エクストラ-02



  吐息の部屋




 自室のベッドの上に木須屋吐息はゴロリと転がった。室内着のルーズな服装は、彼女の大きな胸を押さえつけることは諦め、その動きをなすがままにさせる。


 彼女は自分の思い通りにならない肉を腕で挟み付け苦しめようとするが、その肉はなんの反応もなく、形を変えて腕の束縛から逃れようとこぼれだす。


 彼女の成長とともに巨大化するそれは、彼女の人生の重荷でしかなかった。行く先々で通り過ぎる男性も女性も、彼女の胸に視線が集まる。吐息はそれを感じない日はなかった。しかし、今その無価値だった胸が、大きな意味を持っている。


 吐息はいたずらに自分の胸を押し付け形を変えて弄ぶ。


 彼がこの胸を見てくれる。


 役に立たないと思っていた重しが、今、あの人の視線を自分の物にしてくれる。それは彼女にとって喜びだった。揺れて震えてまた形が変わった。この物体は、あの男と戦う武器になってくれる。初めて、自分の肉体を愛おしいと思った。


 「トイキ、キミはヤツと親しくしすぎだ」


 彼女のトーテムがテーブルの上で、敵味方の線引きを明確にしろと迫った。


 「あの人と接触して、情報を引き出そうと言ったのは、ソダリーの方だよ」


 「たしかに、だが、キミとヤツは、その、近づきすぎな気がする」


 愉快だった。ソダリーの言う通り、吐息は彼に近づいていた。その心理的距離よりも先に肉体的距離が近づいていた。あの部屋で、二人の肉体は何度も触れ合っていた。それはただの皮膚の接触だけで、それ以上のラインは超えることはなかったが。少女はその睦みごとを楽しんでいた。


 まるで大人の視線の無い所で、ルールを違反することに喜びを感じる子供のように。


 魔法少女と魔物という特別な関係が作り上げた特別な関係。特別な世界のルール。


 「あの自由な部屋は、彼と私が作っている世界だ」


 吐息にはその自覚があった。あの彼の部屋。あの中の自由は彼女の世界に突然現れた。その吸引力に彼女は吸い込まれて、抜け出せない。


 ベッドの上で悶えるように寝返りをうつ。


 人生が、どんどんあの部屋に、あの人に吸い込まれていく。


 次は、どんな理由を付けてあの部屋に行こうか?


 いや、今から行けば良いのだ。彼は絶対に断らない。


 今から、行けばいいのだ。


 木須屋吐息は、毎日が楽しかった。








 エリの部屋




 恵来エリの部屋は、日本と英国の二つの世界が混ざりあったものだった。彼女は日本生まれの日本育ちだが、彼女の祖母は英国人で、その影響を多分に受けている。実家帰りを繰り返した祖母の土産が、彼女世界に彩りを与えてた。


 そんな部屋の中で、エリは何冊もの絵本を広げていた。祖母の土産物、エリがもっとも幼い頃にもらった本たちだ。


 「落土に読ませるには幼すぎるかな…」


 彼女のそばで眠る男に読む本の選抜に悩んでいた。全て英語の本だ。落度が英語を解するかどうかもわからない。おそらくわからないだろう。それでも、読んで上げたかった。眠りにつきにくい状態でも眠らなければいけない、あの男のために。


 エリは想像する。暗闇の中、ベッドランプを頼りに絵本を読んであげている自分の姿を。


 それは彼女がもっとも愛した時間の一つ、幸福の形だった。愛を与えられていた自分が、愛を与える側になる。


 その想像だけでエリの頬は染まる。


 絵本の上に流れる砂のような彼女の金髪がかかっている。


 あの部屋にいる時、彼女は自由だった。あの男を足蹴にし、その懐で丸まり、自由に噛みつき、彼の命を誰よりも大切にした。


 家族を愛しているし、友達も大事だ。だが、家族や友達よりもあそこは自由だった。なにかのタガが外れて、ルールが消えて、自分を存分に甘やかし、あの男を甘やかした。


 彼に触れることも触れられることも許し合っている。世界からこぼれ落ちた、魔法少女と魔物の溜まり場。


 「私達は命がけだ。だから命を共に抱き合い触れ合って、何が悪い」


 そんな気持ちだった。


 「これにしよう」


 ようやく一冊選べた。


 これを、あの男の枕元で読んでやる。


 彼がどんな顔をしようと関係ない。私は彼に読んでやるのだ。エリはバッグに絵本をしまい窓から夜空を見る。もう眠る時間だ。あの男と眠る時間だ。




 


 リンカの部屋




 ベッドに顔から飛び込んだリンカは、あの部屋での自分の行いに恥じ、火照った顔を冷たいシーツに押し付けた。


 それは最初の日から思っていた。


 彼女が殺したと思った男の部屋に入り浸る、吐息とエリの姿。


 普段の学校では見せないだらしなさと、表情。そして男との距離感…。


 初日、彼女は面食らい、戸惑った。だが自然と慣れてしまった。


 まるでこの部屋だけ別のルールがあると、自分が認めてしまったかのように。


 肌が近い。


 顔が近い。


 会話で吐息が混ざってりあっている。


 極寒の南極で肌を触れ合うペンギンのように。お互いの体温を分け合うのが常識というあの部屋。


 リンカが敬愛し、ライバルと思っていた吐息も、あからさまにあの男と近かった。吐息がその人生で培ってきた巨大な壁が、あの男の手に安々と貫かれて、壁があの男を飲み込んで離さない。


 エリも普段の少女の可愛さではない。蠱惑的、そんな小説でしか見たことのない表情と仕草。ネコが可愛らしさを捨てて、全ての愛欲をぶつけているような、そんな仕草に見えた。


 自分は、この部屋にいたらどうなってしまうのか?


 リンカはそう思ったが、あっというまに染まってしまった。足先だけ漬けた湯に、足首が飲み込まれ、今や全身が湯の中に全裸で取り込まれてしまった。


 悔しさから親指を噛みしめる。痛みで思い出す。父や母、社会や学校から教え込まれたルールを痛みとして思い出そうとした。


 しかし無駄だった。噛むという行為が、あの男の首筋に噛み付いた記憶を思い出す。飢えたピラニアのように群れとなってあの男に噛み付いた。それをあの男は受け入れてくれた。痛みも死も受け入れた。あの男の血の味を思い出すと、頭の中にあるルールが再び蕩ける。


 また顔と体が熱くなる。


 もうシーツはその熱を吸い取ってはくれない。


 ルールが崩れている。


 彼女が家庭で、社会で、学校で付き合ってきたルールが、あの部屋にはない。


 あの部屋にはあの部屋だけのルールが有る。


 命を取り合うことを運命にした男女が集う部屋。世界から離れたたった一つの秘密のスポット。


 頭の熱も、カラダの熱も収まらない。


 布団は彼女の体温に温められてしまった。


 起き上がったリンカは、荷物をまとめ、窓から夜空を見る。


 理由は後から付ける。今からあの部屋に行こう。


 どうせ、吐息もエリもいる。


 友だちに会うためと言えばいい。


 そうすれば、この熱の持って行き場が、この熱を発散するチャンスがあるかもしれない。


 家では、部屋では、この熱を失えない。




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