冷たき手に涙を流せ!(2)
地獄はその後も続き、午後の授業は身に入らなかった。暑さに加え、理科実験室の密閉された環境がことさら体感気温を上昇させ、カルキと消毒液がないまぜになったシンクの匂いもいつもより強く感じられた。
当然やる気のない別斗はうわの空で頬杖をつき、無為な50分をやり過ごす。頭にあるのは、このあと放課後の予定である。
――なあ、ベニマル行ってアイス食おうぜ。
どこからかそんな言葉が聞こえ、感化された別斗は今日の予定を決定した。
「なあ、ベニマル行ってアイス食おうぜ」
「さんせーい」
と間髪入れずにジャレ子。もちろんあすくも諸手を挙げて、
「ぼくを置いていくわけないよな?」
「あたりまえだろ。会計係のおまえがいなきゃ誰が金を払うんだ」
「よく云うぜ。今日こそおまえのマジックテープ式のダサい財布から金を絞り出させてやる」
「5回連続でじゃんけん負けてるやつとは思えない自信だなあ」
「6回目は絶対にないよ」
「ほう、やってみなきゃわからんぞ」
「3人でじゃんけんして、6回連続で負ける確率って知ってるか?」
「……いや、知らん」
「ぼくもわからない。つまり、なかなか計算するのが難しい確率ということだ。そんな〈スーパーコンピュータ富岳〉がやっと計算できるような難解な確率がポンって出ると思うか?」
「なにが云いたいかよくわかんねえけど、普通にあると思うぞ」
この後、あすくは本当にじゃんけんで負け、6回連続でアイスを奢らされるはめになる。学生生活において、じゃんけん弱者は辛酸を舐めさせられる。非情だがこうして搾取されまくり、これを拒否すれば仲の良いグループから省かれるという憂き目を見るのだ。が、そんな悲惨な学校あるあるはこの際どうでもいいとして。
ベニマルことヨークベニマルは、北関東を中心にチェーン展開する小売店のことで、ここ御美玉市民も大いに恩恵を受けるスーパーマーケットだ。御美玉中央高校からほど近い場所、市営のアパートメントが立ちならぶ区画にヨークベニマル御美玉店があって、放課後ブラリする生徒たち御用達の場所になっていた。
中は地方都市特有のやけに広いイートイン・コーナーがあり、セブン&アイ系列の強みというか、コンビニ大手・セブンイレブンの人気セルフコーヒーメイカーと同様の機種も設置してあって、スターバックスもタリーズコーヒーも近辺にない市民の束の間のカフェテリアと化しているのだった。
その無遠慮なほど強設定になっている冷房の利いた一画に陣取り、別斗、ジャレ子、あすくの3人は〈セブンティーン・アイス〉をついばんで駄弁りに花を咲かせている。
「ちょっとちょっと~、別斗ってば、そのアイスはなんなのよ~?」
口の端にあざとく〈とちおとめ苺〉をくっつけ、ジャレ子がツッコんだ。
「なんだよ、おれのアイスがどうしたってんだ?」
「それチョコミントでしょ~? そんなの食べてるの別斗くらいだよ~」
「なんでだよ。チョコミントうまいだろうが」
「だってそれ、下手すりゃ甘い
「アイスに下手もクソもあるかよ。あのな、おれはガキの頃からアイスと云えばチョコミント一択だったんだ。この味がわかんねえなんて、ガキのおれ以下だな」
このあおりを拾ったのは、あすくだった。
「おじさんが云っていた。チョコミントを好むやつと、コーヒーをブラックで飲むやつはほぼほぼAB型だと」
「関係ねえわ」
吐き捨てるように云う別斗の隣で、アイスのプラスチック棒をべろんべろんと犬のように舐め回していたジャレ子が、
「そういえばさ」
と目を光らせた。
「別斗、あれから裏のプロゲーマーとかいう連中と接触あったの~?」
「いや、ねえよ。ソソミ先輩もなんも云ってきてねえから、進展ねえんじゃねえかな?」
「脅迫めいたことを送ってくる連中だからね。動きがあれば必ず、ニャンテンドーの社長令嬢であるソソミ先輩にアクションかけてくると思うんだけど」
思い出されるはひと月前、ニャンテンドーの新作ゲーム機『ミニファニコン』を巡ってミスターQなる人物とゲーム対決させられた、みのりの森駐車場での一件。越智トオルというゲーマーと『スーパーマリコシスターズ』で戦った末、別斗の勝利で幕を閉じたわけだが、日本のeスポーツ界に宣戦布告するとまで云い切った連中の動向は不気味だ。いつ何時、ゲーム対決を挑んでくるかわかったものではない。
「ま、こればかりはどうにかできるもんじゃねえしなあ」
両手を頭にやり、天を仰いだ別斗にあすくが、
「なあ、考えたんだけど、別斗のお父さんに協力してもらうってのはどうかな?」
「ああ?」
「だってソソミ先輩も云ってたじゃないか。別斗の父親は伝説のゲーマーだって」
「そ~だよ~。ソソミ先輩の耳に届くほどのゲーマーならスゴ腕でしょ~? 息子のピンチを救ってくれるんじゃない?」
先走るふたりを前に、別斗はバツの悪そうな顔をした。
「申し訳ねえけど、そいつは不可能だ」
「どうしてだよ」
「おれの親父、失踪中でな。小学生んときに行方不明になっちまって、いまもどこ行っちゃったんだかわかんねえんだ」
考える以上に深刻な告白に、ジャレ子とあすくは言葉に詰まった。親が失踪する。その事実を前に気の利いた言葉をかけられるほど、ふたりは人生経験がなかった。
「そのすぐあとに母ちゃんも死んじまったから、いまは気楽なひとり暮らしさ。っつってもみすぼらしい生活はしてねえぜ? 親戚のねえちゃんが家のこと全部面倒みてくれてっから」
「そっかあ。なんか軽はずみなこと云って悪かったな」
「バーロー、なんで謝んだよ。そのかわり、こちとら親父の地獄の特訓を受けて育ったんだ。ハンパなゲーマーにゃ負けねえよ」
力強く別斗が親指を立てる。
そうして、なんとかこの話題にうまく収まりがついた頃だった。
イートイン・コーナーに見慣れた制服の生徒が3名やってきた。
「お、あれ
いち早く気づいたあすくが声をあげる。別斗もその存在を確認し、先頭を歩く見知った顔に手を振った。
「おーい、蟹條辺」
それにすばやく反応し、目を細めるひとりの男子生徒。
「よお別斗。なんだ、おまえらも来てたのか」
蟹條辺と呼ばれた男子、蟹條辺オサムも一行に気づき、軽く手を挙げる。
「今日は最高気温だもんね。教室での映画鑑賞もしんどいでしょ~?」
ジャレ子の人懐っこい声かけに、
「ふん、映画研究部なんて大層なこと掲げてっけど、どうせ18禁の成人映画だろ?」
別斗が悪意で乗っかった。
「冗談は顔だけにしとけよ、別斗。おまえこそ、そのパカパカケータイの画像フォルダ、クリムゾンの同人画像ばっかりだって?」
蟹條辺も負けじと云い返し、セブンティーン・アイスの自販機に小銭を入れた。
別斗はチッと舌打ちしつつ、食べ終わったチョコミントのプラスチック棒をゴミ箱へ投げる。
蟹條辺は別斗たちの隣のテーブルに来て、ベルジャンショコラの包み紙を破いた。
そうして芳醇で濃厚なチョコレートに舌鼓を打ちながら、
「ところで、さっきおまえら教室でラウールと話してたよな?」
まるでアイスの棒にそう書いてあるかのような云い方だった。
「ああ、天場のことが気になってるみたいでな」
「なんとなくだけどよ」
と蟹條辺、斜め上に3秒視線を走らせ、
「あいつ『ドリステ5』を売ってくれる約束をしてたって云ってたんじゃないか?」
「ああ、そんな話してたな。なんで知ってんだ?」
「やっぱりな。天場から『ドリステ5』買う約束してるやつ、ラウールの他にもいるからさ」
こともなげに告白した蟹條辺に、あすくが食い気味にツッコんだ。
「天場はどうして『ドリステ5』をいくつも購入できたんだ? ぼくのおじさんですらまだ入手できていないっていうのに」
「知らねえのか? あいつの伯父さん、〈SONYA〉のお偉いさんなんだよ。だから何個も横流ししてもらったらしいぜ」
「横流し? いくら身内でもコネで世界的ゲーム機をもらえるなんて、ありえない」
ヒートアップして口をねじ曲げるあすくに、蟹條辺はいたって冷静に、
「いや、横流しって云っても、もらったわけじゃないらしい。ちゃんと買ったみたいだ。ま、身びいきされた値段だと思うけどな」
「だとしても、1個5万はするシロモノだぞ。その資金はどうしたんだろ」
あすくが当然の疑問に行き着くと、とたんにヒソヒソ声になる蟹條辺、
「ここだけの話なんだが、あいつ仮想通貨で一儲けしたらしいんだよ」
「仮想通貨~?」
ジャレ子がフロアに響くほどの奇声を発し、あわてて口をつぐんだ。
「ああ、中学のときから貯めてた小遣いを全額使ったらしい。それで一発当てたってウワサがあるんだよ。ほら、あいつ一時期めちゃくちゃ羽振り良かったときなかったか?」
それでなにかを思い出したらしいジャレ子が「あっ」と口を丸くする。
「ウチのクラスに
「あの御美玉中央高校一のラテン系ボディ・城ヶ峰さんを口説いたってのか?」
眼鏡を光らせながら、あすくが唾を飛ばして捲し立てる。
「ケツがブラジリアンな城ヶ峰さんを口説くくらいだ、相当な財力を持ったんだろうな」
「やだ~、あっくんってばヨダレ~」
本気でキモがるジャレ子にハッと気づかされ、あすくは口元を拭った。
蟹條辺が横目で冷ややかな視線を送りつつ、話を続ける。
「城ヶ峰だけじゃないぜ。あいつ、金にモノを云わせてツイッターで女引っかけまくってたって話もある」
「サイテ~、な~んか天場くんの印象めっちゃ下がった~。ていうか、明日クラスの女子に云い触らしちゃお~」
「でも、なんでそんなイケイケな天場が引きこもることになったんだ?」
別斗の死語を交えたもっともな疑問に、一同はいっせいに首をひねる。さすがに、こればかりは本人に確認しなければわからないかもしれない。
「まあ、とにかくおれはしばらく天場とはつるまないことにしたよ。おまえらもあんまり深入りしないほうがいいぜ。最近のあいつの動向はキナくせえことばっかりだからな」
じゃあな。最後にそれだけ告げると、蟹條辺はツレのふたりとイートイン・コーナーを去って行った。
その消えゆく背中に別斗が、
「ちょっと待った」
蟹條辺が振り返る。
「わりー。蟹條辺さあ、天場ん家わかるか?」
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