あれがゲーマーの指だ!(4)

 異変にはすぐに気づいた。駐車場には自分たちのリムジンの他、二台の車しかなかった。ひとつは猫耳のロゴに〈nyantendo〉の文字輝く黒いプリウス(社用車)。そしてもうひとつは、テレビのロケ班が利用するような小型のバス。周囲の景観にとんと相応しくないそれは、そばにいたふたりの人物によって、よりいっそう異質な存在感を際立たせて見せる。

 ひとりは髪を短く刈り込み、まるで軍人のような筋骨隆々とした大男。おそらく190センチはあろうかという高身長でもって、威嚇するようにランニングシャツ姿で腕組み仁王立ちしている。

 そしてもうひとり、うっすら汗ばむ初夏の最中、なにを思ったか全身黒づくめの服に身を包んだ人物。もっとも訝しむべきはこの黒づくめ、頭からすっぽりとこれまた黒い覆面をかぶり、目出しの部分にはティアドロップのサングラスをしているためにまったく表情が判別できない。体格やしぐさからかろうじて男と判断はつくが、できそこないのKKKみたいないでたちに、気色の悪さを覚えた。

 無論、ミニファニコンを強奪し、脅迫電話をかけてきた犯人である。


「待っていたよ、天堂ソソミくん」


 そう云って含み笑う覆面は、悪役そのものだった。


「あなた、誰なの? 最近eスポーツ界において不穏な活動をしている組織の一員かしら」

「さよう、我らは裏のプロゲーマー集団、その名も『2Pカラー』。以後お見知りおきを。私はこの組織を率いる、ミスターQ」


 とKKK。恥ずかしげもなくスラスラと自己紹介する様子には、ただならぬ本気度を窺える。


「おい、おっさんよお、ふざけたプロフィールなんかどうでもいいから、さっさとミニファニコン返せよ」


 いくら別斗がすごんで見せたところで、意にも介さない。それどころか、やや上空を見あげて遠い目をする始末。


「ミニファニコンねえ。ゲームの進化は素晴らしいじゃないか、ええ、天堂ソソミくん」

「なにが云いたいのかしら?」

「ファニコンがこんなに手のひらサイズになったかと思えば、当時の人気ソフトを30本も内蔵しているなど。しかも、なにやら聞いたところによればセーブ機能もついていて、RPG作品のお約束だった『ふっかつのじゅそ』もなければ、他ジャンルのゲームもコンテニューし放題。かつては攻略本がなければぜったいに判明しないノーヒントの謎解きをさせられたものだが、そんな理不尽にも対応した親切設計だそうだね。いやはや、至れり尽くせりとはまさにこのことだよ」


 大仰に、身振り手振り交えて講釈垂れるミスターQ。


「要領を得ない物云いね。そろそろはっきりしたらいかがかしら。あなたがたがなぜ最近のeスポーツブームに水を差すのか、その目的とミニファニコンの行方を」

「お察しの通り、ニャンテンドーの活動を妨害しているのは我々だよ。といっても勘違いしては困るのだが、なにもニャンテンドー自体にうらみがあるわけではないのだがね」

「ならばどうして我が社を狙うの?」

「それはこの国のゲーム業界の急先鋒がニャンテンドーだからだよ、天堂家のご令嬢さん。我々の理念を遂行するためには、やはり強大な権力を誇示するニャンテンドーを駆逐することが肝要だと、そう考えたからにすぎない」

「理念の遂行。よっぽどeスポーツがお嫌いなのね」

「ああ嫌いだね。反吐が出る」

「おっさん、たかがゲームに熱くなりすぎじゃねえのか」

「やだ~、ベッドに寝たままPC操作できるアーム取り付けてそう」


 ジャレ子の、あおりか本気かわからないツッコミはあっさりといなされた。


 ミスターQはまたぞろ〈ふふふ〉っと悪役じみた含み笑いをして溜めを作ると、楽しくてたまらないといった調子で語り始めた。


「ソソミくん、さきほど君は〈最近のeスポーツブームに水を差す〉と云ったね。それは本気なのかね?」

「なにか間違ったことを云ったかしら」

「君はもっと聡明な女性だと思っていたが、やはり権力者というやつは目が曇ってしまうらしい。確かにeスポーツは、海外では100万ドルの大金が動くほど大盛況だが、ここ日本ではどうかね。マスメディアは必死に流行をあおってはいるが、その勢いはさざ波程度の微々たるものにすぎないと思わないかな。依然、この国ではゲームはオタクのする遊びという風潮が支配し、盛りあがりに欠けているばかりか、eスポーツ自体を嘲笑する向きもあると感じないかね? あまつさえ、スポーツという見方をすることに違和感を抱いている者も少なくないではないか」

「それは……」


 云い淀むソソミ。ミスターQの云っていることはあながち的外れでもない。日本ではいまだゲームは遊びであり、純粋なスポーツ競技としての土台は皆無といってよいほど理解が進んでいないのが現状なのだ。

 この優勢に息巻いたミスターQ。ズレてもいないティアドロップのサングラスを指でくいっと押しあげると、一気に攻勢をしかけようと声を荒げた。


「私はね、なにもeスポーツをなきものにしようという、そら恐ろしいことを考えているわけではないのだよ。私とてゲームを愛するファンのひとり、ゲームの魅力をたくさんの人々に知ってもらいたい気持ちは誰にも負けないほど持っているのだ」

「じゃあ、なんでeスポーツ界の邪魔をすんだよ」


 別斗のもっともなツッコミに怯むことなくミスターQ、右手を握りしめ、プルプルと肩を震わせる。


「嘆いているのだ」

「嘆いてるだと?」

「eスポーツがなにゆえ、いまいち流行らないのか」


 その演説は、ますます熾烈の高まる気配を帯びていた。


「賭けていないからだよ、人生を。たとえば、アスリートは文字通り人生を賭けている。精神的にも肉体的にもピークに達する短い〈黄金期〉を、まさに命がけで体験し、常に真剣勝負に身を置き、輝いている。そのシノギの削りあいがあるからこそスポーツは熱くなれる。しかし、eスポーツにはそれがない。運動競技と違い、ゲームには引退時期がない。自分がやめなければ80歳でも90歳でもプレイヤーとして戦っていられる。それがプロゲーマーを志す若者の楽観的希望を貪る要因となり、無為な日々でも〈夢のためになにかをやっているのだ〉という現実逃避を起こさせてしまう。そして、ただ〈将来好きなゲームをやって食っていければいいなあ〉ぐらいの甘い人生設計を透過させ、軽く見られる存在になり果てているのだ」


 ミスターQの私見を前に、沈黙を通す別斗。小さく深呼吸して息を整え、彼の言葉を反芻するように脳に刻み込む。

 確かに、ミスターQの云うことも一理あるだろう。eスポーツが世間的に〈スポーツとして〉認められていない理由には、夢やそれを実現するための現実的努力といった、月並みながらも我々人間の心に深く根づいた、汗水を伴う〈生命の躍動〉に乏しいという観点は見逃せない。

 だが、と別斗は反旗を翻す。彼は、ミスターQは失念している。運動競技にもゲームにも共通してあったと思われる、原初の感情を。


「なるほどな、よーくわかったぜ。それであんた、eスポーツ優勝者を再起不能にしたってのか。あんたの云う〈命を賭けて〉勝負するために」

「その通り。かわいそうだが、賭けに負けた相手には罰を与えさせてもらった。右手の骨を粉砕するという、ね」


 あすくとジャレ子が総毛立った。


「なんてひどいことを。下手すりゃ一生ゲームができなくなるじゃないか!」

「そうとも。なにせ命を賭けたのだからね。ゲーム人生がかかった命賭けの勝負だったのだ。いやあ、実にスリリングでエキサイティングな勝負だったよ。これぞ我々が望んだ、真のeスポーツといった具合いにね」


 これには冷静なソソミも気色ばんだ。透明感のある肌がみるみる真っ赤に染まっていく。


「そんなことをして、あなたの思い通りの世界になると思うのかしら」

「なるよ。いや、してみせる。我々、裏のプロゲーマー『2Pカラー』は、本日をもって正式に日本のeスポーツ界へ宣戦布告させてもらう。まずは手始めに君からだよ、天堂ソソミくん。今から我々とゲームで勝負したまえ」

「わたくしの右手を奪うつもり?」

「いいや、そんなことをしても意味はないよ。なにせ君はプロゲーマーではないだろう? もしも我々が勝ったら、以前にも伝えた『天下一e武闘会』の中止を確約してもらう」


 これに応じたのはソソミではなく、別斗だった。別斗はソソミを背中で隠すように一歩前へ出ると、


「わかった。おれが相手になってやるぜ」


 これには一行はおろか、ミスターQまでもが驚嘆の声をあげた。


「君が相手になるのかね。見たところ普通の高校生のようだが……」

「なに云ってんだよ、別斗。おまえがゲーム勝負なんてできっこないだろ」

「そうだよ別斗~、ソシャゲすらしたことないのに、勝てるわけないよ~。ゲームだよ、ゲーム。じゃんけんじゃないんだよ~?」


 案の定、あすくとジャレ子は否定的な言葉を漏らす。

 しかし、別斗に引く気はない。わけのわからん卑劣な相手に、どうしても腹の虫がおさまらないといったところだった。


「大丈夫だ、もしかしたらおれの得意なゲームかもしれないだろ」

「おまえの得意なゲームって、モグラたたきとかパンチングマシーンとかだろう。いや、ゲーム対決ってそういうのじゃなくて――」


 あすくの疑問を軽く無視し、別斗はミスターQを急かしつける。


「いつでもいいぜ。早く準備してくれよ」

「よろしい。ではセットしよう」


 ミスターQが小さく手を挙げると、ロケバスから男が出てきて、リア・ゲートのドアを押しあげた。

 すると、荷台にはロケバスの幅と同じくらいのサイズのブラウン管モニターがあらわれ、そばにはニャンテンドーの初代ファニコンが2台設置されていた。


「ご覧の通り、ここにファニコンがある。実際に長年使用されてきた年代物だが、今なお正常に稼働するホンモノだよ」

「ファニコン対決ってことか。いいぜ、ソフトはなにを使用するんだ」

「使用するソフトは……これだ!」


 別斗の眼前に突きつけられたカセット、それはまさしく40年近く愛されてきた、大人気シリーズの記念すべき1作目。


「それは『スーパーマリコシスターズ』ね」


 ソソミが息を飲むのがわかった。


「え、これってあの配管工のマリコ?」


 目を丸くするジャレ子。実際に初代をお目にかかるのは初めてらしい。これにはあすくも興奮気味に眼鏡をズラしつつ、


「スーパーマリコシスターズ。1985年に制作され、今も続編が作られ続けるニャンテンドーのおばけソフト。発売当時は社会現象にまで発展する過熱ぶりで、ファニコンブームの火付け役といっても過言ではない。内容はいわゆる2D横スクロールアクションと馴染み深いゲーム性に加え、地上、地下、水中、空中、砦内部と多彩なステージに様々なトラップが配置され、巧みに操作すればアスレチックジムをクリアするような爽快感を味わえる、アクションゲームの王道といった珠玉の一本。特にシリーズ通してプレイヤーとなるマリコ、ルイの双子キャラの人気はすさまじく、国外では小汚いつなぎを着た女性キャラがムキムキマッチョの亀男を相手に丁々発止の活躍を見せることから、女性労働者の象徴としてもてはやされることもある、まさにゲームの枠を越えた存在と云ってよい、文字通りワールドワイドなゲームソフトだね」


 口をねじ曲げて捲し立てる。ソソミはわずかに頬を緩ませ、


「ウィキペディアみたいな解説をありがとう、あすくくん」


 すぐにまたキッと厳しい顔つきでミスターQを睨んだ。


「どうかね、引き下がるなら今のうちだよ」


 ミスターQは不適に微笑んでいる。

 しかし、そんなミスターQの思惑とは裏腹に、別斗は心得たような眼差しをたたえた。


「スーパーマリコシスターズか。昔のゲーム対決のド定番だな」

「ほう。多少、知識はあるようだね。だが実際にファニコンをプレイするのは初めてだろう。どうかね、少し練習する時間をあげてもよいのだが?」

「そんなことより、ルールはどうする」

「ふむ。オーソドックスにタイムアタック方式としたい。つまり1-4を先にクリアした方の勝ちということだ。それでいいかね?」

「わかった。日も暮れてきたし、さっさと始めよう――」


 云い終えぬうち、ジャレ子がうしろから強く袖を引っ張ってきたため、別斗はたたらを踏んで危うく倒れそうになった。


「あぶねえな。なんだよ、ジャレ子」

「別斗、なに馬鹿なこと云ってんのよ~。せっかく練習させてくれるって云ってるのに、なんで断っちゃうのよ~」


 ご自慢の巨乳が別斗の腕に押し当たるくらいの距離で叱責するジャレ子。別斗は思わず鼻の下が伸びそうになるのをこらえながら、


「別に練習なんて必要ねえだろ。十字キーで移動、Aボタンでジャンプ、Bボタンでダッシュする。これ以外あるか?」


 思った以上にあっけらかんとしている別斗に、あすくは釘を刺した。


「理屈はそうだけど、実際にプレイするのはわけがちがうだろ。だいたいおまえ、このゲームやったことないだろ?」


 だが別斗は意外な答えを返し、ふたりの顔をキョトンとさせた。


「やったことあるぜ。親指が腐るほどな」

「やったことあるって……おまえどこで」

「ん? 決まってんだろ、ウチでだよ」

「ウチ?」


 まったく腑に落ちないふたりをよそに、ソソミはまっすぐな目で別斗を射貫いた。その瞳の色は力強く、なにかを確信した人間が持つ輝きを放っていた。


「別斗くん。あなた、やっぱりテレビゲームをやり込んでいるわね」

「どういうことですか、ソソミ先輩」

「別斗くんに初めて会ったときから思っていたの。別斗くんはきっと、ゲームの達人じゃないかしらって」

「ゲームの達人? 別斗がですか~?」

「ええ、その〈指紋のない親指〉を見たときからね」


 あすくとジャレ子が振りかぶって別斗を見やる。当の別斗は照れくさそうに頭を掻いていたが、その右手の親指は確かに、常人よりも指紋の薄い感じがした。

 そういえば、とあすくが手を叩いた。


「おじさんから聞いたことがある。クラスにひとりは、ファニコンのやりすぎで指紋が消えたと吹聴する子どもがいたと」

「だから、わたくしは別斗くんと積極的に関わりを持ったの。いつか〈こんな事態〉がくることを想定して」


 ソソミは別斗に歩み寄ると、


「それともうひとつ。あなたの『荒巻別斗』という名前、もしかしたら、あの『荒巻月斗あらまきげっと』と、なにか関係があるのではなくって?」


 別斗は小さくフッと息をつくと、


「荒巻月斗か。さすがソソミ先輩、なんでもお見通しなんすね。荒巻月斗はおれの親父っすよ」

「そう、やはり……。ならば、もうなにも云わないわ。別斗くん、この勝負、おもいっきりやってちょうだい」


 強く別斗の背中を押すソソミを前に、もはやあすくとジャレ子も言葉はなかった。別斗のゲームセンスはいかほどか、実際にプレイを見るまではわからないが、あのソソミがその才能を見抜いたというなら口出しはすまい。ふたりはこの場の空気を読んで、そう判断を下した。


「作戦会議は終わったかね?」


 ミスターQが首をコキコキとストレッチしながら云った。


「ああ、今度こそいつでもいいぜ。対戦相手はあんたなのかい、ミスターQ」

「いや、相手はここにいる男がつとめさせてもらう。裏のプロゲーマーのひとり、越智トオル」

 さきほどからひと言も発していない大男がズイッと前に出た。筋骨隆々とした体躯に寡黙な表情、軍人のような佇まいはおよそゲームとは縁のなさそうな雰囲気なだけに、不気味さが際立つ。


「もう一度ルールをおさらいしよう。使用するゲームはスーパーマリコシスターズ。1-4を先にクリアした者の勝ちとするタイムアタック方式だ。いいかね?」


 ああ、と肯く別斗。ミスターQは続けて、


「この勝負にて、越智トオルが勝った場合は『天下一e武闘会』の中止を確約してもらおう」

「もしおれが勝ったら、あんたらが奪ったミニファニコンの試作品を返してもらうぜ」

「無論そのつもりだよ。さあ、では位置につきたまえ」


 それを合図に、みのりの森の照明に灯が入った。夕闇が支配する駐車場に、外灯とロケバスによる光の舞台がぼうっと浮かびあがる。

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