冷たき手に涙を流せ!(7)

 攻勢をしかけたのは別斗だった。

 別斗は動きの鈍いアレニコフを考慮し、連続ジャンプで接近を試みる。対するユーリはその場で制止したまま、まだ初動してもいない。

 しかし、


「別斗、ジャンプ接近は駄目だ!」


 あすくの指摘した直後だった。ユーリの手繰るキャラ、アビゲイルが一撃必殺の跳びヒザ蹴りをかましたのだ。

 もろに食らい、画面端まで吹っ飛ぶアレニコフ。


「アビゲイルはいわゆる〈溜め技〉がメインの軍人なんだ。ああして動いていないように見えても、技を発動する準備をしているということは、ある」


 溜め技とは、指定の方向キーをしばらく押しっぱなしにすることで発動する技のことで、初心者にも出しやすいことで知られる必殺技のことである。アビゲイルはすべてこの溜めによって必殺技が発動するキャラなのだ。


「あぶねー、忘れてたぜ。なんせこのゲームやるのひさびさだったからな」


 そう云いつつ別斗はアレニコフを起き上がらせ、ガードの姿勢をかまえた。

 アビゲイルがナイフを投げつける。それをはじき返すアレニコフ。しばらくこの攻防が続いた。

 あすく、


「これがアビゲイルの戦法だ。距離を取った相手にはナイフ投げで攻め、接近してきたら必殺のヒザ蹴りで跳ぶ。まったく隙がない戦い方だよ」

「軍人らしい反吐が出る戦法だね~」


 軍人のなにを知っているのか、ジャレ子がぼやいた。

 ジャレ子はいったん放っておき、あすくは別斗に呼びかける。


「別斗、落ち着くんだ。天場の話が真実なら、この先は危険な状況になるはずだ。警戒心を怠るなよ」

「ああ、云われるまでもねえよ」


 あすくの云う通りだった。天場が話してくれた事のいきさつは、指がかじかむほどの寒さが襲ってきたという。確かにこのゲロ洞窟は外光が遮断され、ひんやりとしている。とはいえ当然、コントローラーが制御不能になるほど指がかじかむことはない。つまりなにか仕掛けがあるのだ。この先、この対決において対戦相手の指の動きを奪うなにかが。


「そうじゃなくったって別斗は不利なのに」

「なんでよ~、まだ始まったばかりじゃん?」

「いいかい? 何度も云うけど、アビゲイルは溜め技のキャラだ。圧倒的に扱いやすい。それに引き換え、別斗はアレニコフ。接近用の技しか持たないプロレスラー。しかもその技は〈ボタンを同時に3つ押す〉〈十字キーをぐるっと1回転させる〉など、高い難易度を要するものばかりだ。よしんば別斗がそのコマンド入力を苦にしていないとしても、天場の云うような寒さに襲われたとき、はたしてどれだけ正確に入力できるのか」


 あすくはミスターQの落ちつきように気味の悪さを覚えた。覆面越しだが、その佇まいから笑っているようにも見える。余裕なのだ。これは、なにか〈奥の手〉を隠し持っている人間が持てる余裕に思えてならなかった。

 その傾向は、別斗がアビゲイルの攻勢を徐々にかわしはじめてからも変わることはなかった。ユーリのプレイに慣れてきたのか、別斗が『スト2』の勘を取り戻しはじめたからか、防戦一方だった展開に変化が兆してきた。

 画面隅に追い詰められていた別斗のアレニコフは、アビゲイルのナイフを固有技であるフットワークで華麗にかわすと、この試合初の接近に成功。懐に入り、すかさず必殺技であるデスパイルドライバーを繰り出した。

 アビゲイルのライフゲージがズンズンと削られる。出すのが難しいアレニコフの必殺技は、その分だけダメージは大きい。エグいほど相手の体力を奪えるのだ。この一撃によって、別斗とユーリの差がみるみる縮まっていく。


「別斗、やっと調子が出てきたな」

「ここは一気に畳みかけて、まず先に一勝しましょう!」


 徐々に活気づく別斗チーム。反対にミスターQ陣営の動向は相変わらず静かだ。その様子に焦りの色は窺えない。まだまだ序の口といったところなのだろう。そう考え、別斗は改めて気を引き締めた。

 1戦目は次第に拮抗した試合になりつつあった。手数は少なくとも、アレニコフの攻撃は一発が重い。やはりデスパイルドライバーは警戒せざるを得ず、ユーリも迂闊な攻撃を仕掛けなくなった。

 そんな膠着状態の最中、ゲーム開始以降、沈黙していたミスターQがおもむろに口を開いた。


「どうだユーリよ。別斗くんの実力は相当なものだろう?」

「確かに」


 ユーリはクールに口もとを緩める。


「東ヨーロッパの大会でも、ここまで苦戦することはなかったですよ」

「そう思うならば、わかっておるな?」

「カニェーシュナ。見せてやりましょう、ぼくの実力を」


 まさにユーリが云い放った瞬間だった。ゲロ洞窟内の気温が、途端に下がりだしたのだ。はじめはひんやりする程度だったのが、次第に肌寒いと感じるレベルにまでみるみる低下していき、そのうち辺りは息が白く見えるほどの寒さに見舞われてしまった。


「ちょっと~、誰よ冷房ガン決めさせたやつ~?」


 たまらずジャレ子が悲鳴をあげる。


「寒さは覚悟していたけれど、まさかここまで冷えるなんて」


 さすがのソソミもこれにはお手上げのようだ。冷え性である女性陣には、この気温は堪えきれない様子でしきりに腕や足をさすっている。

 しかしミスターQはにべもない平然とした態度、自分には知ったこっちゃないといった具合いのリアクションで、軽く両手を広げている。


「お嬢さん方、どうかしたのかな? まあ、確かにこの洞窟内の気温は急に下がったようだがね」

「なに云ってやがるんだ、卑怯だぞ。早くクーラーを止めろ」


 口を激しくねじ曲げたあすくの抗議も、心なし震えているように見える。


「意味がわからないねえ。クーラー? そんなものがこの洞窟に設置されているとでも?」

「なに? じゃあこの寒さはなんだっていうんだ」

「そもそも、寒いからどうしたと云うんだね。寒ければ私のようにヒートテックやカイロを装備すればいいじゃない」

「ふざけやがって……。おい別斗、こんな状況でゲーム対決する必要はないぞ。ここはいったん中断しよう!」


 あすくが呼びかけた視線の先、別斗は相も変わらずコントローラーを握りしめてモニターに向かっている。もちろん、ポーズボタンのある1コンを持つユーリがゲームを続行しているからなのだが、その他にもゲームを中断しない、できない理由があった。


「中断? あすく、それはおれに負けろって云ってるのと同じ意味だぜ?」

「どういう意味だ?」

「気づかないのか? おれのブレーン役をやるには、ちっと洞察力が鈍すぎるんじゃないか?」

「おい、それってよ、まさかこの寒さがクーラーのせいじゃないと?」


 別斗が深く静かに肯く。それであすくも察したのか、目を見開いて声を荒げた。


「まさかこの寒さ、これがユーリの裏技だというのか?」

「やっと気づいたのかい。その通りさ」


 そう云って不敵に口角を上げる青の瞳は、さながら残忍なサメのようだった。


「冥土の土産に教えてあげよう。これがぼくの裏技『白の旋空コールドプレイ』だ!」


 ユーリの身体を渦巻く白い冷気。まるでドライアイスを思わせるそれは、確かにユーリ自身から立ち上っている。それはみるみる勢いを増し、局地的に凍てつく空間を作り上げた。

 たまらず身体を寄せあって暖をとるソソミとジャレ子。あすくも急な温度変化に軽い頭痛を覚えながら、腕をさすった。


「いったい、どうやってこの寒さを演出しているっていうんだ?」

「ふっふっふ、あすくくん。ユーリはね、ちょっと特殊な体質をしているんだよ」


 とミスターQが自分のことのようにドヤりだした。


「特殊な体質だって?」

「君も心拍数と体温の関係くらい知っているだろう。人間は体温が上がると心拍数も増え、体温が下がれば心拍数も下がる。ユーリは意図的に心拍数を極限まで減少させることで体温を下げ、彼自身が高性能な冷却装置になることができるのだ」

「人間の体温は平均36.8度ほど。低体温症と云われる深部体温35度以下になれば、命の危機に晒されるわ。室内を凍えるほどに低下できるほどの体温なんて、ありえない」


 真面目なソソミが真剣にツッコんだ。


「普通ならね。だがオイミャコン村出身のぼくの特殊体質は、いくら体温が低くなっても平気なんだよ」

「オイミャコン村ですって?」

「さよう。ユーリは世界でもっとも寒い居住地とも云われる、ロシアはオイミャコン出身。観測史上最高のマイナス70度を記録したとかしないとかで知られる極寒の地だ。そんな血も凍るような故郷で、彼はあのラスプーチンの秘術を身につけたのだよ」

「あ、聞いたことある。性豪ラスプーチンなんて云われてた人だよね~?」


 間違ってはいないが、ジャレ子の解答には誰もリアクションをとらなかった。

 ミスターQも無視して続ける。


「ラスプーチンは暗殺のとき凍った川へ投げ込まれたのだが、そんな彼の死因は溺死。心筋梗塞でも凍死でもなかったのだよ。彼は苦しい修行の末、極限状態の寒さに耐えられる術を体得していたのだ」

「そして、ぼくの『白の旋空コールドプレイ』はある行為を実行することによって完璧なものとなる」

「ある行為だって?」


 クイッと指で持ちあげたあすくの伊達眼鏡も、すでに白く曇っている。


「そう、とくと見たまえ!」


 かけ声一閃。ユーリはフィギュアスケートの要領で回り始めた。その回転はローラーシューズの力を借り、目にも止まらぬ高速になっていく。

 ユーリを中心にすさまじい風が吹き荒れる。その風は冷気をともなって、純白に輝き始めた。


「人間には体感温度というものがある。体感温度に著しく影響するのは風なんだよ。冷気は風が加わることによって、より低く冷たく感じるのさ」


 巻き起こる風、肌を刺す冷気。いまやこのゲロ洞窟内はシベリアの極寒のごとき壮絶な環境と化していた。


「くっ、まるで民明書房だな。とにかく、この寒さはまごうことなき事実。それになにより――」


 あすくは別斗に心配の眼差しを向ける。そこには、この寒さによって肩を縮こめる姿がうつる。あの調子では、きっと指も思うように動かせないに違いない。


「別斗!」


 たまらずに友の名を叫んではみたものの、適切なアドバイスも励ましもかなわず、歯がゆさに拳を握りしめるにとどまったあすく。

 その眼前で、ついに別斗が陥落した。


「まずは一本、もらったよ」


 モニターではユーリ操るアビゲイルが勝利のパフォーマンスを見せているところだった。

 YOU LOSE.

 倒れたアレニコフ同様、別斗も消沈気味に自分の手を眺めている。


「別斗くん、これであとがなくなったねえ」


 そんな別斗をあおるミスターQ。嬉々とした歓声をあげる。


「ぼくの『白の旋空コールドプレイ』をやぶった者は今まで一人もいない。申し訳ないが別斗くん、君には敗者になってもらう」


 そして勢いづくユーリ。2ラウンド目は開始直後から攻勢をしかける。

 対する別斗は寒さによる指の不具合に苦戦しているのか、1ラウンド目よりも明らかに動きが悪い。


「恐れていたことが現実になったわね」


 ソソミが息を飲んだ横で、あすくも静かに肯く。


「これが天場の云っていた寒さの謎か。こうなっては、あとはもう別斗のゲームセンスに頼るしかない」

「それにしても本当に寒いわね。凍ってしまいそうだわ。今が何度くらいかわからないけれど」

「おそらく0度以下はあるでしょうね。以前おじさんに連れられて、あるテーマパークの『アイスワールド』って施設に入ったことがあったんですけど、おんなじくらい寒いですよ」

「やだあ~。あっくん、なんで男2人でそんなところに行ってるの~?」

「誰も2人きりなんて云ってないだろ? 誰も2人きりなんて云ってないだろ!」


 あすくが無意識に赤面する中でも、当然のようにゲームは進行する。

 開始直後からのユーリの猛攻により、別斗のアレニコフはすでにライフゲージの半分を失っていた。対するアビゲイルはまだ一発も食らってはいない。

 指の感覚に苦しんでいるためか、本調子でない様子でやたら手元を気にする別斗。あすくの指摘する通り、アビゲイル対アレニコフでは操作性の時点ですでに分が悪すぎるのだ。


「別斗くん……」


 白いため息を吐くソソミ。

 なにか状況を打破するような、あっと驚くテクニックはないのか。3人がまるで奇跡を願うかのような面持ちで対決の行方を見始めた、そのときだった。

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