第15話

遠くに来て、私達は近づいた。

 旅先は、初めから、決めていた。学校の皆と同じ場所に行こう、と。どこもかしこも、抹茶の匂いがするような街並みが、此処がいつもとは違う場所だと、教えてくれる。

 逃げるように、休憩するように入った、ちょっとしたお茶屋さん。窓際の、景色がよく見える横並びのソファに腰を下ろして、揃って溜め息。それから、抱え込んだ笑いを二人で小さくシェア。


「疲れたね……」

「二重の意味でね」


 大きな荷物を旅館に預けてから、旅行客、外国人、そして学生達で溢れかえるお寺へと続く石畳の坂道。その通りから伸びる一本の細い路地。屋根と屋根の隙間から射す陽の光が、路地の一部を温かく染める。狭い道には、埋め尽くさんばかりの選り取り見取りなサイズの陶器が並べられていて、つい、お土産として手を伸ばしそうになった。けれど、いきなり割れ物を買うなんて、と諭されて、踏みとどまる。

 とはいえ、何か記念になるようなものが欲しかった。悩んだ結果、二人で、お互いに似合う帽子を買うことで落ち着いた。

 年季の入った石畳の途中に見つけた暖簾。潜って少し進むと、お茶屋さんがあった。すぐ近くのメインの坂道には、あれほど人が溢れかえっていあるのに、少し入り組んだ道にある茶屋の周りは、ずっと静か。品を感じさせる佇まいの入り口。高々、学生二人が入っていいのだろうか。小声で相談……店先に、出されていたメニュー表を見て、行ける、と確信し踏み込んだ。

 中は、外から見るよりも、ずっと、朗らかな雰囲気で、入りづらさとか、居心地の悪さは全くない。

 置かれたメニュー表、それから温かいお茶。啜って、一息。


「わざわざ、同じ所に行こうとするから、バレないように気を遣わないといけないのよ」

「……なんだかんだ、楽しいクセに」


 行き先は、修学旅行と同じ。回る場所も、ある程度は修学旅行の計画と合わせている。考える時間がなかった、というのと……違う場所や、全然違うコースを回ったら、ただの旅行になってしまう。

 降ってくる小言はテーブルの上で楽しげに跳ねる。黄色い笑い声が微かに聞こえてくる。ちら、と窓の外、覗き込むように視線を向けると、見慣れた制服が外の小道に差し掛かっていた。


「ヤバっ」


 咄嗟に、テーブルの上に置かれたメニュー表を開いて、隣と引っ付く。


「なんで窓際の席にしたのよ」

「折角だし良い景色見たいでしょ? それに、こっちの方が澄と近いから」

「おかげで、バレそうだけど。海月、有名人なんだから」

「……溜め込んだお年玉貯金を引き出してまで来たんだから、景色も全部楽しめるだけ楽しまないと。有名人って言うなら、澄だって一緒でしょ」

「悪い方にね。あることないこと、聞こえてくるから」

「あんなの、半分は嫉妬。澄、バカみたいに美人なんだから」

「褒めるのか貶すのか、どっちかにしてよ。あなたも可愛い顔立ちしてるんだから、似たようなものだわ」

「……ありがと」

「こっちまで恥ずかしくなるから、照れないで」

「そんなこと言われても……」


 嘘や世辞ではないと分かっているのでは、話が変わってくる。

 そんな風に、澄と二人。メニュー表を覗き込むようにして顔を隠しながら、小声でくだらないやりとり。分厚い窓があるから、ただの話し声なんて外に漏れるわけがないにも関わらず、つい、ひそひそ話になってしまっていた。


「ぜんざいか、あんみつ、どっちにしようかしら……」

「じゃあ、二つ頼んで、半々にしよう」


 ほんの少し、店内の他のお客さんからの視線を感じるけれど、それくらいなら慣れたもの。美人の澄は自然と、人目を引く。良いだろう、誰にも渡さないと、胸を張って、向けられた視線を跳ね返す。


「行った?」

「行ったわね」


 二人、揃って、溜め息。それから、顔を見合わせて、口の端を綻ばせる。くすくす、と。


「ふぅー、危うく、優等生の私が崩れるところだった」


 熱がぶり返してきて、結局、修学旅行には間に合わず自宅療養……というシナリオになっているから、ピンピンしながら、京都を散策しているのがバレた日にはお説教なんかでは済まない。とは言え、沢山の人で溢れているから、そうそうバレない、はず。

 店員さんに、ぜんざいとあんみつを頼んでから、二人、ゆっくり息を吐く。顔を隠すためのメニューを持って行かれそうになったので、慌てて、声を重ねて引き留めたりしながら。


「どうして、そんなに人に好かれようとするの? 無理に教えろとは言わないけれど」


 温かいお茶を啜りながら、遠くに見える街並みを眺める。


「人から好かれようとするって、結構、普通だと思うけど」

「私でも、海月のそれ、行き過ぎだって分かるわよ」

「そっか」


 目を瞑って、埃を被った記憶の棚に手を掛ける。自分の中の根っこに刻まれすぎて、改めて、思い出すことも無かった。


「やっぱり、言いにくいこと?」

「言いにくいっていうか、ほんと、大したことないんだよね」


 澄のような複雑な家庭環境とか、価値観の理解できない親とか、特別、人と変わったことが合ったわけではない。半分は、元からの素質。


「ちっさい時、大好きなおばあちゃんが死んじゃって。その時、初めて、身近な人の死を感じてね……すごく、死ぬっていう概念? みたいなものが怖くなっちゃったの。死んだらどうなるんだろう。何も考えることも無く消えるのかな。消えた後どうなるのかなとかぐるぐる、答えが出ないことを考え続けて、外に出るのも嫌がるくらい怖くなったの」

「……経験、あるわ」

「でしょ?」


 小さい頃に、夜が無性に怖くて眠れないのと同じ種類の恐怖。分からない物が怖くて……死んでしまったら、どうなるのか、消えて無くなるのかなんて考えれば考えるほど、深みに嵌まっていった。ずぶずぶ、底なし沼に。


「で、あまりにも怖がりすぎた私を見かねて親が、励ましてくれたの。もう会えなくても、海月がおばあちゃんの事を大切に憶えてたら、心の中でおばあちゃんは生き続けるのよ、って」

「普通ね」

「そっ。別に、特別な言葉を貰ったワケでもなくて、今となってはありふれた励ましだなーって思うけど、私、本当に怖かったのよ」


 寿命なんて遥か先、特に持病も無い子供なのに、いつ来るか分からない死が怖くて仕方なかった。なんなら、今だって、人並み以上に恐れている、かもしれない。


「怖すぎて、捻じ曲がって受け止めちゃったんだ。人に憶えられてる限りは、死なない。だから、沢山の人に好かれて、記憶に残ればいい……多分、そこが、良い子ちゃんの瀬戸海月のはじまり、なのかな」


 そこから、人に憶えられるように、好かれるように振る舞うようになった気がする。最初は、頑張って好かれるように立ち回っていたのが、気付けば、変えられない性質にまで昇華、或いは悪化。


「……ひねくれすぎにも程があるでしょう」

「私もそう思う。私も気になってたことあるんだけど……一年の時、先輩を殴ったってほんと?」


 直接、見たわけでは無い。ただ、澄が孤立するきっかけとも言える、有名な話。


「向こうから、叩いてきたから」

「それで、やり返したんだ。もしかして、結構、喧嘩も強かったり……?」

「全然、ひ弱。殴り合いなんてからっきしね。ただ、打ち返した。それだけよ」


 相手に勝てそうだとか。格闘技を習っているからとか。そういうのじゃなくて、やられたから、やり返した。凄く、シンプル。


「澄、分かりやすいね」

「初めて言われたわよ、それ」


 くすくす。話が一段落、落ち着いたのを見計らったみたいに届けられた、二つの甘味。写真通りのものがテーブルの上に並んで、感動。窓の外の風景と合わせて写真を撮ってから、パクり。


「んー、美味しい……!! 和って感じがするっ」

「雑な感想ね。分かるけれど」


 見た目も、味も、それからロケーションまで揃ったお茶屋さんで味わう甘味に舌鼓を打つ。バスに揺られ、荷物を転がしていた疲れすらも、程よいアクセントになっていて。

 そんな風に、旅先気分を堪能していると、空いていた隣に、一人の女性が腰を下ろした。特に何も考えず、ほんの少しの既視感に押されるまま、視線を向けて……心臓が止まりそうになる。

 私に釣られて、女性の方向を向こうとした澄の顔を慌てて、両手で挟んで止める。そのまま、思い切り顔を近づける。鼻先が触れそうになるほど。


「担任」


 その一言で、全てが伝わったのか、目をパッチリと開いて驚く澄。出来るだけ自然に、色つき眼鏡を掛けたり、帽子を被ったりして、バレないように努める。帰って不自然かもしれない、というのは横に置いておく。


「こんな、ピンポイントで?」

「……いや、見間違い、かも」


 再び、ちら、と見る。


「あっ」


 目が合った。間違いなかった。何事も無かったかのように、顔の向きを戻す。


「私達は、ただの旅行客。二人とも高校卒業したばっかりのフリーター」

「……はいはい」


 全力で他人のフリをする他なかった。

 先ほどまで、美味しくて仕方が無かったはずの甘味の味が、緊張で分からない。こんな状況で、話が弾むわけも無くて。黙々と、食べて、店を出ることばかりを考えている。

 気付けば、隣の席にも、あんみつと、煎茶セットが届いていた。


「……私、教師をやってて、修学旅行の引率で来てるんです」


 ぼそり、突然、声を出した先生。話し掛けられたのか、と恐る恐る視線を向けるけれど、私たちではなく、窓の外、風景を眺めていた。


「二人、病欠の子が居て……どうしても、頭に過っちゃうんですよね」


 私と澄、合わせて背筋が伸びる。もう完全にバレている。だけれど、その視線は少しも、私達に向かない。

 少しずつ、バレるという焦りよりも、疑問符に比重が傾き始めていた。


「その子達にだけ、思い出を作る場所を用意してあげられなくて申し訳ない気持ちで、楽しみきれないんですよ」


 あえて知らないフリをしてくれているのかもしれない。遠回しに急かしてくれているのかも、と、結論づけて二人、食べる速度を上げる。食べかけだったと言うこともあって、大した時間を掛けること無く完食。

 荷物を手に取って、手早く店を出る準備を済ませる。慌ただしいこと、この上ない。

 伝票を手に取り、立ち上がる。


「休んだ二人、落ち込んだりしてるんでしょうか」


 視線は外に向けたまま、溢すような、質問。店を出ようとした足が止まる。


「多分。多分、ですけど、その二人は二人で、行けなかったことも特別な想い出になったり、してる……かも、しれませんから、気にしなくてもいいと、思います」


 曖昧模糊でふわふわとした言葉を、ぼそり。聞こえたかどうかを確認することも無く、逃げるようにその場を離れた。店を出る前に、一瞬だけ振り返る。先生は、変わらないまま、お茶を啜っていた。少しだけ、背筋が伸びていた。

 店先の石畳の上でグッと伸びを一つ。太陽が、眩しい。


「見逃してもらえるなんて、ラッキー……って素直に喜べないね」

「少なくとも、私たちが黙って来てるのはバレた、わね。それに、学校と印象が違った」

「うん。私たちの知ってる、ビシバシって感じの先生じゃなかった」


 印象が違ったように感じるのは、言葉遣いだけの話では無くて。

 私達を、生徒として扱っていなかったから。ただ、それだけで、全然違う人のように感じた。

 あくまで、私が見ていたのは、先生の一側面でしか無かった。


「まっ、そんなものだよね。人によって、立場によって、変わるのって別に普通だもん」


 ただ、その匙加減が、人によって異なるだけ。

 空を見上げる。突き抜けるような、青をしていた。

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