第4話

 狭く、古い和室。真ん中に置かれた卓座を挟んで二人。ドライヤーの唸り声が間を満たす。気まずさで横を横に逸らすと、カーテンレールに引っ掛けられたセーラーが同じ色の来訪者を、物珍しそうに、見下ろしてきた。部屋の隅には、几帳面に畳まれた敷き布団。

 正座する私。卓座を挟んだ向かいに、お風呂上がりでほかほかしっとりの古宮さん。タオルで軽く乾かしただけの髪は、艶々と部屋灯りを反射。シャンプーやトリートメントの匂いが甘ったるいほど部屋中に広がって、目を瞑れば花畑に迷い込んだかのよう……と、いうのは少し少女趣味が過ぎるだろうか。

 私の手に握られたドライヤーが温風を吹き付けているのは、古宮さんの綺麗なストレートではなくて、紺のセーラー。格好は半裸……ということもなく、スウェットを一着、借りていた。幸い、下着の類は、軽く濡れただけだったから、タオルを借りて上から水分を拭うことで妥協した。


「瀬戸さん、もっと、つまらない人だと思ってた」


 一瞬、手が止まる。少しの間を置いて、再起動。温風が柔らかく左右に揺れる。手は動かしたまま、頭をこねこね、こね回す。言葉の意図が半透明。手を伸ばしても、すり抜ける。ただ、つまらない人、と勝手に思われていたのは、ほんの少し、砂糖一粒分くらい、悔しかった。


「……つまらない、ってどういうこと? 私、古宮さんと話したことってあんまりないはずだけど」

「言うとおり、話したことは殆どないわよ。ただ、瀬戸さんがこんなに踏み込んでくるような人には見えなかっただけ」

「踏み込むって、そりゃあ、家に勝手に上がったのは悪かったけど……」

「それ自体はもう、いいの。むしろ、鍵を閉めてくれたことには、感謝してるの。ありがとう」

「え、まぁ、うん」


 何というか、会話のテンポが噛み合わない。言っていることの一つ一つに前フリが無くて、抽象的なのに直接的。


「知らないフリをして帰るような人だと思ってたの。家に誰も居なかった、って言えばそれだけで済む話でしょう? 態々、鍵が開いてたからって、家の中まで届けるなんて面倒ごと、嫌いでしょう?」

「……別に、嫌いではないけど。私、そんなに冷たいって、思われてたんだ」


 実際の所、玄関にプリントだけを置いて帰ろうと一瞬考えたのだから、あながち、間違いでもない。ないのだけれど、認めるのはなんとなく癪。つまらない人だと思われていたことで背筋に掻痒感。私の何も知らないのに、勝手にレッテルを貼られていたことが、凄く気に食わないというか、なんというか。


「思ってたわね」

「キッパリ、言うね……」

「誰にでも優しく振る舞うから、ロボットみたい」


 古宮さんは、歯に衣着せない。思わず、うめく。

 予想外に次ぐ予想外。混乱と力仕事で心身共に疲弊。優等生を取り繕う元気が残っていないのか、古宮さんの言うロボットのように振る舞えなかった。

 ようやく、上が乾いてきたので、今度は下、スカートへと手を伸ばしかけて、ドライヤーの電源をカチリ。萎むような声を上げて、それきり、大人しくなる。


「私の方が時間掛かるから、先に、髪、乾かしたら?」


 古宮さんのペースに流されるままだったから、気付くのに遅れた。タオルドライのみで、未だにしっとり、しとどに濡れていた。今更感は、あるけれど、スカートと靴下は湯船に直接、突っ込んだので長期戦になる見込み。光を吸い込んでいるようにすら見える程の黒髪を放ったらかしにするのは、一人の女として見過ごせない。


「……いいの?」

「いいもなにも、古宮さんのドライヤーでしょ?」

「でも、制服が濡れたの、私のせいでしょう?」


 お風呂から上がるなり、軽く身体を拭いたら、即座に手渡されたドライヤー。私も、濡れ鼠だったから、特に何も考えずに受け取った。その後、即座に渡されたワンサイズ大きいスウェットなんかも、なんとはなしに借りた。


「もしかして、先に私にドライヤーを渡したのって、ごめんなさいが含まれていたり、する?」

「えぇ」


 古宮さんなりの気遣いは、分かり難かった。溜め息と同時にドライヤーを放り投げる。


「わっ」


 驚いたような声とともに、しっかりと受け止める辺りは抜け目ない。


「古宮さん、分かりづらい」


 仲がいいわけでも、何を知っているわけでもない。ただ、互いの、外では見せない部分を晒してしまった、という事実が、口を軽くする。


「似たようなことは、よく言われる。言い過ぎ、空気読めない、何言ってるか分からない、とかが多いわね。分かりづらいは多分、初めてだわ」

「意味合い的には、似たり寄ったりだけどね」


 少しトゲが少ないだけ。古宮澄という人間は、初対面の相手に、つまらない、とぶつけるような人。確かに、このままの態度で学校生活を送っているのだとしたら、友人は出来にくいかも知れない。なんて、考えている事に気付いて、苦笑い。つまらない、と言われたことをかなり根に持っている自分を発掘。私は根に持つタイプらしい。

 カチリ。静かだった室内には、ドライヤーの音。部屋の中、パンパンになるまで詰められていく。


「で、お風呂のアレは、どういうこと?」


 大きな音に掻き消されないように、声を張る。私がつまらないという話は終わっていなかったけれど、古宮さんが何故、お湯の中に沈んでいたのか。そっちの方が興味の大部分を占有。


「誰にも言わないでくれる?」


 何を今更、と肩を竦める。地味な灰色のスウェットからは、柔軟剤の良い匂いがする。古宮さんの着た後の服ではないみたい。


「私が不法侵入した挙げ句、同級生のバスルームに強行して、寝込みを襲おうとした、って言い触らすんじゃなければね」


 改めて、途中式を省いた結果だけを見ると、大事故。こういうのが、偏向報道だとか、風評被害、というものの縮図なのかもしれない。


「それなら、心配ないわ」


 続く言葉を待つ。リップクリームを塗ってもいないのに、水分をたっぷりと吸った唇は、言葉が紡がれる度に、ふるふる、と揺れる。


「言う相手、居ないもの」


 自虐するでも、自嘲するでもなく、笑いながら溢す古宮さん。友人がいないことはキッチリ自覚しているらしい。ただ、恥とも誇りとも思っていないだけ。


「それに学校で言い触らしたって、誰も聞く耳持ってくれないわよ」

「なんだ。自覚してるんだ。周りからどう思われるなんて、どうでもいい人だと思ってた」


 古宮さんは、いつも独り。普通の生徒なら、友達が居ない、可哀想な人間だと見下されて終わり。なのだけれど、美人というのは、孤独に付加価値を発生させてしまう。同じ、独りでも、孤高や高嶺の花という肩書きがついて回る。俯いたり、内気ではないのが、尚のこと、古宮さんのお高くとまったイメージを助長。


「どうでもいいのと、気にしてないのは、全然別だわ」

「……ごもっとも」


 温風が吹き出し、長い長い黒髪が膨らむ。その膨らんだ空気は、柔らかく破裂。コンディショナーの香りを、部屋の四隅にまで行き渡らせる。言葉足らず。言葉を選ばない節がある古宮さんだけれど……近寄りにくいというイメージとは正反対、何故か話しやすい。


「それで、私がお風呂の中で眠っていたことよね」

「寝てたって、どういう……こと?」


 私からしてみると、寝ているのか、死んでいるのかも分からない状況。助けなければ、と、それだけでいっぱいいっぱいだった。


「そのままの意味よ」


 落ち着いた今、冷静になって考えてみてもおかしい。肺活量が凄い、なんてものでは済まされない。

 粗方乾いたのか、ぷつん、とスイッチをオフにされ、勢いを失うドライヤー。髪は、さらさらと流れていた。再び、手渡されて、受け取った。じんわり、温かい。古宮さんはドライヤーを握ったまま、私を見て、ゆっくり、ささやくように、呟いた。


「私、呼吸が出来るの。どこででも」

「……えっ」


 ドライヤーから離れる彼女の指。ドライヤーを握ったまま、固まる。マジックの種明かしを求めただけ。種も仕掛けもありません、なんて返ってくるなんて、想定外。


「昔、お風呂でつい眠ってしまったことがあったんだけれど、その時に気付いたのよ」

「ま、待って。じゃあ、何? お湯の中で寝てたのって、本当にそのままの意味?」


 信じられない。先ほどの状況に、説明を付けろと言われたのなら、お湯の中で寝ていた、としかならない。だからと言って、信じろという方がムリだ。


「そう。人肌のお湯の中で眠るのが心地良くて、時々、ああやってリラックスするの。余計な音は何も聞こえなくて、心臓の音だけ聞こえてくる」


 もう、私も高校二年。魔法使いがこの世界に居ないことを知っているし、サンタクロースがプレゼントを届けてくれなくなって久しい。それでも、と非日常や、不思議なことが世界にはないのか、と考えていたのも、今は昔。中学生になって少しする頃には、消えていた。恋愛やメイクといった、現実のきらきらに上塗りされたから。けれど、目の前に居るのは塗り潰されたはずの、ありえないを宿した非日常。

 魔法や超能力の類が、本当に存在するという現実が、こうであろう、ああ振る舞おう、という理性のコントローラーを、綺麗さっぱり吹き飛ばした。


「もしかして、古宮さんって他にも超能力とか、使えたりするの!?」


 ドライヤーを手放し、膝の上に載せていた制服が崩れるのもお構いなし、卓座に乗り上げるような勢いで両手を突く。ころころ、シャープペンシルが転がって、落ちた。


「い、いや、全然」

「じゃあ、何か特殊なそういう能力者を集める組織があったり」

「しないわ。少なくとも知らない」

「ほ、他にも、似たような特別な能力をもった人がいたりは……」

「居るかも、しれないけど、会ったことはないわよ」

「あー……こう、ほかに特別なこととかって……」

「……ないわね」


 勢いは、すぐに、現実という名の消化剤が大量投下されて鎮火。


「呼吸が出来るってだけ、かぁ」

「自分で言うのもなんだけれど、結構凄いことだと思うのよ? ほら、水泳の時、息継ぎいらないし……実際、それで、変わったことや、特別なことなんて何も無いけれど」


 私が露骨に肩を落としていると、古宮さんが、困ったように顔を覗き込んで、頓珍漢な方向からフォローが入った……直後に、また落とされる。

 地味すぎるから、凄いとは手放しに言えない。いや、本当に凄いことなのだけれど、反応に困る。私が水泳部に所属していたら、反応は違ったのかも知れないけれど、残念ながら帰宅部。


「……それを知ってるのって、他に誰がいるの?」


 思わず知ってしまったクラスメイトの秘密。ありふれた秘密だったのなら、こうまで興奮しなかった。結局、それ以上の非日常は出てくることがなく、すぐにクールダウン。冷えた頭が、この秘密は持て余すと呟いた。内容が、特殊すぎる上に、一歩間違えれば、一面のニュースに加え、古宮さんがどうなるかわかったものじゃない。黒い服を着た、見るからにエージェントといった人達が訪ねてきこないとも言い切れない。


「あなただけ」


 古宮さんの、小さな、声。ハッキリと喋る人だったのに、突然、小さくなった声量に、思わず、聞き逃してしまった。


「ごめん。よく聞こえなかったんだけど」


 俯いていた顔を上げて、パッチリ、目が合った。大きな瞳、パッチリとした二重に、自然に伸びる睫毛。すっぴんでこれって、ズルい。


「瀬戸さんだけって言ったの」

「へぇ、瀬戸さんだけ、かぁ……私と同じ名字なんて、凄い偶然」


 意識が遠くに。そういえば今日の晩御飯はなんだろうか、とか。明日の授業はなんだったっけ、とか、取り留めない日常へと思考が逃げる。

 しん、と沈黙が卓座の上、横たわる。かち、かち、と小さな目覚まし時計が秒針を刻む音だけ。深呼吸一つ。力なく、項垂れた。


「なんでぇ……」


 まさか。本人以外誰も知らない一等級の秘密だなんて。確かに、教えて欲しいとは言った。言ったけれど、こんな持て余してしまうような秘密を手渡された上、持っているのは私だけ。共犯者らしい共犯者はいない。古宮さんに何かあったら、私の単独犯。エージェント達が真っ直ぐに私の所に来て、記憶をどうこうしたり、閉じ込められて尋問を受けたりすることになるかも、しれない。


「本当に秘密にして。こんなの知られてしまったら、私、どうなるか分からないもの」

「信じて貰えないわよ、こんなの」


 水の中で呼吸が出来る。それも、酸素ボンベを背負うわけでも、エラ呼吸をするわけでもない。ごく自然に、普段と同じように。それが、どれほど常識離れなことなのかは、分かる。


「それでも、本当にバレたら、多分、今の生活とはお別れしないといけなくなる、から」


 攫われた古宮さん、何かしらの研究機関に連れられて、調査、或いは解剖、なんてことになってしまったとしたら、私一人の手には余る。余りすぎる。


「わかった、言わない。言わないけど、確約はできないからね。もしも黒服のなんか怖い人達に、脅されたりしたら絶対喋る自信ある」

「それでいいわよ。命がけで、なんて言わないわ。言って欲しいけどね」

「少なくとも、面白おかしく話したりはしないし、学校なんかでも言わないけど……一個だけ教えて。どうして、秘密を私に教えてくれたの? 聞いておいてって思われるかもしれないけど、言わなかったらいいだけじゃない?」


 カチ、カチ。秒針が、時を刻む。膝の上、スカートが吸った水分が、じわ、と少しだけ水分がスウェットに染みを作っていた。


「見られたから」

「ま、まぁ……そうだけど」

「教えてって言われたのは確かにそうだけど……咄嗟に、私を助けようとしてくれる人、だから」

「いやいや、あんなの誰だって、助けるでしょ」


 助けてくれるようないい人。私が望んでいる好ましい評価をされているにも関わらず、どこか、釈然としない。


「確かに。助けて貰った相手が、瀬戸さんじゃなかったとしても、同じだったかもしれないわね」

「ほら」


 私だから、瀬戸海月だから話した……そんな特別な理由は存在しない。偶々、居合わせたから。


「実際に助けてくれたのは瀬戸さんだったもの。それじゃ、ダメなの?」

「ダメ、とか、そういうんじゃないけど……」


 どうして、こうも、スッキリしないのか。理由はシンプル。私が、特別扱いされているわけではないから。その他大勢の中の一人にしか過ぎない、というのがよろしくない。そんな、玉虫色の態度の何が面白いのか、古宮さんが、くすり。微笑みに、魂が抜かれそうになった。


「瀬戸さん、そっちの方がいいわよ」


 そっちって、どっち?

 微妙に、褒められていないのだけは伝わってきた。


「学校の瀬戸さん、誰にでもいい顔をして、好きになれなかったの。嫌いって言ってもいいわね」

「……それで?」


 人に好かれたい。人に憶えられたい。その気持ちが人より、少しだけ強い。万人に好かれる、と言うのは難しい。好かれているというだけで、嫌われることだってあるから。人から好かれれば好かれるほど、どうしても取りこぼしてしまう人間は、出てきてしまう。


「どっちの瀬戸さんが、素? なのかは分からないけど、今の取り繕ってない瀬戸さんのほうが話しやすいもの」

「今の私の方が、素、なの、かな……?」


 学校の私が演技かと問われれば、答えはノー。誰かに好かれようと相手に合わせて振る舞うのも含めて、私。友達と話している時と、家族で話している時では口調や態度が変わるのと同じ。ただ、他の人よりももっと分類が細かいだけ。

 パーティにはドレス、お葬式には喪服と、その時々によって着替えるのと変わらない。たまたま、古宮さんとの邂逅は衝撃が大きすぎて、何を着たら良いのか分からなかった。


「そんなことよりも」


 それと、いつもと違う事を一つ、自覚もしていた。


「どこでも、呼吸できるってどういうこと?」


 私の根源を占める承認欲求。それを、ほんの少しだけ、古宮さんへの興味が上回っている。黒翡翠の瞳が、私を映して、閉じる。


「乾くまでもう少しかかりそうだし、紅茶でも淹れるわ。安物インスタントだけど」


 古宮さんがゆっくり立ち上がる。細身な身体は普通サイズの部屋着姿でも、ゆったりとしていた。私は、ドライヤーの電源を入れ、手動乾燥を再開。

 乾かしながら、ちら、と、台所の方を見ると、小さなヤカンを火にかけている古宮さんの背中。長い黒髪が右へ左へ、上質な織物ですら、霞んでしまうだろう。

 何が、というわけではない。ただ、なんとなく、ここから見える景色を、いいな、と思った。手を動かしながらボーッと見つめていると、くるり、古宮さんの顔が私の方に向く。

 沸騰したのか、火を止めると、二つのカップにお湯が注がれて、また、動きが止まる。


「砂糖とミルクは?」


 ドライヤーの音に負けないように張られた声。背筋がくすぐったくなる。また、淡いオレンジ色のいいな、が生まれた。


「ミルクだけでお願い」


 はぁい、と間の抜けた返事が返ってくる。小さく古い冷蔵庫から、牛乳パックを取り出して、傾けた。二つのコップへと等分に注ぐと、冷蔵庫へと牛乳パックを戻して、扉を閉める。ガチャン、と中の瓶か何かがぶつかり合う。


「はい、特製ミルクティーの出来上がり」


 特製要素なんて欠片もない。けれど、湯気を立てるミルクティーは美味しそう。微妙に濡れたおかげで、冷えた身体に丁度良かった。ドライヤーを卓座の上に置いて、コップに手を伸ばす。まだ、淹れたてで、コップ自体が熱を持っていて、すぐには飲めそうにない。ちび、と古宮さんが恐る恐るカップへと口を寄せていた。出来るだけ、火傷しないように、空気と一緒に啜ろうとしている。小さく聞こえてきた、熱い、の呟きが時期尚早であったことを示していた。なんだか、小動物のよう。


「どうして、私だけこんなあり得ないことが出来るのか、分からない。ただ、昔はこうじゃなかったのよ」


 曰く、気付いたのは中学生に上がって少ししてから。少なくとも、小学生の頃は、水に潜って呼吸なんて出来ていなかった、らしい。


「色々あって、疲れ切って、お風呂の中でつい居眠りした時に気付いたの」


 人並みの頭しかない私にだって、それが、異常なことだって分かる。ただ、スケールが小さすぎて、イマイチ、事の重大さ、が掴めていない。


「もしかして、高い山に登っても、高山病にならないの?」

「登ったことないけど、多分」

「すごい……ハズなのに、地味だね」


 不可思議な力をもっている古宮さんは、まさに、非日常そのもの。


「地味だし、これと言って役に立ったこともないわね。きっと、これからも、この特技が、何か返してくれることはないと思うわ」


 どこでも呼吸が出来るのは凄い、と思う。他の誰にも真似できない唯一無二。但し、羨ましいかと問われれば、微妙。付帯する厄介事が大きく、かと言って返ってくるものも特にない。使いどころの無い宝は腐っていくのが定め。


「強いて役に立つところを上げるとしたら、頭まで毛布を被って寝ても、寝苦しくならないくらいね」

「あっ、それはちょっと羨ましいかも」


 冬場なんかは、寒くて布団に潜ってみるけれど、息苦しくなって顔を出してしまう。そんなことをしないで済むのは、少しだけ、心惹かれる。

 コップの端に唇を寄せ、ゆっくりゆっくり、傾けながら啜る。ホットミルクティーの持っていた熱量が、湯気となって虚空に消えていって、ようやく、少しは飲める頃合いになっていた。


「あっ、おいし」


 どこかで飲んだようなありふれた味。それでも、淹れ方が上手なのか、工夫でもしているのか。安物という割には、美味しかった。

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