第2話

限定という言葉が嫌い。枕詞に、期間という二文字がついたら、尚更。

 終わりがある。当たり前のことを、特別なことのように語られるのが嫌い。

 期間限定メニューより、永久不変メニューとかの方が、よっぽど嬉しい。私が死んでも、私の知っている人が全て消えても、残ってくれる安心感がある。

 ただ、永遠というものは、中々難しいらしい。今の私たちでは、どうも手が伸びないシロモノ。だからこそ、人は昔から永遠みたいな終わらないものに憧れてきた。友情は不滅とか。不老不死とか。私だって例に漏れず永遠を欲している。具体的に言うと後者。消えるのが怖いから。

 私は妥協する。永遠の命とか存在は難しいから。少しでも長く居られるように。存在を多くの場所に刻もうとする。刻んでも刻んでも、何事にも終わりが来るのを分かっているのに。命にも人生にも世界にも。終わるように、出来ている。一日の終わりに、チャイムが鳴り響くように。


 最後のチャイムが柔らかな軸を疲れ切った背筋に差し込んでくれる。

 一週間、積み重ねた疲れ。今日一日分、頑張った疲労。ダプルパンチでふにゃふにゃになってしまった身体。へとへとだけれど、今日は金曜日。週末。それだけで、歩いて帰るだけの活力が沸いてくる。明日から二日は、授業という緩やかな呪縛からも、一時の解放。身体が軽くなっていく、気がした。

 上手くサボる事が出来たのなら、もっと楽になれるのだろうけれど。

 優等生の、瀬戸海月を維持するのは結構、消耗する。優等生というのは、成績だけの話では無い。授業態度や、性格面で手を抜いてしまうと、すぐに脆く崩れてしまう。

 ミルクティーの底、沈殿したガムシロップみたいに重たい頭。のろのろ、徐行運転の思考回路。時折、危うい場面はあったものの、睡魔に負けることなく授業を乗り切った。板書やポイントをそれなりに押さえたノートは、今すぐに誰かに貸すことが出来る程度のクオリティは維持できている。

 いつもの授業では眠たくははならないけれど、午前中には体育、午後からは眠たくなる座学のラッシュ。私も眠たくて仕方なかったということは、クラスメイトの殆どには、クリティカルダメージ。半数が夢と黒板を行ったり来たり。

 県内のランクで言えば、中の中。調子が良くとも中の上に食い込むのが精々の高等学校。なんとか、県内にある国立大学に進めれば御の字……有名な難関大に通るのは年に一人いるかどうか。合格した日には、スーパーヒーローという、特筆することの無い公立高校。生徒達の大半は、一年以上先の受験を見据えて、目を血走らせながら机に齧り付く……なんて、気概は持ち合わせていない。程ほどに勉強をしたり、しなかったり。

 こりこり、眉間を両手で揉みほぐす。両手の平を天井に届かせようと思いっきり伸ばすと、背筋が伸びて、ソーセージを囓ったような小気味よい音が、身体の内側から響く。首をぐるぐると回したり、肩を揉んだりして、身体を解しているとすぐ傍に、二つの影が差す。


「海月ー、おつかれー」


 話し掛けられて、軽く身体ごと、そちらへ振り向く。


「小春、お疲れさま」

「今日、凄く眠くなかった? 殆ど、授業の内容頭に入ってこなかったもん」


 肩口まで伸びた髪をサイドに縛った短い尻尾を揺らしながら目を擦る小春。溌剌で、裏表が無い性格は、喩えるならお日様。友達を太陽なんて、壮大なものに喩えてしまうのは、もう一人の存在が対称的、お月様のようにローテンションだから。


「私は即寝たけど? 小春も寝たら良いのに。あの先生、別に何も言ってこないよ?」

「一葉、そういう問題じゃ無いでしょ。ちゃんと起きてないと、テストに響くよ?」

「結局、授業の中身が入ってないなら一緒。むしろ、寝てスッキリしてる分、私の方が合理的」

「ああ言えば、こう言う。海月もなんか、言ってあげてよ」


 もう一人、というのが、寝起きなのを隠そうともしない一葉。小柄で、不真面目。


「言ってあげたいけど……一葉、私より、テストの点数良いから」


 なのに、テストの点は私よりも大体が上。授業態度のお陰で、通知表はとんとん。

 ショートカットに、いつもはサイドの髪を耳にかけている。ただ、寝起きなのか、何本か垂れ下がった髪が頬に張り付いていた。去年から同じクラスだった二人の友達。

 私だって、優等生という名の鎧がなければ、授業を諦めて眠っていたかもしれない。二人と話していると、二年生になってから、話すようになった友人が集まってきて、ひとかたまりになる。


「ほんと、眠かったよね。なんとか、乗り切れたけど、時々、危なかったもん」


 ポイポイ、と鞄の中に、教科書やノートを放り込みながら、合わせて愚痴る。


「うっわー、さっすがミヅキ先生。危ないとか言ってるけどノートもカンペキだわ。あたしらにはムリムリ」


 机に置いたままだったノートを手に取られ、パラパラと中身を覗かれる。一人の友人が肩を竦めて笑うと、厚く塗り伸ばされた睫毛が震えた。中身のない雑談をしながら、それぞれが部活や、バイトに向けた帰り支度に手を掛ける。大変で、ありふれた一日を、みんな等しく乗り切った。鞄を手に取って、友達と雑談しながら、のんびり帰ろうと思っていたのに。


「瀬戸、確か住んでる場所って、駅の向こう側だったよな?」


 教室を出て行く直前に、私の席へと寄った担任の女教師。会話を堰き止めるように、引き留めるように、割って入ってきた。


「はい。結構、近く、ですね」


 電車か、バス通学が大部分を占めるこの学校の生徒だけれど、何事にも、少数派というのは居るもので。偶然か運命か、高校に一番近い駅付近に住んでいる私。数少ない徒歩通学組だったりする。幾つか進学先にあった候補。もう少し上を狙うか悩んだけれど、通うのが楽という理由が最後の決め手だった。


「悪いけど、今日、ホームルームで配ったプリント、古宮に届けてあげてくれない? 提出期限も短いから、早めに渡さないと困るだろうから」


 困るのは先生じゃないの? と、喉元までせり上がってきたけれど、一呼吸もすれば、消えて無くなる。

 心の中、面倒くささというメーターが上がっていく。とはいえ、頼られてしまったのなら、仕方ない。伺う担任の表情には、申し訳なさというベースメイクの上に、柔らかな笑みを目元に浮かべている。私に頼めば何とかなるだろう、という信用。

 古宮澄。関係性はクラスメイト。高校に進学し、二年に進級し、クラスが同じになってから一ヶ月以上経った今も、殆ど会話したことのない相手。

 仲良くないのか、と言われればイエス。そして、そのイエスはクラス全員に当てはまる。有り体に言ってしまえば、孤立している生徒。理由は、単純で、付き合いづらいから。

 反面、誰が見ても振り返るような綺麗な容姿から男子生徒には人気がある。同性であっても関係無しに見惚れてしまう造詣。美形と言うだけに飽き足らず、スタイルまでもしなやかな健康美を土台にした、百点満点。美人とか、スタイルが良いとか。モデルみたいだとか。言い表すのなら幾らでも形容詞を並べられるが、どれも、しっくりと当てはまらない。

 人工光の無い半月の光の下。曇り空の日にぼんやり輪郭を浮かべる紫陽花。柔らかく積もり続ける無音の雪。

 どれだけ形容しても、伝わりきらない。形容の枠外にある美しさを持つ人。それが、私の第一印象。息を呑むように綺麗だから、近付き難い人。

 実際、近寄りにくい人というのは当たっていた。その静謐さを湛えた容姿に反比例するような物言い、性格が理由。もし、古宮さんが同じように担任から頼まれたのなら、丸投げ、と捻くれた受け取り方をしそう。誰が相手でも、引かないことで有名だから。

 消去法で私に鉢が回ってきた。担任も、楽だから私に頼んでいることは分かる。私より、暇そうな生徒なら幾らでも居る。私と話していた生徒なんて、ずっと暇だろうに。受ける義理はなくても、選択肢は決まり切っていた。


「帰りに寄って、渡してきますね」

「助かるわ。家の場所なんだけど……」


 笑いを浮かべて、流れるようにプリントを受け取る。たった一枚の安っぽい再生紙に、私の時間が流れていくのに、嫌悪感はない。小さな、積み重ねがあるから、私は皆と繋がることができる。優等生で、好かれる瀬戸海月で居られる。

 面倒な頼み事を、引き受けたら喜んでくれるから。私という人間は、成績と授業態度は優秀だけれど、ガリ勉って程では無い。少し不真面目なクラスメイトとも一緒に分け隔て無く遊ぶ。時折、悪ふざけが高じて先生にも怒られるようなダメな部分が、私から取っ付きにくさを排除する。

 それが、大多数に好かれる、瀬戸海月という人間像。皆から慕われる瀬戸海月はここで断ったりしない。引き受けるのが当たり前。

 担任から教えて貰った古宮さんの住所を、手書きでメモ。意外と、私の家からも近かった。


「ってことで、ちょっと、帰りに寄るとこ出来ちゃった」

「えぇー、別に、月曜でもよくない?」

「わたしもそう思うけど、頼まれちゃったから仕方ないよ」


 肩を竦める。一度引き受けたことを、投げだすわけにもいかない。

 鞄を手に取って、立ち上がる。古く安っぽい椅子が、床と擦れて、がたがた、と。

 お待たせ、とローファーのエスコートとともに、歩き出す。この、息苦しい箱の中から解放される瞬間、肺を満たす空気が、少しだけ澄んだ。

 沢山の生徒の靴が、廊下には溢れかえっていた。足取りはバラバラ。一つとして統一性はない。逸るように駆けていく生徒は、大きなボストンバッグを肩から掛けている。小春もまた、大きなバッグはないものの、同じように部活へと消えていった。居るのは、私と一葉と、あと二人。

 廊下で立ち止まって、会話に華を咲かす生徒も居るし、時々、生徒以外、教師の影も見える。

 授業という、最低限の義務から解き放たれてからの校舎は、窮屈さと引き換えに忙しなさも溢れかえっていた。

 夕方というには早過ぎて、昼と言うには少し遅い。玄関扉の向こう、空の青に浮かぶ烏は、寝起きなのか、動きが緩慢で、やる気が感じられない


「なんか、ヤバいらしいよね」


 下駄箱から、靴を取り出そうとして、手が止まる。神妙さが一割、あとの残りは、その他もろもろ。風船のように軽い言葉が聞こえてきた。


「ん? なにがヤバいの?」


 つい、話の流れに乗り損ねる。瞬きをしているうちに、話題の変わる雑談は、オールを離したらすぐに、知らないところへと流されてしまう。


「古宮、一年の時に、三年生の彼氏を奪ったって知ってた?」

「一応、小耳に挟むくらいなら」

「それで、キレた三年生が一年の教室まで殴り込んできて、古宮を連れ出して、ブチギレ。それで、先輩が古宮の顔を叩いたんだって」

「それで、すぐに叩き返したんでしょ? 知ってるよ。有名だもん」


 止めた手を再び動かして、靴を履き替え、玄関を潜り抜けて、太陽の下へ。

  古宮さんが、誰とも一緒に居ないのは、本人の性格に依るところだけではなく、周りも腫れ物のように触れようとしないから。

 同性から羨望か嫉妬の的になる容姿は、異性にとっては恋愛感情の引き金にするには十二分。高嶺の花で、誰も手が出せない……という漫画のような事も無く、我先にと古宮さんへと手を伸ばす男子生徒は幾人も居たらしい。中には、今付き合っている相手と別れてまで、古宮さんに告白した先輩も居るのだとか。真偽の程はわからないけれど。


「それを何回も、取っ替え引っ替えやってるんだから、怖くない? 今は、大人に手を出してるみたいだし」


 みたい。らしい。古宮さんの噂に関する言葉の締めくくり。古宮さんが否定をしても、過激な事実には幾つもの尾鰭がついていて、どこまでが事実で、どこからが嘘なのかが定かでは無い。

 肯定も否定も、古宮さんの口からしか語られない。けれど、本人の言葉なんて、誰も信じない。何を言っても尾鰭を増えていく。


「もしかしたら、会った瞬間、ビンタされたりして」

「それは、言い過ぎでしょ」


 けらけらと、笑いながら、歩いて行く。噂を鵜呑みにはしていないけれど、三年の横っ面を叩いたのは事実。ほんの少し、鞄の中のA4用紙が重たくなった気がした。

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