幻の十字キーを打て!(3)
ジャレ子は高校生活が開始して以来、最高にヤキモキしていた。
無論、原因は別斗である。入学以来、あすくを含めた3人で学校内外の行動を共にし、同じ御美玉中央高校の生徒から〈仲良し3人組〉の認識もされていた関係だったが、それがいとも容易く瓦解してしまったことに云い知れぬわだかまりを抱えていた。しかもその原因が、赴任してきて半日も立っていない新任教師・星野アスカなのだからモヤモヤも格段である。緊張と不安を覚えながら入学を迎えた多感な若者が、同じ境遇とはいえ人間関係のアレコレを克服し、友人と呼べる関係を構築するまでに費やした時間を、たった数時間で乗り越えてしまったのだから(しかも教師という立場にありながら!)。
しかし、このモヤモヤの要因はそれだけではない。それだけではないとはわかっているものの、それがなんなのかまではジャレ子は理解していなかった。この胸が疼くような、居ても立ってもいられないような焦る気持ちの理由を。
ともかく、まずはこの憂さを晴らしたい。どこかパーっと騒いで、ちょっとでもこの胸のとがりを削り落としてスッキリしなければ。
「ね~、あっくん。これからどっか遊んで行かな~い?」
ジャレ子はとりあえず、首を横に振らないであろう一番身近な人物に声をかけた。
一方。
そんなジャレ子の胸中などお構いなしの別斗は、御美玉市民憩いのオアシス、ヨークベニマル御美玉店のイートインコーナーに陣取っていた。目的はもちろん、星野アスカからの連絡を待っているのである。
いつになく悠々と、セブンのコーヒー(ミルク入り)片手に少年ジャンプをめくる別斗。こんなときはスマホで時間を潰すのが定石だが、スマホを所持していない彼はいつも漫画か実話ナックルズと決めていた。
そうして1時間ほどヒマを持て余していると。思い出したようにガラケーが光る。
――いま駐車場についたわ。
簡素なキャリアメールの画面に、事務的な文字が表示されている。もちろん送り主は星野アスカである。
3秒後にはコーヒーカップをゴミ箱へジャンピングフローターサーブし、駐車場へ転がり出る別斗。
「荒巻くん、ここよ」
まもなく、車の運転席から声をかけてくる星野アスカ。
その声に導かれた先、別斗は飛びこんできた光景にギョッとなって立ち止まってしまった。
「どうしたの? キョトンとして」
「いやあ、すんごい車に乗ってるなあって」
「ああ、コレ? シェルビーコブラっていうのよ」
「どうりで見つけられないはずだ。ムーブキャンパスとかN BOXを探しちゃったっす」
「やっぱり荒巻くんも、女がこんな車に乗ってるのヘンだと思う?」
別斗は助手席のドアを開けながら、
「めっちゃカッコイイっす。おれも車の免許取ったら旧車に乗りたいって思ってたんすよ」
「ね、やっぱりカッコイイって思うよね? 嬉しいなあ。この感性わかってくれる人」
気をつけて乗ってね、と別斗に注意を促す星野アスカ。この車はボディ側面にぶっといマフラーがあるため、触れるとアチアチなのだ。
「さて、どこに連れてってくれるの?」
別斗が助手席に座ったことを確認すると、颯爽とコブラを始動させる星野アスカ。地方都市・御美玉の住宅地に恐ろしいほど不釣り合いな愛車を駆り、ひとまず国道へ向かってアクセルを踏み込む。
「昔のゲームが好きって云ってたじゃないっすか。実は玉常にレトロゲーの筐体ばっか並べてるゲーセンがあるんすよ」
「え待って、そんな面白そうな場所があるの。楽しみだわ」
「玉常の〈風の塔〉っていう施設があるんすけど、その向かいにあるんすよ」
「ああ、そこなら知ってるわ。香澄ヶ浦のほとりにある、展望台ね」
云いながらハンドルを切る星野アスカ。対向車線の車がみな一様に〈おっ〉とした表情でガン見してくるのは、珍しい旧車のせいばかりではなかった。女だてらにイカツイ車を転がしているその姿が、実に様になっているからに他ならない。別斗はその美しい横顔をチラ見した。
実際、星野アスカはキマッていた。こうして見ると、華麗なドライビングテクニックというアクティブさを加味したルックスには非の打ち所がない。単純に云うと、すべてが〈似合っている〉のだ。ほんの数秒のすれちがいにも関わらず、対向車の男どもが食い入るように目線くれるのも肯ける。
別斗は降って湧いた疑問を率直にぶつけてみた。
「どうしてレトロゲームなんか好きなんすか?」
星野アスカの性格、および美貌。それらから受ける印象に、ゲームというインドアなイメージはどうしても齟齬を感じてしまう。もちろん別斗、今時〈ゲームはオタクがするもの〉という安直な偏見はほんのぽっちも持っていないが、それにしたって彼女の醸す雰囲気には少々不釣り合いな気がするのだ。
その解を示すのに、星野アスカは信号が青に変わるまで時間を要した。
「私を育ててくれた人がね、ゲームの得意な人だったのよ」
「え」
「私、物心つくころには両親がいなくって、ある養護施設で育てられたの。16のとき、私はとある家に引き取られたんだけど、その屋敷にはありとあらゆるレトロゲームが揃えられててね、そこで飽きることなく遊んだわ」
「ゲーム好きなひとに育てられたんすね。おれと一緒っす」
「荒巻くんもそうなの?」
「ええまあ、おれは親父の影響なんすけどね」
「ふーん、そうなんだ」
コブラが鋭く右折する。星野アスカは肯きながら、前方に香澄ヶ浦を横断できる大橋への道に進入した。
ここには玉常が誇る商業施設が集まっている。大型家電量販店、A級大型スーパーマーケット、一流衣料販売店にロマンあふるるホームセンター。玉常のすべてと云っても過言ではなかった。
そんな栄華(一画)の象徴としてそびえ立つ展望台『風の塔』。調子の良いときは富士山まで見えるとか見えないとか囁かれる高さ60メートルの向かいに、新たにできた娯楽施設が本日の目的地・玉常プレイランドなのだ。
ここには昔懐かしビデオゲームの筐体や10円ピンボール、スマートボールにエアホッケーやもぐら叩きなどの遊技台が雑多に並べられ、子どものみならず大人も楽しめる昭和レトロ空間を作り出していた。
その魅惑の施設を目前に、長い髪をたなびかせながら星野アスカ、駐車場に降り立つやいなや感嘆の声をあげる。
「うわあ、これ私の大好物じゃん」
無邪気に破顔する星野アスカを横目に、別斗は心にそっと忍び寄る云い知れぬ暖かさを感じて、目を細めた。
――玲子さんに似ているかもしれない。
年齢は玲子の方が上だろうし、格好や車の趣味は異なるが、さりげない視線の送り方や言葉の選び方などが、たいていのことを受け入れてくれるような寛大な優しさを持ちながら、同時に周囲に媚びぬ強いこだわりも併せ持つ、そんな〈しゃっきりぽん〉とした性格なども玲子を彷彿とさせた。
なにより風に乗って鼻腔をくすぐる『ローズ・ド・クロエ』が、別斗の意識をどうしたってなびかせてしまう。このフレグランスが持つ甘くみずみずしい芳香は、玲子の愛用するそれと同一のものだった。
「どうしたの、ボーッとして。早くいきましょ」
遠足を待ち望む小学生の顔で星野アスカが催促する。別斗はにわか芽生えた感情を振り解き、彼女をともなって玉常プレイランドへ入店した。
想像したとおり、店内はゲームセンター特有の耳をつんざく大音量と風俗営業ならではの演出照明に彩られた、サイケデリックな空間が作られている。
ふたりはひとまず10円ピンボールが並ぶコーナーへ。単純なバネ仕掛けのレバーを指で弾きながら、10円玉が転がる行く先に一喜一憂する。
「この10円をゴールまで転がすと、どうなるんすか?」
OUTと印字された穴に吸い込まれていく10円を感慨もなく見つめながら、別斗が疑問符を投げた。
「知らないの? 10円ガムがもらえるのよ」
純粋な子どもたちにしか見出せない、非凡な価値観を持つゲームを3分ほどやり、ふたりはビデオゲームコーナーに向かった。
「わお、なつい! いきなり『ゼビルス』じゃない」
オクターブ上擦った声ではしゃぐ星野アスカが、古めかしい筐体に腰かける。さっそくコイン投入口に100円玉を投げ込むと、ズシンという腹に響く効果音に歓声をあげた。
「誰に話しても信じてくれないんだけど、実は私『ダチュラ』を破壊したことがあるのよ」
『ゼビルス』は王道の縦スクロールシューティングゲームである。その中に登場する回転する鉄板型の物体。名を『ダチュラ』と云い、この『ダチュラ』はあくまで破壊できない障害物として存在しているのだが、とあるウワサがあって……、
「ああ、ザッパー(ショット)を254発ぶち込むと壊せるってやつっよね。それただの都市伝説っすけど、みんな壊したことがあるって云うんすよね」
「でも私は本当よ。一度だけ壊せたの」
「ウソだと思ってないっすよ。おれも昔一度だけ『ダチュラ』を破壊したことがあるんで」
「まあ!」
そんなゼビルスを皮切りに、それからも名のあるレトロゲームの筐体をはしごする。『ゼビルス』『戦場の獅子』『闘いのバンカー』。気がつけば100円玉の数は20枚にも及び、それはおよそ2時間ほどでなくなってしまった。
たっぷりとゲームを堪能し、外に出れば夕焼けもとうに過ぎて薄藍の空。香澄ヶ浦の湖面にくすぶっていた残照も消え、あたりは寂々とした夜へと没入している。
「今日は楽しかったわ。ありがとう、荒巻くん」
コブラのイグニッションキーを左手で回しながら、星野アスカは上機嫌だ。
「いえ、なんもっすよ。喜んでいただけたみたいでこっちも誘いがいあるっす」
「じゃあ、次は私の誘いにつきあってくれる?」
ハンドルを手繰りながら一瞥をくれる星野アスカはいたずらっぽい。
「次の誘い?」
「これからご飯食べに行こう」
「いいっすねえ。奢りっすか?」
「疑問形とは失礼な。県職員の財力を見せてやるわ」
シェルビーコブラが意気投合する2人を乗せて地方都市の繁華街を疾駆するころ、時刻は19時を回っていた。
別斗に門限はない。だが帰りが遅くなるときには玲子の顔がちらついてしまう。しかし今日は例外だった。玲子の憂いを帯びた瞳も、手間と愛情をかけた手料理も、すっぽりと抜け落ちたように別斗の脳裡によぎることはなかった。
楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
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