幻の十字キーを打て!(7)

「よーし、それじゃあいっちょパーティタイムと行こうぜえ」


 パリピとまったく縁のなさそうな門田の、品のないダミ声が部屋にこだまする。12帖ほどの打ちっぱなしコンクリートの部屋。商業施設の蛍光灯のようなライトが程よい輝度で灯り、壁には60インチのモニター、他に調度品といえばソファベッドとガラステーブル、グラスラックと小型のワインセラーくらいで、あとはおそらく内線用の電話だけしかない。

 この二世タレントの〈ヤリ部屋〉といった印象の空間に、ジャレ子とあすくは軟禁されていた。

 もちろんゲームに負けたからである。玉常プレイランドを出たあと、門田寿樹也の愛車である中古のスバル・サンバーバンで揺られること40分弱。地元である御美玉を越え、突刃山つくばさんのふもと付近へと向かい。

 ハンドルを握る門田のゲスなジョークに愛想笑い浮かべつつ、助手席のジャレ子はラゲッジスペースのあすくに状況を打破するための打つ手はないかと、目配せしていた。

 あすくはズキズキと痛む左手首を思いやりながら、門田の目を盗んでスマホを手繰る。ほとんど右手だけの操作だったためスマートなタッチとはいかなかったが、なんとか最低限の目的を達成した。

 メッセージアプリにて、ソソミへの遭難信号。長い文字は打てなかったため素っ気ない文章のみだったが、これでピンチに気づいたはずである。ソソミ先輩なら必ず見つけてくれる。自分に云い聞かす意味でも、あすくは親指を立ててジャレ子を励ましたのだった。

 惜しむらくは、現在地を送信できなかったことだろう。門田運転するサンバーがどこへ向かっているのかを知ることができなかったため、居場所までは伝えられなかった。ほとんど情報のない捜索になるのは絶望的な気もするが、そこはニャンテンドーのご令嬢・ソソミの権力(顔の広さ)が発動するのを期待する。

 とりあえず現在はこの閉鎖空間で行われそうな、門田の傍若無人な振る舞いをなんとか受け流さなくては。


「よーし、まずはアレだな……てめえら『野球拳』って知ってっか?」

「野球拳だと?」

「そうだ。じゃんけんして負けた方は一枚ずつ服を脱いでいくっていう、あの野球拳」

「な、なによそれ……そんなヘンタイ的な遊び、知るわけないじゃん!」


 ソファベッドに無理やり座らされているジャレ子が、朱の差す頬でそっぽを向く。玉常プレイランドの一件からやや時間が経過したことで少し勝ち気を取り戻した彼女は、こんな状況ながら強気を発揮できた。


「残念だけど、ぼくも聞いたことがないよ」


 床に直座りのあすくも、首を横に振る。おじの家に実写映像を使った『THE 野球拳』というがっつりR18モザイク案件なゲームソフトがあってプレイ済みなのだが、ここはあえての知らんぷり。それはジャレ子の云うヘンタイ遊戯を知っている事実を隠したいからではけしてなくって、ひとえに時間稼ぎのためだった。時間を稼いで、門田の魔の手からジャレ子をちょっとでも遠ざけようという気構えなのである。あくまでこれは高度な心理戦なのだ。


「じゃんけんして負けた方が服を脱ぐ、それのなにが〈野球〉なんだ? 野球要素なんてないじゃないか」

「ったく、めんどくせーなあ」


 門田は頭を掻き、ソファの背もたれにドカッと巨体を押しつけた。


「んなこたあ、おれも知らねえし知りたくもねえよ。とにかくじゃんけんしてよお、負けた方が服を一枚ずつ脱ぎゃあいいんだ」

「まったくゲスいルールだなあ。誰だよ、そんなことをはじめに思いついたヤツは。フジテレビかい?」

「うるせえなあ。そんなにごちゃごちゃ云ってると、諸々すっ飛ばして無理やり〈べっちょこヌリコーン〉すっぞ?」

「べ、べっちょこヌリコーン!?」

「ぬるんぬるんにしたパイパイを〈うなぎの掴み取り〉するみたいに握り絞ってやるぜえ」

「ちょっと待って、さすがにその発言は18禁すぎない~?」


 指の第2関節をクイクイするヤラシイ手つきで、門田がジャレ子に迫った。


「ぐへへへ、泣き叫んでもいいんだぜえ。この部屋はおれたち『2Pカラー』の地方アジト。組織の人間しか知らねえ、外部とはいっさいを遮断された閉鎖空間だからなあ」


 苦笑いで後退るジャレ子。生臭い口臭を荒々しく吐き出しながら、門田が巨体を肉壁にしてにじり寄る。ソファの端っこまで追いやられ、片足を床に着き、いまにも〈追いかけっこ〉始まりそうな気配。

 ジャレ子、この絶望的状況に機転を利かせた。


「そんなことより~、映画でも観な~い? 私あのおっきな画面で映画が観てみたいよ~」

「ああん、映画だあ?」

「そうそう。私、観たい映画があったんだよね~」

「どんな内容だ、云ってみろ」

「えっとね~、宇宙をさまよってる船がどっかの星に辿り着くと、そこは猿が支配してる星で~、とっ捕まったり戦ったりなんやかんやあって〈いったいこの星なんやねん!〉ってなるんだけど~、実はそこは悠久の時が過ぎた八王子だったってやつ~」

「なんだあそのオチ、舐めてんのかよその映画はよお。やっぱりそんなくだらねえ映画より、おれと四つに組んでがぶり寄りやがれ」


 ジャレ子今度こそ本当に貞操の危機……学校では〈ちょうどいい女〉と揶揄され一部男子の妄想の主菜を彩る彼女だったが、むやみやたら貞節を解くことない慎重さを損ねるほど、安直なセイシュンをすごしたことはない。それがこんな形で破られそうとあらば、さすがのジャレ子も本気マジにならざるを得ない。あすくは左手を負傷している。入口のドアはおそらくロックされていて、逃げ出すことはできないだろう。不道徳さがエスカレートする門田に、なにか良からぬものを一服もられる前に、なんとかこの状況を突破しなければ――。

 と緊迫感張り詰めるなか突如、虚を突く内線電話の呼び出しコール。


「ちっ、なんだよ、いいとこなのによお」


 高まった興奮を削がれ、悪態の門田が受話器をもぎ取る。窮地を脱したジャレ子があすくのもとへ飛んできて、背中に張りついた。


「おいおいおいおい、いったい誰だあ。このおれの〈お・も・て・な・し〉を邪魔するやつぁ」


 威勢と唾を飛ばしながら受話器の向こうの相手を叱責する門田だったが、束の間、巨体が瞬間冷凍したようにキンッとまっすぐ伸びた。


「ええ! あ、あんたは、まさか……」


 喫驚の声を上げつつ恐縮する門田、どうやら電話の相手は門田をかしこまらせるほどの人物らしい。


「は、はい! すぐに行きますんでっ!」


 受話器を乱暴に戻し、ドア横のインターホンでひと言ふた言つぶやいたあと、小走りで出て行く。

 ジャレ子はすばやく門田去ったドアに飛びついてノブをひねってみたが、すでにロックがかかっていた。


「んもう、これで出られると思ったのに~」

「おそらくドアのセキュリティをどこかで管理しているんだろう。ぼくたちの意思で出ることは、たぶんできないよ」

「スマホはどう?」


 眼鏡をくいっと押し上げ、あすくが目線を落とす。


「ダメ、圏外。こりゃマジでソソミ先輩にどうにかしてもらう他はないな」


 完全にさじを投げたあすく、床に寝っ転がって天井を仰ぐ。

 こりゃあ長期戦になるなあ……などと漫画の主人公みたいに〈やれやれ〉とカッコつけた矢先だった。

 主人公気分に浸る間もなく、告げられた終戦宣言。


「ふたりとも、大丈夫?」


 勢いよく開かれたドアから、1人の女性が飛び込んできた。


「先生!?」


 そこにいたのは、新任教師・星野アスカ。血相を変え、心拍数を乱しながらの登場には、喜びよりも驚きのほうが大きかった。


「なんで先生が来てくれたの~?」

「通報があったのよ」

「通報?」

「この施設に御美玉中央高校の制服を着た学生が入っていくのを見たっていう、近所の主婦からね」


 近所の主婦……。あすくはちょっと斜め上へ視線を走らせ、


「1人で来たんですか?」

「ええ、そうよ。通報を受けたのがちょうど私だったから、受話器を置いてそのままの勢いで駆けつけたの」


 ということは、ソソミから連絡をもらったわけではないということか。ソソミはどうしているだろう。いまごろ必死になって自分たちを捜索しているのだろうか。別斗に話を伝え、2人でニャンテンドーの権力を駆使してこの辺り一帯を探しているかもしれない。


「無事で良かったわ。さ、こんなところもう帰りましょう」


 星野アスカに促されて軟禁されていたヤリ部屋を出れば、そこは老舗旅館のような情緒ある施設の地下だった。地上へ向かう階段を上がっていき、行灯を模した淡い照明の設置された廊下を進んでいった先に、エントランスが広がっていた。玄関のガラス扉からはきれいに舗装された駐車場が覗えたが、外はもう陽が沈んで暗くなっていた。振り返り、フロントにある置き時計を確認しつつ、そばにあった室内用の小さなのぼりに『ようこそ ひだまりの郷へ』の文字を発見すると、あすくは施設の一切を悟った。連れてこられたときには余裕がなく把握できなかったが、ここは近辺の市町村では有名な温泉施設だ。突刃山のふもとに位置し、湯治客は年金暮らしの老人か刺青の入ったヤクザしかいないという名の知れた場所である。なんなら経営者もそのスジの者というウワサもある。

 なるほど、こんなところへ制服を着た高校生が出入りしているとあらば、学校へ通報が入ることも充分にあり得る事態だろう。おじも一度怖いもの見たさでサウナを利用しにきたことがあったと云っていたが、高温の狭い室内で肉体に描かれた〈鳥獣戯画〉を展覧しているようだったと回想していたくらいだ。


「送ってあげるわね」


 駐車場の隅に止められたスズキ・ラパンに乗り込む。後部座席にジャレ子と並び、星野アスカの後頭部を眺めていると、ふと思い出して言葉を紡いだ。


「そういえば先生、ぼくたちがいた部屋にくるとき、マッドマックスみたいな格好した大男に会いませんでしたか?」


 プッシュスタートボタンを押し、ギアをバックに入れた星野アスカとミラー越しに目が合う。それはほんの一瞬で、後方を確認するためにすぐにそらされてしまった。


「いいえ、会っていないわ。私はフロントに高校生が来ていないかって問い詰めて、あそこの部屋へ駆けつけただけよ」

「その大男は、誰かに内線電話で呼び出されて部屋を飛び出していったんですけどね~」


 あごに手をやり、あすくに横目を流すジャレ子。ジャレ子は天然でバカだがマヌケではない。おそらくあすくと同様の違和感を感じているのだろう。学校へ通報が入ったのが本当だとしても、あそこへ星野アスカがやってくるのはおかしい。


「先生、もうひとついいですか?」


 告げたあと、あすくはたっぷり3秒の間をあけ、こう切り出した。


「ぼくたちがなぜあの温泉施設へ行ったのか、理由を聞かないんですか?」

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