幻の十字キーを打て!(12)
FINAL ROUND――
逆さになった題字が消えると同時、さきほど同様に先制攻撃をかますルオシー。衝撃波を撃ったあとにジャンプし、地上と上空からの二段構えを放つ。
だが別斗これを軽くいなし、上空攻撃をしっかりとガードしたあと素早くカウンターを繰り出した。必殺の対空アッパーで吹き飛ばすと、続けざまに落下してきたルオシーへ渾身の気弾をぶちかました。
ルオシーこれに慌てたのはさもありなん。牽制する意味で、立ち上がるとバックステップを踏んで距離をとる。別斗も深追いはせず、思いがけずブレイク。
先に口を開いたのは行平だった。
「びっくりしたわ、まさか攻撃を返されるなんてね」
「まぐれだと思ってるっしょ」
「そうねえ。私の〈
「ならもう一回試してみたらどうっすか?」
云われるまでもない。そう口にするとともにルオシーは速攻をしかける。ダッシュで間合いを詰めると、下段へ蹴りを繰り出す。
行平としては意表を突いた攻撃だった。しかし、ややフェイント気味に放たれたこの下段蹴りを、別斗はとっさに見極めて然るべきガードを施したのだ。
一瞬立ち止まったルオシーだが、怯むことなく拳と蹴りのコンビネーションで攻める。上下段に打ちわけての巧妙な攻撃だったが、これまた見極めたとばかりに平然とガードするシュウ。
「攻撃が通じない!? これはまさか!」
行平の声は熱を帯びはじめた。明らかに第2ラウンドまでとは異なる動きに、動揺を隠せない。
「見切った? この逆さまの世界を、持ち前のゲームセンスだけで見切ったというの?」
「もう終わりっすか? なら今度はおれから行きますよ」
反撃に出る別斗。シュウが持つ必殺技を次々に繰り出し、放心状態のルオシーをガード一辺倒にする。なすすべなく足を止めるルオシーに、シュウはサンドバックでも打つように拳や蹴りを見舞う。
「そんな馬鹿な、なにかトリックがあるはずだわ! 逆さまの世界は小手先の技術で乗り越えられるほど単純じゃない。脳では理解していても、指は自然とあるべき方向キーを押してしまうものよ!」
戸惑うプレイヤーに呼応するように、ルオシーも精彩を欠いた。軽快な身のこなしが売りの拳法家ルオシーが、まるで電波回線が途切れたように重く鈍い。
この異変に、ミスターQが檄を飛ばした。
「なにをしている行平。たとえ〈
とはいえ、ミスターQにも目の前の状況は信じがたい。さきほどまでとは別人のようにシュウを操作する別斗に、驚きと恐怖を禁じ得なかった。外からはわからないが、脇汗が止まらない。なにか、なにか秘密があるのだ。逆さまに見えるゲーム画面に喘いでいた別斗が、あっさりとそれを克服した秘密が。
そのとき、ミスターQは気づいた。ティアドロップのサングラスの奥底に潜む鋭い眼光が、衝撃の光景を捉えたのだ。
「別斗くん! そのコントローラーの持ち方はなんだっ!?」
掠れ声で叫んだミスターQ。行平も別斗の手元をチラ見し、同様に驚嘆の声をあげた。
「コントローラーが、逆!?」
行平の指摘どおり、別斗はスーファニのコントローラーを上下逆さまに握っていたのだ。つまりコードの繋がった面を下側にし、右手に十字キー、左手に丸ボタンという配置である。
別斗、漫画の熱血主人公のようにドヤ顔で鼻の下をこすった。
「へっ、やっとお気づきなすったか。よく見やがれ、これぞ必殺〈ジミヘン打ち〉だ!」
「なにぃ、ジミヘン打ちだとぉ?」
「そんな……コントローラーを逆に持ってプレイするなんて、あり得ないわ。……ていうか、ジミヘンってなによ?」
「おやおや、行平サンはジミヘンをご存知ないらしいな。なあミスターQ、ひとつ説明してやったらどうだい?」
「ぜひとも説明してやりたいところだが、今はそんな場合ではないだろう。行平、ジミヘンとはアメリカのミュージシャンの愛称だ。左利きの彼は右利き用ギターを逆さに持って弾くという、誰にも到達できない超絶テクを身につけた、伝説のギタリストなのだ。詳しくはウィキペディアを検索するといい。YouTubeにもあるぞ」
聞こえたのか聞こえちゃいないのか、行平からはさしたる返事はなかった。
ジミヘンはさておき、いやはや別斗の卓越された能力に、ミスターQは改めて背筋の凍る思いがした。ゲームセンスにいたってはこれまでの対決でさんざん見せつけられてきたが、今回の技巧たるやこれまでをも凌駕する驚愕のパフォーマンスなだけに、かえって底知れないポテンシャルばかりが浮き彫りになってしまったようだ。いや、ミスターQだけではない。対戦相手である行平もまた、慄然とした思いに駆られている。ミスターQが執心するほどの腕前を持ち、あの荒巻月斗の子息とあらばそれなりのゲーマーであることは想像できていたが、真実は予測より何段階も上である。
行平は心が折れかかっていた。自身の裏技『
この才能、やはり父親ゆずりなのか。行平の脇汗もブワッと溢れ出した。
「なにをしている行平、ゲームに集中しろ!」
ミスターQのかけ声に我に返る行平。そうだ、まだ決着はついていない。別斗はやっと正常にプレイできるようになっただけなのだ。立場がイーブンになっただけで、リードしたわけではない。……だが。
行平、冷静になって戦況を見つめ直し、青ざめた。最終ラウンド開始直後は互角だった別斗のプレイが、みるみる高まっていくではないか。
慣れていっている。ゲームをプレイしながら、別斗はその技術を着々と進歩させていく。
「これは、追いつかない!」
それに気づいたとき、ルオシーはすでにガード一辺倒にならざるを得ないほど追い込まれていた。
「そんな……今、彼は私同様にゲーム画面が逆さまに見えているはず! いわば私のホームグラウンドで戦っているはずなのに、それでもなお私を凌駕するというの!?」
モニター内でシュウは躍動する。上下逆による操作不能に陥って、まるで下手な酔拳のようだったシュウはすっかり自分を取り戻し、巧みな攻撃を繰り出している。隙のない猛攻に活路を見出せないルオシー、ガードはしているものの、必殺技を受け止める代償によって体力ゲージは削られていく。あと一撃でも決定打を喰らえば、ルオシーは二度と立ち上がることはできないだろう。
なんとか距離をとり、遠距離攻撃の衝撃波を連発して間合いを詰めさせないようにするも、同じ遠距離攻撃の気弾で相殺しながら徐々に接近するシュウ。
「行平サン、この勝負もらったぜ」
決着は衝撃波を放った瞬間だった。これを気弾で相殺するかと思われた別斗、当たる寸前を見切ってジャンプでかわす。
「甘いわね、そうくると思っていたわ!」
さすがは裏プロの行平、これを予期して衝撃波を放ちつつ〈溜め〉をしていたルオシー、ジャンプしたシュウめがけて渾身の対空上段蹴りを繰り出した。
しかし!
ルオシーのしなやかで勇ましい脚は、空中のシュウの眼前1㎜を切り裂いただけで、ヒットしなかった。別斗この攻撃を読んで、対空上段蹴りの射程範囲外ギリギリを見極めて飛んだのだ。
空振り。隙だらけで空中に舞ったルオシーに、渾身の拳を突き上げた。
モニター中央に浮かびあがる逆さになったKOの文字。勝負はついた。シュウの、別斗の勝ちである。
3人は一様に固まったまま言葉を発しない。行平の長いため息が、沈黙を破った。
「負けたわ。清々しいほどに」
「紙一重だったっすよ。おれがジミヘン打ちに失敗していたら終わってたっす」
「でも、あなたは成功した。極限の状況のなか、焦ることなく的確な判断によって、一か八かの戦法を可能にしたのよ」
コニサーズ・チョイスをグラス半分ほど注ぎ、行平は一気に飲み干す。そしてまた深く息を吹き出すと、晴れ晴れとした表情で別斗をたたえた。
「やっぱり荒巻月斗の息子ね。素晴らしいゲームテクニックと勝負勘だわ」
「ひとつ聞いてもいいっすか? おれの親父と戦ったってことは、親父にも『
その質問に、行平はふふっと軽く吹き出す。
「〈慣れればどうということはない〉。そのひと言であっさりやられたわ」
自分の技が破れたのに、行平はさも愉快そうに笑い声をあげた。別斗は想像していた結果と大きく異なる事実に、呆れて苦笑いを浮かべる。さすが親父というかなんというか。まあ子どもの頃から〈クセの強い〉修行ばかりやらされた過去を思えば、実に親父らしいといえば親父らしい。
「まるでスポーツ選手が試合後に飲むポカリスエットのような空気を漂わせているところ申し訳ないが――」
と、完全に蚊帳の外だったミスターQが口を挟んできた。
「行平、約束通り君への援助は金輪際やめさせてもらう。それが今回の対戦の条件だからな」
「ええ、わかってます。それは覚悟の上です」
「ちょっと待ってくれ、いったいなんの話だ?」
唐突な重たい話に、別斗は身を乗り出さずにはいられなかった。
「この対戦の前に、行平は我が組織と契約をかわしたのだ。もし負けた場合、裏プロとしての強化費用と養護施設への資金援助は打ち切りだとね」
「行平サン、それじゃあ今後はどうするつもりだ。おれとしちゃああんたが裏プロなんていうウサンくせえ組織から足を洗ってくれて嬉しいけどよ」
「身の振り方はこれから考えるわ。それよりも、今はあなたと戦えた充実感でいっぱいよ。ありがとう、荒巻くん」
「残念だよ、行平。施設から君を引きとって今まで手塩にかけて育ててきたが、まさかこんな決別を迎えるなんてね。まさに恩を仇で返されるとはこのことだ」
行平は無言で、ただ俯いている。
「それでは失礼します。今までありがとうございました」
そして深く礼をすると、静かに地下部屋を去っていった。
行平なきあと、別斗は熱戦冷めつつある部屋でぽつりとミスターQへ云った。
「なあ、これから行平サンはどうなるんだろうな」
「それを気にしてどうするのかね。まだ高校生の君に、彼女の将来をどうこうする力はないだろう」
「ならよ、オトナのあんたはどうこうしてやろうって気はないのかよ」
「ふふふ、別斗くん、どうやら君は行平にホの字になってしまったようだね」
別斗は照れ隠しに頭を掻いた。図星だからではない、ホの字という単語をひさびさに聞いたからだ。
「いやあ、今回のことでいろいろとわかっちまったんだ。おれはあんたら『2Pカラー』がみんなおんなじ思想を持ってる〈あたおか〉な連中だとばかり思っていたけどよ、どうやらそうじゃねえみてえだな」
「つまり、どういうことかね?」
「行平サン……いや、あのひとだけじゃねえ。越智さんやユーリもそうだと思うけど、みんなただ純粋にゲームが好きなだけだったんだ。それをあんたが巧みに口車に乗せて、自分の野望のために利用してるだけなんじゃねえかってことよ」
覆面姿であるミスターQの表情はわからない。しかし、いま彼はおそらく憤怒の形相をしているに違いない。その証拠に、次に言葉を発した彼の語勢は普段よりも強めに感じた。
「云ったはずだよ。私は野望を必ず実現するとね。そのためには手段を選ばんよ」
「そうかい、ならおれもここに宣言するぜ。これまであんたら組織とは関わり合いになりたくないと思っていた。だがよ、これからおれは正面切ってあんたらと戦うぜ。あんたの組織、おれがこの手でぶっ潰してやんよ」
「ほう、ならばこちらも全力でいかせてもらおう。なにがなんでも君を組織の一員にしてみせる」
「たとえそうなったとしても、協力する気はねえけどな」
「協力しようとしまいと、私はどっちでもいいのだよ。君が我々の組織の一員になったという既成事実さえあれば、大打撃を与えることができる」
どういうことだよ。今度は別斗が首を傾げた。
「たとえば、あのニャンテンドーのお嬢さんはどうかね。君が自分のもとを離れたと知ったら、彼女とても悲しむのではないかねえ?」
覆面の下、ミスターQがニチャアと笑ったような気がして、別斗は虫唾が走った。
「てめえ、やっぱ心底いやなヤローだな」
「そうだ、それでいい別斗くん。私を憎みたまえ。そうでなくては、次回からのゲーム対決がつまらんからなあ」
ミスターQはわざとらしく高笑いをし、
「では、そろそろ失礼させてもらうよ。私は温泉利用客じゃないからね、近くのコインパーキングに駐車しているのだよ。延長料金を取られてしまう」
お、おう……。返事らしい返事のできない別斗を待つことなく、アディオスと右手を挙げてミスターQ、部屋を出ていく。
簡単に消化できそうにない思惑渦巻く別斗も、しばらくして部屋をあとにした。駐車場ではソソミを待たせたままにしている。あまり心配させたくないのと、早く勝利をおさめた報告もしてやりたい。それになにより、
――玲子さん、怒ってるかなあ。
またまた帰りの遅い別斗を、どんな顔で待ち構えているのやら。星ひとつない夜空のもと、ガラケーを開くと7:43の正位置なアラビア数字。もう逆さまの効力は、なくなっていた。
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