げて下さい!」としか云わない。
昔、オウム真理教が誠実な努力家だった弁護士一家に襲い掛かり血祭りにしたが、あの時も、人殺しに及んだ実行犯グループは弁護士を憎悪するだけで誰も疑問には思わなかったのだ。
自己愛の笑い方には特徴がある。
爽やかさ・軽やかさとは無縁で、他人を蹴り落として踏みにじる時にニチャアとほくそ笑む。
【謝罪や負け】は自己愛にとっては死を意味するので、猛烈な勢いで口撃しながら小莫迦にして一生懸命ニタニタと嘲り嗤い続ける。狂気が炸裂した、必死なまでの暑苦しい嗤い方だ。
そんな自己愛がいちばん怖れることは、タゲの悪口で完全に支配下において掌握したはずの忠実な信者たちが、自己愛とは異なる考えを持って、ばらばらに動くこと。
そして「相手にされないこと」だそうだ。