第2話

冷たき手に涙を流せ!(1)

 うだるような暑さにあらゆる意識を削がれ、昼休憩の45分は地獄と化している。

 教室は陽キャに許される独断によってすべての窓が全開となってはいたが、本格的に始まった夏の爽快な風は微々たるもので、誰かの机の上に開きっぱなしになっている週刊少年マガジンのグラビアページ一枚すらめくりあげることもない。

 そんなまんじりともできぬような過酷な環境でも鼻ちょうちんを作れる荒巻別斗あらまきべっと

 いつものように昼食後に訪れる眠気に没入しかけていると、御美玉おみたま中央高校一のちょうどいい女子・雨瀬うのせジャレ子が、汗と8×4の混じり合った匂いを漂わせながら迷惑顧みないけたたましさで教室へ入ってきた。


「はあ~、おもしろかった~。ラウールくんのあの顔~」


 顔がおもしろいのはてめえだ。別斗は沈みかけていた意識を急に引っ張り上げられ、心で悪態をつく。


「まったく、うるせえなあ。おまえ以上におもしろい顔のやつがいるかよ」


 いや、心の中では収まりきらず、別斗は実際に言葉に出していた。

 ジャレ子はのんきに、シャツの胸元をつまんでパタパタ扇いでいる。そこからFカップのパイパイをたおやかに包みこむ水色のブラがちょっと見えて、別斗はちょっと「おっ」となった。こういう〈隙の多さ〉が一部の男子を熱狂させる、ジャレ子の魅力でもあった。


「さっきジュースを賭けたPK対決してたんだけど~、私の蹴ったボールがラウールくんの股間に当たっちゃってさ~」


 そのラウールくん、ジャレ子のあとからやってきて、


「一瞬、頭が混乱したよ。おれがやってたのはサッカーじゃなくてビリヤードだったのかってね」


 さほどうまくもない冗談を飛ばしながら、レアル・マドリードのレプリカユニフォームの裾を引っ張って顔の汗を拭う。細マッチョ的腹筋のチラリズムに、にわか飛び交う女子の黄色いため息。

 ラウールはA組の男子である。長身で陽気な性格に加えて特技がサッカー、加えてスペイン人と日本人のハーフというルックスとあらば、イケメン認定が妥当である。その人気は学年でもトップクラスなため、彼が現るところすべて女子が色めき立ち、囲いができてしまうくらいだった。

 ただ下の名前を権左衛門ごんざえもんといい、その名で呼ばれるとわりとめんどくさいことになるので、誰も下の名前は呼ばないようにしている。


「よお、権左衛門」


 この男を別にして。


「なあ別斗、言葉遣いには気をつけな。以前からその名を口にするなと忠告してあるだろ」

「なんでだよ。おまえの名前はこの世に生を受けて16年間、ずっと権左衛門なんだからなにも間違っちゃいねえだろ」

「おいおい、品性は金じゃ買えないぜ?」

「おれは良い名前だと思ってんだけどなあ、権左衛門」

「3度目だ。てめえの2つ折りガラケーを逆に曲げてへし折ってやるぜ」


 フィ~っと奇声をあげながら人差し指と小指を天に突き上げ、別斗にヘッドロックかますラウール。プロレスごっこもいつものことなのだ。

 横目で冷ややかな視線を送るジャレ子。


「も~、やめなよ別斗。子どもじゃないんだから」

「おまえこの状況が見えてねえのか。いまヘッドロックかまされてんの、おれだぜ?」

「それは雨瀬の目が悪いんじゃない、おまえの普段の行いが悪いせいだ」

「けっ、なにが普段の行いだバーロー。調子こきやがって。だからおれはサッカー野郎が好きじゃねえんだよ」


 締め上げられた頭を振りほどくと、野球派の別斗はあごをしゃくらせて〈やんのかコノヤロー〉と威嚇した。

 しかしラウールはこのボケを拾わず、思い出したように教室を見回しはじめる。別斗は変顔をスルーされる形になって、図らずもひとり羞恥心と戦うはめになった。


「急にどうしたの~? ラウールくん」

「いや、やっぱり天場のヤツ来てないなと思って」


 教室の一画、主なき空席に目をやり、ため息をつくラウール。


「そだね。天場くんってば、もう4日も来てないんだよ~」

「マジか。電話もLINEもぜんぜん連絡つかないから心配してるんだ。なにかあったのかもって」


 同じ1年B組のクラスメイトである天場ヨシオは、ジャレ子の記憶通り4日もその姿を見せないでいた。

 陽キャではないが陰キャでもない。アニメやゲームが好きだがオタクでもない。運動音痴でもないが勉強キャラでもないという、中途半端で無個性を一貫しており、誰が呼んだか〈読めない男〉の異名を持っている不思議な男子生徒だったが、いじめを受けたり病気がちだったり、意味もなくサボったりもしない心身ともに健康な生徒である。

 ゆえになぜ突然4日も学校へ来なくなったのか、いまこのクラス内でちょっとした謎になっているところだった。


「先生に聞いたら『ただの体調不良だ。お親御さんにも確認してる』っていうんだけどね~」

「じゃあ夏風邪かあ? にしても音信不通なのはおかしいだろ」


 うーん、とあごに手をやるラウールとジャレ子を差し置き、別斗は、


「へえ、意外だな。権左衛門と天場ってあんまり接点がねえように見えるけど?」


 と意表をつく疑問を口にした。

 これにラウールは照れたように頭を掻き、


「いやあ、実はよ、ある約束をしてたんだ」


 とやや濁った口調で吐露する。


「約束?」

「〈ドリームステーション5〉を売ってくれるってな」

「〈ドリームステーション5〉だって? あの大人気コンシューマーの新作で、ただいま絶賛品切れ中の?」

「ああ、あいつなぜか何個も確保できたらしいぜ。で、ひとつおれにも流してくれるよう頼んでおいたんだよ」

「マジか。どこにいっても売ってなくて、家電量販店じゃ予約や抽選やってるような代物だぞ。天場のヤロー、どこで手に入れやがったんだ?」

「さあ、そこまでは知らねえよ。おれとしちゃあ売ってくれりゃどうでもいいからな。親戚に色っぺえねえちゃんがいるんだけど、そのねえちゃんに『今度ウチにきたらドリステ5で遊ばせてやるよ』ってイキっちまったから、早くしてほしいんだけどな。まいったぜ」

「私にも売ってくれるかな~?」


 とジャレ子。人差し指を下唇に当てて上目遣いする姿に、別斗は加工された自撮り画像を見る気分を覚えながら、


「やめとけ。ぼったくられるだけだ。結局そうやって転売するつもりで購入してんだろうよ」


 と核心をついた。


「それに、おれたちにはソソミ先輩がいるだろ。ライバル企業の商品なんか買ったらどやされるぞ」

「それもそうだね。ニャンテンドーと仲良くしてたほうが、いろいろおいしいもんね」

「おまえなあ……」

「まあとにかく、もし天場と連絡とれるようならおれのことも云っといてくれよ」


 ふたりが漫才をはじめたのを期に、ラウールは自分の教室へ戻っていった。

 ラウールが去ると、その場を埋めるようにすかさず帆村ほんむらあすくがやってきて、


「別斗、ラウールと仲が良かったのか」


 と神妙な顔つきで伊達眼鏡を押しあげる。


「ああ? まあ仲が良いってほどじゃねえけど、昼飯とかジュースとか賭けて、ときどき遊ぶな」

「ぼくはあいつ、あんまり好きじゃない」

「……?」

「雨瀬さんも、あんなやつとつるんでちゃ駄目だよ」

「なんでよ~。ラウールくんは見た目に反して誠実だよ~?」

「おじさんが云ってたんだ。ウイイレでサッカーを知った気になってるやつは信用すべきではないと」

「あすく、おまえだって野球の知識『パワプロ』だろ?」

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