幻の十字キーを打て!(10)

「待っていたよ、荒巻別斗くん」


 カップを片手に、ミスターQはソファに座っていた。質素な部屋はコーヒーの香りが充満していて、打ちっぱなしのコンクリートの風景と相俟って意識の高いカフェ空間を作り上げている。


「荒巻くん」


 星野アスカはそれだけを云い、鋭い視線を向けてくる。

 その視線をふいっとはずし、


「ミスターQ。覆面かぶったままで、どうやってコーヒーを飲むんだ?」


「ふふふ、別斗くん。コーヒーはね、味ではなく香りを楽しむものなんだよ」


 カップに顔を近づけ、立ち昇る湯気を浅草寺の『常香炉』浴びるように堪能するミスターQ。なにひとつ慌てる素振りのない、実に堂々とした動作だった。


「へ、余裕だな。今度のあんたの刺客は相当な腕前を誇ると見える」


 まだ鋭い眼光を向けていた星野アスカへ、ここへきてはじめて視線を合わせた別斗。複雑な思いが駆け巡るが、ここにいる人物は自分がよく知る星野アスカではないと云い聞かせる。御美玉中央高校に赴任してきた新任教師・星野アスカとは別人だと。


「別斗くん、まず門田の件については謝ろう。こちらの統制ミスだ。あの男は破門にしたよ。だから安心したまえ、お友達の前にももう現れることはない」


 丁寧に頭を下げたミスターQ、仕切り直しとばかり両手を広げ、


「改めて紹介しよう。彼女の本当の名は行平ゆきひらヒトミ。我々、組織のニンゲンだよ」


 それに応える形で、星野アスカ改め行平ヒトミが背を正す。


「騙したのは本当に申し訳なく思っているわ。云い訳するつもりはないけど、これも勝負のためなの」


 別斗は「あー」と行平ヒトミの言葉のお尻にかぶせ気味で切り返した。


「わりーけど、おれはそういう自分たちの信念のためとかいう論調が気に入らねえんだわ。ジャレ子とあすくを助けてくれたことにはマジ感謝してるっす。けど、この対決は勝たせてもらうっすよ。おれは裏プロが好きじゃあないんで」


 望むところよ。並々ならぬ熱視線で肯いた行平ヒトミの応酬を句切りに、ミスターQがひとつ手を打った。


「では、さっそく準備に取りかかろう」


 コーヒーカップを律儀に片付け、ワインセラーの横にあったスイッチを押す。壁にかかっていた大画面モニターの下から床を割って迫り上がってきた、スーパーファニコン。前回のユーリ・ピロ敷ぴろしき戦でも使われた、ファニコンの後継機である。


「ソフトはこれだよ、ご存知『スト2』だ」


 ミスターQの革手袋に握られるは人気ソフト『ストリートファイヤー2』だった。


「また『スト2』かよ。懲りねえな。そいつはおれに通用しねえぜ?」

「まあそう云いなさんな。ここにいる行平もかなりの実力者だ。少なくとも前回のユーリよりは、ね」

「へっ、まあいい。さっさとやろうぜ。おれは今ほどゲーム対決を渇望したことはねえんだ。このおれの鬱屈した心を発散できるのはゲームだけだからな」

「これはこれは勇ましい。でも少し落ちつきたまえ。まだ勝負のルール説明もしていないのだからね」


 わざとらしく吹き出したミスターQ、この状況を楽しんでいるのを隠そうともせず、手揉みしながら講釈を垂れ始めた。


「では説明と行こう。使用するソフトはこの『ストリートファイヤー2』、先に2勝した方を勝ちとする。操作キャラクターについては、ランダム機能を使って選択されたキャラを使用すること。1Pか2Pか、コントローラーもコイントスの結果に従うこととする。いいかね?」


 これは前回のユーリとの対戦でも採用されたルールであるため、いまさら動じることもない。キャラ選択にしろ使用コントローラーにしろ、特に危惧する要素でもないため不満もなかった。それよりも別斗が気がかりなのは、なんといっても行平の実力だ。プロゲーマーとしての資質はともかく、連中は『裏技』という技能を有している。この行平も組織の一員であるなら、なんらかの裏技を会得しているはずだ。彼女のプレイを『玉常プレイランド』で拝見した際はなかなかの腕前だと感心したが、おそらくあれは実力のほんの一端にすぎないに違いない。


「それと、今回の〈賭金〉だがね。我々の要求はきまっている。もし行平が勝った折には別斗くん、君に我々の組織に入ってもらうよ」

「まったく懲りねえ連中だな。いいぜ、そのかわりおれが勝ったらおれのダチに金輪際ウザ絡みすんのやめてもらうぜ」

「ふふふ、よろしい。では、はじめよう」


 ミスターQのティアドロップが、照明を怪しく照り返した。

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